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待つ身vs待たせる身(恋愛編)

待つ身はつらい。待たせる身もつらいだろう。
だけれど、つらいことばかりじゃないはずだ。

待つこと、待たせることで生まれてくるものがある。
醸成されるもの、熟成されるものもある。

たとえばそれは、かもしれないし、希望かもしれない。
許しかもしれないし、祈りかもしれないし、かもしれない。

それが諦め後悔憎しみ恨みつらみでないことを願う。
(「待つ身vs待たせる身(友情編)」のつづき)


それではまた、いずれ春永に

前回のエッセイを、僕はこの言葉で締めた。

春永は「はるなが」と平板に読む。
いずれ春永に、って素敵な言葉ですね」とある人から言われた。

本来は、春を待つ冬の挨拶の言葉だが、春永にはもうひとつ別な使い方がある。

「いずれひまなときに」「またゆっくりと」。つまり、季節を問わない用法だ。

いつかまた、ゆっくり会って、語らいましょう(このくらいの意味)

「いずれ春永に」を手紙の結びとして好んで用いたのが、三島由紀夫だった。
『行動学入門』の「手紙のおわり」という章で、三島はこの言葉の持つ魅力について書いている。

「日が永くなる春を待つ心と、ごく自然な再会への期待とがひとつになって、来るべき春のようなものへの、明るい淡々としたほのかな希望に染められている」

なるほど、春を待ち焦がれる心情に、再会を待ち望む心情を重ね合わせた言葉、というわけだ。

でも、どうだろう。「季節は問わない」とはいえ、使用時期はやはり冬が適切なのではあるまいか。寒さが残る春の初めくらいまでが賞味期限だと思う。

だって、たとえば夏に「いずれ春永に」なんて言われると「こいつ、春までおれに会いたくないってか?」となり、信頼関係にヒビが入りかねない。

さらに言うなら、これは男女間には(とくに恋愛関係にある、もしくは恋愛関係を想定している男女間には)不向きな言葉だろう。

「何を悠長なことを。すぐにでも会いたくないの?!」となり、挙句、百人一首で歌われているように、こんなことになりかねない。

逢ふことの 絶えてしなくは なかなかに 人をも身をも 恨みざらまし

「こんなに私を待たせるなんて。なんで逢ってくれないの? そもそもこんな関係になっていなかったら、あなたのことも自分のことも恨まないですんだのに」

ああ、やっぱり恨んじゃうんだね!
これはまさに、待つことによって醸成された恨みつらみだ。

だから僕は「ユアボイス・マイボイス」の中でも再三再四、忠告しているのだ。
女性を待たせるな。痛い目にあうぞ!と。

そういえば百人一首には、男女の待つ身と待たせる身の詠嘆の歌が多い。

もちろんこれは、電話もメールも、LINEもFacebookもない時代。待ったり待たせたりで身を焦がす状況が多かったことは想像に難くない。歌の主要テーマにもなりやすかっただろう。

待てど暮らせど来ぬ人を 宵待ち草のやるせなさ 今宵は月も出ぬそうな

これは大正浪漫を代表する画家・詩人である竹久夢二の、1912年の作となる詩歌だ。
雑誌『少女』に発表されるや爆発的な人気を博し、「宵待ち草」のタイトルで映画化され、主題歌も大ヒット。百年たった今も歌い継がれている。

語り人メモ

この絵のモデルは笠井彦乃といって、東京日本橋の裕福な紙問屋の娘で、当時女子美術学校の学生だった。夢二のファンで、「絵を習いたい」と夢二を訪ねたことで交際が始まる。妻と離婚し京都に移り住んでいた夢二と同棲するが、取材旅行で留守がちな夢二を待ちわび、24歳の若さで結核に侵され死亡。恋多き夢二がもっとも愛した女性といわれている。僕はこの絵に恋をして、大学生のとき数量限定の複製画を買った。その後、引っ越しに紛れて紛失したのが悔やまれる。

 

もっとも現在でも、やれメールの返信が遅い、やれLINEのリアクションが遅いと、やきもきしたり、じりじりしたりして、結果、恨んだり恨まれたりという感情の齟齬が起こりやすい状況があるわけで、そう考えると待たされること・待たせることによって引き起こされるストレスは、今も昔も変わらないのかもしれない。

ひとくちに「待たせる・待たされる」といっても、さまざまな状況がある。
挨拶や連絡レベルのものから結婚のプロポーズまで、大小・軽重いろいろね。

ときにお詫びや謝罪の言葉だったり、 お礼や感謝の表明だったり、 借金の返済だったりする。

いずれにしても待たせている人は、待たされている人の時間と心を奪っていることは間違いない。その自覚だけは、いつも持っていなければと思う。

日常の待ち合わせレベルでも同じである。

たとえば仕事上の待ち合わせ。
仕事とプライベートが半々の待ち合わせ。
完全プライベートの待ち合わせ。
これってまじデートよね的待ち合わせ。
などいろいろある。

それぞれに待たされてもいい、あるいは待たせてもいい時間の許容範囲があるだろう。 ドタキャンは論外として。

僕自身は待たされることに関しては、わりと融通の利くほうだと思う。待っている間に、趣味のマンウォッチングが楽しめるからね。いろいろな人の表情を観察してはあれこれ想像し、彼らの人生に思いを馳せるのだ。

ところが昨今では、何処にいても皆一様にひたすらスマホを睨んでいて、表情から情報が読みとれないのだ。 スマホに気を取られている人の表情は、概ね画一的で没個性だからだろう。

一方で僕は、ひとたび待たせるほうに回ると、ひどく神経質になってしまう。

「ああ、申し訳ない」「いまごろイライラしてるだろうな」と、居ても立っても居られなくなってしまう。そうなるともう、マンウォッチングどころじゃない。駅に着いたら待ち合わせ場所へと猛ダッシュで走ることになる。

しかし世の中にはいろいろな人がいて、待たせることになんの痛痒も感じない人がいる。(たとえ本人は感じていても、そうは見えないんだよ!)

涼しい顔をして15分遅れでやってきて「出る間際に電話を1本、片付けてきたもので」などと、言い訳にもならないことを平気で口にする輩だ。

言い訳はいらない。もしするのなら、気の利いた言い訳がほしい。

オフィスを出たら、空に虹がかかっていましてね。しばし立ち尽くし見入ってしまいました」たとえばそんなことを言われると、

それはよかった。ところでなぜ日本では虹を七色と見るのか、ご存知ですか」なんて話になり、遅刻のことなんかもうどうでもよくなる。

あるいは女性が「ごめんなさい!電車の中を走ったのだけど、それでも間に合わなかったわ」なんて可愛いことをのたまった日には、もう座布団あげちゃうもんね。

女性のことをいうなら、僕は女性の遅刻にはひときわ寛大である。女性は男のようにパッパといかない。とくに「これってデートよね的待ち合わせ」の場合はなおさらだ。

先日テレビを見ていたら、女性の遅刻癖について熱い議論が交わされていた。
ある脳科学者はこれを脳の問題だと言う。つまり男性脳と女性脳の違いだと。

でも、僕にはぴんとこなかった。「なんでも脳で片づけようとするなよ」

僕はあることの原因を、たったひとつの言葉で片づけようとする風潮をあまり好きではない。「ああ、それはストレスが原因ですね」とかね。

脳科学によると、脳には左脳と右脳をつなぐ橋がある。これを脳梁と呼ぶが、これが女性のほうが太いのだそうだ。そのため、一般に女性のほうが情報処理能力が高いと言われている。

これは僕も知っている。いま見ている情報を過去の情報と照らし合わせて判断できる。だから女性は、男の浮気を見抜くのだ。つまり「勘」なんかじゃないってこと。

一方で女性は、男性に較べ空間認識能力が低い。これは狩猟時代の名残りだといわれる。男は狩猟、女は子育てってやつね。だから生まれつき、教えなくても男の子は銃が好きで、女の子は人形が好き。

うーん、どうだろう…。この本脳領域は、進化の過程でかなり後退しているんじゃないかと僕は思う。少しは残っているだろうけど、後天的な教育や慣習の影響が大きいんじゃないか。「男の子はこうあるべき、女の子はこうあるべき」みたいな。

ところで、それが先天的なものであれ後天的なものであれ、次の言葉は男と女の本質をズバリ端的に言い表しているのではないだろうか。

話を聞かない男、地図が読めない女。

このキャッチコピーのような言葉、ご存知の方も多いと思うけど、実は本のタイトル。2002年刊行だから10年以上前の本。だけど、いま読んでも面白い。この本の登場によって「男脳・女脳」という概念が、世界中に広く流布されたと言っていい。

いわく、なぜ女は方向音痴なのか。
なぜ男は一度に一つのことしかできないのか。
なぜ女はよくしゃべるのか。
なぜ男は一人っきりになりたがるのか。

そんな誰もが納得する男と女の違いを、脳科学を援用した行動学・心理学の観点から解き明かす意欲作だ。

なぜ女はデートの待ち合わせに遅刻するのか。

探してみたが、この本にそんな記述は見当たらない。僕は遅刻は女性に限ったことではないと考えている。男にだって遅刻魔は同程度いるよね。これはみなさん異論のないところだと思う。

空間認識能力が女性は男性より低い傾向がある

これについては、僕にも少なからず思い当たるふしはある。「地図が読めない女」に悩まされた経験を持つ男は少なくないはず。だけど、それを遅刻と結びつけるのはいささか早計だ。無理があると言わざるをえない。

「女性が遅刻する理由」はとてもはっきりしている。
気合いを入れてメイクして、最後までコーディネートに悩んでしまうからだ。

二人の力関係とか駆け引きとか、つまりわざと遅刻する場合を除けば、結局これにつきるのではないだろうか。

「それを計算に入れて時間配分をすればいい。遅刻の言い訳にはならない」

男性諸君、そんな野暮なことを言ってはいけない。きみにベストの自分を見てもらおうと、女性もあれこれ苦労して頑張っているのだよ。

ついでに言えば「たとえ相手が別れた男でも、すっぴんでボサボサ頭の自分を見せたくない

女性とはそういう生きものだということも知っておいたほうがいい。

ロシアの文豪トルストイも言っている。

「…男の前で虚偽や残酷さ、さては放縦まで暴きたてられるのと、無趣味・悪趣味な格好で男の前に現れるのと、どちらを選ぶか女に訊いてごらん。 間違いなく前者ですよ」(『クロイツェル・ソナタ』より抜粋)

語り人メモ

「クロイツェル・ソナタ」は戦慄の書です。僕は大学生のときに読んで、ぶったまげて腰を抜かしそうになった。そこには永遠のテーマといわれる男と女の謎が、語り小説の手法でリアルに解き明かされていたからだ。ちなみにベートーヴェンのヴァイオリンソナタに同名の曲があるが、トルストイはこの曲にインスパイアされて本書を執筆したといわれる。男と女の戦いを表現したヴァイオリンとピアノの押しつ押されつのバトルは壮絶だ。

 

男性のみなさん。わかりましたか? 遅刻してやってきた女性には「きてくれてありがとう!」と言って、彼女のメイク・ヘアスタイル・ファッション、何でもいい。ひとつ褒めてあげよう。

女性のみなさん。いいですか。遅れたときは花のような笑顔を見せて、彼にカワイイ言い訳のひとつでも言ってあげましょう。

そして、最後にもう一度、言います。男は女性を待たせてはいけない

さて、あなたは誰を待って、誰を待たせていますか?

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