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第3話1章 一流への序章

「申し訳ないっすけど、語り人さんのその仕事、受けられないっす」

僕が海外映像の吹き替えを請け負っている音声制作の仕事があって、キャスティングのため連絡を取った相手は、その申し出を言下に断った。

彼の名前は一柳成人(いちやなぎなるひと)。僕は親しみを込めて「いちりゅう」と呼んでいる。ナレーターとしてかつて同じ事務所に所属した後輩だ。いや、実はもっと昔からの因縁浅からぬ付き合いなのだけど、その話はあとにしよう。

「受けられないって、それはギャラの問題かな?」
「うっす。今の自分は…」
「もっと高いナレーターってことだ」
「少なくとも、それを目指してるっす。ホント申し訳ないっす」

謝ることはない。志の高い男は気持ちがいい。僕は大好きだよ。
ただ一柳は、僕が海外映像の吹き替え案件だと言うと、すぐにギャラの額面を聞いてきた。メディア情報とかキャスティングの詳細説明に入る前に。

噂は耳に入ってきていた。一柳が最近、ずっと付き合いのあった制作会社キャスティング会社からのオファーを断わっているという噂だ。「もう日の当たらない安い仕事は受けない」という理由で。

この噂はいうまでもなく、ナレーター仲間たちによって、一柳を非難する口調で流布されていた。「あいつ、おれたちを二流扱いしやがった。いったい何様のつもりだ!」と。

なるほど。こうしておまえは仲間や関係者を敵に回しているのか。
「一柳、おまえにとって志の高さはギャラの高さとイコールなのか」という言葉を飲み込んで、僕はできるだけそっけなく返した。

そっけなさを表現する声を作るには、鼻共鳴が有効だ。
鼻に意識をもっていけばすぐできる。鼻から息を抜く鼻歌のイメージ。
このさい腹式は使用しない。つまりお腹で支える必要はない。鼻でつぶやく感じ。要所にウィスパー(ささやき声)を混ぜればなお素敵だ。中音域のクールなイケメンボイスの出来上がり。

「了解。友人のよしみで真っ先に声をかけたんだけど、どうやら噂は本当だったらしい。まあいい。大物の吹き替えだ。ちなみにバフェットなんだけどね。やりたいやつはいくらでもいる」

「ちょ、ちょっと待ってください!」
案の定、このひと言に一柳は食いついた。

「語り人さん、バフェットってなんすか。
もしかしてウォーレン・バフェットのことっすか?」
「そうだよ。ちなみにビル・ゲイツはおれがやるんだけどね」
週末の予定でも話すみたいに僕は答えた。

ところで、僕のキライな言葉に「ちなみに」がある。最近やたらめったら使う人がいて、ほとほとうんざりしている。僕もいま2回使っちゃったけど、これは正しく使えば、意図することを印象深く伝えることができる、実に便利な言葉であることを示したかったからだ。

ちなみに(因みに)とは、前に述べた事柄に、あとから簡単な補足を付け加えるときに用いる接続詞。「それに関連して」「ついでに言うと」という意味。「ちなみに」のあとに「言う」などの動詞を伴って「ちなみに言えば」「ちなみに申しますと」と副詞的にも用いる。(「goo辞書」参照)

「ちなみに明日、何時だっけ?」
これは完全に誤用。何も因んでいない。
「要するに」が要していない。
「逆に言えば」が逆になっていない。
「いわゆる」がいわゆっていない。
それと同様のケースだ。

「ちなみに親戚はみんな医者系だったりします」
「ちなみに友達はテレビ局に勤めてたりします」
これは誤用とは言えないが、けっこう耳にする不快感を催させる使い方だ。「だから何?」「それがどうした?」「おまえ自身はどうなんだ?」と口に出さないまでも突っ込まずにはいられない。加えて「~たりします」と「~系」が不快感を増大させる。

そこで特別企画です。あなたのあんな「ちなみに」、こんな「ちなみに」を大募集します。素敵で印象深い「ちなみに」、思わず唸ってしまう「ちなみに」を送ってくれた方には、語り人のサイン入り色紙をプレゼントします。ふるってご応募ください!(誰がほしがるか!)

閑話休題。話を戻そう。
ウォーレン・バフェットにつづいて登場したビル・ゲイツというビッグネームに、一流好きの一柳は気色ばんだ。

「ビル・ゲイツって、まさか…。1999年、シアトルのワシントン大学で行われたゲイツとバフェットの夢の対談。たしか字幕版のDVDが出ていて、かなりの高値で売られてるはずっす。その吹き替えをやるって、そういう話っすか!」

なぜ知っている? 有名国立大学を出て芝居の道に進んだ親不孝な一柳は(このエピソードは物語の進行とともに明らかになる)、とにかくいろんなことをよく知っている。依頼を受けるまでそんなこと知らなかった僕は、その無知をおくびにも出さず、引きつづきそっけない調子で、しかし一言一句聞き逃さずにいられない発声と話法で応答した。

どうやるかって? 具体的に言うと抑揚を排し早口で一気に、だけど一音たりともなおざりにしない滑舌で、「今さら君に説明してもしょうがないけど、そんなに知りたければ後学のために教えてあげるよ」といったニュアンスを言外に含ませるのだ。僕は次のように返答した。

「ああ、そうだよ。エリート学生たちとの質疑応答を交えながら、ふたりが仕事と人生、成功の極意などを自由自在に語り合った、お宝映像の日本語吹き替え版だ。いま翻訳の真っ最中で、バフェットの声を誰にやってもらおうか思案してたんだ。でも、気にしないでくれ。候補はいくらでもいる。仕事はギャラで選ぶという君の志には敬意を表するよ。時間を取らせたな。また落ち着いたら飲もう。じゃあ、また」

ひと息でそう言って電話を切ろうとする間合いに、一柳の切迫した声が割り込んできた。持ち前の響きのあるバリトンファルセットに転調し、おまけにヨーデルのようにひっくり返っている。それほど興奮し慌てているのだ。

「だから待ってくださいよ! いやだなぁ、語り人さんも人が悪いっす。それならそうと早く言ってくださいよぉ。ていうか、オレが先輩の申し出を断るわけないじゃないっすかぁ。ていうか、バフェットの声はオレしかいないじゃないっすかぁ!」

僕は知っている。一柳が「ていうか」を連発するときは、何かを必死にごまかそうとしているときだ。

「調子のいいやつだ。ギャラを聞いて早々とNG出したじゃないか。以前のおまえならよろこんで受けた額だろ。でもおまえは変わった。敵を作ってでも、ナレーターとしてさらなる高みを目指している。おめでとう、と言うべきだろう」

「語り人さん、誤解っす。ていうか、その件は今度ゆっくり説明しますから。とにかく、オレがやりますっ。ていうか、やらせてください!」

こうして、ギャラと志の高低の問題に自ら決着をつけた一柳は、だけどそのあと驚くべきことを口にした。

「ただし、条件があります。ギャラは…」
「だから、あれ以上は出せないって言ってるだろう」
ギャラギャラとうるさいやつだ(お金の音はジャラジャラだけど)。
まあいい。僕は譲歩した。

「わかったよ。収録後にキャッシュで払おう。プラス飲み代でどうだ」
こんな待遇が許されたのは映画評論家の淀川長治さんぐらいだぞ、そう返そうとした瞬間だった。彼はその驚くべき提案を口にしたのだ。

「いや、そうじゃないっす。ていうか、ギャラはいらないっす」
「なんだって?」

 

(次章につづく)

 

今日のボイスメモ、あるいは、声にまつわるささやかな教訓

  1. 何事によらず申し出を断わることは受ける以上に覚悟がいる。NOと言えない自分を美化してはいけない。
  2. YESと言ってあとで不平を口にするなら、はじめからNOと言える勇気と英断を持とう。「断れない性格なんだよね」といい人ぶって、苦笑交じりに言わないこと。
  3. 」とは、ある方向を目指す気持ち。心に思い定めた目的や目標のことだ。信念ともいう。お金は大事だが、それは前提ではなく結果であってほしい。
  4. 無自覚に言っている口癖は真意を読まれやすいのでやめたほうが賢明だ。まして誤用は知性を疑われかねない。
  5. 声のプロの道を閉ざす大きな原因のひとつは、発音や発声のひとりよがりの癖だ。癖と個性は違うということを肝に銘じよう。

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