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第4話5章 怒りの代償

「そのとおりだ。違わないよ。それにしても見事な演説だ!」と拍手をしながら言った。「語り人にはかなわないね。きみこそ、何でもお見通しってわけだ」
ジョージの顏を見たのは、それが最後だった。

4章「言葉の力」のつづき)

 

「最近、ジョージの姿を見かけないけど」

ジョージをペテン師呼ばわりしたことを謝りたくて、僕は毎日ゲートに足を運んだ。でも、そこにジョージの姿はなかった。

一週間が過ぎ、僕はたまらなくなって古参の米兵ニックに声をかけた。

「ああジョージのやつね、親父さんが亡くなったそうで、国へ帰っちまった」
僕はびっくりして、それはいつのことかと尋ねた。

「覚えてるよ。7月4日。わがザ・ステイツの建国記念日。そしてジョージの誕生日だよ。親父さんはその日に亡くなったそうだ。翌日、ジョージは帰ってったよ」

そういうとニックは急に何かを思い出したらしく大声を上げた。
「おっと、いけねえ!忘れるところだった。ジョージからあんた宛の手紙を預かってたんだ。すぐ持ってくるから、ちょっと門番でもして待っててくれ。でも中には入らないでくれ。こっちはザ・ステイツだからよ」

手紙を持って小走りで戻ってくると、ニックはにやにやしながら言った。

ジョージはあんたのことが大好きだったんだな。知ってるかい、あんたが来たらすぐ呼び出してくれって、いつもみんなに指令をかけてたんだよ。もしかしてあれか、ジョージとはそういう仲だったのか? いつも楽しそうに二人で喋ってたよな」

ニックを無視して僕はその場で封を切った。“To my dearest friend”で始まる達筆すぎる手書き文字が目に飛び込んできた。読むまえにどうしても確認しておきたいことがあった。

「ねえ、もっと教えてくるかい。その日、ジョージの様子はどうだった?」
ニックは怪訝な顔をしてみせたが、どうやら喋りたかったようで詳しく話してくれた。

「みんなでやつのバースデーパーティーを開いたんだけどさ、ジョージのやつ心ここにあらずって感じでよ、ずっと暗い顔をして十字を切っては溜息をついてやがった。主役がそんなんじゃ意味ねえだろ。日本人のいう、なんだ? そう礼儀だ。 礼儀がなっちゃいない。そうだろう? まあ、ふだんからへんてこりんな男だったけどな。 だから小一時間で切り上げた。やつを置いて、別の部屋で飲みなおした。今度はわがザ・ステイツを祝ってな。その間に国から知らせが届いたみたいだな」

一週間前の7月4日。僕がジョージを傷つけた日。
ニックの話を聞きながら、僕は無性に腹が立ってきた。

ニックに腹を立てているのか、自分に腹を立てているのか、とにかく込み上げてくる怒りの衝動を抑えるのがやっとだった。そのあと無性に悲しくなって、その感情は涙となって眼前を曇らせた。

「語り人、あんた泣いてるのか?」
「ニック、もうひとつだけ教えてくれ。ジョージのお父さんの死因は何だ」

「よくは知らないけど、なんでも突然死だったらしいよ」
「突然死? それまではぴんぴんしてたってこと?」

「だろうな、少なくとも病気で寝込んでたって話は聞いてねぇよ。それより語り人、あんたジョージと何かあったのか? 手紙にはなんて書いてあるんだ?

「ジョージは戻ってくるのか」
「わかんねぇよ、そんなこと。ていうか、オレたちにまだ報告はない

もういい、もうじゅうぶんだ。
「ジョージのことで何かわかったらすぐ知らせてくれ」そう言い残して、僕は足早にその場を離れた。

「おい、人にものを尋ねたら、ありがとうって言うんだろ。それが礼儀ってもんだろう! おい語り人、あんたが教えてくれたことだろ!」

ニックのダミ声を背中に浴びながら、僕は逃げるように走り去った。

そのままジョギングコースに突入し、ひたすら走った。走らずにはいられなかった。いつもはジョガーたちに追い抜かれても悠然と歩いていた僕が。走りながら涙がとめどなく溢れ出た。苦しかった。こんな心臓、破裂してしまえばいいと思った。

許せ、ジョージ。ひどいことを言った僕を。
いやジョージ、僕を許すな。

きみはずっとあんなことを言われ続けてきたんだよね。それを理解者であるはずの僕まで…。

わかってる。きみの能力はあんな小賢しい理屈で説明できるものじゃない。ほんの冗談のつもりだった。だけどきみには絶対言ってはいけなかった冗談。しかもきみの誕生日に。あろうことかお父さんが亡くなる日に!

なぜあんなふうに言ってしまったんだろう。
きっと僕は、きみと喧嘩がしたかったんだ。

自分のことを恐くないかって、きみはいつになく真剣に訊ねた。本当は恐かったのかもしれない。きみのことが。あんなに無邪気で、優しくて、思いやりに溢れるきみのことが。そんなきみと喧嘩する必要がいったいどこにある?

走っても怒りは無くならなかったし、悲しみは1グラムも減らなかった。

走ることは僕にとって、追いかけることであり逃げることだった。僕は追うのも逃げるのも嫌だった。走ることは自分への罰だ。

ジョギングコース1キロ地点あたりで、ひとりのジョガーに追い抜かれた。ときどき見かける30歳代前半のジョガールックに身を包んだ筋肉質の男で、男は追い抜きざま「邪魔だ。おめえは歩いてろ」と放言した。

いつも歩いているのになぜか滅茶苦茶に走っている僕が目障りで、悪態をついたのだと理解できた。咄嗟に僕は「黙れ!」と返した。

男は5メートル先で速度を緩めると、後ろから猛スピードで走ってくる僕の足に素早く自分の足を引っかけた。不意をくらわされ体勢を崩された僕の身体はもんどりうって前方に投げ倒された

受け身をして顔面と頭は守ったが地面はコンクリートだ。受け身をした左肘から肩にかけて鈍い痛みが走った。

僕の中の怒りの衝動はまだ消えていなかった。平然と走り去る男を全速力で追いかけた。追いかけられていることに気づくと男はスピードを上げた。ウォーカーの僕にジョガーの自分が負けるはずがないと思ったのだろう。

左肘は皮膚が擦り剥け血にまみれた白い骨が露出していて、肩は激しい打撲のため痛みで動かない。それでも僕は男を追って走った。至近距離まで追い詰めると、間合いを見定め男の背中に強烈な飛び蹴りを浴びせた。

コース内側の芝生の広場に男は吹っ飛び、そのまま転がり落ちた。コンクリート地面に倒れ込まないように蹴りの角度を調整する冷静さは、僕にもまだ残っているようだった。

男に怪我はないはずだ。飛び蹴りを決めた僕のダメージのほうが大きかった。着地の衝撃で足首を痛めたようだ。これで逃げおおせるとみて男は再び走り出した。もう追いかけられない!僕が観念したそのときだった、男の前に長いリードに繫がれたドーベルマンが飛び出してきた。それを避けようと男は体勢を崩した。

不自然な転び方をしたので足をくじいたのだろう。男は立ち上がることができなかった。僕は使い物にならなくなった左腕をかばいながら、ゆっくり男に近づいた。そして恐怖に慄く表情で僕を見ている男に「立て」と命じた。

「悪かった」と男は言った。
「いいから立て」もう一度低い声で命じた。

恐る恐る立ち上がった男のみぞおちに、僕は腰を落とし無言で中段の正拳突きを食い込ませた。立ったばかりの膝は崩れ落ち、男は両手で腹を押さえたまま前のめりに蹲った。

「これがさっきおまえがやった不意打ちだ」と僕は男に言った。「危ないよ。頭を打ってたらどうなってたと思う?」

すでに戦意は喪失していたが、僕の怒りはまだ収まっていなかった。ジョージに対する世間の無理解が許せなかった。ジョージに言葉の力を悪用した自分が許せなかった。そしてこの男の堪え性のない軽率な悪意が許せなかった。

「ほら、立てよ」と言うと、男は泣き出した。口から涎を垂らしながら「もう勘弁してください」と許しを乞うた。

とどめを刺すつもりはなかった。損傷を受けた左腕の代償を求めようと、四つん這いになっている男の左腕を蹴り上げようとしたそのときだった。背後から英語で僕を呼ぶ声が聞こえた。ジョージ? ジョージなのか?

「語り人、何やってるんだ!」
振り返ると、そこにいたのはジョージではなくニックだった
「あんた、ひどい怪我をしてるじゃないか! 肩もやったな。とにかく診療所に行こう」

「だいじょうぶ。それよりどうした?」
「傷の手当てが先だ。歩けるか?」
「ニック、いいから話してくれ!」
「ジョージのことで知らせがあったぞ」

 

6章につづく

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