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第1話序章 ボイス講師誕生

1ヵ月で声が良くなると言うのは本当でしょうか。 具体的にどの程度改善するのか教えてください。 急いでいます。10月中に声に自信が持てる自分になっていますか?」

こんなメールが届いたのは、ときおり夏が未練がましく顏を出す9月の中旬だった。差出人は、某大手企業に勤めるMさん。社会人二年生。 IT系のインストラクターをしているという青年だ。

取り急ぎ、現在どのような声で、1ヵ月後にどのような声になり、何を達成したいのか聞いてみた。すぐに返信が届いた。

声に抑揚が無い、一本調子、ロボットのような口調、 聴いていて疲れる、等々指摘されております。 よく通る声、人に不快感を与えない声になりたい。インストラクター認定試験に合格し、1人前になることが当面の目標です」

なるほど、実に見上げた心がけだ。論旨も理路整然としている。それにしても、ロボットのような口調というのが気になった。

数年前から、ある人のすすめがあって、ボイストレーナーとして活動している。しかし、僕はあくまでも声のプレイヤーを自任している。だからトレーナー教育も受けていない(そんなものがあるのかどうか知らないけど)。

そもそも、もう10年くらい前になるだろうか、 そのとき所属していた声優プロダクション、 そこの付属養成所声優の卵たちを指導したのがきっかけだった。

あるとき代表に呼ばれた。これは何か、僕の命運を左右するような、ぶっちゃけ代表作となるような大きな仕事が入ったに違いない。喜び勇んで、僕は事務所に代表を訪ねた。

「ありがとうございます。とうとう僕に、ブラピの役が回ってきましたか!」
駆けつけ一番、大口をたたく僕をチラ見した代表は、チッチッチッと舌を鳴らしながら、 左手の人差し指を左右に振った。

「なるほど、レオナルドのほうですね」 僕は滑舌の良さを誇示して言った。
「語り人くん、きみ、相変わらすデカプリオなことを言うね」
「……」 笑えなかった。

なぜって、実はこの少し前、代表と僕はNHK-BSのドキュメンタリー番組に連れ立って声の出演をしたのだけど、そのときの一件を思い出したからだ。それはジェームズ・ディーンの特番だった。

他の多くの声優が、この稀代の名優の名前を「ジェームス・ディーン」と発音していたことに、代表はひどく憤慨していた。「ジェームスじゃない、ジェームズだ。まったく、近ごろの声優はなってない!」と。

そんな彼が冗談でも、ディカプリオをデカプリオと発音することに、僕は異議を唱えたかったわけだけど、まあ、そこはさわらぬ神にたたりなし。黙ってやり過ごすのが賢明だろう。

だって彼の世代の多くが、たとえば「ディー」と言えず「デー」と発音してしまうことを僕は知っていた。代表はまじめに「デカプリオ」と言ったのかもしれないじゃないか。

気を取り直して僕は、次のプレゼンに移った。
「ありがとうございます。とうとうきましたか。ジェットストリームのナレーションは僕の長年の夢でした」そう言って僕は、あの往年の名ナレーター、城達也さんの語りを披露した。

満点の星をいただく 果てしない光の海を
豊かに流れゆく風に 心を開けば
煌く星座の物語も聞こえてくる
夜の静寂の なんと饒舌なことでしょうか

(中略)

日本航空があなたにお送りする「音楽の定期便」
ジェットストリーム
皆様の夜間飛行のお供をするパイロットは私 語り人です

「気がすんだかね。夢を見るのはきみの自由だが、ジェットストリームはもうナレーターの手を離れている。今は有名俳優がキャステイングされる時代だ。もう忘れなさい」

「わかりました。となると、ト○タ自動車のCMナレーションの年間契約ですね!」
「きみはス○ル自動車をやっていたから、それは無理に決まってるだろう。もういい。もうたくさんだ。それくらいにしておきなさい」

「それともまさか、NHKの子ども番組『お母さんといっしょ』の歌のお兄さんじゃないでしょうね。それは困ります! 歌はともかく、僕は顔出しはしないと…」

「もう、よろし。黙らっしゃい!」 言われたとおり僕は黙った。
大きな咳払いをひとつして、代表は言った。

「語り人くん、きみ、養成所のほうで発声ナレーション朗読のクラスをもってくれないかね」
「……」
「そろそろ講師の経験をしておくといい」
「……」
「急だが、来月から毎週水曜日の19時だ」
「……」
「どうした? なぜ返事をしないのかね」
「黙らっしゃいとおっしゃいましたので」

「ここは喋るところでしょ。わたしはきみと漫才をやってるわけじゃない」
「僕にもそのつもりはありません。相方にはうまいボケをかませる人を」
「もう、よろし! それで、どうなんだね。悪い話じゃないだろう」

「僕が養成所の講師を? お言葉ですが、それは僕にとっても生徒にとっても、悪い話にカテゴライズされるでしょう」僕はもってまわった言い回しで反抗した。

「だいたい僕は、学校にも養成所にも行かずこの世界に入った不届き者ですよ。みんなに言われています。あいつはけしからん、つぶしてやれって」

「語り人くん、言わせてもらえば」代表はジロリと僕を睨んで言った。
「きみに、つぶしてやりたいと嫉妬を買うほどの華やかな実績があったかね」

うっ。ボディに効いた。しかし腹筋は鍛えてある。まだ反撃は可能だ。

「では、なおさら僕は適任ではないでしょう」
「後進の指導も大事な仕事だよ、語り人くん」
「わからないですね。なぜ、僕なのですか?」

「それがわたしにもよくわからないのだよ。ともかくきみは、養成生やジュニアの若い子たちに人気があるようだね。それで決まりだ。現場だけじゃなく、教室でも彼らの面倒をみてあげなさい」

「面倒って、あの、代表、僕は自分の面倒をみるだけで手一杯です。無理です。ほんとうに勘弁してください」

そう懇願すると、代表はコホンと咳払いをしてから、パソコンのモニター画面を僕のほうに向けた。最初からこうなることを予想して準備しておいたのだろう。「所属タレントのスケジュール一覧」が開かれていた。

「きみのスケジュール、わたしの頭と同じだね」
そう言って代表は、9割がた白くなった頭髪をいまいましそうに両手でかきむしった。面白くもないジョークにパフォーマンスだが、言いたいことはわかった。

「ほぼ真っ白です」しかたなく僕は付き合った。
「そうなんだよ。寂しいねえ。黒くしたいねえ。クローは買ってでもシローってねえ」
哀しげに、ため息まじりに代表は言った。

「"若いときの苦労は買ってでもしろ"ということわざで僕を励まし、なおかつそこにスケジュールの黒白をからめて、実にお見事です」
ああ、なんという茶番。僕は代表が書いたシナリオどおりに喋らされていた。

芝居の上手さには定評のある代表だが、ときおり挟まずにいられないらしいギャグの稚拙さにも定評があった。

「きみの物分かりのよさとギャグ分かりのよさ、わたしは大好きだよ。語り人くん、やはりわたしとコンビを組まないかね」

ここでニヤリと不敵な笑みを見せる、その老練な演技。さすが声優界の草分けにして重鎮。今度こそ、僕は本当に黙るしかなかった。

そんな経緯で発声や語りの基礎を教えるハメになったのだけど、だいぶあとになってマネージャーから「実はですね…」と真相を打ち明けられた。

はじめ僕よりも人気、実績ともに華やかな所属声優が受け持つことになっていたが、彼に大きなレギュラーの仕事が入った。そこで急きょ、スケジュールに空白の目立つ僕にお鉢が回ってきたらしい。人気、実績とも地味な僕に。

「だ、代表…だましたな。おのれ、タヌキじじいめ!」 とマネージャーの襟首を掴んだが、もちろん彼が怒られる謂れはない。

「でも語り人さんの授業、評判いいっスよ」
おしゃべりなマネージャーくんは、またしても余計なことを言ってしまったようだ。
「あのねえ、クライアントや制作会社の評判が命なの、オレたちは」

「でも語り人さん、楽しそうに教えてるじゃないっスか。ノリノリで」
と言いながらマネージャーくんは腰をクネクネと揺らした。どうやら僕のマネをしているつもりらしい。

「オレはそんなカッコわるい腰の振り方はしない。 いや、だいたい腰なんか振らない!」
「いや、あれが色っぽいって評判が」
「評判って、教え方じゃないのか。もういい!」

閑話休題。
僕はいったい、何の話をしていたのか。 そうだ、大手企業に勤務するMさんの話だった。

ええ、その話は、また次回ということで。
とりあえず今日は「語り人はいかにしてボイス講師になったか
というお話でした。では、ご免!

今日のボイスメモ、あるいは、声にまつわるささやかな教訓

  1. 声や話し方をどう変えて、何を成し遂げたいか、目的を明確にする。
  2. うまい話や巧妙な誘いにはまず裏があると心得よ。
  3. 自分を大きく売り込むにはユーモアのセンスが不可欠だ。
  4. 目上の人のヘタな(あるいは寒い)ギャグにどれだけ付き合えるか。これは成功の秘訣が10あるとすれば、3位くらいにランクインするんじゃないかと僕は確信している。