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	<title>声で人生が変わる！「愛と再生」のボイス・ストーリー　ユアボイス・マイボイス &#187; 第3話　ボイスアクター編②　一流の証明</title>
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	<description>あなたは自分の「声」が好きですか？ あなたは「声」で損をしていませんか？</description>
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		<title>第3話最終章　一流の証明（完結編）</title>
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		<pubDate>Sat, 31 Jan 2015 03:31:09 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[kataribito]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[第3話　ボイスアクター編②　一流の証明]]></category>
		<category><![CDATA[セリフ読み]]></category>
		<category><![CDATA[フラメンコ]]></category>
		<category><![CDATA[ベター・ハーフ]]></category>
		<category><![CDATA[告別]]></category>
		<category><![CDATA[命運]]></category>
		<category><![CDATA[夜景]]></category>
		<category><![CDATA[威風堂々]]></category>
		<category><![CDATA[寸劇]]></category>
		<category><![CDATA[発声練習]]></category>

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		<description><![CDATA[「ところで、一柳さんと玲子さんの馴れ初めをまだ伺っていませんよね」 茂森愛由美が興味津々といった様子で口火を切った。 「あっ、一柳がなんで金持ちになるって喚き出したのかも聞いてないぞ」 半年前に持ち上がった、一柳の「金持 [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>「ところで、<b>一柳さんと玲子さんの馴れ初め</b>をまだ伺っていませんよね」<br />
茂森愛由美が興味津々といった様子で口火を切った。</p>
<p>「あっ、<b>一柳がなんで金持ちになるって喚き出したのか</b>も聞いてないぞ」<br />
半年前に持ち上がった、一柳の「<b>金持ち宣言</b>」を僕は思い出した。</p>
<p>「待って」玲子さんが遮った。「<b>一柳さんが役者の夢破れて実家に帰ってから、</b><b>10</b><b>年の歳月を経て再び上京し、ナレーターになった経緯</b>をまだ聞いていないわよ」</p>
<p><span id="more-318"></span></p>
<p>（最終章「<a href="http://kataribito.net/03/03-9/">一流の証明（後編）</a>」のつづき）</p>
<p>グラスに半分ほどあったビールを勢いよく喉に流し込んでから、一柳は話し始めた。</p>
<p>「放心状態で演劇学校を後にしたオレの足は、自然と<b>もうひとつの懐かしい場所</b>に向かっていた」</p>
<p>そこはすぐ近くの公園。在学当時、<b>一柳が発声練習やセリフ読み、ダンスの振り付けのおさらいをしていた西池袋公園</b>。台本読みの練習相手に、僕はよく付き合わされものだった。</p>
<p>「園内に入ると<b>トランペットの音</b>が聴こえた。<b>エルガーの『威風堂々』の主旋律</b>。まさか、と思った。だって、二年前と同じだったから。音の鳴るほうへ行ってみると、間違いない、あのラッパ吹きだ」</p>
<p>「そいつは今も、<b>二年前と同じ場所で同じ曲を、同じ直立不動の姿勢で演奏していた</b>。オレは<b>デジャヴ</b>かと思った。でもそうじゃない。ひとつだけ、二年前とは明らかに違っていた。音だ。その音はなんていうか、<b>芸術が芸術であるための表現領域</b>に苦もなく入っていた。つまり彼の演奏は<b>格段にうまくなっていた</b>んだ」</p>
<p>「彼のトランペットを聴きながら、オレは涙が止まらなかった。自分の二年間が、ひどく薄汚れたものに思えた。<b>オレはいったい何をしてきたのか</b>」</p>
<p>「<b>『威風堂々』の第一楽章</b>が終わると、演奏を称える拍手の音がした。見ると、10メートルほど離れた滑り台の上に誰かがいた。そう、語り人さんだった。ラッパ吹きは拍手に応えて恭しくお辞儀をした」</p>
<p>「スーツ姿なのに構わずお尻で滑り降りると、語り人さんはラッパ吹きのもとに駆け寄り賛辞を贈った」</p>
<p>『久しぶりに聴かせてもらったけど、素晴らしい演奏だった。<b>この曲の持つ荘厳な勇ましさ</b>を見事に表現していたね。胸が熱くなったよ。本当にありがとう！』</p>
<p>「そう言うと語り人さんは、からだをオレのほうに向けて両手を差し出した。『<b>この曲はあなたに捧げました</b>』というように」</p>
<p>「オレは慌ててベンチから立ち上がり拍手をした。ラッパ吹きは、今度はオレに向けて恭しくお辞儀をした。そしてステージで演奏を終えたソリストがそうするように、その場から立ち去った」</p>
<p>「先生が、そのラッパ吹きさんを連れてこられたのですね。そしてそれは、<b>一柳さんを励ますために先生が仕組まれた演出</b>だったのですね！」</p>
<p>茂森愛由美が正解を出した。</p>
<p>「そのとおり。語り人さんは会社を早退して、オレのためにそんな手の込んだパフォーマンスを演出してくれたんだ。ラッパ吹きまで動員してね」</p>
<p>「あ、ラッパ吹きなんて言っちゃいけないな。当時みんなからラッパさんって呼ばれてたんだけど、彼は今や、日本の<b>大手フィルハーモニー管弦楽団の第一トランペット奏者</b>だ。むかし公園で毎日のように顔を合わせていたけど、ほとんどしゃべったことはなかった。お互い<b>自分の練習に必死だった</b>からね。語り人さんはラッパさんと親しかったんだ」</p>
<p>「そのあとあなたは、語り人さんの胸で<b>さめざめと泣き崩れた</b>んでしょ」<br />
「なんでわかるの？　玲子さん、まさか見てたの？」</p>
<p>「<b>そのとき私は小学６年生</b>だから、まあ公園にいても不思議はないけど、残念ながら池袋にはいなかったわ。ていうか、もうあなたの行動パターンは把握ずみよ」</p>
<p>一柳は小さく笑ってから続けた。</p>
<p>「30分は泣いてたと思う。<b>なんでこんなに泣けるんだろう。なんでこんなにあとからあとから涙が出てくるんだろう</b>って、自分でもびっくりした。そのあいだ語り人さんは、何も言わず黙ったままオレの肩を抱いてくれてた」</p>
<p>「そうして30分、泣き疲れて顔を上げると、<b>語り人さんは口を真一文字に結んで虚空を睨みつけていた</b>。目が真っ赤だった。そうなんだ。<b>語り人さんは声をあげずに泣いていたんだ</b>と、そのときわかった」</p>
<p>「マジで言っちゃうけど、その日、演劇学校の校長から最後通告を言い渡されて、ああオレはもう役者には戻れないんだってわかったとき、<b>じゃあ生きててもしょうがない、死んじゃおう</b>って思ったんだよね」</p>
<p>「そこへ『<b>威風堂々</b>』を勇ましく吹き鳴らすラッパさんがいて、語り人さんが颯爽と登場してきて、語り人さんの胸で思う存分泣いて、そしたら<b>死神はどこかへ行っちゃってた</b>」</p>
<p>「オレが泣き止んだのがわかると、語り人さんはすっくと立ち上がり、はじめてオレに声をかけた。『<b>一柳、今日は死ぬほど飲むぞ！</b>』」</p>
<p>「それからママの店に行って、オレたちは暴れに暴れた。いや、喧嘩じゃないよ。<b>客たちから代わるがわるお題を頂戴して即興の寸劇をやりまくった</b>んだ。10本くらいやったんじゃないかな。大ウケでしたね、語り人さん」</p>
<p>「ああ、おまえは<b>神がかってた</b>よ。おれは必死にくらいついていった」</p>
<p>「オレの<b>最後の舞台</b>だと思ってやりましたから。喧嘩と言えば、ねえ語り人さん、覚えてます？　<b>＂もしもこの二人が喧嘩したら＂</b>ってやつ。いろんなお題が出てきましたね」</p>
<p>「ああ。ゲーテとベートーヴェン、モーツアルトとサリエリ、それから太宰治と三島由紀夫、中原中也と小林秀夫、ゴッホとゴーギャン、クリムトとエゴンシーレ」</p>
<p>「<b>キリストと釈迦</b>もありましたよ。これは名作だと絶賛された。<b>ローマ法王とダライラマ</b>も。でもいちばんウケたのは、<b>浅利慶太と蜷川幸雄</b>でしたね」</p>
<p>「あれは気合が入ったな。最後は<b>取っ組み合いの喧嘩</b>になった」<br />
「<b>本物が乗り移ったみたいだ</b>と言われましたっけ」</p>
<p>「わたし、聞きたいです」<br />
「えっ、浅利慶太と蜷川幸雄？」<br />
「いえ、それは大変なことになりそうなのでやめておきます。<b>名作と絶賛されたキリストと釈迦</b>なんかいかがでしょうか」</p>
<p>「いい加減にしなさい、あなたたち。今は<b>寸劇の時間</b>ではありません！」<br />
玲子さんはなぜか寸劇はお気に召さないようだ。</p>
<p>「<b>アーメン</b>」と僕は十字を切った。<br />
「<b>南無阿弥陀仏</b>」と一柳はマントラを唱えた。</p>
<p>「なんて不謹慎なの！<b>ばちが当たるわよ</b>」玲子さんは意外に生真面目だ。</p>
<p>「<b>汝、我らの罪を許し給え</b>」僕はふたたび十字を切って言った。<br />
「<b>天上天下唯我独尊</b>」一柳は右手を天に、左手を地に指して言った。</p>
<p>玲子さんは深い溜息を吐き、茂森愛由美は口を押えて笑いを堪えた。</p>
<p>店を出るとき、ママはやはり勘定を受け取らなかった。<br />
『<b>もうおれたちは社会人だよ</b>』と僕が言うと、『飲み代は今日の出演料でいいわよ。それより<b>一柳くんのこと、しっかりケアしてあげなさい</b>』とママは言った。</p>
<p>それから池袋駅に行って山手線に乗った。<b>僕たちはもう学生ではなかったし、池袋の住人でもなかった。</b>当時、一柳は劇団の所在地である横浜のあざみ野に、僕は都内の三鷹に住んでいた。</p>
<p>「<b>新宿で電車を降りる間際に語り人さんが言ったこと</b>は今でも忘れない」</p>
<p>「先生はなんておっしゃったのですか？」</p>
<p>「『一柳、<b>三鷹に引っ越してこい</b>。それから、<b>おまえは声優になれ</b>。明日からその準備にかかるんだ。いいな』そう言い残して、渋谷まで乗るオレを置いて電車を降りてった。うれしかった。一瞬にして目の前が晴れた気がした」</p>
<p>「ここで<b>＂声優＂</b>が出てくるわけだ。それでまた語り人さんを追っかけて、今度は三鷹に引っ越すのね」</p>
<p>「いや、結局オレは<b>三鷹に引っ越すことはなかったし、声優にもならなかった</b>」</p>
<p>「つまり、<b>このタイミングで実家に帰ったの？</b>　何か事情があったのね」</p>
<p>「そう。このタイミングで実家の母から連絡が入った。<b>親父の体に癌が見つかった</b>と。胃癌だった」</p>
<p>一柳の父親は、<b>静岡の駅前に中規模のビジネスホテルを所有する経営者</b>だった。長男の一柳は当然＂跡継ぎ＂と考えられていたが、それに逆らって一柳は役者の道に進んだのだ。</p>
<p>一柳には<b>歳の離れた弟</b>がいて、当時まだ中学三年生だった。父親はまだ50歳そこそこだったし、一柳は弟に将来、ホテル経営を継いでもらうつもりでいた。</p>
<p>「<b>なんてタイミングだろう</b>って…。<b>でも潮時だ</b>と思った。<b>オレの命運もここまでだ</b>って」</p>
<p>「そういうことだったのね…」玲子さん感慨深げに言った。<br />
「声優として再起をかけようとした矢先に…。さぞ無念だったことでしょう」茂森愛由美は一柳の心情を慮った。</p>
<p>「静岡に帰る前日、語り人さんはオレのために<b>新宿の高層ホテル</b>に部屋を取ってくれたんだ。<b>39</b><b>階の見事な夜景が拝めるゴージャスな部屋</b>。静岡のうちのホテルの、きっと10倍の値段はする部屋だろう。そして<b>展望レストランの窓際の席でディナー</b>をご馳走してくれた」</p>
<p>「せっかくの夜景が、目が霞んで見えなかったさ。オレはずっとボロボロ泣きながら食べてたし、何を食べたのかも覚えてない。泣くか食うかどっちかにしろって、語り人さんに叱られたよ」</p>
<p>「部屋に戻って、語り人さんが用意してくれた<b>シャンパン</b>をあけた。<b>舞台俳優にもダンサーにもなれなくて、そして声優にさえなれない自分が悔しくて情けなくて</b>、やっぱり泣きながら飲んだ。いやそれ以上に、<b>語り人さんと別れるのがつらかった</b>」</p>
<p>「語り人さんはきっと、そんなオレを見てるのがたまらなかったんだろう。<b>ずっと窓際に立って夜景を眺めていた</b>」</p>
<p>「先生も、泣いていらっしゃったんだと思います」と茂森愛由美も泣きながら言った。</p>
<p>「ああ、そうだね。だから語り人さんはオレに背を向けたままこう言った」</p>
<p>『静岡なんて目と鼻の先だ。<b>いつでも会える。おれが会いに行く。</b>おいホテル屋、部屋はいくらでもあるんだろう？』</p>
<p>『<b>最上階の一番いい部屋</b>をご用意しますよ。といっても<b>７階</b>ですけどね』</p>
<p>「そう答えると、語り人さんは底抜けに明るい声で笑った。そして『<b>いいか一柳、忘れるな</b>』そう言って、オレに<b>言葉を贈ってくれた</b>んだ」</p>
<p>そのときの僕がそうしたように一柳は窓際へ移動し、みんなに背を向けて朗誦した。</p>
<p><b><b>　</b>もしもおまえが<br />
<b>　</b>よくきいてくれ<br />
<b>　</b>ひとりのやさしい娘をおもうようになるそのとき<br />
<b>　</b>おまえに無数の影と光の像があらわれる<br />
<b>　</b>おまえはそれを音にするのだ<br />
</b></p>
<p><b><b>　</b>みんなが町で暮らしたり<br />
<b>　</b>一日遊んでいるときに</b><b> </b><br />
<b>　おまえはひとりであの石原の草を刈る</b><b> </b><br />
<b>　そのさびしさでおまえは音をつくるのだ</b><b> </b><br />
<b>　多くの侮辱や困窮の<br />
</b><b><b>　</b>それらを噛んで歌うのだ</b></p>
<p>「<b>宮沢賢治の『告別』</b>ですね 。わたしの大好きな詩です！」</p>
<p>茂森愛由美が感極まってそう言うと、一柳は振り返りにっこり笑って彼女に続きを促した。しかし、この感受性の豊かすぎる女の子はとても朗誦できる状態ではなかった。首を振って「先生のが聞きたいです」と涙声で僕に懇願した。</p>
<p>20年前の情景がありありと蘇った。あの日と同じように、だけど今日は茂森愛由美に向けて、僕は言葉を紡いだ。</p>
<p><b><b>　</b>もしも楽器がなかったら<br />
<b>　</b>いいかおまえはおれの弟子なのだ</b><b> </b><br />
<b><b>　</b>ちからのかぎり<br />
<b>　</b>そらいっぱいの<br />
<b>　</b>光でできたパイプオルガンを弾くがいい</b><b> </b></p>
<p>茂森愛由美は、この詩が自分に向けられたことを感じ取り<b>わんわん泣いた</b>。<br />
一柳は、当時の心情そのままに酒をあおり<b>ぼろぼろ泣いた</b>。<br />
玲子さんは、そんな一柳に寄り添い<b>さめざめ泣いた</b>。</p>
<p>一柳が実家に帰って三か月後、父親は息を引き取った。52歳の若さゆえ癌の転移も早かったのだろう、自分の死期を知っていたかのように、<b>父親は一柳に経営者としてすべきことを残らず叩き込んだ。</b></p>
<p>「告別式に語り人さんは来てくれた。<b>そのとき語り人さんは、中学三年生の弟にあるお願いをした</b>らしい。オレがそれを知ったのはずっとあとのこと。弟が大学を卒業するちょっと前、弟の口から聞かされた。なんだと思う？」</p>
<p>「<b>大学を出たら君が会社を継ぎなさい。そしてお兄さんを僕に返してくれ</b>。先生はそうおっしゃったのではないでしょうか」</p>
<p>「さすが愛由美ちゃん、語り人さんのことよくわかってるね」</p>
<p>「お兄さんを返してくれとまでは言わなかったみたいだけど、はっきりとこう言ったそうだ。<b>お兄さんにもう一度、役者をやらせてあげてくれ</b>って」</p>
<p>「愛由美ちゃん、大正解よ。それって、お兄さんを僕に返してくれっていうのと同義だもの。それで<b>10</b><b>年後に、弟さんにバトンタッチした</b>のね」</p>
<p>「まあ、結果的にはそうなったけど、<b>すんなりと事が運んだわけじゃない</b>んだ」</p>
<p>「弟さんが<b>やっぱり継ぐのはイヤだ</b>と言い出したの？」と玲子さん。</p>
<p>「いや、弟は<b>『語り人さんと約束したんだ。早く行け』</b>って言ってくれていたんだけど、問題はオレ自身だった」</p>
<p>「何？　今度は何の問題？」</p>
<p><b>社長に就任して７年後</b>に一柳は、近隣の採算の上がらない<b>10</b><b>階建てのシティホテル</b>を買い取り、そこをわずか１年で軌道に乗せる経営手腕を見せた。つまり一柳は、<b>ふたつのホテルを所有する実業家</b>になったのだ。</p>
<p>「<b>ホテル経営の仕事</b>が面白くなったのね」玲子さんの目が光った。<br />
「まあ、簡単に言うとそういうことだね。<b>役者に戻る自信</b>もなかったし」</p>
<p>「その頃はどんな<b>目標</b>があったの？」玲子さんはさりげなく訊いた。<br />
「<b>39</b><b>階建てのホテル</b>を建てて、最上階に語り人さんを招待する」</p>
<p>「東京での最後の夜、<b>新宿の高層ホテルの</b><b>39</b><b>階に、語り人さんはオレを招待してくれた</b>。夜景を見ながら語り人さんはこうも言った。『<b>一柳、この高さを忘れるな</b>』」</p>
<p>「おれはそういう意味で言ったんじゃないよ」と僕は言った。<br />
「もちろん、わかってます。オレが<b>途中から目標をすり替えた</b>んです」</p>
<p>「それでも結局あなたは、<b>静岡に</b><b>39</b><b>階建てのホテルを建てるという目標を捨てて、東京に舞い戻ってきた</b>。なぜなの？　何か理由がありそうね」玲子さんは核心を突いてきた。</p>
<p>「<b>わたし、わかっちゃいました</b>」茂森愛由美は謎を解く<b>名探偵コナン</b>みたいに言った。「きっと先生ですね。先生が何か行動を起こされた。つまり、<b>先生が会社を辞めて声優になられたんです。身を持って一柳さんに道を示されたんです</b>」</p>
<p>「語り人さん」一柳は僕を見て強い口調で言った。「愛由美ちゃんを絶対に手離しちゃダメっすよ。<b>愛由美ちゃんは語り人さんの思考と完全に同化してます</b>。つまりそれほど…」</p>
<p>「<b>愛してるってこと</b>」玲子さんはこの重い言葉を、軽々と僕に投げつけた。<br />
茂森愛由美はうれしそうに頬を赤らめた。</p>
<p>「語り人さんは、<b>会社を辞めたのは自分自身の問題</b>だって言ってるけど、わかってる。<b>オレをもう一度、役者に戻すために範を垂れてくれた</b>んだ。それでもオレは、決心がつかなかった」</p>
<p>「あるとき、東京に戻る一年くらい前だったかな、語り人さんから<b>朗読劇の招待状</b>が届いた。一筆箋に<b>＂絶対に来い＂</b>と添えられていた」</p>
<p>「語り人さんは当時、<b>テレビ</b><b>CM</b><b>や番組ナレーション</b>を中心に、主にナレーターとして実績を積んでいた。そんな語り人さんが朗読劇を…」</p>
<p>「しかも演題は<b>『中原中也─汚れっちまった悲しみに─』</b>作・演出は語り人さん。出演者は語り人さんはじめ、語り人さんが所属する声優プロダクションの声優たち五名で構成されていた」</p>
<p>「行かないわけにいかなかった。なぜってこの演目は、<b>かつて語り人さんとオレが二人芝居でやっていた得意ネタだった</b>から。それを五人構成で？　しかも会場は池袋。演劇学校と西池袋公園の中間にあるカフェ・バー」</p>
<p>「先生の、<b>一柳さん思いのパフォーマンスの続編</b>ですね。もう何章目でしょうか」<br />
「あはは。愛由美ちゃん、うまいこと言うね」</p>
<p>「その朗読劇を観て再び<b>役者魂に火がついた</b>のね」と玲子さん。<br />
「それだけ<b>魂を揺さぶられる舞台</b>だったのですね」と茂森愛由美。</p>
<p>「そうだね<b>。朗読の不思議な世界</b>に引き込まれた。台本を手にしたまま微動だにせず、まさに<b>声だけで多彩な表現をする＂朗読劇＂というパフォーマンス・スタイル</b>にまず驚いた」</p>
<p>「セリフ読みも<b>ドラマティックに喜怒哀楽を表出するんじゃなくて、極限まで抑えている</b>。かといってもちろん<b>棒読みとは違う繊細な読み</b>で、それでいて<b>細部にまで感情表現が行き届いている</b>」</p>
<p>「<b>声優たちの声がまた素晴らしかった。これがナレーターなんだと感心した</b>。語り人さんの中原中也は、とくに<b>詩の朗読</b>が圧巻でね。<b>発音の精度</b>が昔とは比較にならないほど洗練されていた。それはプロだから当然だよね」</p>
<p>「語り人さんは<b>声の演技のプロ</b>になったんだと思い知らされて、オレは悔しかった。何より悔しかったのは、<b>オレがやっていた小林秀夫の役をオレじゃない誰かがやっていたこと</b>」</p>
<p>「公演が終わってオレは語り人さんに詰め寄ったよ。なんでオレじゃないんすか！って。そしたら語り人さんは笑ってこう返してきた。『だから一年前に呼んだじゃないか。<b>次回はおまえがやれ</b>』」</p>
<p>「語り人さんの作戦に<b>まんまと引っかかった</b>のね」<br />
「そう。<b>まんまと餌に食いついた</b>」</p>
<p>「それからは大忙しだったよ。弟は<b>やっと語り人さんとの約束を果たせる</b>とよろこんでくれた。彼はもう25歳になっていた。奇しくもオレが引き継いだときと同じ年齢。二年前から、いつ引き継いでもいいように準備をしてくれていたんだ」</p>
<p>「発声と滑舌を一からやり直すべく、<b>声に特化したトレーニングメニュー</b>を語り人さんに組んでもらった。あらゆる<b>ナレーションテクニック</b>を研究し、<b>アフレコとボイスオーバーの声出しとタイミング</b>の練習もした」</p>
<p>「語りさん指導のもと<b>ボイスサンプル</b>を作り、そして語り人さんの推薦で、語り人さんが所属している事務所に入った。ぜんぶ語り人さんのお膳立てのおかげだ。オレは最短距離で、<b>声優としてスタートラインに立つことができた</b>」</p>
<p>「聞くまでもないけど、東京での住まいは、語り人さんと同じマンションに？」<br />
「そう。<b>吉祥寺、井の頭公園</b>近くのマンション。語り人さんのいるところ必ず良い公園がある。なにしろ散歩が好きな人だから」</p>
<p>「井の頭公園で毎日、語り人さんと一緒に<b>発声と本読み</b>をやった」</p>
<p>「<b>正直に言います。わたし、いま一柳さんに、激しく嫉妬しています</b>」<br />
茂森愛由美は彼女にはめずらしく感情的な物言いをした。</p>
<p>「<b>一柳さんには声優になれ、わたしには声優になるな</b>、って。わかっています。わたしはいま、感情的になってあらぬことを口走っています。それでも言わせていただきます」</p>
<p>「そうよ！　愛由美ちゃん、もっと言ったんさい、言ったんさい」<br />
玲子さんが茂森愛由美をたきつけた。</p>
<p>「先生と同じマンションで、いつも一緒にいて、井の頭公園を散歩して、レッスンをして。何かあるといつも先生が颯爽と現れて助けてくれて。<b>それでは、わたしが入るスキがないではありませんか</b>」</p>
<p>「いや、愛由美ちゃん、それは10年前の話で…」一柳はタジタジになった。</p>
<p>「私も言わせてもらうわ」玲子さんも参戦してきた。「<b>そこまで一柳さんから愛されている語り人さんに、私は半年前からずっと嫉妬してるわよ</b>」</p>
<p>「池袋で<b>出会って恋に落ちて</b>、<b>同棲同然の生活をして</b>、その後10年間は東京と静岡で<b>遠距離恋愛をして</b>、そして今度は<b>ふたりで同じ仕事をして</b>、吉祥寺で<b>また同棲</b>？　どう考えたって異常だわよ。それに」</p>
<p>「静岡にホテルをふたつも持つ社長が、その地位も年収も捨てて、<b>いい年をしてなんで今さら貧乏役者をやる必要があるのよ！</b>　<b>いつまで青臭い青春を引き摺ってるのよ！</b>　これはきっと、<b>語り人さんの陰謀</b>に違いないわ」</p>
<p>「い、陰謀って、そんな、玲子さん…」一柳は悲しそうに俯いた。<br />
「半年前にあなたから告白されたとき、私はたしかそんなことを言ったわよね」</p>
<p><b>玲子さんの問わず語り</b>が始まった。</p>
<p>「一年前、あなたが<b>フラメンコ教室</b>にきてから、私はそわそわして落ち着かなくなった。あなたは教室のドアを開けた瞬間から<b>スター</b>だった。<b>女子たちはみんなあなたの虜</b>になり、だから男の先生の何人かはやめていった。そりゃあそうよね。<b>先生よりダンスがうまくて、そのうえイイ男</b>が生徒で入ってきたんだもの」</p>
<p>「お二人はフラメンコ教室で出会われたのですか」<br />
茂森愛由美が意外そうに言った。「先生は、ご存知だったのですか？」</p>
<p>「いや、<b>フラメンコダンス</b>を始めたのは聞いていたけど、そこに玲子さんがいたというのは、今はじめて知った」僕は唇に人差し指を当て、茂森愛由美に言った。<br />
「まあ、とにかく黙って聞こう」</p>
<p>「あなたは純子先生から、あっ、純子先生は教室の主催者ね。男のインストラクターがやめていった責任を取れと、<b>生徒から先生に格上げ</b>された。たった三か月で。私は二年も教室に通ってるのに、<b>三か月しかフラメンコをやっていないあなたから指導を受けることになった</b>」</p>
<p>「じょうだんじゃないって思ったわ。純子先生にも抗議した。<b>フラメンコはそんな上っ面のダンスじゃない</b>ってね。私あなたに尋ねたわよね。<b>なぜフラメンコを？</b>って。そしたらあなたはこう答えた。<b>リハビリにちょうどいいと思った</b>」</p>
<p>「リハビリ？　<b>ソーシャルダンスの大学チャンピオン</b>だかなんか知らないけど、<b>フラメンコはそんな甘いダンスじゃない</b>。私はそう言って…」</p>
<p>「そう言ってオレを睨み付けると、さっさと帰って行った。次の週、君はレッスンに現れなかった。また次の週も」</p>
<p>「あなたが会社のエントランスにいるのを見たときはびっくりした。<b>あのいけ好かない男、私の職場まで何しにきた！</b>って。純子先生が教えたんだろうって察しはついたけど」</p>
<p>「オレのせいでインストラクターが三人もやめて、そのうえ玲子さんまでやめてしまったら、オレはどう責任を取っていいかわからなかった」</p>
<p>「なに言ってんの。その代りあなたがインストラクターになって、生徒が10人も増えたじゃないの。<b>あなたは教室に利益をもたらした</b>。純子先生も大喜びよ」</p>
<p>「そう言うとあなたは、この二週間でまた5人増えたって自慢した。ふん、どうでもいいわよ、そんな情報。そんなことより何しにきたの？　<b>私を教室に呼び戻しにきたの？って訊くと、謝りにきたってあなたは言った</b>」</p>
<p>「そして、<b>ディナーをご馳走させてほしい</b>んだけど、あいにく自分はこの丸の内界隈は不案内だ。どこか案内してもらえないだろうかと言った」</p>
<p>「そしたら君は、<b>ここにあなたと行きたいお店はない</b>と言った。オレががっかりしていると、新宿まで付き合える？って言って、返事も待たずさっさと大手町の駅に向かってひとりで歩き出した。オレは慌てて後をついていった」</p>
<p>「そこは<b>新宿にあるフラメンコ・パブ</b>だった。スペイン料理を食べさせる店で、ショータイムもあるという。店の人はみんな君に一目置いていた。<b>君は女王様みたいだった</b>よ」</p>
<p>「その話はいいわ。そこであなたの話を聞いて、とにかく<b>フラメンコダンスを軽く見てるわけじゃない</b>ことは理解した。それでもあなたが、<b>どこか<span style="color: #000000;"><b>軽薄で</b></span>表面的で節操のない男</b>だという印象は拭えなかったわ。そして私は、<b>そんなあなたに惹かれはじめている自分が許せなかった</b>。だから教室にはもういかないつもりだった」</p>
<p>「でもその週、君は教室にきてくれた。うれしかったよ。でもずっと不機嫌なままだった。どうして？」</p>
<p>「今まで胸に収めてたけど、じゃあ言うわ。私、気づいちゃったのよ。<b>あなたが純子先生と関係があったってこと</b>。純子先生だけじゃない。真奈美さんともそうでしょう。違う？」</p>
<p>「あっ…」一柳は否定することも肯定することもできなかった。</p>
<p>「<b>そういうの、わかるのよ。女には。</b>いつからか、純子先生のあなたを見る目が変わったもの。真奈美さんも同じ目だった。あなたという<b>オスを見る発情したメスの目</b>」</p>
<p>「<b>それなのにあなたは厚かましくも、私に交際を申し込んできた。</b>なんて無神経な男だろう。私をバカにするにもほどがある！　…でも同時に、申し出をよろこんでいる自分がいることも、私は気づいてた。<b>私はあなたが憎たらしかった</b>」</p>
<p>「翌週の教室であなたは、<b>私に交際を申し込んだことをみんなの前で公表した。</b>『みなさん、うまくいくように応援してくださいね』とあなたは笑って言った。どういうつもり？　この人はバカなのか。でもそのとき、<b>純子先生と真奈美さんの表情が嫉妬に歪むのを、私は見逃さなかった</b>」</p>
<p>「そして私はハッっとした。この交際宣言を、この男は純子先生と真奈美さんに向けて発したのではないか。自分は三条玲子と交際する。<b>だから君たちとはもう寝ない。</b>どうぞよろしくと」</p>
<p>「ほかにもあなたを狙っているレッスン生がいることも私は知っていたわ。つまりこの宣言は、同時に彼女たちへの牽制にもなる…。そう思うと、私は快感に胸が震えた。<b>この男はバカだけどバカじゃない</b>」</p>
<p>「それからの私は少しずつ、あなたに対して心を開くようになっていった。<b>ジェントルマンで、頭が良くて、高潔な感性と純真な心を持つ男性</b>だということもわかった。ただ、<b>私が初恋の女性だというあなたの主張</b>には、いささか首をひねらざるをえなかったけど」</p>
<p>そう言って玲子さんはフフフと笑った。</p>
<p>「一度、私はあなたに尋ねた。<b>あなたには信頼するに足る、心を許せる友達はいるか</b>って。そしたらあなたは、<b>ひとりだけいると自信たっぷりに答えた</b>。そして語り人さんのことを話してくれた。心の底からうれしそうに、泣いたり笑ったりしながら、いろんな話をしてくれたわ」</p>
<p>「私はうれしかった。<b>そんな素晴らしい友がいるこの男なら、本気で信頼していいのかもしれない</b>って。でも私は、自分の目で確かめないことには納得がいかないタイプなの。それで語り人さんに会わせてちょうだいって頼んだわけ」</p>
<p>「それで、どうだった？」と一柳は尋ねた。</p>
<p>「あなたとよく似ているわ。概ね同じといっていいんじゃないかしら。まさに類は友を呼ぶ。<b>器用なのに不器用で、賢いのにおバカで、大人なのにお子ちゃま</b>で。とにかく、とても<b>チャーミングな男性</b>です」</p>
<p>「違いはひとつ。あらゆる面において、語り人さんが持っている器のほうが大きくて深い。だからたぶん、さっき語り人さんは<b>一柳さんの孤独</b>と言いましたけど、<b>語り人さんが抱えている孤独</b>のほうが大きくて深い気がする」</p>
<p>「それだけ<b>強い人</b>なのよ、語り人さんは。でもその強さは<b>諸刃の剣</b>でね、<b>誰かを守ろうとして自分を切ってしまう</b>ことも多い。だから語り人さんは、実は<b>傷だらけ</b>だったりする」</p>
<p>「<b>そのことを一番よくわかっているのが一柳さんなの</b>。女にはなかなか理解できないところだと思う。だから二人は離れられないわけ。あ、ごめんなさい。また生意気なことを言ってしまいました」</p>
<p>「玲子さん、すごい！　やっぱり<b>オレが見込んだ女性</b>だよ。ね、語り人さん」<br />
一柳は興奮して、心底うれしそうに言った。</p>
<p>「そんなこと、とっくにわかってるよ」と一柳に返してから僕は玲子さんに言った。「なるほど。お話はよくわかりました。そんな僕たちだけど、今後ともどうぞよろしく」</p>
<p>良かれ悪しかれ、<b>僕は自分を分析されることが苦手だ</b>。この話題に終止符を打とうと、<b>愛想のない常套句の挨拶</b>でごまかした。それを察した玲子さんは、右手を上げるとおどけて言った。</p>
<p>「はい。よろしく頼まれました。そこで、注意事項がひとつありまーす」<br />
「はい、なんなりと」一柳は右手を左胸に当てて恭しく応じた。</p>
<p>「<b>今後あなたたち二人だけで行動するのは控えてください</b>」<br />
「は？　なんすか、それ？」一柳の声がひっくり返った。</p>
<p>「言葉どおりです。<b>語り人さんと会うときは、私も一緒です</b>」<br />
「賛成です。先生、<b>一柳さんと会うときは、わたしもお供させていただきます</b>」<br />
茂森愛由美も即座に反応した。</p>
<p>「いや、それは。そうもいかないときだってあるよ。たとえば収録とか。ほかにもいろいろと、ね、語り人さん」<br />
「ああ、そうだね。たとえば収録とか、収録とか、収録とか…」僕の声は尻すぼみ小さくなっていった。</p>
<p>「収録だけでしょ。収録が終わって飲むときは、私たちも合流します。ね、愛由美ちゃん」<br />
「はい。どうしてもわたしと玲子さんが合流できないときは、<b>飲みは禁止</b>です」</p>
<p>「なんで、そうなるの?!」一柳が絶叫した。<br />
「それは、あなたたちが<b>前科持ち</b>だからよ。その声で寸劇やって、また罪を作りたいの？　だから、いいわね。女子のいるところでの<b>寸劇禁止</b>。一柳さんは<b>笑顔禁止</b>、<b>ダンス禁止</b>」</p>
<p>「先生は、<b>詩の朗読も禁止</b>です。あと、<b>『邪魔なんかじゃない』ってセリフ禁止</b>です。それから、<b>名刺を渡すことも禁止</b>します。あ、もうひとつ。<b>女の子の個人レッスン禁止</b>です」</p>
<p>「ちょっと待ってよ。オレたちに仕事するなって言うの？」<br />
「なんか、＂ふたりだけで行動するな＂からズレてきてないか？」</p>
<p>「いい？　私たちの身にもなってちょうだい。<b>ふつうは彼氏の女遊びの心配だけしてればいいところを、男遊びの心配までしなくちゃいけないのよ</b>」</p>
<p>「なんだい、それ？」一柳の目が点になった。<br />
「<b>あなたたちが愛し合っているということよ</b>」</p>
<p>「……」<b>ここは黙ってやりすごすという作戦</b>で僕と一柳は一致団結した。</p>
<p>「それと一柳さん、<b>金勘定は私に任せること</b>」<br />
「えっ、どういうこと？」</p>
<p>「あなたは<b>役者バカ</b>でしょ。<b>私の年収以上を稼ごうとか、余計なことを考えなくていいの。</b>そんなことをやってると、<b>ただのバカ</b>になってしまう。語り人さんからも愛想をつかされちゃうわよ」</p>
<p>「玲子さん…」そう言って一柳は頭を掻きながら僕を見た。</p>
<p>なるほど、そういうことだったのか。<b>一柳の「金持ち宣言」</b>は、玲子さんと交際もしくは結婚するためには、<b>高給取りの玲子さんの収入を上回る稼ぎが必要だという、男のプライドの問題</b>だったのだ。</p>
<p>「あなたが今、<b>ナレーターとしてもっと上を目指して奮闘している</b>ことはわかってる。でもお金のためにがんばらないで。語り人さんのように自由でいて」</p>
<p>「<b>お金ってね、追い求めてはいけないものなの。お金が目的であってはいけないの。それはお金に隷属する道であり、自由への道じゃない。本当の意味での一流への道じゃないの</b>」</p>
<p>「銀行屋がこんなこと言うのは変だけどね」<br />
そう言って玲子さんは自嘲気味に笑った。</p>
<p>僕が一柳に言いたかったことを、<b>玲子さんはいささかの文学的修辞を援用することなく、まっすぐな言葉でぶつけた</b>。あらためて、すごい人だと思った。</p>
<p>玲子さんの説得は続いた。</p>
<p>「あなたにはもうひとつ、<b>上を目指すための大きな目標</b>があったじゃない」<br />
「それってもしかして、<b>39</b><b>階建てのビル</b>のこと？」</p>
<p>「そうよ。語り人さんに借りを返さなきゃ。私は貸し借りには厳しいの。その目標に全面的に加担させていただくわ。だから、<b>金勘定のことは私に任せなさい</b>って言ってるの」</p>
<p>「でも、<b>オレはもう社長じゃないし、静岡に戻るつもりはないし、ナレーターもやめない</b>よ」</p>
<p>「わかってるわよ。<b>静岡に戻る必要はないし、ナレーターも続けてちょうだい</b>。でないと、あなたのために血を流してくれた語り人さんに申し訳が立たないでしょ」</p>
<p>「でも、どうやって…」一柳には見当もつかなかった。<br />
「あなたには<b>代表権のある会長職</b>に就いてもらう。それから、<b>過去</b><b>20</b><b>年間の会社の決算書</b>が必要だわ」</p>
<p>「なんだい、それ？」一柳は怪訝な顏をした。<br />
「それは今度ゆっくり説明する。だいじょうぶよ。私は<b>並みの銀行屋じゃない</b>のよ」</p>
<p>「それから、<b>フラメンコ教室のインストラクター</b>はもうやめてね。もちろん私もやめるわ。<b>リハビリはもうすんだ</b>でしょ。これからは<b>ふたりでソーシャルダンスをはじめる</b>の。目指すは<b>シニア部門のチャンピオン</b>よ」</p>
<p>「えーっ？」一柳は飛び上がらんばかりに驚いた。<br />
「だって、今度こそ<b>本当のパートナーを見つけた</b>んでしょ？　<b>ひとりで踊るフラメンコはもう卒業</b>。よろしく頼むわよ。一柳先生」</p>
<p>「玲子さん、いきなりそんなにいろいろ言われても、オレ、頭がついていかないよ」<b>次々と繰り出される玲子さんの新計画</b>に、一柳は困惑しているようだった。</p>
<p>「一柳、とにかく<b>玲子さんの言うとおりにしろ</b>」と僕は言った。「<b>玲子さんは、おまえに取り戻してもらいたいんだよ。心ならずも失った、おまえが一流である証明を</b>」</p>
<p>「ええ、そうよ。まだ失効していないわ。私が取り返してあげる。<b>それがこれからの私の目標</b>」</p>
<p>「素敵です、玲子さん！　わたしが思うに、お二人はもうすぐにでも…」<br />
「そうだ、一柳。このタイミングだ。<b>愛由美ちゃんのタイミング出しを信じろ</b>」</p>
<p>「わかってます」と頷いて、一柳は深呼吸をしてから玲子さんを直視した。<br />
「ちょっと待って」玲子さんが制した。「<b>詩とか小説の引用はやめてね。ちゃんと私に向けて、ふつうの言葉でストレートに言って</b>」</p>
<p>「わかってる」もう一度、大きく深呼吸をしてから一柳は口を開いた。</p>
<p>「<b>この年まで独りでいたのは、君を探し歩いていたからだ。待たせたね。<span style="color: #000000;">道に迷って遠回りしちゃったけど</span>、やっと探し当てた。だから、もう離さない。結婚してください</b>」</p>
<p>「<b>ほんとに、何してたのよ。寄り道ばっかして…</b>」玲子さんの目から大粒の涙がこぼれた。</p>
<p>「<b>でも、信じて待ってた。だから、私も独りでいた。あんまり遅かったから、つい意地悪しちゃったの。でもうれしかった、迎えにきてくれて。ありがとう。結婚の申し出、よろこんでお受けします</b>」</p>
<p>「すてき！　おめでとうございます！」<br />
茂森愛由美は激しく手を叩いて二人を祝福した。</p>
<p>それから玲子さんはあらためて僕を見て言った。「語り人さんには心からお礼を言います。<b>ずっとこの人の面倒を見てくださって、本当にありがとうございました</b>」</p>
<p>「いや、そんな。玲子さんにお礼を言われることじゃ…」<br />
「<b>あとは私が引き取りますので、どうかもうご心配なく</b>」<br />
「はっ？　それはどういう…」<br />
「玲子さん、もうやめなさい！」</p>
<p>一柳は玲子さんをたしなめたが、玲子さんはおかまいなしに、今度は茂森愛由美を促した。「さ、愛由美ちゃんも言いなさい」</p>
<p>「はい」と返事をして、茂森愛由美は一柳に向かって言った。<br />
「もう一柳さんには玲子さんがいるのですから、これからは先生を煩わせないでくださいね。先生は満身創痍なんです。<b>今後はわたしが、先生の傷のお手当を担当しますから、ご心配には及びません</b>」</p>
<p>「あ、愛由美ちゃんまで、何を…」一柳は信じられないという顔をした。<br />
僕はなんとなくわかっていたので、黙って様子を見守っていた。</p>
<p>少しの間があって、二人の女子は声を揃えてけらけら笑った。<br />
「<b>冗談よ</b>」玲子さんはしてやったり、という顔をして言った。<br />
「わたしは、<b>前半が冗談</b>で、<b>後半が本気</b>です」と茂森愛由美。</p>
<p>「二人は分身だものね。誰もあなたたちを引き離せない」<br />
「オレと玲子さんだって、誰にも引き離すことはできないさ」</p>
<p>「天国でもともとひとつだった魂は」と僕は言った。<br />
「この世に生まれてくるときに男性と女性に分けられて別々に生まれてくる。<b>だから、現世で天国時代のもう片方の自分に出会うと、身も心もぴたりと相性が合うと言われる</b>。<b>その相方をベター・ハーフと呼ぶ</b>んだよ」</p>
<p>「そうよね。<b>ベター・ハーフは男と女</b>だものね。語り人さんと一柳さんがベター・ハーフじゃないことがわかって安心したわ」</p>
<p>「それがそうとも限らないんだ」一柳が言わずもがなの知識を披露した。<br />
「<b>ベター・ハーフの語源は古代ギリシャに遡る</b>んだけど、<b>プラトンの『饗宴』</b>によると、<b>＂男と女＂</b>のほかにも<b>＂男と男＂</b>、そして<b>＂女と女＂</b>という三種類が存在したそうだよ」</p>
<p>「それなら、やっぱり<b>あなたたちがベター・ハーフ</b>なわけ？」<br />
玲子さんはまたしても眉を吊り上げた。</p>
<p>僕は一柳を睨みつけると、玲子さんをなだめるため説明を捕捉した。<br />
「いや、それは違う。<b>アンドロギュノスと呼ばれる＂男と女＂以外は同性愛者として生を受けるそうだ</b>。言うまでもないけど、おれと一柳は同性愛者じゃない。安心してくれ」</p>
<p>「あなたたちは<b>無類の女好き</b>だものね。うん、うん。そうよね！」そう言って玲子さんは機嫌を直したが、この時点で僕は、<b>玲子さんのキャラ</b>がつかめなくなっていた。</p>
<p>「そう。オレと玲子さんは<b>正真正銘のベター・ハーフ</b>だぁ！」<br />
そう叫ぶと一柳は、玲子さんに手を差し出し「<b>Shall we dance?</b>」と言った。</p>
<p>「すごーい！これが噂に聞いた一柳さんの必殺技＂Shall we dance?＂ですね。しびれちゃいます！」茂森愛由美が無邪気によろこんだ。</p>
<p>「うん。僕も久しぶりに聞いたけど、あいつのこんな<b>優しさと慈しみに溢れた本心からの＂</b><b>Shall we dance?</b><b>＂</b>は、はじめてだよ」</p>
<p>二人は手を取り体を寄せ合い、<b>ワルツのステップ</b>を踏み出した。<br />
「そう、玲子さん、じょうず。そう、アン・ドゥ・トロワ、アン・ドゥ・トロワ、アン・ドゥ・トロワ…」</p>
<p><b>優雅で美しい二人のダンス</b>を眺めていると、茂森愛由美が僕の手を握ってきた。反射的に僕はその手を握り返した。握り返してからしまったと思い、僕はわけのわからない言い訳をした。</p>
<p>「<b>ごめん。僕は踊れないんだ</b>」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>＜完＞</p>
<p>&nbsp;</p>
<div class="point">
<h3><span>今日のボイスメモ、あるいは、声にまつわるささやかな教訓</span></h3>
<ol>
<li>気分転換に公園へ行こう。<span style="color: #ff6600;"><b>公園は人間観察にもってこいの場所だ</b></span>。そこには一柳みたいな人、ラッパさんみたいな人がいる。もしかすると語り人がいるかもしれない。ひとりで行くのがつまらなければ、友達や恋人、夫婦や家族など、<span style="color: #ff6600;"><b>隣に気の合う誰かがいてくれればなお素敵だ</b></span>。</li>
<li>大小問わず何か目標をひとつクリアしたら、<span style="color: #ff6600;"><b>誰かのためになる「善き行い」をしよう</b></span>。ひとつひとつ目標を達成していくためには、そういう<span style="color: #ff6600;"><b>善の循環</b></span>が必要だ。</li>
<li>誰でも「ああ、もう死んじゃいたい」と思うときがある。そんなときはこれが最後だと思って、好きなことに死ぬほど力を注いでみよう。<b><span style="color: #ff6600;">「もうダメだ」の先に視界が開くポイントがある</span>。</b></li>
<li><span style="color: #000000;">家族の事情、経済的な事情、人間関係の事情、いろんな事情で夢を断念せざるを得ないときがある。あきらめきれず歯を食いしばって這い上がろうとする人。<span style="color: #ff6600;"><b>見せてくれ、君の粘りを。聴かせてくれ、君の声を</b></span>。</span></li>
<li>今日の名台詞は玲子さんが言ったこれ！「<span style="color: #ff6600;"><b>お金ってね、追い求めてはいけないものなの。お金が目的であってはいけないの。それはお金に隷属する道であり、自由への道じゃない。本当の意味での一流への道じゃないの</b></span>」</li>
<li><b><span style="color: #ff6600;">男性諸君に告ぐ</span>。</b>女性を待たせてはいけないよ。待たせる男を女性は決して許さないから。<span style="color: #ff6600;"><b>もしもいま待たせているなら、腹を決めなさい！</b></span></li>
<li><span style="color: #000000;">「<span style="color: #ff6600;"><b>Shall we dance?</b></span>」って素敵な言葉だよね。今は小学校の授業にダンスレッスンがある時代。「ごめん。僕は踊れないんだ」なんて言ってる場合じゃない。</span></li>
<li>孤独を愛そう。孤独はあらゆる創造の源だ。賢治の詩にあるように、<span style="color: #ff6600;">「<b>その寂しさで音を創るのだ。多くの侮辱や困窮のそれらを噛んで歌うのだ」。</b></span>みんなでわいわい騒いでいるとき、神さまはきてくれない。ひとりで孤独を噛んでいるとき、<span style="color: #ff6600;"><b>神さまはそっときてくれるのだ</b></span>。</li>
<li><b><span style="color: #ff6600;">まだベター・ハーフが現れていないという人。この人がベター・ハーフかどうかわからないという人</span>。</b>見分け方のヒントは、<span style="color: #ff6600;"><b>一柳と玲子さんのラブストーリー</b></span>をもう一度、読んでみて。実は僕も、まだよくわからないんだ。ごめんね。</li>
</ol>
</div>
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		<title>第3話最終章　一流の証明（後編）</title>
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		<pubDate>Fri, 19 Dec 2014 09:18:59 +0000</pubDate>
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				<category><![CDATA[第3話　ボイスアクター編②　一流の証明]]></category>
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		<description><![CDATA[「でも語り人さんは、役者のオレに惚れたんすよね」 「おまえ、誤解を招くようなことを…」僕は玲子さんの顔色を窺った。 「やっぱりあなたたち、そういう関係だったのね！」玲子さんの目が吊り上がった。 「オレね、語り人さんにナン [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>「でも語り人さんは、役者のオレに惚れたんすよね」<br />
「おまえ、誤解を招くようなことを…」僕は玲子さんの顔色を窺った。</p>
<p>「やっぱりあなたたち、そういう関係だったのね！」玲子さんの目が吊り上がった。<br />
「オレね、語り人さんにナンパされたんだよ。男にナンパされたのは初めてだった」</p>
<p><span id="more-308"></span></p>
<p>（最終章「<a href="http://kataribito.net/03/03-8/">一流の証明（前編）</a>」のつづき）</p>
<p>「<b>あなたたちはいったいどこで出会ったの？</b>　大学は違うはずよね」玲子さんは疑り深い目をして訊いてきた。</p>
<p>「喫茶店だよ。<b>池袋にある珈琲専門店</b>。オレ、そこでバイトしてたんだ。大学三年のとき。語り人さんは四年で、すでに就職先の内定を取っていた。<b>大企業</b>のね」</p>
<p>そう言って一柳は、茂森愛由美をちらりと見た。</p>
<p>一柳は当時、大学に通うかたわら<b>池袋にある演劇学校の夜間部</b>で、演技の勉強をしていた。<b>そうそうたる大物俳優やミュージカルスターを数多く輩出している名門</b>だ。</p>
<p>僕は大学の四年間、その演劇学校と目と鼻の先の安アパートに住んでいて、そこで催される<b>役者の卵たちの舞台公演</b>を欠かさず観ていた。</p>
<p>「語り人さんは当時、学校では知らない人がいないくらい有名な人だったんだ。オレたち<b>役者の卵に愛あるダメ出しをする影の演出家</b>としてね」</p>
<p>「えっ、どういうこと？　語り人さんはその演劇学校に関係していたの？」<br />
一柳の話に玲子さんは疑問を投げた。</p>
<p>「いや、そうじゃない。芝居のあとお客さんに記入してもらうアンケートがあるだろ。語り人さんはいつも、<b>演出を含めた舞台全体の感想</b>と、<b>出演者一人ひとりの所見</b>を事細かに書いてくれていたんだ。無記名のお客さんとして」</p>
<p>「良いところ悪いところ、こうすればもっと良くなるとかね。用紙の枠をはみ出してぎっしり書かれている。<b>みんながそれを指針に稽古に励むほど的確にして愛情溢れる言葉</b>が。この人はいったい誰だ？　何者だ？って」</p>
<p>「なんで、<b>その人が語り人さんだ</b>ってわかったの？」</p>
<p>「その喫茶店でわかったんだよ。オレがコーヒー置いて立ち去ろうとすると、そのテーブルの客が話しかけてきた」</p>
<p>「『<b>舞台＂飛龍伝＂</b>で全共闘のリーダー桂木順一郎を演じた、一柳成人くんだね。ここでバイトしてるの？』って」</p>
<p>「びっくりしたよ。舞台を観てくれた方ですか？って訊いたら、『観た。<b>いい役者に出会えた</b>と思った。君のことだよ』って言うんだもん。そのときぴんときたんだ」</p>
<p>「もしかして、あのアンケートの方ですか？」</p>
<p>「『アンケート？　ああ、書いたよ。いつも勝手に書かせてもらってる。君のことは、ええっと』語り人さんは少し考えてから歌うように朗誦した」</p>
<p>「<b>立ち居振る舞いに品格あり。群舞で見せたダンスは頭抜けている。未来のミュージカルスターの片鱗を見た思い。声は良いが発声と滑舌、ブレスの使い方にやや難あり。声の良さに頼り過ぎか。枯れない声帯を獲得すべし。しかしこの男、なんと魅力的な役者だろう。</b>確かこんな感じだったかな」<b></b></p>
<p>「はい。ありがとうございます。<b>いただいた言葉を胆に銘じ精進しています！</b>　あのオレ、あと１時間でバイトが終わります。そのあと…」</p>
<p>「『いいよ。どうせここで長居するつもりだったから』そう言って語り人さんは、テーブルに積んである買ったばかりの５～６冊の本に目をやって笑った。痺れるようなカッコいい笑顔だった」</p>
<p>「ちょっと待って。語り人さんにナンパされたって言ってたけど、<b>あなたのほうから誘ってるじゃない</b>」と言って玲子さんは一柳を睨んだ。「まあ、いいわ。それで、そのあとどうなったの？」</p>
<p>「語り人さん行きつけの飲み屋に行った。<b>パリのモンマルトルにありそうなアンダーグラウンドなバー</b>でね、<b>学者や作家、アーティストたちの溜り場</b>みたいな店。ママが不思議な人だったな。不愛想で殆ど喋らないのに、なんか<b>人を惹きつける磁力</b>のようなものを持っていた」</p>
<p>「大学時代は助けてもらったな。<b>出世払いだって、いつもタダ酒を飲ませてくれた。タダ飯もね。</b>あのころはなにしろ金がなくて、いつも腹を空かせてた」と僕は笑って言った。</p>
<p>「一柳を初めて連れて行った日は忘れられないよ。あの不愛想なママが珍しくうれしそうな顔を見せた。おまえがトイレに立ったとき言われたもん。あなた、<b>はじめていい男を連れてきたわね</b>って」</p>
<p>「あはは。語り人さんがトイレに立ったときは、オレに言ってたっすよ。語り人さんは毎回、違う女を連れてくるんだって。そして<b>女の品定めを自分にさせる</b>んだって」</p>
<p>「それは誤解だ」僕は即座に弁明した。</p>
<p>「<b>つきあいに発展しそうな女ができたら、関係を持つ前にかならず店に連れてこい</b>。当時、ママからそうきつく言われてたんだ。一度、事後に連れて行ったときなんかこっぴどく叱られた。それどころか、<b>あの女はやめておけ、語り人くんをダメにするタイプの女だ</b>、とかなんとか言われて別れさせられたもん」</p>
<p>「えっ、オレには言ってくれなかったすよ」一柳は不満そうに言った。</p>
<p>「おまえはあまりにも<b>とっかえひっかえ違う女を連れていく</b>から、こりゃ言っても無駄だと、ママもあきらめたんだろう」</p>
<p>「あの、そのママさんですけど」茂森愛由美が突然、口を挟んだ。「先生が連れて行った女の子で、<b>ママさんのお眼鏡にかなった人</b>はいたんですか？」</p>
<p>「いや、ひとりもいない。<b>やれ性格が悪いの頭が悪いの、育ちが悪いの服のセンスが悪いの</b>って、何かにつけて難癖をつけられた」</p>
<p>「ママさんは、<b>先生のことがお好きだった</b>のではないでしょうか」</p>
<p>「まさか！　それはないだろう。<b>親子ほど歳が離れていた</b>はすだよ。叱られてばっかりだったし」</p>
<p>「語り人さんと愛由美ちゃんだって、親子ほどの年の差でしょ。<b>好きという気持ちに年齢差なんか関係ない</b>のよ」玲子さんはいつもひと言多い。</p>
<p>「そうか。そういえば」一柳もまた余計なことを思い出したようだ。</p>
<p>「語り人さんと一緒じゃないときは、いつも訊いてきてたっすよ。語り人くんはどうしてる？　<b>変な女に引っかかってないか</b>。また<b>トラブルに首を突っ込んでないか</b>。<b>ご飯を食べにくるよう伝えろ</b>とか。それに…」</p>
<p>そう言って一柳は驚くべき事実を口にした。</p>
<p>「ママは老け顔だったけど、親子ほど年は離れてなかったすよ。オレが21歳のとき35歳だったから、14歳差っすね。だから語り人さんとは13歳差」</p>
<p>「35歳なら今の私と同い年よ。<b>女盛り真っただ中</b>だわ」と玲子さんは語気を強めた。</p>
<p>「そうそう、語り人さん言ってたじゃないすか。おまえと店に行くとママは上機嫌で飲み代も受け取らないけど、女の子を連れていくとなんか不機嫌で、しっかりお勘定を請求されるんだって」</p>
<p>ひとつ思い出すとまたひとつ思い出す。まるで消えていた電球が一個ずつ点灯していくみたいに、一柳は四半世紀前の記憶を連鎖的に蘇らせていった。</p>
<p>「語り人さん、ママの気持ちに<b>まったく気づかなかった</b>んですか？」</p>
<p>玲子さんの責めるような問いかけに「いや、気づくも何も、ママのことは<b>＂池袋の母＂</b>って呼んでいたくらいだし…」と、しどろもどろになって僕は下を向いた。</p>
<p>「一柳さんも、ただ酒を飲ませてもらっておきながら、<b>自分のことにしか興味がなかった</b>のね」今度は一柳を責めるように玲子さんは言った。一柳も申し訳なさそうに下を向いた。</p>
<p>「本当にあなたたちは、今も昔も鈍感なお子ちゃまね！　<b>当時のあなたたちと同い年の愛由美ちゃんがすぐにわかったのよ</b>」</p>
<p>「あきれたわ。<b>女ごころもわからないで、よくそれで文学だポエムだって、熱く語れたものよね！</b>」</p>
<p>「お説ごもっともです。面目ない…」一柳と僕は、揃って鈍感な頭を垂れた。</p>
<p><b>大学を卒業して就職して、僕は池袋を離れた</b>。その後、何度か店に行ったが、忙しさにかまけていつの間にか足は遠のいた。数年後に立ち寄ったとき、店はなくなっていた。<b>ママは実家のある長野県に帰った</b>という話を、のちに当時の常連客に知らされた。</p>
<p>「おれはママに出世払いを済ませてないよ」と僕はつぶやいた。<br />
「まだ出世してないけど、オレもっす」と一柳もつぶやいた。</p>
<p>「一柳、近いうちに<b>長野に行こう</b>」と僕は言った。<br />
「そうっすね。<b>二人でママに会いに行きましょう</b>」一柳が応じた。</p>
<p>「ちょっと待って」と玲子さんが言った。「<b>私も行くわ</b>。お礼をしなきゃ」<br />
「<b>わたしも</b>」と茂森愛由美が言った。「同行してよろしいでしょうか」</p>
<p>「ナイスアイデア！」一柳が叫んだ。「<b>彼女ができたら連れて行く約束</b>でしょ、語り人さん。<b>四人で行きましょう！</b>　うん、それはいい！」</p>
<p>「なんで、そうなるんだ。また、ややこしいことになるじゃないか」と僕はつぶやいたが、弱り目に祟り目のこのつぶやきは一柳の大きなはしゃぎ声にかき消された。</p>
<p>「さあ、先を急ぐわよ。<b>珈琲店で出会って、そのママの店でお酒を飲んで</b>、それからどうしたの？」</p>
<p>「閉店まで飲んで、それから近くの<b>語り人さんのアパートに移動して、朝まで語り明かした</b>」</p>
<p>「<b>その２週間後に、一柳は大学近くの国立のアパートから、おれのアパートに引っ越してきた</b>」と僕は付け加えた。</p>
<p>「えっ、<b>同棲を始めたの？</b>」玲子さんが不適切な表現をした。</p>
<p>「まさか、６畳ひと間だよ。<b>ちょうどタイミングよく一部屋空きが出た</b>んだよ」</p>
<p>「すごいわね、なんか<b>電撃結婚</b>みたい。まるであなたたちが<b>恋に落ちた</b>みたいだわ」そう言って玲子さんは絶句した。</p>
<p>「ある意味、そう言っていいと思う。<b>心強いパートナー</b>というか、<b>頼もしい用心棒を得た</b>思いだった。少なくともオレにとってはね」と一柳は真顔で言った。</p>
<p>「大学には遠くなったけど、語り人さんの部屋まで30秒。演劇学校まで２分。ママの店には３分、バイト先にも５分と、オレの<b>必要なものがぜんぶ至近距離に揃う</b>好立地。まあ大学にはあまり行ってなかったし、語り人さんのいる場所がオレの大学だったから」</p>
<p>「とにかく二人が、<b>出会った瞬間に雷に打たれたみたいに強い絆で結ばれた</b>ことはわかったわ。でもずっと不思議だったんだけど、<b>なぜ一柳さんは語り人さんに敬語を使うの？</b>　だってひとつしか違わないでしょ」</p>
<p>「出合う前から、<b>語り人さんはオレの師匠</b>だった。出会ってからも、そして今も、その思いは変わらない」</p>
<p>「<b>そのおかしな敬語はやめてくれ</b>って何度もお願いしたよ。でもこいつは、変なところで<b>律儀というか頑固</b>なんだよ」</p>
<p>僕が苦笑してそう言うと、一柳は持論を展開した。</p>
<p>「<b>言葉使いが同等になると、関係まで同等だと勘違いする</b>ものなんすよ。オレと語り人さんは親友以上の関係だけど、決して同等じゃない。何度もオレを救ってくれた<b>恩義ある師匠にため口はあり得ない</b>っしょ」</p>
<p>「それはおれも同じだよ。<b>おまえという友がいなかったら、オレの人生はもっと孤独で、もっと味気ないものだった</b>と思う。おれのほうこそ、おまえにはずいぶん助けられた」</p>
<p>そのとき、嗚咽が漏れる音が聞こえた。見ると茂森愛由美が鼻を真っ赤にしてすすり泣いていた。</p>
<p>「はいはい。あなたたちの<b>甘くほろ苦い青春ストーリー</b>はこのへんにしておくわよ。少し時計の針を先に進めましょう」</p>
<p>玲子さんはディレクターみたいに右手の人差し指をぐるぐる回して指示を出した。</p>
<p>「一柳さんは大学を卒業して劇団に入った。そこから話して。<b>劇団をやめた本当の理由。役者もダンサーもやめて実家に帰った理由</b>よ」</p>
<p>「一柳、おれから話すぞ。いいな？」<br />
「頼んます」一柳は観念して深くうなだれた。</p>
<p>一柳は演劇学校から文句なしの推薦を受け、難関のオーデションも難なく突破し、誰もが知る<b>大手ミュージカル劇団</b>に入団を果たした。</p>
<p>その劇団は他の多くの劇団と違い株式会社の形態をとっていることから、給料が支給される。したがって、入団ではあるが会社に入社したといえる。つまり一柳は、その<b>劇団に就職</b>したのだ。</p>
<p>ほどなくして、<b>研究生</b>としていくつかの舞台で新人離れしたパフォーマンスを見せつけた一柳は、とんとん拍子で<b>ミュージカルスターへの階段</b>を駆け上がっていった。</p>
<p>研究生の域を超える輝かしい実績を積み、２年という研究生期間を待たずして、<b>劇団の目玉である本公演の大役</b>をつかんだのだ。</p>
<p>ところが、好事魔多し。（「<b>好事魔多し（こうじまおおし）</b>」とは、良いこと（好事）が続いていると、悪いこと（魔）が起こりやすいこと）</p>
<p>結論から言うと、このタイミングで一柳は<b>女性問題</b>を起こした。<br />
相手は本公演で共演することが内定していた<b>新進の人気女優</b>だった。</p>
<p>役者が<b>共演する相手と男女の関係を持つ</b>こと自体は珍しいことではない。しかし、このときばかりは相手が悪かった。状況も悪かった。</p>
<p>その女優が<b>劇団の大物幹部の女</b>であることは半ば公然の秘密で、そのため彼女に手を出そうとする男は、あるいは彼女の誘惑に落ちる男は誰ひとりいなかった。<b>劇団内の男女相関図</b>に疎い一柳はそれを知らなかった。</p>
<p>ではなぜ、その<b>公然の秘密</b>を一柳は知らなかったのか。</p>
<p>これは僕の想像だが、新人ながら一柳が持つ<b>ミュージカル俳優としての才能とスター性</b>は、同期の俳優どころか先輩俳優に比しても頭ひとつ抜きん出ていた。彼らにしてみれば一柳は脅威であり、できることなら<b>弱みでも握って潰してやりたい存在</b>だった。</p>
<p>これが公然の秘密が一柳の耳に入らなかった理由ではないか。彼らは人気女優が遅かれ早かれ、一柳に目をつけることがわかっていた。<b>大物幹部との関係</b>を知らない無邪気な一柳は、まんまと<b>人気女優の手練手管</b>にかかるだろう。あとは時期を見て、証拠を掴んで大物幹部にチクればいいのだ。</p>
<p>さらに悪いことに、入団してからずっと一柳は、密かに<b>劇団の看板女優</b>から<b>特別な寵愛</b>を受けていた。そして、その看板女優と大物幹部が夫婦同然の間柄であることもまた、公然の秘密だった。</p>
<p>これ以上、説明する必要はないだろう。要するに大物幹部は、<b>自分の女をふたりとも一柳に寝取られた</b>というわけだ。</p>
<p>情けない男になり下がって怒り心頭の大物幹部は、<b>劇団内の公序良俗を乱す危険人物</b>として、一柳に<b>退団処分</b>を言い渡した。</p>
<p>「そこまですることはないだろう」という反対の声も上がったが、彼はその声を全力で封じ込めた。そして<b>ふたりの女優には何のお咎めもなかった</b>。</p>
<p>さらに、大物幹部はそれだけでは気が収まらなかったのか、「<b>もうおまえが入れる劇団はどこにもないと思え。よそにいってもおれが潰す</b>」と脅しをかけ、<b>ミュージカル俳優「一柳成人」</b>を事実上、葬り去った。彼にはそれだけの力があった。</p>
<p><b>劇団の目玉公演の主役級に抜擢され、夢の舞台まであと一歩</b>のところで文字どおり梯子を外された一柳は、ものの見事に転落した。物理法則に従って。</p>
<p>将来を嘱望されていたとはいえ、<b>23</b><b>歳の研究生に過ぎない非力な一柳</b>に、いったい何ができただろう。どんな抵抗ができただろう。</p>
<p>よりによって劇団の看板女優、そして人気女優から<b>「ご指名」</b>を受けたのだ。当時の<b>一柳に関係を拒む術などなかった</b>し、拒んだら拒んだで、また別のやっかいな問題を誘発したに違いないのだ。</p>
<p>「これは一柳の名誉のために言っておきたい」と僕は言った。「<b>一柳にはどうすることもできなかった。</b>なにひとつ<b>選択権がなかった</b>ということだ」</p>
<p>「すっごい話…。本当にあるのね、そんなドラマみたいな話」<br />
玲子さんは整った顔を歪め、息苦しそうに言った。</p>
<p>「わたし、中学生の頃からそこの劇団の主要な演目は観ていますが、華やかな舞台の裏で、そんなドロドロのといいますか、生身の愛憎劇が繰り広げられていたのですね。<b>それでも舞台の素晴らしさが損なわれることはない</b>…」</p>
<p>茂森愛由美もこわばった表情で言った。</p>
<p>「こう言っては一柳さんのお気の毒なお話に水を差すようですけれど、そんなことも滋養にして生きていくのが<b>俳優の性（さが）</b>なのかって、逆に<b>プロの逞しさ</b>といいますか、<b>凄まじさ</b>が伝わってきます」</p>
<p>「それで、一柳さんは<b>他の劇団</b>には行かれなかったのですか？」</p>
<p><b>まずは卒業した演劇学校に行って仁義を切るのが先決</b>だと、僕は一柳に進言した。そのうえで今後の相談をするのが得策だと。<b>言い訳はするな。謙虚に頭を下げろ。</b>そうすれば、またどこか推薦してくれるだろうと。</p>
<p>一柳は、お世話になった校長を訪ねた。ずっと目をかけてくれ、<b>ミュージカル劇団に進むよう後押ししてくれた恩師</b>だ。しかし校長は、一柳の訪問を喜ばなかった。</p>
<p>「わたしに恥をかかせてくれましたね」一柳を見るなり校長は険しい表情で言った。「<b>きみの失態はわが校にとって大変不名誉なスキャンダルです</b>」</p>
<p>「先生！　申し訳ありませんでした。オレは…」<br />
「もう話すことは何もありません。帰りなさい」</p>
<p>一柳は泣いて許しを請うた。そして泣きながら訴えた。</p>
<p>「先生、教えてください！　オレは<b>どんな悪いこと</b>をしたんでしょうか。役者の道を絶たれるほどの、<b>どんな罪</b>を犯したんでしょうか」</p>
<p>「この期に及んでまだわたしに教えを乞うのですか。きみは本当に<b>たちの悪い子</b>です」と、校長は鉛のように重いため息をついて言った。</p>
<p>「<b>頭がいいくせにバカのふりをする。内面に複雑さを抱えているくせに無邪気さを装う。そして今、わたしに謝罪しながらも、罪を認めていない。本当にたちの悪い子です</b>」</p>
<p>僕は一柳からこのくだりを聞かされたとき、校長の真意がわかったような気がした。校長は一柳を「<b>たちの悪い子</b>」と二度言った。それは逆に言えば、「<b>たちの良い子</b>」<b>がいい役者になどなれるわけがない</b>。</p>
<p><b>バカのふりをできない人間が、いい役者になれるわけがない。内面に闇を抱えていない人間が、いい役者になれるわけがない。</b>つまり校長は「<b>だからこそ、きみはいい役者なんです</b>」そう言いたかったのではないか。</p>
<p>しかし校長は最後まで、一柳に優しい言葉をかけることはなかった。</p>
<p>「<b>女性問題には気をつけるように</b>と、あれほど言いましたでしょ。<b>色事は芸の肥やし</b>。外でならいくらでもおやりなさい。しかし<b>劇団内の女優にはくれぐれも注意しなさい</b>と」</p>
<p>「ここは学校だからまだよかった。プロの劇団はそうはいきません。<b>目障りな者はすぐに足元をすくわれます</b>。才能があるかどうかは関係ない。いや、才能があるほど標的は大きくなるでしょう」</p>
<p>「先生、オレはもう、<b>どこの劇団にも入れない</b>んでしょうか」</p>
<p>「きみは実に、やっかいな人を敵に回してしまったよ。実際の話、彼の目の黒いうちはむずかしいでしょう。もっとも彼の目の届かない、無数にある<b>小劇団</b>なら、その限りではありませんがね」</p>
<p>「いっそ、<b>一般企業に就職</b>したらどうです。きみは高学歴なんだから、少しはまともな会社に入れるんじゃないですか。とにかく、これ以上わたしにできることは何もありません。さあ、もう帰りたまえ」</p>
<p>ここまで言われては、これ以上の懇願も抗弁も無意味だった。</p>
<p>一柳は無言で頭を下げ校長室をあとにした。そして、役者としての自分を鍛えてくれた懐かしい学校に別れを告げた。こうして<b>一柳の役者への道は、志半ばにして完全に閉ざされた</b>のだ。</p>
<p>「語り人さんは、これは一柳さんにとって<b>不可抗力の事件</b>だったって擁護しましたけど、一柳さんに落ち度がなかったとは、私にはどうしても思えないのよ」</p>
<p>玲子さんが現実的な問題に引き戻して言った。</p>
<p>「だって、<b>同性の嫉妬を買う</b>なんてこと、一柳さんなら昔からずっとあったことでしょ。なんでそこで、うまく対処できなかったかなあ。それにふたりの女優も、一柳さんを見捨てたわけよね。<b>自分が生き残るために、つまり保身のために、一柳さんを売った</b>わけよね」</p>
<p>「私はそこがひっかかるの」と玲子さんは続けた。</p>
<p>「<b>お勉強ができてダンスがうまくて、そのうえ超イケメンで声も良くて。</b>そりゃあ同性からの妬みとかやっかみもそうだけど、異性からちやほやされるのだって仕方のないことよ」</p>
<p>「でも頭のいい一柳さんが<b>なぜいとも簡単に、そこでつまずいちゃったのか。天から授かったその能力を生かせなかったのか。</b>私はそこが理解できないの」</p>
<p>「一柳は安心しちゃったんだよ」<br />
玲子さんの疑問を氷解する答えかどうかわからないけど、僕は言った。<br />
「<b>天から授かった能力を遠慮なく発揮できる場所、自分がいるべき場所</b>に<b>やっと辿り着いた</b>って」</p>
<p>「ここでなら特別視されることもない。なぜってここにいるのはみんな、<b>選ばれた特別な人たち</b>なんだから。一柳はそう思った。だから無防備だった。ここに<b>人を陥れる悪意や計略</b>が存在するなんて思いもしなかった」</p>
<p>ここで一息入れると、僕は玲子さんを直視して言った。</p>
<p>「それは玲子さんなら理解できるんじゃないかな。さっき席を外したとき一柳から聞いたよ。<b>ミスキャンパス</b>だったそうだね。<b>芸能事務所からスカウトされた</b>話も」</p>
<p>「そんな<b>大昔の話</b>、やめてください」玲子さんはうんざりした顔で返した。</p>
<p>「おれたちも<b>大昔の話</b>をしている。それこそ愛由美ちゃんが生まれる前の」</p>
<p>「<b>私はミスキャンパスにも芸能界にも興味なんてなかった。</b>ただ祭り上げられただけ。私の意思なんてどこにもなかったのよ。もう思い出したくもないわ」</p>
<p>玲子さんは吐き捨てるように言うと、何かを振り払うように続けた。</p>
<p>「わかったわ。<b>一柳さんは純粋すぎた</b>。警戒心も忘れて<b>ひたすら役者道に邁進した</b>。そこは理解する。じゃあ、女性に関してはどうなの？　<b>ふたりの女優はなぜ、一柳さんをかばってくれなかったの？</b>」</p>
<p>「私、思うんだけど、<b>本当にいい男って、女を味方につけるんじゃないかな</b>。女のほうが勝手に味方するって意味よ。<b>この男を守ってあげたいとか、成功させてあげたい</b>っていう、いわば<b>母性本能</b>ね。一柳さんはその女優たちを味方につけることができなかった。それは…」</p>
<p>そこで言い淀む玲子さんの代わりに僕は言った。</p>
<p>「一柳が<b>愛さなかった</b>から」<br />
「ええ。でも、それだけかしら」<br />
「ほかにも理由があると？」<br />
「<b>愛さなかったし、愛されなかった。</b>本当には」</p>
<p>玲子さんのこの言葉は、言った本人も含めてみんなを黙らせた。</p>
<p><b>あなたはたしかに一流の「モテ男」かもしれない。<br />
</b><b>でも「愛され男」としては二流以下ではないのか。</b></p>
<p>そう言ったも同じだった。<br />
沈黙の重たい帳が下りた。それを破ったのは一柳だった。</p>
<p>「そのとおりだ！」一柳の悲痛な声が響いた。</p>
<p>「オレは<b>どの女も愛さなかった</b>し、結果として、<b>どの女からも愛されなかった</b>。だからどの女も、オレのために持ち前の<b>母性本能を発揮しようがなかった</b>。玲子さんの言うとおりだ」</p>
<p>「玲子さん」と僕は言った。「あなたなら一柳の<b>孤独</b>がわかるはずだ」</p>
<p>「ごめんなさい。言い過ぎたわ…」玲子さんは素直に認めた。</p>
<p>「じゃあ、ちゃんと言って！」そして玲子さんは勝負に出た。<br />
「そんなあなたが、<b>初めて女を愛した</b>。その女が、私なのね？」</p>
<p>一柳はゆっくりと大きく頷いた。<br />
「何に誓って？」玲子さんは誓いを求めた。<br />
「語り人さんに誓って」と一柳は答えた。</p>
<p>「おい、おれじゃなくて<b>神に誓え</b>」僕がそう言うと、<br />
みんながくすっと笑った。張りつめた緊張の糸が少しだけ緩んだ。</p>
<p>「オレは<b>宗教は信じない</b>すけど、語り人さんのことは信じますから」<br />
「わかった。信じる」玲子さんは即答した。</p>
<p>一柳の発言にめずらしくいちゃもんをつけなかった玲子さんは、大きく深呼吸をすると、覚悟を決めるように言った。</p>
<p>「じゃあ私も言う。<b>こんなこと二度と言わないからよく聞いてね</b>」</p>
<p>「私も初めてなの…こんな感情。だからとても混乱した。なんだか<b>自分が恥ずかしくて、それを認めたくなくて、だからあなたを警戒したし、いやなこともいっぱい言った</b>」</p>
<p>「わかってる。続けて」一柳は優しい声で促した。</p>
<p>「私も、<b>初めて男の人を愛した</b>んだと思う。あなたを」</p>
<p>「玲子さん！」一柳が歓喜の声をあげた。<br />
「素敵です！」茂森愛由美も感動を露わにした。</p>
<p>「玲子さん、すばらしい。よく言ったね！」僕も手放しで喜んだ。</p>
<p>玲子さんが言ったことに触発されて、ある言葉が口をついて出た。</p>
<p><b>もの憂さと甘さがつきまとって離れないこの見知らぬ感情に、<br />
</b><b>「愛」という仰々しくも美しい名前をつけるのを、私はためらう。<br />
それは自分にかまけてばかりの、あまりにエゴイスティックな感情で、<br />
私は自分を恥じたくなるのだ。</b></p>
<p>「それ、なんの引用すか？　聞いたことないなぁ」一柳が首を傾げた。</p>
<p>「<b>フランソワーズ・サガンの『悲しみよこんにちは』</b>の冒頭部分に似ていますが、ちょっと違うような気も…」茂森愛由美も首を傾げた。</p>
<p>「愛由美ちゃん、正解。そう、サガンだ。いま玲子さんが言ったことに驚くほど似ていないか？　たねあかしをすると、サガンは<b>愛</b>ではなく<b>悲しみ</b>と言っている。タイトルが＂悲しみ＂だからね。ところが、<b>このふたつの語を置き換えてもなんの違和感もない</b>」</p>
<p>「本当にそうですね。先生、<b>愛と悲しみは近似した感情</b>なのでしょうか」</p>
<p>「ねえ、私が恥を忍んで、勇気を奮い起こして言ったことをネタに<b>文学談義</b>するの、やめてもらえます？」玲子さんが物言いをつけた。</p>
<p>「ごめんごめん。もうちょっと聞いてくれるかな。この『悲しみよこんにちは』は、サガンが18歳で書いた処女作なんだ。彼女は17歳のヒロインの女の子に、悲しみを<b>＂見知らぬ感情＂</b>と言わせている。つまり初めて経験する感情だと」</p>
<p>「これは、日本語で言うところの＂箸が転んでもおかしい＂<b>少女からの脱皮</b>を意味しているんだと思う。だから<b>悲しみという名の、あるいは愛という名のエゴイスティックな感情</b>に戸惑う。憂鬱になったり、イライラしたり、自分を恥じたりね」</p>
<p>「語り人さんが何を言いたいかわかりました」一柳が口を尖らせた。</p>
<p>「オレも玲子さんも、<b>この歳になって初めて人を愛するという感情を経験した。それに付随する悲しみという感情も味わった。</b>でもこれってふつう、17歳で経験することだぞ。おまえたちの脱皮はどんだけ遅いんだ」</p>
<p>「あははは」僕は笑って言った。「それでも、遅きに失したわけじゃない。少しばかり遅刻したけど、<b>それは満を持してやってきた</b>。堂々と迎えてあげよう。恥らいながらもね。<b>悲しみよ、こんにちは。愛する人よ、こんにちは</b>」</p>
<p>「そうっす！　オレにもきてくれたんっす！」<br />
一柳はそう叫ぶと玲子さんを見て最高の笑顔で言った。</p>
<p>「<b>玲子さん、こんにちは</b>」<br />
「<b>一柳さん、こんにちは</b>」</p>
<p>玲子さんは持ち前の<b>ツンデレキャラ</b>を発揮して、恥らいがちに返した。そして何か大事なことを思い出したみたいに、慌てて次の言葉をつけ加えた。</p>
<p>「あっ、もちろんこの歳だから、<b>今まで何もなかったとは言わない。</b>そこはいいわね？」</p>
<p>「あたりまえでしょ」と言いながら、一柳は玲子さんの手を取った。</p>
<p>「そりゃあそうよね。<b>いっぱいオイタをしてきたあなたに較べたら、私なんて無傷みたいなものだわ</b>」そう言いながら玲子さんは一柳の手を振り払い、茂森愛由美を見た。</p>
<p>「愛由美ちゃんは初めてなの？　語り人さんへの感情は」<br />
茂森愛由美は恥かしそうにこっくりと頷いてから言った。</p>
<p>「でもおかしいんです。先ほどから考えていたのですけれど、わたしには、<b>憂鬱になったりイライラしたりという副作用がないんです。自分を恥じる気持ちもありません。むしろ尊敬する方をお慕いしている自分が誇らしくさえあります</b>。わたし、どこかおかしいのでしょうか」</p>
<p>「もういいわ」と呆れた顔で玲子さんは言った。「愛由美ちゃんに聞いた私がバカだった。あなたは私と違って、ひねくれていないものね」</p>
<p>「それは相手が語り人さんだからだよ」と一柳がしたり顔で言った。<br />
「愛由美ちゃんの感情は＂<b>愛</b>＂とは少し違うんじゃないかな。むしろ＂<b>敬愛</b>＂と呼ぶべきものだとオレは思う」</p>
<p>「でも＂敬愛＂なら初めて経験する感情ではありません。両親や学校の先生に対して、すでに経験ずみの感情です」茂森愛由美はめずらしくむきになって反論した。</p>
<p>「じゃあ＂<b>思慕</b>＂はどうかな？　語り人さんに会う前、見知らぬ感情だった？」一柳はしつこく食いついた。</p>
<p>「＂思慕＂はわたしも考えました。たぶん、初めてだと思います」<br />
「じゃあ、それだ」一柳は病名を特定する医者のように断言した。</p>
<p>「否定はいたしません。たしかにわたしは、先生に対して<b>思慕の情</b>を抱いています。それなら伺いたいです。<b>思慕は愛とは違うのですか？</b>　愛は人を憂鬱な気分にしイライラさせるけど、思慕はそうならないということですか？」</p>
<p>「いや、それは…」一柳は答えられない。</p>
<p>愛由美ちゃん、いい質問だ。加えてすばらしい問題提起だ。と僕は思ったが、やぶ蛇になることを恐れて黙っていた。</p>
<p>「一柳さん、<b>あなたの負け</b>よ」玲子さんが調停をしてくれそうだ。</p>
<p>「何が負けって、ぜんぶ負け。あなたは愛由美ちゃんを子ども扱いしてるみたいだけど、<b>愛由美ちゃんはあなたよりずっとおとな。ちゃんと自分をわかってる</b>」</p>
<p>「あなたはまだわかってない。だいたい<b>40</b><b>も半ばにして初めて愛を知った情けない男が、偉そうに愛を語るんじゃないわよ。そんなことだから、夢からも女からも見放されるのよ</b>」</p>
<p>玲子さんはすごい。いつもなら僕が言うであろう文句を、僕より<b>まっすぐな力のある直球</b>でぶつけている。それでいい。こうして二人は、互いの愛を育てていくのだろう。</p>
<p>「ごめんなさい、玲子さん」一柳は萎れたキュウリみたいにヘナヘナになって謝った。そんな一柳に玲子さんは、私じゃなくて愛由美ちゃんに謝りなさいと命令した。</p>
<p>「愛由美ちゃん、ごめんなさい。40男にしてお子ちゃまのオレが、<b>もらったばかりの愛を見せびらかしたくて</b>、つい知ったかぶりをしちゃいました」</p>
<p>一柳がそう言うと、みんなが吹き出した。みんながお腹を抱えて笑った。</p>
<p>茂森愛由美は<b>一柳の言いかたが可笑しくて笑った</b>。玲子さんは<b>一柳の気持ちがうれしくて笑った</b>。そして僕は、<b>一柳と玲子さんの愛の成就をよろこんで笑った</b>。とにかく僕たちは、今日ここへきて初めて心から笑った。</p>
<p><b>笑いは心に余裕を生む</b>。笑ったおかげでお腹がすいていたことに、僕たちはようやく気づいた。ずっと重たい話が続いたせいで、だれも箸が進まなかったからだ。ご馳走はまだたっぷり残っている。</p>
<p>しばらくは他愛のない話をしながら、僕たちは次から次へと料理を平らげていった。</p>
<p>「ところで、<b>一柳さんと玲子さんの馴れ初め</b>をまだ伺っていませんよね」<br />
お腹が落ち着いたところで、茂森愛由美が興味津々といった様子で口火を切った。</p>
<p>「あっ、<b>一柳がなんで金持ちになるって喚き出したのか</b>も聞いてないぞ」<br />
半年前に持ち上がった、一柳の「<b>金持ち宣言</b>」を僕は思い出した。</p>
<p>「それはね…」一柳が言いかけると、玲子さんが遮った。</p>
<p>「待って。<b>一柳さんが役者の夢破れて実家に帰ってから、</b><b>10</b><b>年の歳月を経て再び上京し、ナレーターになった経緯</b>をまだ聞いていないわよ」</p>
<p>やれやれ、今夜はいくら飲んでも酔いそうにない。僕と一柳は、ご馳走に伸ばしかけた手を引っ込め顔を見合わせた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>（次回、<b>最終章「一流の証明」完結編</b>につづく）</p>
<p>&nbsp;</p>
<div class="point">
<h3><span>今日のボイスメモ、あるいは、声にまつわるささやかな教訓</span></h3>
<ol>
<li>異性の友人が<span style="color: #ff6600;"><b>「つきあってる人に会わせろ。見極めてあげるから」</b></span>なんて言ったら、その異性の友人は、実は<span style="color: #ff6600;"><b>友人として以上にあなたのことが好き</b></span>なんだって、知ってた？</li>
<li><span style="color: #ff6600;"><b>女性の35歳は女ざかり真っただ中</b></span>。はい、今ならよくわかります。</li>
<li>「<span style="color: #ff6600;"><b>出世払いでいいよ</b></span>」って言われても忘れちゃうよね。じゃあ出世しなかったらどうなの？って話。出世したかどうかは主観だし。あはは。大事なのは「<span style="color: #ff6600;"><b>借りは絶対に返せ</b></span>」ってこと。</li>
<li><span style="color: #000000;">よく聞く言葉。「<span style="color: #ff6600;"><b>男ってホント、鈍感な生きものよねぇ</b></span>」。じゃあ、敏感な男と付き合ってごらん。マジ、疲れるよ。<span style="color: #ff6600;"><b>現代を生き抜く上で必要な能力、それは「鈍感力」だ</b></span>。</span></li>
<li>ビビッとくる<span style="color: #ff6600;"><b>電撃的な出会い</b></span>ってあるよね。異性であれ同性であれ、その人はあなたのソウルメイトだよ。<span style="color: #ff6600;"><b>ソウルメイトはあなたの人生のカギを握る重要人物です</b></span>。</li>
<li><span style="color: #ff6600;"><b>異性問題で人生を狂わされる</b></span>なんて、バカだなって思うよね。でも、うまく立ち回れないバカは<span style="color: #ff6600;"><b>純粋</b></span>ってことじゃない？　うまく立ち回るお利口ちゃんは<span style="color: #ff6600;"><b>不純</b></span>ってことじゃない？　<span style="color: #ff6600;"><b>純粋に惚れて惚れられて、結果、人生が狂わされるなら本望じゃないか</b></span>。</li>
<li>自分で<span style="color: #ff6600;"><b>能動的</b></span>に選んで入った世界。人に言われて<span style="color: #ff6600;"><b>受け身的</b></span>に入った世界。<span style="color: #ff6600;"><b>ただなんとなくの流れ</b></span>で入った世界。動機は何だっていいんじゃない？　そこで<span style="color: #ff6600;"><b>自分の居場所</b></span>が見つけられれば。だって、<span style="color: #ff6600;"><b>自分らしくいられる場所を見つけることが、いちばん大変なんだから！</b></span></li>
</ol>
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		<title>第3話最終章　一流の証明（前編）</title>
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		<pubDate>Tue, 11 Nov 2014 03:18:46 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[kataribito]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[第3話　ボイスアクター編②　一流の証明]]></category>
		<category><![CDATA[アイドル声優]]></category>
		<category><![CDATA[アナウンサー]]></category>
		<category><![CDATA[アナウンサー試験]]></category>
		<category><![CDATA[インタビュアー]]></category>
		<category><![CDATA[テレビ局]]></category>
		<category><![CDATA[フリートーク]]></category>
		<category><![CDATA[声優デビュー]]></category>
		<category><![CDATA[外郎売]]></category>
		<category><![CDATA[大企業]]></category>
		<category><![CDATA[太宰治]]></category>
		<category><![CDATA[本格声優]]></category>
		<category><![CDATA[決め台詞]]></category>
		<category><![CDATA[演劇部]]></category>
		<category><![CDATA[翻訳家]]></category>
		<category><![CDATA[金の卵]]></category>

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		<description><![CDATA[宝石を散りばめたような美しさといわれる横浜の夜景が 視界いっぱいに広がった。 言わなければ。今だ。今、言うんだ！ 僕は大きく息を吸った。 （7章「一流の女性たち」のつづき） 地下鉄みなとみらい21線で新宿三丁目まで行き、 [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>宝石を散りばめたような美しさといわれる横浜の夜景が<br />
視界いっぱいに広がった。</p>
<p>言わなければ。今だ。今、言うんだ！<br />
僕は大きく息を吸った。<span id="more-297"></span></p>
<p>（7章「<a href="http://kataribito.net/03/03-7/">一流の女性たち</a>」のつづき）</p>
<p>地下鉄みなとみらい21線で新宿三丁目まで行き、そこから丸ノ内線に乗り継いで四谷三丁目に着いた。駅のアナログ時計の針は19時半を指していた。宴会を始めるには遅すぎず早すぎずの時間だ。</p>
<p>これからが大事な話になる。<br />
茂森愛由美にとって。それから一柳にとって、三条玲子にとって。<br />
もちろん僕にとっても。</p>
<p>半年前はまだ予兆に過ぎなかった四人の縁が動き出し、今その四人が<b>はじまりの場所</b>で一堂に会し、<b>今後の人生が大きく変わるだろう決断</b>を一人ひとりが下すのだ。僕は<b>出会いの不思議</b>を思わずにいられなかった。</p>
<p>店に到着すると、店長はじめスタッフのみんなから熱烈な「お帰りなさいコール」を浴びた。</p>
<p>いやな予感がした。賑やかしいクラッカー音で迎えられ、<b>「祝！声優デビュー！」</b>と書かれた垂れ幕が下がっているのではないか、という予感だ。店内を見回したが特別変わったことはなく、ほっと胸をなでおろした。</p>
<p>すぐに個室に案内され部屋に足を踏み入れると、いやな予感はやっぱり外れていなかったことを思い知った。床の間に大きなくす玉が仕掛けられていたのだ。僕は見なかったことにした。</p>
<p>「いやぁ、こんなご馳走を用意してもらって申し訳ないっす。愛由美ちゃんのお祝いに、オレたちまでご相伴にあずかって」</p>
<p>一柳はくす玉ではなく、テーブルに並んでいる大きな寿司桶やご馳走の数々が真っ先に目に入ったらしく、興奮して言った。</p>
<p>「何をおっしゃる。愛由美ちゃんが今日という日を迎えられたのは、一柳さんのおかげでもあります。その一柳さんの大切な方まで連れてきてくださって、今日はなんてうれしい日でしょう！」</p>
<p>山田店長はそう言って玲子さんに熱烈な握手を求めると、感激の面持ちで続けた。「一柳さんの初恋のお相手がどんな女性か、ずっとその話題で持ち切りでしたからね。もう想像どおりというか想像以上の麗しい方で、感激もひとしおです」</p>
<p>「ちょっと待ってくださいよ！」一柳が気色ばんで言った。「その話題で持ち切りって、どういうことすか？　いったいここは、プライバシーってものがないんすか！」</p>
<p>「プライバシーって、よくそんなことが言えたわね」<br />
玲子さんがすかさず切り返した。</p>
<p>「だったらなぜ私が、愛由美ちゃんのことを知ってたの？　店長さんだって、今日はじめてお会いしたとは思えないほどよ。それはなぜ？　ぜんぶあなたから聞かされていたからでしょ。あなたにプライバシーをうんぬんする資格はないの」</p>
<p>玲子さんのもっともな突っ込みに一柳はタジタジになって、例のごとく盛大な笑いでごまかしてから「ほら、この切り返し、語り人さんにそっくりでしょ」と僕を見てうれしそうに言った。</p>
<p>今日は店が立て込んでいるらしく、店長は「私はまたあとで少し参加させてもらいますが、みなさん遠慮しないでどんどんやってくださいね」と言って笑いながら出て行った。</p>
<p>「ちょっと一柳さん、今のは聞き捨てならないわね」<br />
玲子さんが突然、目くじらを立てて言った。</p>
<p>「もちろん、語り人さんと突っ込みどころが同じなのは光栄よ。でも、もしかしてあなた、語り人さんと切り返しがそっくりという理由で、私のこと好きになったわけ？」</p>
<p>玲子さんの追撃に一柳は、今度は真面目な表情で答えた。<br />
「それは確かにあるかもしれない。昔からオレを<b>本気で叱ってくれる人</b>は語り人さんだけだったから」</p>
<p>「まあ、それはいいわ。ごまかさないで率直に答えたことは評価してあげる。さっきも言ったように、これから一柳さんと語り人さんふたりの<b>事情聴取</b>に入るけど、その調子で頼むわよ。でもそのまえに」</p>
<p>そう言って玲子さんは、ずっと思いつめた様子の茂森愛由美に目をやった。<br />
「こっちの事情聴取が先かもね」</p>
<p>「語り人さん、愛由美ちゃんに何を言ったんすか？」一柳が真面目な顔で訊いた。</p>
<p>「おまえはもう気づいてるんだろう？　愛由美ちゃんの卒業後のことだ」と僕は答えた。</p>
<p>「卒業したら、ずっとおれのそばにいろって話？」玲子さんは声をオクターブ上げてはしゃいでみせたが「そんな雰囲気じゃないみたいね」と声のトーンを戻して言った。</p>
<p>「<b>事務所をやめろ。声優にはなるな</b>、でしょ？」一柳がぼそっと言った。<br />
「えっ、どういうこと？　ちょっと問題を整理させて」玲子さんが眉間に人差し指を当てて言った。</p>
<p>「その会社というか事務所？　事務所側にとって愛由美ちゃんは<b>金の卵</b>なわけよね。<b>アイドル声優</b>として大々的に売り出したい。でも愛由美ちゃんはアイドルじゃなくて、実力のある<b>本格声優</b>として認められたい。そのために今、語り人さんがバックアップしている。私の理解は間違っているかしら？」</p>
<p>「間違ってないよ。でも語り人さんはそもそも最初から、<b>愛由美ちゃんを声優にしたくなかった</b>んだよ」そう言って一柳は僕の目を覗き込んだ。<br />
「で、語り人さん、愛由美ちゃんをどうしたいんすか？」</p>
<p>「お嫁さんにしたい、じゃないのよね」と玲子さんが首を傾げた。</p>
<p>玲子さんの言葉に苦笑して僕は言った。「<b>声優をやめて就職するよう進言した</b>」</p>
<p>「先生」茂森愛由美がはじめて口を開いた。「先生ははじめから、わたしを、声優にするつもりはなかったのですね。それならどうして、レッスンをつけてくださったのですか？　教えてください」</p>
<p>「そうよ！」黙っていられないとばかりに玲子さんが割って入った。「レッスンをつけて、声優の仕事をさせて、そのデビューの日に、こんなデビュー祝いまでして、それで声優をやめろだなんて、そんな話聞いたことがないわ。ちょっと残酷なんじゃないかしら」</p>
<p>玲子さんの意見はもっともだった。</p>
<p>「今日、愛由美ちゃんがどんなにうれしかったか、どんなに幸せだったかわかります？　どんなに語り人さんを信頼し寄り添っていたか知ってます？　私は一緒にいて痛いくらい感じたわ。それなのに何？　同じ業界にいて愛由美ちゃんがアイドルになって、その事務所だかに奪い取られるのがいやなの？　オタクたちにもみくちゃにされるのが我慢ならないの？　それならそれで男らしく、おれのそばにいろって言えばいいじゃない！」</p>
<p>玲子さんの抗議は続いた。</p>
<p>「就職しろですって？　愛由美ちゃんが観覧車で聞きたかったのはそんな言葉じゃなかったはずよ。高いところまで上げておいて、直後に落として放り出して逃げ出そうなんて、無責任にもほどがあるんじゃない？　正直言って私、語り人さんを見損なったわ」</p>
<p>「いいかげんにしないか！」一柳が玲子さんに声を上げた。<br />
「語り人さんの真意も知ろうとしないで、勝手に先走るんじゃない！」</p>
<p>一柳の剣幕に玲子さんは驚いて息をのんだ。彼女はこれまで一度も、一柳に怒鳴られことなどなかっただろう。気づまりな沈黙のあと、一柳が照れ笑いのような表情を浮かべて言った。</p>
<p>「語り人さん、すみません。オレの連れ合いが失礼なことを言って」<br />
「いや、玲子さんの言うとおりだ。無責任と言われても仕方がない」</p>
<p>「そうじゃないっしょ」一柳はふっと笑ってから言った。<br />
「語り人さんの弱点その１、女ごころをわかってそうでぜんぜんわかってないこと。弱点その２、責任感が強すぎて相手をビビらせること。結果、その人の人生を変えてしまう」</p>
<p>一柳は続けて言った。「で、最後は責任をとって自分の人生まで変えちゃう。語り人さんはそんな人だ。オレのときもそうだった」</p>
<p>「まあ、その話はあとにしてと…」一柳は咳払いをして言った。<br />
「<b>アナウンサー</b>ですか？　<b>愛由美ちゃんをテレビ局に就職させようって魂胆</b>でしょ、語り人さん」</p>
<p>やっぱり一柳はお見通しだった。僕は肯いてから「愛由美ちゃん、すまない」と言った。茂森愛由美は俯いたまま何度も首を振った。</p>
<p>「でも、最初から考えてたわけじゃない。君の<b>能力と性格</b>を知れば知るほど、君を<b>声優という枠に嵌めること</b>に疑問を感じるようになった。ちょうどそんなとき、アナウンサー役の仕事がきた。これだと思った。それからは<b>アナウンサーの発声とイントネーション</b>を徹底的に叩き込んだ」</p>
<p>「なるほど。語り人さんにとっては好都合でしたね。自然の流れで<b>アナウンサーのトレーニング</b>に切り替えることができたわけっすから」一柳が僕の心情を代弁した。</p>
<p>「質問していいかしら」と玲子さんが言った。「そのまえに、語り人さん、先ほどはすみませんでした。語り人さんの真意を知りもしないで、失礼なことを言いました。申し訳ありませんでした」と神妙な顔をして頭を下げた。</p>
<p>「いえいえ、その率直さで引き続きよろしく」と僕は笑って返した。「それに、玲子さんの言ったことは半分当たってることを白状しますよ。ただそれを、僕の口から言わせないでもらえるとありがたい」</p>
<p>「言わなくてもわかりますよ。ね、愛由美ちゃん」そう言って玲子さんはうれしそうに茂森愛由美の顔を覗き込んだ。茂森愛由美は恥かしそうに俯いた。</p>
<p>「で、語り人先生、質問なんですけど、<b>声優のトレーニングとアナウンサーのトレーニング</b>って、どう違うんですか？」</p>
<p>ついさっき、ドスを聞かせた声で僕を責め立てていた人が、急に新入生のようなかわいらしい質問をしてきたことがなんとも可笑しかった。この人はたしかに一柳に合っているな、と僕は思った。</p>
<p>「基本的には<b>発声・発音</b>などのトレーニング方法は同じだよ。役者でもアナウンサーでも<b>＂外郎売＂</b>はやるからね」と僕は言った。</p>
<p>「あ、知ってる。＂拙者、親方と申すは＂ってやつでしょう」</p>
<p>「よく知ってるね、玲子さん」一柳が言うと「これでも高校で<b>演劇部</b>だったのよ。入りたくなかったけど、無理やり誘われてね」と玲子さんは、嫌な思い出でもあるのか顔をしかめて言った。</p>
<p>「言葉を正確に伝える。つまり、<b>日本語の</b><b>50</b><b>音を正しい明瞭な音で発声する点では、役者もアナウンサーも同じ</b>だよね。じゃあ、両者の決定的な違いは何か。愛由美ちゃん」僕は茂森愛由美に振った。</p>
<p>「はい。<b>役を演技で表現するのが役者で、情報を正確に伝達するのがアナウンサー</b>です。先生に何度も言われました。演技はエクスプレション（表現）でアナウンスはトランスミッション（伝達）だと」</p>
<p>「そうだね。だからトレーニング方法の違いを言えば、声優のトレーニングメニューから<b>＂演技＂</b>の項目を抜いて、たとえばそこに実況を伝えるための<b>＂フリートーク＂</b>を入れる」</p>
<p>「また、役者は役になりきるために<b>自分の感情を解放</b>しなければいけないけど、アナウンサーは逆だ。つねに<b>感情を抑制</b>し、あるいは感情を排して事実関係を客観的に伝えなければいけない。だから原稿の読み方はずいぶん違う」</p>
<p>「そうよね。犯罪のニュースやなんかで、アナウンサーが犯人を憎悪する口調で事件を伝えたり、被害者のために涙を流しながら原稿を読むなんて、見たことないものね」玲子さんの譬えはわかりやすい。</p>
<p>「まあ、アナウンサーの仕事にもいろいろあるから、感情を排するって一概には言えないけど。たとえばきょう吹き替えでやった<b>インタビュー</b>なんか、まさに<b>アナウンサーの腕の見せ所</b>だね。実に気持ちよく相手にしゃべらせていた。愛由美ちゃんは<b>翻訳</b>もやったからよくわかっただろう。<b>インタビュアーの質問の上手さ</b>が」</p>
<p>「はい。ゲストのプロフィールをとても綿密に調べ上げていたと思います。そのうえで通り一遍の質問ではなく一歩も二歩も踏み込んだ質問をして、それでいて<b>相手の魅力と満足度</b>を最大限に引き出しています」</p>
<p>「そのとおり。よくぞ聞いてくれましたって感じで、相手は膝を乗り出してうれしそうに答えている。これは<b>アナウンサーのインタビュー力</b>、つまり<b>聞く力</b>が優れているからだ。<b>一流の証し</b>だね」</p>
<p>ここで僕は、相手を納得させる<b>「決め台詞」</b>を言うために、丹田に気を込めた。</p>
<p>「愛由美ちゃんの能力はこのポジションでこそ活きると、僕は確信している。<b>声の演技にとどまる必要はない</b>と思う」</p>
<p>「先生」と茂森愛由美は涙声で言った「ごめんなさい。わたし、先生のお考えを何も理解できていなくて…。こんなわたしが、アナウンサーになれるでしょうか」</p>
<p>「だいじょうぶ、なれる。君は相手を喜ばせる<b>聞く力</b>を持っている。質問に対する<b>答える力</b>もある。それに」と僕は続けた。「僕の願いをかなえてくるって約束したじゃないか」</p>
<p>「すごいわ！　まさに<b>適材適所</b>じゃない。アナウンサーなら、アイドルだなんだって悩むこともないし、その美貌も<b>原稿読みのセンス</b>も、当たり前のこととして活かせるってわけね」</p>
<p>玲子さんは手を叩いて喜ぶと、何か疑問を感じたらしく首を傾げて言った。</p>
<p>「ところで一柳さんは、<b>語り人さんが愛由美ちゃんをアナウンサーにしようとしてる</b>って、なぜわかったの？」</p>
<p>「語り人さんはね、<b>タイミングを読む</b>人なんだよ」一柳はニヤリとして言った。</p>
<p>「半年前、ここで初めて愛由美ちゃんと会ったとき、オレたちは愛由美ちゃんのキラキラした笑顔と、立ち居振る舞いの<b>タイミングの良さ</b>に魅了された。それだけじゃなく彼女の<b>言葉使いのセンス</b>、<b>会話の間合いの良さ</b>に舌を巻いたんだ。<b>絶妙な間合いで繰り出される的確な質問や合いの手</b>で、オレも語り人さんも気持ちよくなって、気づいたら寸劇までやっちゃってた」</p>
<p>「<b>これは才能だ</b>と思った。でもこの才能は、とくべつ<b>声優に必須の能力</b>じゃない。語り人さんがそう考えてることが、オレにはわかったんだ」</p>
<p>「まあ、あなたちって本当に何でも分かり合うのね。まあいいわ。それで、愛由美ちゃんのその才能が<b>アナウンサー向き</b>だって思ったのね」</p>
<p>「オレはそこまで見抜けないよ。さっき、語り人さんと愛由美ちゃんの吹き替えを見てぴんときた。愛由美ちゃんは<b>声優としてアナウンサーを演じていたんじゃない。すでにアナウンサーだった</b>」</p>
<p>「どういうこと？」玲子さんの顏に？マークが浮かんだ。</p>
<p>「さっきも言ったろ。<b>語り人さんはこのアナウンサー役を利用して、愛由美ちゃんをアナウンサーに仕上げたんだよ</b>」</p>
<p>「えっ、なに？　じゃあ、<b>愛由美ちゃんは自分でも知らないうちにアナウンサーになってた</b>ってこと？　なんだか語り人さんって魔法使いみたいね。あっ、ちょっと待って」と言って玲子さんは目を輝かせた。</p>
<p>「そうすると今日は、愛由美ちゃんの<b>声優デビュー</b>であると同時に、<b>アナウンサーデビュー</b>の日でもあるのね」</p>
<p>「玲子さん、うまいこと言うね。それ、いただき！」一柳はそう言ってから立ち上がり、床の間に吊るされたくす玉に手をかけた。</p>
<p>「じゃあ、せっかくですから、やりますか」そう言って玲子さんに、店長を呼んでくるように、それからビールのおかわりをじゃんじゃん持ってくるように頼んだ。</p>
<p>「じゃんじゃんって、この宴席は店長のおごりなんだぞ。おまえは少しは遠慮しろ」と僕がたしなめると、一柳はぺろっと舌を出した。</p>
<p>茂森愛由美が立ち上がろうとすると、玲子さんは「あなたは主役なんだから、先生にくっついて座ってなさい」と笑顔で言った。</p>
<p>店長と茂森愛由美のバイト仲間が次々にやってきて、乾杯の準備を整えた。乾杯酒にはシャンパンが用意された。山田店長が乾杯の音頭をとった。</p>
<p>「<b>愛由美ちゃんの声優デビューとシャンパンスマイルに、シャンパンで乾杯！　おめでとう！</b>」</p>
<p>僕が命名したシャンパンスマイルは、茂森愛由美の代名詞としてすっかり定着していた。</p>
<p>茂森愛由美がくす玉の紐を引くと同時に、盛大なクラッカー音が鳴り響いた。ふたつに割れたくす玉から<b>「茂森愛由美</b><b> </b><b>祝！声優デビュー」</b>と大書された垂れ幕が下がった。つまり、すべてが僕の予想どおりだった。</p>
<p>この店のみんなが、茂森愛由美の<b>声優としての第一歩</b>を心からよろこんでいるのだ。僕は申し訳ないような複雑な気分だった。</p>
<p>茂森愛由美に<b>テレビ局のアナウンサー試験</b>を受験させることを山田店長に告げなければいけなかったが、それはまた別の機会にしようと思った。今夜、店は大忙しだ。店長はスタッフを引き連れて、早々とフロアに引き上げていった。</p>
<p>そこで待ってましたとばかりに一柳が訊いてきた。<br />
「で、語り人さん、どこの局を考えてるんすか。TBSあたりすか？」</p>
<p>「うん。民放ならね。でもおれは、<b>本命は</b><b>NHK</b>だと考えている」</p>
<p>「たしかに。NHKは愛由美ちゃんの大学の先輩もけっこういますよね」</p>
<p>「<b>ナレーションの達人</b>も多い。何より<b>語学力が大きな武器</b>になるはずだ。NHKは世界で活躍できる環境が整っている。アイドルに祭り上げられる心配もないし、インテリジェンスを嘲笑うバカもいない」</p>
<p>「ねえ、ちょっと待って」と玲子さんが割って入った。「その選択は文句なしにすばらしいと思う。でも本人の気持ちを差し置いて、あなたたちだけで決めちゃっていいわけ？　まず愛由美ちゃんの考えを聞くべきじゃないかしら。彼女にとっては寝耳に水の話なんだから」</p>
<p>「わたしは」と茂森愛由美は言った。「先生がそこまで、わたしのことを考えてくださっていたことが何よりうれしくて、幸せに思います。ですから、先生のお考えに従います」</p>
<p>「本音を聞かせて。本当はどうしたいの？」</p>
<p>「大学卒業後は就職しないで、先生の翻訳のお手伝いをさせていただきながら、先生のように、ナレーションを中心に声のお仕事をずっと続けていきたいです。レッスンも今までどおり続けたい」</p>
<p>「でしょうね。語り人さんのそばにいて、ずっと語り人さんと同じことをしていたい。それが本音よね」</p>
<p>玲子さんは茂森愛由美に同情の目を向けると、深い溜息をついてから思い切るように言った。</p>
<p>「でも私は、語り人さんの考えに賛成する。語り人さんは愛由美ちゃんが、愛由美ちゃんに相応しい場所に行くことを心から願っているのよ。それが最優先されるべきだって。本当は語り人さんだって…。わかるでしょ？」</p>
<p>俯いている茂森愛由美の目から大粒の涙がこぼれ、テーブルを濡らした。</p>
<p>「僕は愛由美ちゃんに…」不覚にも声が詰まり、ひとつ咳払いしてから僕は続けた。「<b>一流を知ってもらいたい</b>と思っている。だから、まずは<b>大きな組織</b>に身を置いてほしい。いわゆる<b>大企業</b>に」</p>
<p>「大企業の利点は言うまでもなくその<b>ブランド力</b>だ。社名を聞けば誰もが知っている。<b>知名度、貢献度、影響力、社会的責任</b>、それらを担う選良としての意識。つまり、優越も不安もひっくるめて肌で感じてほしい」</p>
<p>「<b>選ばれてあることの恍惚と不安ふたつ我にあり</b>」一柳が言った。</p>
<p>「<b>太宰治の言葉</b>ですね」茂森愛由美が引き取った。</p>
<p>半年前、太宰治は『走れメロス』と『人間失格』しか読んでいないことを恥じた彼女は、今では殆どの太宰作品を読破している。</p>
<p>「正確に言うと、<b>19</b><b>世紀フランスの詩人ヴェルレーヌの詩</b>の一節を、太宰が自分になぞらえて引用した言葉」と一柳が繋いだ。</p>
<p>「そう。<b>太宰の処女作品集『晩年』に収められている『葉』という短編</b>に出てくるヴェルレーヌの言葉だね。自分は文学者として<b>神に選ばれた人間</b>だ。そんな太宰の自負と気負いが横溢する作品になっている。でもヴェルレーヌはね…」</p>
<p>「語り人さん、講義はまたにしてくれますか」<br />
長くなりそうな僕の解説に一柳がストップをかけた。</p>
<p>「おまえがヴェルレーヌを持ち出すからだろ」<br />
だったらおれをのせないでくれ、と僕は一柳を睨んだ。</p>
<p>「いや、きっかをつくったのは愛由美ちゃんすよ。こうやって愛由美ちゃんは、オレたちをのせるんだ。アナウンサーでも報道記者でもどっちもイケるんじゃないすか」そう言って一柳は満足そうに頷いた。</p>
<p>「話を戻そう」と言って僕は続けた。</p>
<p>「<b>従業員３百人以上の大企業は、日本の企業全体の0.3％ といわれている。</b>その数字の理由を、内部から見極めてもらいたい。<b>大企業が大企業である所以</b>を、<b>一流が一流である証し</b>を、愛由美ちゃんに渦中で体験してほしいんだ」</p>
<p>「一流が一流である証し…」茂森愛由美は繰り返した。<br />
「そうだ。商品であれ、システムであれ、人であれ」<br />
「何年くらい、身を置けばそれがわかりますか」</p>
<p>「５年はいてほしい。<b>翻訳家</b>になるのも<b>ナレーター</b>になるのも、それからでも決して遅くない。いや、むしろそのほうが、よほどすごい翻訳ができるし、よほどすごい語り力が身につくはずだ。」</p>
<p>「わかりました」茂森愛由美は鼻をすすり、こくりと頷いて言った。「それが語り人さんの願いだとおっしゃるなら、私はそうします。アナウンサーになります。合格できれば、ということですけど」</p>
<p>「<b>大学の成績、容姿、適正、語学力、家庭環境</b>、どれをとっても落ちる理由は見当たらない。だいじょうぶ」</p>
<p>赤くなった鼻をハンカチで抑えながら、茂森愛由美はぎこちなく笑った。</p>
<p>「うんうん、愛由美ちゃんなら心配ないわよ。万が一落ちたら、うちの会社にいらっしゃい。私の権限をもって、私の部署に配属させるわ。任せなさい」と玲子さんは胸を叩いて言った。</p>
<p>玲子さんは<b>大手都市銀行の本社に総合職として勤務</b>する、バリバリのキャリアウーマンだ。さっきスタジオで、スイーツタイムのとき名刺をもらって、僕はびっくり仰天した。</p>
<p>しかも、あるセクションの<b>マネジャー職</b>にあるというから、一般企業では課長に相当するポジションだ。入社13年で年齢は35歳。大手銀行の総合職は出世に男女差はないことは知っていたが、それにしてもスピード出世だろう。</p>
<p>桜木町駅で最初に見たときの玲子さんの<b>第一印象</b>は、次のとおりだった。</p>
<p>年齢は20代後半に見えるが実年齢は30代半ば。人に命令することに慣れている。男には負けないわよという勝気な性質。これらはすべて当たっていた。でも銀行に勤務する会社員というのは意外だった。</p>
<p>「いちおう大企業の部類に入るから、いいですよね、語り人さん」</p>
<p>「それは本人に返答してもらおう」玲子さんの問いかけに、僕は茂森愛由美を促した。</p>
<p>茂森愛由美は玲子さんに感謝の言葉を丁重に述べてから「<b>保険はかけるな。これと決めたらよそ見はするな。ひとつことに集中しろ。</b>先生はそう仰ると思います」と言った。</p>
<p>「先生がだいじょうぶと仰るなら、わたしは安心して<b>アナウンサー試験の準備</b>に取り組むだけです」</p>
<p>「はいはい、わかったわ。まあ、息の合った師弟だこと」玲子さんは物分かりのいい親戚のおばさんみたいな言い方をした。</p>
<p>「じゃあ愛由美ちゃん、あなたはこれまで抱きつづけてきた夢を捨てて、語り人さんのお願いをきいてあげるんだから、遠慮しないであなたからもお願いしちゃいなさい」</p>
<p>「わたし、声優をやめても、大学を卒業しても、先生から卒業しませんから。今までどおりレッスンをつけてください。わたしを、テレビ局のアナウンサーにしてください。そして将来…」ここで言い淀んでから、茂森愛由美は言葉を継いだ。</p>
<p>「会社員を５年経験したら、わたしを、ナレーターにしてください。翻訳家にしてください。そして、いつも先生の近くにいさせてください。それが、わたしの願いです」</p>
<p>「<b>NHK</b><b>のアナウンサー</b>になるまでは全面的にサポートする。それは約束する」と僕は言った。「でも会社に入ったら、君には新たな世界が待っている。今からその先の未来を限定することはない」</p>
<p>「わたしは、自分の希望する未来を、今から限定したいんです。５年先、10年先の<b>未来予想図</b>を描いておきたいんです」</p>
<p>「ある詩人は言っている」と僕は言った。</p>
<p><b>未だ来ないものを人は創っていく<br />
</b><b>未だ来ないものを待ちながら<br />
限りある日々の彼方を見つめて<br />
人は生きていく</b></p>
<p>「<b>谷川俊太郎</b>ですね」と茂森愛由美は言った。</p>
<p><b>誰もきみに未来を贈ることはできない<br />
</b><b>なぜなら　きみ自身が未来だから</b></p>
<p>「ちょっと語り人さん。<b>詩の言葉の引用で事態を曖昧にしてはぐらかそうとする</b>の、私は好きじゃないな。自分の言葉で、具体的な返事をしたらどうかしら」と玲子さんは異議を唱えた。</p>
<p>「玲子さん、だいじょうぶです」と茂森愛由美は言った。「先生は、はぐらかしてなんかいません。今のわたしにぴったりの言葉をくださいました」</p>
<p><b>「きみ自身が未来なのに、何を今、未来のあれこれを限定する必要があるだろう。未来に繋がる今日を大切に生きること、それがきみ自身を創り、未来を創ることに他ならないのだから」</b><b></b></p>
<p>茂森愛由美は自分の言葉で、この詩を意訳した。<br />
「先生は、そうおっしゃりたいんだと思います」</p>
<p>「なんかあなたも、語り人さんと一柳さんみたいになっちゃったわね」<br />
玲子さんは僕と一柳を見て大きな溜息をついた。</p>
<p>ここで一柳が「うーん」と唸り声を発した。<br />
出た。一柳お得意の「まとめの言葉」が始まるタイミングだ。</p>
<p>「未来のことはある程度、曖昧にしておいていいんじゃないかな。どうせ、修正を余儀なくされるんだ。上方修正にせよ下方修正にせよ。会社の中長期計画みたいにね。<b>自分の人生は社長も株主も自分</b>だから、だれに気兼ねすることもない」</p>
<p>「わかったわよ。私だけ理系で分が悪いわ」と玲子さんは観念して言った。「まあ、私は愛由美ちゃんがよければいいのよ」</p>
<p>そう、玲子さんは<b>理系女子</b>なのだ。<b>偏差値最高クラスの私立大学の数学科</b>を出ている。これも驚いたことのひとつだった。</p>
<p>そのとき一柳がまた唸り声をあげた。まだまとめ足りないのかと思っていると意外なことを言った。</p>
<p>「分が悪いのはオレですよ。大企業どころか、オレだけ<b>就職未経験者</b>だもん。語り人さん、ズルいっすよ。なんで大学時代、オレに言ってくれなかったんすか！」一柳が恨みがましそうに言った。</p>
<p>「何をだよ？」と僕は訊いた。</p>
<p>「さっき愛由美ちゃんに言ったことっすよ。<b>大企業に潜入して</b><b>0.3</b><b>％という数字のトリックを見破ってこい</b>って」</p>
<p>「おれはそんなことは言っていない」呆れて僕は返した。<br />
「大企業で５年辛抱して働いて、それから劇団に行けば、オレの人生はもっとましなものになってたのになぁ」</p>
<p>「言ったよ。言ったけど、あのときのおまえは聞く耳を持たなかっただろ。<b>卒業したらすぐに劇団に入るんだ</b>って、それしか頭になかったじゃないか」と僕は反論した。</p>
<p>「もっと説き伏せてほしかったすよ。あーあ、あのときのオレはバカだったなぁ。<b>遊び人の役者バカ</b>」一柳はそう言って嘆息した。</p>
<p>しかし、そのあとすぐに切り替えてニヤリと笑った。「でも<b>語り人さんは、役者のオレに惚れた</b>んすよね」</p>
<p>「おまえ、誤解を招くようなことを…」僕は玲子さんの顔色を窺った。</p>
<p>「やっぱりあなたたち、<b>そういう関係</b>だったのね！」玲子さんの目が吊り上がった。</p>
<p>「オレね、<b>語り人さんにナンパされた</b>んだよ。<b>男にナンパされたのは初めて</b>だった」</p>
<p>「わかったわ。そろそろ、あなたたちの事情聴取に移ろうじゃないの」<br />
そう言って玲子さんは茂森愛由美を見た。「愛由美ちゃん、いいかしら」</p>
<p>「はい、わたしも、先生と一柳さんの大学時代のお話に興味があります」と茂森愛由美は目を輝かせて言った。「玲子さん、わたしは陪審員という立場でよろしいでしょうか」</p>
<p>「愛由美ちゃん、いいわね。その調子で頼むわ」そう言うと玲子さんは、容赦ない冷徹な検事のような皮肉な笑みを口の端に浮かべた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>（次回最終章「一流の証明（後編）」につづく）</p>
<p>&nbsp;</p>
<div class="point">
<h3><span>今日のボイスメモ、あるいは、声にまつわるささやかな教訓</span></h3>
<ol>
<li>出会いが人を動かし道を開くきっかけとなる。求めれば必ず出会える。<span style="color: #ff6600;"><b>笑顔でいなさい。素直でいなさい。懸命でありなさい。誠実でありなさい。</b></span></li>
<li>もう一度言う。笑顔でいなさい。素直でいなさい。懸命でありなさい。誠実でありなさい。それが<span style="color: #ff6600;"><b>愛される条件</b></span>だ。芸能の世界だけではない。どこにいようと、<span style="color: #ff6600;"><b>生きるという営み自体が「人気商売」</b></span>なのだ。<span style="color: #ff6600;"><b>愛される人になりなさい。そしてそれ以上に、愛する人になりなさい。</b></span></li>
<li>スクールや養成所に行っていることでやっている気になっている人が多い。<span style="color: #ff6600;"><b>生活のためのアルバイトや仕事を言い訳にして、日々の勉強やトレーニングの時間をつくれない人</b></span>が、どうして<span style="color: #ff6600;"><b>その道のプロ</b></span>になれるだろうか。</li>
<li><span style="color: #ff6600;"><b>「聞くために話す」</b></span>人と<span style="color: #ff6600;"><b>「話すために聞く」</b></span>人がいる。立て板に水のごとく一方的にしゃべって相手を説得してしまう人を<span style="color: #ff6600;"><b>「話上手」</b></span>とは言わない。それは単に<span style="color: #ff6600;"><b>「口がうまい」</b></span>だけだ。</li>
<li>物語の性質上、ここでは登場人物のひとりに大きな組織、大企業に入ることを推奨しているが、これはあくまで一例に過ぎない。零細・中小企業には、大企業にはない良さがある。それは主に、<span style="color: #ff6600;"><b>部分ではなく全体に携わる仕事ができる</b></span>ことだ。そして言うまでもなく、ここにも一流が存在する。<span style="color: #ff6600;"><b>一流＝大組織ではない</b></span>。</li>
<li>出あって別れて、泣いて笑って、愛して憎んで…。始業と卒業、期待と諦観、希望と絶望、夢と現実、勤勉と怠惰、謙虚と傲慢、尊敬と軽蔑、集中と散漫、注目と無視、理解と誤解、前進と後退、勇気と臆病、善意と悪意、決断と我慢、勝利と敗退…。<span style="color: #ff6600;"><b>逆転現象</b></span>はいつだって起こるんだ。でも、<span style="color: #ff6600;"><b>人生はいくらでも修正がきく</b></span>のだよ。だって、<span style="color: #ff6600;"><b>自分が主人公</b></span>だもん。</li>
</ol>
</div>
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		</item>
		<item>
		<title>第3話7章　一流の女性たち</title>
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		<pubDate>Mon, 06 Oct 2014 08:19:27 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[kataribito]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[第3話　ボイスアクター編②　一流の証明]]></category>
		<category><![CDATA[みなとみらい]]></category>
		<category><![CDATA[オラクル]]></category>
		<category><![CDATA[キュー出し]]></category>
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		<category><![CDATA[神セブン]]></category>
		<category><![CDATA[美少女フィギュア]]></category>

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		<description><![CDATA[そのとき突然、一柳が振り向いたので目が合ってしまった。一柳は少し驚いた表情を見せたが、横にいる茂森愛由美の存在に気づくと、さらに驚いた顔をした。 「おやおや」と一柳は言った。 「おやおや」と負けずに僕も返した。 （6章「 [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>そのとき突然、一柳が振り向いたので目が合ってしまった。一柳は少し驚いた表情を見せたが、横にいる茂森愛由美の存在に気づくと、さらに驚いた顔をした。<br />
「おやおや」と一柳は言った。<br />
「おやおや」と負けずに僕も返した。<span id="more-286"></span></p>
<p>（6章「<a href="http://kataribito.net/03/03-6/">一流の選択</a>」のつづき）</p>
<p>「語り人さん直々のお出迎え、まことに痛み入ります。しかも目の覚めるような麗人もご一緒とは、なんとも光栄の至りです」</p>
<p>驚いたときいつもそうするように、一柳は慇懃な態度でおどけて言った。</p>
<p>「何をおっしゃる。<b>赤坂・汐留近辺</b>をワーキングスペースとする貴君を<b>横浜</b>くんだりまで呼びつけたんだ。このくらいの歓迎は当然だ」</p>
<p>そう言って僕も応戦した。「しかも、やんごとない同伴者もおいでとは、貴君も隅におけない。ぜひご紹介賜りたい」</p>
<p>「あーはっはっはー！」一柳は得意のごまかし笑いをした。<br />
「あーはっはっはー！」僕は苦手のごまかし笑いをした。</p>
<p>「いつもそうやって、ふたりで遊んでるんですね」</p>
<p>一柳の連れの女性が口を開いた。<b>人に命令や指示を出すことに慣れている声と物言い</b>だ。</p>
<p>「あ、失礼。私、<b>三条玲子</b>と申します。三つの条件の三条に、王ヘンの玲子です。今日はお仕事の現場にのこのこついてきてすみません。私が一柳さんにお願いしたんです。語り人さんにぜひお会いしたいと」</p>
<p>「は？　僕に、ですか？」僕は素っ頓狂な声を上げたはずだ。<br />
「ええ、そうです。一柳さんの話に一番多く登場するのが語り人さんなんです。彼はあなたのことになると、とてもうれしそうにイキイキ話すので、どうしてもお会いしたくなりました」</p>
<p>「一柳をもっとよく知るために、ですか？」と僕は訊いてみた。<br />
「失礼ながら、おっしゃるとおりです」<br />
「なるほど。<b>どんな人物かを知るにはその人の友を見よ</b>、ですね」</p>
<p>「気分を害されたのなら謝ります」<br />
「とんでもない。<b>率直さは一番の美徳だ</b>と僕は考えています。だから遠慮なく、その調子で」僕は笑って言った。「率直さにかけては僕も一柳も相当なものです<span style="color: #000000;">。だから<strong>敵は多く友達は少ない</strong></span>」</p>
<p>「想像どおりの方ですね、語り人さんは。安心しました。それから、たぶん間違いないと思うのですが、そちらのお嬢さんは茂森さんですね」と三条玲子は一柳ではなく、僕と茂森愛由美を見て言った。</p>
<p>一柳が茂森愛由美のことまで彼女に話していたことに、僕は少なからず驚いたが、当の本人はいたって素直にあの<b>シャンパンスマイル</b>で対応した。</p>
<p>「はい。はじめまして。茂森愛由美と申します。一柳さんとは一度お会いしただけですが、語り人先生からいつも聞かされていますので、よく存じ上げております。その意味では三条さんとおなじですね」</p>
<p>茂森愛由美の発言に、三条玲子は初めてにっこり笑って言った。<br />
「本当に素敵な女の子。ふたりの中年男が夢中になるのも無理ないわね」</p>
<p>「いや、おれは違うよ。おれが夢中なのはあなただけだ」<br />
ここでやっと一柳が口を開いたが、三条玲子はその<strong>甘いセリフ</strong>をスルーして意外なことを言った。</p>
<p>「やっぱり、語り人さんは茂森さんの先生になっていたのね。すごい！　一柳さんの<b>予言どおり</b>だわ」</p>
<p>「<b>予言</b>って、一柳、どういうことだ？」僕は一柳に詰め寄った。<br />
「ていうか、あの状況から<b>当然の帰結</b>でしょう」</p>
<p>「あの日のおまえは、三条さんのことで頭がいっぱいだったはずだ。でも結局、何も話してくれなかった。名前だって今はじめて聞いた」<br />
「カチカチ山のメタファから<b>心理分析</b>をして、おれの<b>病状</b>を言い当てたじゃないすか」</p>
<p>「そのくらいわかる。<b>おまえの心は、ただ一人の女性への想いで溢れていた。そしてその女性のために、変わろうとしていた</b>」</p>
<p>「でもあの日<b>あの場所にもう一人、変化を必要としてる人が現れた</b>」</p>
<p>「わたしのこと、ですね？」一柳の言葉に茂森愛由美が敏感に反応した。<br />
「そう。<b>君は語り人さんを求めるはずだし、語り人さんは君をほうっておかないだろう</b>と思った」</p>
<p>「おいおい、だから三条さんのことを打ち明けるのをやめたっていうのか」<br />
「そうっす。しばらくは二人の問題に集中させてあげようと思ったんすよ」<br />
「余計なことを」僕はため息を吐いた。</p>
<p>「お互いが相手を思いやっていたって話ね。まあ、<b>美しい友情</b>だわ」<br />
三条玲子はそう言うと、一柳と僕をそれぞれ睨みつけてからまた言った。</p>
<p>「それはそうと、私たち相当目立ってるわよ。いつまで私と茂森さんをここでさらし者にする気？　<b>夢中になると周りが見えなくなる</b>。本当にお子ちゃまなんだから」</p>
<p>「ごめんなさい」一柳と僕は同時にお子ちゃまらしく謝った。<br />
茂森愛由美がクスクス笑って言った。「先生、あと5分で2時です」</p>
<p>「やばい。一柳、着いたらすぐ<strong>本番</strong>だぞ」<br />
「うーっす」</p>
<p>スタジオに入ると、寺さんが<b>父親みたいな顔をして待ちかまえていた</b>。<br />
「遅いから心配したよ。デートには時間が足りなかっただろうけどさ」</p>
<p>「寺さん、からかわないでくださいよ。一柳と駅でばったり会って、ちょっと立ち話が長話になってしまって…」彼女の父親に言い訳するみたいに僕はしどろもどろになった。</p>
<p>「寺さん、お久しぶりです！」一柳が声をかけた。<br />
「一柳くん、久しぶり！　何年ぶりかな、４～５年は会ってないよね。ちょっとオジサンになったけど、相変わらず二枚目だね」</p>
<p>「寺さんもお元気そうで。相変わらずフィギュア作ってますか。今日は<b>文句なしのモデルがきた</b>って興奮してるんじゃないっすか？」</p>
<p>「一柳くん、なんでわかるの？」<br />
そう言って寺さんは、茂森愛由美をチラリと見て赤面した。それから一柳のうしろにいる三条玲子に目をとめた。</p>
<p>「今日はいったいどんな日よ！　べっぴんさんばっか現れてさ」</p>
<p>「おじゃまします。三条と申します。今日は<strong>一柳さんの付添人</strong>という位置づけでお願いします」</p>
<p>「ああ、<strong>一柳くんの彼女</strong>という位置づけね。お似合いだよ」<br />
寺さんは三条玲子と一柳をかわるがわる見て、納得したように言った。</p>
<p>「あ、それからこれ、一柳さんからお好きだと伺ったので」<br />
そう言って三条玲子は、寺さんに持参したみやげを手渡した。<br />
「麻布十番の有名なケーキ屋のチーズケーキです。私も大好きです」</p>
<p>「知ってる！　知ってるけど、まだ食べたことなかったさ。うれしいなあ。ありがとう！　あとでみんなでいただこうよ。茂森さんも、なんかおいしそうなもの持ってきてくれたんだよ」そう言ってスイーツ大好き寺さんは、女の子みたいに喜んだ。</p>
<p>知らなかった。こうした気遣いがさりげなくできる茂森愛由美が頼もしくも誇らしく思えた。もちろん三条玲子もさすがだ。</p>
<p>早くスイーツにありつきたい寺さんが号令をかけた。<br />
「準備はできてるよ。いつでもOK」</p>
<p>「さあ一柳、いくぞ。よろしく頼む」<br />
「ほーい。よろしくっす」</p>
<p>ふたりでブースに入り、<b>分厚い台本</b>をページめくりしやすいように整理していると、茂森愛由美がお盆に乗せてコーヒーを運んできた。</p>
<p>「ありがとう、ちょうど飲みたかった」僕は彼女の気遣いに感謝した。<br />
「さすが茂森さん、相変わらずのグッドタイミング」一柳がウインクした。</p>
<p>「おふたりの掛け合いをこうしてまた見ることができるなんて、わたし、うれしいです。ドキドキしています。しっかり勉強させていただきます！」<br />
茂森愛由美の素直さに僕たちは笑顔で応えた。</p>
<p>さあ、いよいよこの瞬間が訪れた。<br />
<b>ビル・ゲイツとウォーレン・バフェットの対談</b>。</p>
<p>僕がゲイツをやり、一柳がバフェットをやり、<br />
そして茂森愛由美が女子大生をやる。</p>
<p>さまざまなシーンが頭の中を去来した。</p>
<p><b>茂森愛由美にまっさきに知らせたときのこと。<br />
バフェットの声を一柳に依頼したときのこと。<br />
翻訳に頭を悩ませながらも楽しく充実した日々のこと。<br />
茂森愛由美に何度も読み直しを命じた濃密なレッスン。</b></p>
<p>寺さんの<b>キュー出し</b>が耳に飛び込んできた。<br />
「それじゃあ、絵を流しまーす。本番、さん、に、いち…」</p>
<p><b>（レコーディング中）</b><b></b></p>
<p>「ストップ！　ちょっとごめん、止めてください。寺さん、すみません」</p>
<p>噛んだわけでも間違ったわけでも、<b>リップシンク</b>がずれたわけでもない。<br />
それは完璧だった。さすが一柳だ。しっかり合わせてきている。</p>
<p>それでも僕は止めた。<b>このままではだめだと思った</b>からだ。</p>
<p>一柳はダミ声を作ってバフェットを巧みに演じていた。<br />
でも違う。それはバフェットじゃない。僕は一柳に言った。</p>
<p>「一柳、なんか違うよね」<br />
「うん。オレもそう感じてるっす」<br />
「バフェットはこのとき何歳だ？」<br />
「あっ…」</p>
<p>「この対談当時、バフェットは70歳だ。もちろん年齢のわりに<b>旺盛な生命力を持った怪物</b>だ。でも声をよく聴いてみろ。単なるダミ声じゃない。独得の＂<b>枯れ感</b>＂がある」</p>
<p>「<b>枯れ</b>」とは<b>人間的な深み</b>のことだ。酸いも甘いも噛み分けた<b>円熟の極み</b>にある人。それが「<b>オラクル（預言者）</b>」と呼ばれるウォーレン・バフェットなのだ。その枯れが、あたりまえだけど一柳にはない。</p>
<p>「枯れが出ないとバフェットにならないぞ。わかるな」<br />
「わかります。今のオレじゃとても無理だってことっす。<br />
でも無理を承知で、少しでも枯れてみせましょう」</p>
<p>「もうひとつ。これが<b>一番大事なこと</b>だ」僕は笑って言った。<br />
「映像との呼吸は合ってる。でも<b>おれたちの呼吸が合っていない</b>。<br />
<b>お互いが一人プレイしている</b>。いつものおれたちでいこうぜ」</p>
<p>「了解っす！」</p>
<p>「寺さん、すみません。もう一度、頭からお願いします」<br />
「はいよ！」</p>
<p><b>（レコーディング中）</b><b></b></p>
<p>「<b>はい、</b><b>OK</b><b>。いただきー！</b>」寺さんの威勢のいい声。<br />
「少し休むかい。それとも続けていくかい。学生さんのセリフ」</p>
<p>「続けてお願いします。さあ愛由美ちゃん、出番だ！」</p>
<p>防音ガラスの向こうのMAルームのソファに、三条玲子と並んで座って祈るように胸の前で手を組み、僕と一柳の吹き替えを見守っていた茂森愛由美は「はい！」と返事をして立ち上がった。</p>
<p><b>（レコーディング中）</b></p>
<p>学生のセリフはあまり流暢になってはいけない。現役女子大生の茂森愛由美は、そのへんのさじ加減を心得ていた。さっきの<b>アナウンンサーしゃべり</b>はどこにもなく、<b>等身大のリアルな女子大生</b>を演じた。</p>
<p>僕と一柳の学生役はどうだったか。年齢的にちょっとキツイんじゃないの？　そう思われるかもしれないが、そんなことはない。<b><b>僕たちはプロだ。</b>いろんな声を持っている</b>。</p>
<p>声だけじゃない。読者もすでにおわかりのように、僕たちはいまだ<b>悩める青二才</b>だ。三条玲子から＂<b>お子ちゃま</b>＂と断じられるほどの<b>未熟者</b>なのだ。その意味で、ゲイツやバフェットといった超大物よりよほど<strong>身の丈に合っていた</strong>かもしれない。</p>
<p>「<b>はーい。オール</b><b>OK</b><b>。ぜーんぶ、いただきましたー！</b>」<br />
「ありがとうございます。寺さんもお疲れさまでした！」</p>
<p>すべての収録が終わり、僕たち５人はテーブルを囲んで談笑した。寺さんお待ちかねの<b>スイーツタイム</b>だ。</p>
<p>三条玲子は「みなさんは休んでいてください。私は何もしていないから」と、コーヒーの用意をしたり皿を並べたりケーキを切り分けたりと、甲斐甲斐しく立ち働いた。茂森愛由美も加勢した。</p>
<p>「寺さん、血糖値はだいじょうぶなんですか」と僕が訊くと、寺さんは「これは<strong>別腹</strong>さ」と意味不明なことを言って、<b>麻布十番名物のチーズケーキ</b>と、茂森愛由美が買ってきた<b>近所で評判のケーキ屋さんのショートケーキ</b>に貪りついた。</p>
<p>「そうそう、一柳くんも三条さんも聴いてなかったね。午前中にやった、語り人くんと茂森さんの吹き替え。もう<b>神がかってる</b>っていうかさ、<b>鳥肌もん</b>だよ」そう言いながら寺さんは、ロビーにある大きなスクリーンに再生した。</p>
<p>「すっごい。何だか<b>愛を感じる</b>わね。ふたりの<b>師弟愛</b>？　それとも…」<br />
三条玲子が映像を見ながらポツンと言った。茂森愛由美は赤くなって俯いた。</p>
<p>「今日の吹き替え、<b>だれが一番ハマってたか</b>って、やっぱ茂森さんだよね。びっくりした。語り人さん、短期間でよくここまで仕上げたっすね」</p>
<p>「彼女の<b>才能と努力と素直さの勝利</b>だ」一柳の感想に僕はひと言で答えた。</p>
<p>「<b>台本も見ないで一度も噛まずにぴったりアテちゃう</b>んだもん。おれもびっくりしたさ。今の女子大生の役なんか、またガラっと変わってさ。語り人くんと一柳くんと同じで、<b>憑依体質</b>なんだね。<b>天才肌</b>というかさ」寺さんがあらためて茂森愛由美を大絶賛した。</p>
<p>「いや、オレなんかダメっすよ。ぜんぜん<b>バフッェトじゃなかった</b>し、<b>バフェットになれなかった</b>。語り人さん、ほんとすみません」</p>
<p>そう言ってがっくりうなだれる一柳に、同じくがっくりうなだれて僕は言った。</p>
<p>「おまえに偉そうにダメ出ししちゃったけど、おれだって同じだ。<b>ゲイツは今日、最後までおれの中に入ってきてくれなかった</b>。愛由美ちゃんは気づいたはずだ」</p>
<p>「たしかに今日の先生は練習のときと違っていました。でもわたし、ずっと映像の顏だけを見ていたのですけど、<b>本当にゲイツがしゃべってる</b>って錯覚するほどでした。それは一柳さんのバフェットも同じです。やっぱりすごいです」</p>
<p>「私なんかが口を挟むことじゃないけど、茂森さんと同意見ね」三条玲子が言った。「途中から吹き替えということを忘れて、とにかくふたりの話に引き込まれたわ。<b>ゲイツもバフェットも、ふつうに日本語をしゃべるんだ</b>って、そんな感じ。それは茂森さんもそうよ」</p>
<p><b>二人の心優しき女性</b>はそう言ってフォローしてくれたが、一柳も僕も自分が一番よくわかっていた。</p>
<p>一柳は<b>技巧派</b>だ。確かにうまい。だがやっぱり<b>ミスキャスト</b>だった。彼はいま<b>恋する少年</b>だ。もっと年配の<b>「枯れた演技」</b>が難なくできる声優を、起用するべきだったのだ。</p>
<p>そして僕はといえば、当時のゲイツと同年代だし、彼のパーソナリティを表現することは特別むずかしくはない。僕は<b>ゲイツを完全に自分のものにしていた</b>はずだ。でも本番で<b>役に入りきれなかった</b>。</p>
<p>理由はわかっている。本番前にいろいろありすぎて、僕は明らかに<b>集中力を欠いていた</b>。</p>
<p>午前中の茂森愛由美との収録で<b>燃え尽きてしまった</b>のかもしれない。そのあとの横浜散歩で<b>心が揺れてしまった</b>のかもしれない。そして、強烈な個性を放つ三条玲子の出現に<b>うろたえてしまった</b>のかもしれない。</p>
<p>言い訳はよそう。僕も一柳も<b>腑抜け</b>になってしまったのだ。<b>心が乱れて演技に集中できない</b>まま、それを<b>口先の</b><b>テクニックで補おうとした</b>。それが<b>「役を生きる」</b>ことができなかった現因だ。</p>
<p>「まあ、そんなに落ち込まないで。語り人くんも一柳くんも、一度も<b>合わせ稽古</b>してないんだろう？　それであれだけ呼吸が合ってんだもん。さすがだよ。<b>これは二人にしかできなかった</b>さ」今度は寺さんがフォローしてくれた。</p>
<p>「それです。合わせ稽古もしないで、<b>ぶっつけ本番</b>でこんな大物の吹き替えに挑むこと自体、大きな間違いだったんす。オレ、傲慢だったっす」</p>
<p>「<b>いや、演出家としてのおれの責任だ</b>」</p>
<p>そう言って僕たちがおのおの<b>自責の念</b>に打ちひしがれていると、三条玲子が急に立ち上がった。</p>
<p>「<b>いい大人の男が二人して、いつまでぐじぐじ言ってるの！　いいかげんになさい！</b>」</p>
<p>三条玲子の声がスタジオ中に響き渡り、場の空気が一瞬にして凍りついた。</p>
<p>「あーはっはっはー！」一柳は再び盛大な<b>ごまかし笑い</b>をした。<br />
「あーはっはっはー！」僕もこのときばかりは一柳にならった。</p>
<p>「あーはっはっはー！」<span style="color: #000000;">なぜか寺さんまで笑い出した。</span><br />
「<b>すんげえ！　三条さんに一本、だね！</b>」</p>
<p>「あーはっはっはー！」<span style="color: #000000;">最後は５人全員の<b>本気笑い</b>。</span><br />
そう、<b>笑いは伝染する</b>のだ。</p>
<p>このとき僕は、<b>一柳が三条玲子に惚れた理由</b>がはっきりわかった。</p>
<p>大好きなケーキをお腹いっぱい食べてご満悦の寺さんが、急にモジモジしはじめた。そろそろ<b>あの件を切り出したい</b>のだな、と僕は思った。</p>
<p>「ところで語り人くんさあ…」みんなが寺さんに注目した。<br />
「あのさあ、茂森さんに訊いてもらえないかな…」</p>
<p>「ああ寺さん、茂森さんに<b>フィギュアのモデル</b>になってもらいたいんでしょ」一柳が寺さんの切なる願いを単刀直入に口にしてしまった。</p>
<p>僕は茂森愛由美に、そして何の話かさっぱりわからないだろう三条玲子に、寺さんの<b>「美少女フィギュア」</b>の栄光とその歴史について説明した。（なんでおれがプレゼンしなきゃならないんだ？）と頭の片隅で思いながら。</p>
<p>寺さんの<b>聖域</b>である<b>「フィギュアコーナー」</b>の上座にまします<b>30</b><b>体の美少女フィギュア</b>を見て、三条玲子が驚嘆の声を上げた。</p>
<p>「すっごいリアル！　<b>生きて呼吸してる</b>みたい。もはや<b>人形の域を超えてる</b>わね」</p>
<p>「<b>ピグマリオン</b>が自ら彫った<b>彫像に恋をして命を吹き込んだ</b>ように、あるいは<b>仏師が仏像に霊験を封じ込める</b>ように、寺さんは<b>自分が作ったフィギュアに、人格と感情と心を付与する</b>能力を持ってるんだよ」と僕は言った。</p>
<p>「へえ、<b>人格と感情と心</b>ねえ。たしかに感じるわ。どれも<b>上っ面だけの典型化された美少女</b>じゃないもの。ところでピグマリオンって<b>ギリシャ神話</b>よね。どんなお話だっけ」三条玲子は俄然、興味を持ったようだ。</p>
<p>「ピグマリオンは<b>ギリシャ神話に登場するキプロス王</b>の若き日の名前だよ」<br />
一柳が解説を引き受けてくれるらしい。</p>
<p>「一柳、<b>ナレーション風</b>に頼む」と僕は注文をつけた。<br />
「了解。やってみるっす」と一柳は応え、鼻で息を吸って丹田に溜め込んでから静かに語り始めた。</p>
<p>「あることがあって<strong>女性不信</strong>に陥り、ずっと独身を通してきたピグマリオンは、<b>彫刻の名手</b>として知られていた。あるとき、<b>美と愛の神ヴィーナス</b>の姿をモチーフにして、自分の<b>理想の女性像</b>を彫った。</p>
<p>それはあまりに素晴らしい出来栄えで、<b>ピグマリオンはその像に恋をしてしまう</b>。そして、<b>この乙女を妻に迎えたいと強く願う</b>ようになる。毎日毎日、像に話しかけ、寝食を忘れて磨き上げた。</p>
<p>これを見た女神ヴィーナスは、ピグマリオンの深い想いに心を打たれ願いを聞き入れる。<b>彫像は生きた娘になり、そうして二人は結ばれた</b>のである」</p>
<p>一柳が大きく息を吐き、エンディングを迎えた。<br />
「はい、OK！　いただき！」と僕は言った。<br />
「すごい、すごいです！」と茂森愛由美は手をたたいて喜んだ。</p>
<p>「ふつうにピグマリオンのこと教えてくれればいいのに、まったくあなたたちときたら、どうしていつもそう大袈裟なの！」三条玲子は怒った顔をして憎まれ口を叩いたが、その目は潤んでいた。</p>
<p>そのとき寺さんが唸り声をあげた。寺さんにとってはピグマリオンの話などどうでもいいのだ。「で、あの…語り人くん、フィギュアの件だけど、どうかな…」</p>
<p>「寺さん、もう打ち解けたでしょ。本人に直接、訊いてみればいいじゃないすか」一柳がそう言うと、寺さんは恥かしそうに頭を掻いた。</p>
<p>茂森愛由美も黙ったまま、恥かしそうに俯いている。僕が代弁した。<br />
「寺さん、愛由美ちゃんはね、<b>アイドル</b>とかそういうの苦手なんです」</p>
<p>彼女がフィギュアになってここに陳列されネットに上がれば、間違いなく話題になるだろう。もう３年、寺さんは<b>美少女フィギュア</b>を誕生させていない。そう、マニアたちは寺さんの<b>新人美少女アイドル</b>を待ちわびているのだ。</p>
<p>「いや、アイドルとかそういうのを、おれは作ってるわけじゃないよ。<b>人気投票</b>とか<b>センター</b>とか<b>神セブン</b>とか、そんなことおれには興味ないし、頼んだ覚えもないさ。おれはただ、おれがビビッときた女の子の今の輝きを、そのまま写し取りたいだけなんだ」</p>
<p>わかっている。寺さんに他意はない。もしも寺さんが<b>写真家だったら思わずシャッターを切った</b>だろうし、<b>画家だったら夢中で絵筆を走らせた</b>だろう。それだけのことだ。寺さんはそういう人なのだ。</p>
<p>「<b>作ってください！</b>」</p>
<p>茂森愛由美と僕が、ほぼ同時に口を開いた。驚いて僕たちは顔を見合わせて苦笑した。寺さんと一柳と三条玲子もびっくりして、次の言葉を待った。</p>
<p>「ただし」と僕が言った。「<b>公開はしないでほしい</b>」</p>
<p>「いいよ」と寺さんは迷わず即答した。「<b>おれは<b>作れればいいんだから</b></b>さ。完成したら語り人くんに預ける。それでいいよね？」<br />
「寺さん、すみません」僕は寺さんに頭を下げた。</p>
<p>「ちょっと待ってくださいよ、語り人さん」一柳が口を挟んだ。</p>
<p>「茂森さんは<b>これから声優としてやっていく</b>んでしょ？　だったら寺さんのフィギュアになることは、<b><b>声優としてまたとないチャンス</b></b>というか、<b>大きな宣材</b>になるんすよ。寺さんの<b>美少女フィギュア</b>にはそれだけの力がある。語り人さん、わかってますよね！」</p>
<p>「わかってるよ、そんなこと！」僕はムキになって返したが、一柳は負けじと冷静に状況を分析した。</p>
<p>「アイドルとかそういうのが苦手って、茂森さんは好むと好まざるとにかかわらずその路線でしょう？　そろそろ<b>ジュニアランク</b>に上がるはずっす。そうすると事務所は、彼女をバンバン売り出しますよ。ほうっておくわけがない」</p>
<p>「それって、いわゆる<b>アイドル声優</b>ってこと？」三条玲子が訊いた。</p>
<p>「愛由美ちゃん、みんなに話してもいいかい？」<br />
僕の問いかけに彼女はこくりと頷いた。</p>
<p>「半年前、<b>事務所サイド</b>からすでにその話は出てたんだ。でも彼女はそれを拒否した。<b>自分はそういうことをやりたいんじゃない</b>ってね。そうしたら鼻で笑われたそうだ。<b><b>演技もろくにできないくせにインテリぶるんじゃない</b></b>。<b>きゃあきゃあ言って笑ってりゃいいんだ</b>って」</p>
<p><b>大手声優事務所がアイドル声優として売り出してくれる</b>。どれだけの新人がこのポジションを望んでいるだろう。席はほんのわずか。そのわずかな特等席を、茂森愛由美は自らの足で蹴ったのだ。</p>
<p>しかし<strong>業界の名誉</strong>のために言っておく。茂森愛由美に対する<b>事務所のマネジメント方針</b>は決して間違ってはいない。客観的にはしごく当然の判断だろう。彼女の主観がそれを許さなかっただけだ。</p>
<p>「ますます気に入ったわ。私も愛由美ちゃんと呼んでいいかしら？」<br />
「おれも、そろそろいいかな？」</p>
<p>三条玲子と一柳がそう言うと、茂森愛由美はにっこり笑って返した。<br />
「はい、よろこんで。わたしも、玲子さんと呼ばせていただいていいですか？」</p>
<p>「おれも、そろそろいいかな？」と一柳がまた言った。<br />
そういえば一柳はずっと＂三条さん＂と呼んでいた。<br />
「おまえも<b>間のいいやつ</b>だ」と言って僕は一柳をからかった。</p>
<p>「先生、ありがとうございます。みなさんも、わたしのことで、いろいろ心配しておっしゃってくれて、ほんとわたし、うれしいやらお恥ずかしいやら…。そんなわけで、だからわたし、<b>有無を言わせない実力</b>をつけたくて、語り人先生にレッスンをお願いしたんです」</p>
<p>「アイドル路線じゃない<b>正統派の声優</b>としてスタートするために、だね？」</p>
<p>一柳はそう言ったあと、何かに気づいたようにハッとして僕の顏を見た。<br />
「まさか、語り人さん…」</p>
<p>どうやら一柳は僕の計画に気づいたようだ。<br />
「その話はあとにしよう」と僕は言った。</p>
<p>「さあ、記念撮影だよ。はい、みんなもっと寄って、寄って！」<br />
寺さんが４人を撮って、それから僕と茂森愛由美、一柳と三条玲子のツーショットを撮った。</p>
<p>「寺さん、本当は愛由美ちゃんをピンで撮りたいんでしょう？　回りくどいことしなくていいっすよ」と一柳が言うと、みんなが笑った。</p>
<p>「寺田さん、どうぞ撮ってください」と茂森愛由美が笑顔で言った。<br />
「ありがとう」と寺さんは言い訳するように言った。「いや、朝からずっと見てるから、茂森さんのあらゆる表情は頭に焼き付けてるんだけどさ、いちおう念のためにね」</p>
<p>「さあ、そろそろ行かないと、山田店長が待ってる。そうだ愛由美ちゃん、ひとり増えるって連絡入れといてくれるかな」写真撮影が終わると僕は言った。</p>
<p>「はい。すでに連絡ずみです」早い。さすが茂森愛由美だ。<br />
「玲子さん、このあとも付き合ってくれますね？」</p>
<p>「もちろんよ。愛由美ちゃんのこともっと聞きたいし、一柳さんと語り人さんの<b>事情聴取</b>も残ってるわ」と三条玲子はサラリと応えた。</p>
<p>「じ、事情聴取って！」一柳と僕は同時に悲鳴を上げた。</p>
<p>「ところで語り人さん、山田店長って、まさかこれから<b>四谷三丁目の焼鳥屋</b>に行くって、そういう話じゃないっすよね？」一柳が疑問を呈した。</p>
<p>「そういう話だよ」だからどうした？という感じで僕は言った。<br />
「えっ、<b>寿司でも焼肉でもオレの好きなもの何でも食っていい</b>って、そう言ったじゃないすか！」</p>
<p>「山田店長が愛由美ちゃんの<b>デビュー祝い</b>をしてくれる。個室をキープして待ってくれているんだ」</p>
<p>「じゃあ寿司は？　焼肉は？」一柳が不満の声を上げた。<br />
「いやなら、おまえはこなくていい」僕は一柳を見捨てた。</p>
<p>茂森愛由美が声を上げて笑いながら言った。<br />
「店長がお寿司を用意してくれるそうです」<br />
「ヤッホー！　寿司だ、寿司だ、寿司だぁ！」一柳ははしゃいだ。</p>
<p>玲子さんが軽蔑の目を向けると、一柳はおとなしくなった。</p>
<p>寺さんに挨拶をしてスタジオを出ると、日はすでに落ちていた。<br />
四谷三丁目に行くため、JR桜木町駅を超えて<b>地下鉄みなとみらい駅</b>に向かった。</p>
<p>昼間は上から見おろした<b>横浜コスモワールドの大観覧車</b>を、地上から見上げるポイントに僕たちは来ていた。そのとき咄嗟に僕は思いついた。</p>
<p>「なあ、みんな。<b>観覧車に乗らないか</b>」<br />
「わあ、語り人さん、グッドアイデアっす！　乗ります、乗ります！」</p>
<p>一柳が<b>歓声</b>を上げた。<br />
三条玲子が<b>呆れ顔</b>で一柳を見た。<br />
茂森愛由美が<b>潤んだ瞳</b>で僕を見た。</p>
<p>平日の夕方６時前で、なんとか待たずに乗れそうだった。<br />
定員８名のゴンドラ。僕は4人一緒に乗るものだと思っていたが、一柳が猛反対した。</p>
<p>「語り人さん、何を無粋なこと言ってるんすか。これは<b>想い合う二人のための乗り物</b>っすよ」<br />
「じゃあ、あななたち二人で乗ればいいわ」と三条玲子は一柳と僕に向かって言った。</p>
<p>「いやだなあ玲子さんたら、心にもないことを言わないで」<br />
そう言って一柳は三条玲子の手を取って、先にさっさと乗り込んだ。<br />
「<b>グッドラック！</b>」と言って僕と茂森愛由美にウインクを決めながら。</p>
<p>二人を乗せたゴンドラを見送って、次のゴンドラに茂森愛由美と乗り込むやいなや、目に閃光が走った。60体あるゴンドラおよび支柱が一斉に<b>ライトアップ</b>されたのだ。</p>
<p>横浜の町を鮮やかに彩るこの<b>日本最大級の観覧車「コスモロック</b><b>21</b><b>」</b>は、季節によりライトの色が変わる。<b>春はグリーン、夏はブルー、冬はピンク、</b>そして<b>秋はゴールド</b>だ。</p>
<p>全身が<b>煌めく金色</b>に包まれた。</p>
<p>茂森愛由美が甘えるように身体を寄せてきた。<br />
「先生、わたし、うれしい。また、<b>願いをかなえてくれて</b>」<br />
「じゃあ、<b>僕の願いもかなえて</b><b>くれるかな</b>」と僕は言った。</p>
<p>茂森愛由美があの目で僕をまっすぐ見据えて言った。<br />
「先生の願い？　わたし、何でもききます。おっしゃるとおりに」</p>
<p><b>金色のライト</b>のせいか、いつも以上に輝きを放つ彼女の目が眩しくて、<br />
その目が閉じられる前に、僕は言い訳をするように顔をそらし隣のゴンドラに視線を移した。</p>
<p>一柳が三条玲子の肩を抱き、<b>ふたり並んで同じ方向を見ていた</b>。<br />
<b>ベイブリッジ</b>の方向だ。</p>
<p>「<b>愛の架け橋</b>か…。よかったな、一柳」と僕は呟いた。</p>
<p>ゴンドラが半周して頂上に達した。地上112.5メートル。<br />
観覧車の全長としては世界で５番目だと聞いたことがある。</p>
<p><b>宝石を散りばめたような美しさ</b>といわれる<b>横浜の夜景</b>が<br />
視界いっぱいに広がった。</p>
<p>言わなければ。今だ。今、言うんだ！<br />
僕は大きく息を吸った。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>（次回、最終章につづく）</p>
<p>&nbsp;</p>
<div class="point">
<h3><span>今日のボイスメモ、あるいは、声にまつわるささやかな教訓</span></h3>
<ol>
<li>「親の顔が見たい」とよく言うが、その人を知りたければ友達の顏を見るほうが早いだろう。<span style="color: #ff6600;"><b>親もパートナーも恋人も知らない秘密</b></span>を友達が知っていたりする。</li>
<li>「率直さ」とは<span style="color: #ff6600;"><b>誰に対しても言動や態度や意見が変わらない</b></span>ことだ。<span style="color: #ff6600;"><b>ぶれない同じ自分でいる</b></span>こと。人によって自分を使い分けるのは役者の仕事だ。</li>
<li>誰かのために変わろうとすること。自分のために変わろうとすること。<br />
きっかけや理由は何でもいい。<span style="color: #ff6600;"><b>チェンジ（</b><b>CHANGE）のGをCに変えるだけでチャンス（CHANCE）になる</b></span>。</li>
<li>何であれ何かをやり遂げてしまう人は、<span style="color: #ff6600;"><b>素直さと頑固さを併せ持った人</b></span>だ。<span style="color: #ff6600;"><b>素直なだけでは流されやすく、頑固なだけでは真実が見えなくなる</b></span>。素直さと頑固さは矛盾しない。共存できるはず。「素直頑固」な人になれ。</li>
<li>人生は多かれ少なかれ人との出会いで決まる。今いる場所で決まる。誰と一緒にいるかで決まる。だったら自分で決めればいい。何処にいたいか。誰といたいか。何をしていたいか。<b><span style="color: #ff6600;">もっとも必要な力は「自ら決める力」</span>だ</b>。</li>
</ol>
</div>
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		</item>
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		<title>第3話6章　一流の選択</title>
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		<pubDate>Sun, 21 Sep 2014 14:19:12 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[kataribito]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[第3話　ボイスアクター編②　一流の証明]]></category>
		<category><![CDATA[インタビュアー]]></category>
		<category><![CDATA[インタビュイー]]></category>
		<category><![CDATA[ランドマークタワー]]></category>
		<category><![CDATA[丹田呼吸法]]></category>
		<category><![CDATA[横浜港]]></category>
		<category><![CDATA[発声練習]]></category>
		<category><![CDATA[瞑想法]]></category>

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		<description><![CDATA[翻訳が完成したら、あとはひたすら読み込みだ。レッスンで、映像を流しながら実際に声をあてていく練習を何度も繰り返した。勘がいいうえに努力家の彼女は、みるみる役をものにしていった。そのようにして、僕たちは収録の日を迎えた。茂 [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>翻訳が完成したら、あとはひたすら<strong>読み込み</strong>だ。レッスンで、<strong>映像を流しながら実際に声をあてていく練習</strong>を何度も繰り返した。勘がいいうえに努力家の彼女は、みるみる役をものにしていった。そのようにして、僕たちは収録の日を迎えた。茂森愛由美にとっては<strong>記念すべき声優デビューの日</strong>を。<span id="more-273"></span></p>
<p>（5章「<a href="http://kataribito.net/03/03-5/">一流の条件</a>」のつづき）</p>
<p>「じゃあ寺さん、準備をお願いします。僕たちは<strong>声を作ってます</strong>から」</p>
<p>声を作るとは<strong>発声練習</strong>のこと。自宅で軽めの声出しはすませているが、ここで<strong>声量を上げた本格的な発声</strong>をおこなう。寺さんのスタジオでは気兼ねなくできるからとても助かっている。</p>
<p>「はいよ！　Cスタでやるといいさ」寺さんが言った。<br />
僕は茂森愛由美を目で促した。</p>
<p><strong>15分程度の発声</strong>を終えてCスタジオを出ると、ロビーのテーブルにコーヒーがふたつ用意されていた。淹れたてみたいだ。今日はとりわけサービス満点の寺さんだ。</p>
<p>「寺さん、ありがとう」「ありがとうございます。ご馳走になります」<br />
僕たちはそれぞれ、MA室で最終チェックをしている寺さんに声をかけた。<br />
「あと5分、くつろいで待っててよ」と声が返ってきた。</p>
<p>本番を前にして茂森愛由美は明らかに緊張していた。無理もない。<br />
「くつろぐどころじゃないよね。じゃあ、あれをやろう」</p>
<p>軽く目を閉じて、丹田を意識してゆっくり口から（15数えながら）吐いて、鼻で（3数えながら）吸う。<strong>丹田呼吸法</strong>だ。意識を丹田に持っていき呼吸を数えることで、<strong>雑念が取り払われ気持ちが落ち着いてくる</strong>、れっきとした<strong>瞑想法</strong>だ。</p>
<p>「お待たせ、<strong>スタンバイOK！</strong>」<br />
寺さんの声を合図に僕たちは目を開け、互いの顔を見合わせた。</p>
<p>瞑想のあとの茂森愛由美の表情には、<strong>緊張とは無縁の静謐で純粋な美しさ</strong>が宿っていた。<strong>なんの憂いもない、企みもない、媚びもない</strong>。ひと言でいうなら、それは<strong>人を感動させる美しさ</strong>だった。</p>
<p>もしも今、たとえばルノアールがここにいたら、彼女をモデルに夢中で筆を走らせたに違いない。絵のタイトルは「<strong>微睡みから目覚めた少女</strong>」。</p>
<p>そして我らが寺さんも、本当はレコーディングなんかうっちゃって、今すぐフィギュア制作に取りかかりたいに違いない。タイトルは「<strong>No.31茂森愛由美</strong>」。</p>
<p>「<strong>さあ、楽しいお芝居の時間だ</strong>」</p>
<p>そう言って僕は立ち上がり茂森愛由美にエールを送った。</p>
<p>「<strong>君はやるべきことはやった。あとは楽しめばいい</strong>」</p>
<p>広めのレコーディングブースの中央に置かれたテーブルの上に、二人分のマイクとモニター画面が向かい合っている。<strong>インタビュアー</strong>（インタビューする人）と<strong>インタビュイー</strong>（インタビューされる人）同様、向かい合う設定だ。</p>
<p>「<strong>レベルの調整</strong>をするんで、まず茂森さんから声をください」<br />
寺さんの声がヘッドフォンから飛び込んできた。</p>
<p>「頭から本番と同じ調子で、ストップがかかるまで読むように」<br />
僕は茂森愛由美にそう指示した。</p>
<p>「はい、OKでーす」と寺さんの声。僕も指でOKサインを作って言った。<br />
「いいよ。その調子だ」茂森愛由美はほっとしたように笑顔を返してきた。<br />
僕のレベルチェックも終わり、<strong>さあ、いよいよ本番だ</strong>。</p>
<p>モニター画面に映像が流れる。<br />
番組は<strong>アナウンンサーのMC</strong>から始まる。<br />
5秒のオープニングBGM。</p>
<p>茂森愛由美は目を閉じた。<br />
長いまつ毛が音を立てる。鳥が止まり木で羽を休めるように。<br />
そして再びまつ毛が音を立てる。鳥が羽を広げ飛び立ったのだ。<br />
茂森愛由美は目を開いた。</p>
<p><strong>（レコーディング中）</strong></p>
<p>「<strong>はい、オールOK！　いただきましたー！</strong>」<br />
寺さんの声が終わりを告げた。そして驚きの声をあげた。<br />
「すっごいね。一度も止めなかったよ！」</p>
<p>そうなのだ。僕たちは<strong>最初から最後まで一度も噛むことなく、一度も読み違えることなくノンストップで</strong>、このしゃべりっぱなしの30分番組の吹き替え収録を終えたのだ。</p>
<p>僕はヘッドフォンをはずし椅子から立ち上がり、右手の親指を立てて茂森愛由美の健闘を称えた。</p>
<p>茫然自失といった様子の彼女は慌ててヘッドフォンをはずし、椅子を倒す勢いで立ち上がると、いきなり僕に飛びついてきた。そして今度は声を上げて泣き出した。子どもみたいに。</p>
<p>茂森愛由美の背中をさすったり、頭をなでたりしながら僕は言った。<br />
「よくがんばった。上手だった。でも仕事はまだ終わってないぞ。声が変わっちゃうから泣くな。次の大学生の役に、<strong>色っぽい鼻声</strong>はいらないよ」</p>
<p>「はい。すみません」と言いながら彼女は、抱きつかれた体勢のまま僕が箱から鷲掴みして渡した数枚のティッシュで目と鼻を押さえた。</p>
<p>寺さんがその様子をニヤニヤしながら見ていた。寺さんがいるMAルームの前面はガラス張りになっていて、ブース内が丸見えなのだ。</p>
<p>「ほら、寺さんが見てるよ」と言うと、茂森愛由美はハッとして体を離し、ガラス越しに寺さんに向かって「見苦しいところをお見せして申し訳ありません」と言って、顔を真っ赤にしてお辞儀をした。</p>
<p>といっても、マイクを通さないとMAルームにいる寺さんには聞こえないのだが。</p>
<p>レコーディングブースを出ると、寺さんが僕たちを待ち構えていた。</p>
<p>「二人の息がぴったり合っててさ、すっごいリアルだったよ」と寺さんは言った。「茂森さん、初めてって言ってたけど、すっごいね！　それに、おれ思ったんだけどさ、茂森さん、<strong>台本をほとんど見てなかった</strong>よね。まさか、暗記してたって話？」</p>
<p>「そう、<strong>丸暗記</strong>。翻訳も彼女がしたんです」<br />
寺さんは茂森愛由美を見ずに僕を見てしゃべったので、僕が答えた。<br />
「ひえー、そんな声優さん、おれ、はじめて見たさ！」</p>
<p>寺さんもいろんな声優の収録に立ち会っている。短いセリフならともかく、<strong>これだけの長文を一度も噛まずに読み、しかも台本なしでのぞむ声優は見たことがない</strong>と驚いたのだ。</p>
<p><strong>翻訳までしてしまう声優</strong>もいないと思うのだけど、それはまあ僕がそうだからあえて言及しなかったのだろう。</p>
<p>暗記に関しては、実は僕も驚いた。何度もふたりで合わせ練習をしたわけだけど、何度目かで完全に頭に入っていた。暗記したのかと訊くと、<strong>読んでいるうちに自然に覚えた</strong>という。なるほど、優等生は記憶力にも優れている。</p>
<p>寺さんは早速、<strong>編集と整音の作業</strong>に入った。<br />
「ノンストップでいけたので作業は楽ちんさ」と寺さんは喜んだ。</p>
<p>僕たちもMAルームにお邪魔して、<strong>映像に同期させた吹き替え音声</strong>をひととおり確認した。</p>
<p>「わたし、こんな声なんですね。なんか変です」茂森愛由美が言った。<br />
「最初はびっくりするよね。そのうち慣れるよ」と僕は言った。<br />
「<strong>艶っぽくていい声</strong>だよね。おれ、好きだなあ」と寺さんは言った。</p>
<p>時間はお昼12時を回ったばかり。予定よりずいぶん早く終わった。</p>
<p>「あっ、そうそう、カツ丼の出前、頼んどいたよ。そろそろ届くころ。今日が<strong>愛弟子のデビュー</strong>だから景気づけにって、語り人くんが」<br />
後半は茂森愛由美をチラッと見て寺さんは言った。</p>
<p>そんなことを言っているうちに出前が到着した。カツ丼が２つしかないのを見て、茂森愛由美は首を傾げた。<br />
「寺さんは愛妻弁当なんだって」僕が代弁した。</p>
<p>「そうなんだ。血糖値とかコレステロール値とか、いろいろ問題があってさ。だから女房に管理されてるんだ。三食、精進料理だよ」と寺さんは苦笑しながら言った。「だからおれのことは気にしないで。二人はしっかり腹にためなきゃ。語り人くんの口癖…」</p>
<p>「<strong>声優は腹でしゃべる</strong>」茂森愛由美が引き取って笑った。</p>
<p>昼食を終えるとまだ１時前だった。次の録りまで１時間ちょっと。一柳が15分前に入るとしても、まだ１時間ある。食後は軽い散歩を日課とする僕は、茂森愛由美に言った。</p>
<p>「僕はこの辺を少しぶらぶらしてくるけど、君はここでゆっくりしていればいい」<br />
すると茂森愛由美は、自分も歩きたい。わたしが一緒だと邪魔かと訊いた。僕は邪魔じゃないと答えた。</p>
<p>外に出ると、太陽はまだ一番高いところにあった。「今日は暑さが戻るでしょう」と天気予報の女の子が<strong>棒読み口調</strong>で断言していたが、それほどでもない。季節はもう秋なのだ。</p>
<p><strong>横浜桜木町駅の地下道をみなとみらい方向に</strong>歩いていると、いきなり茂森愛由美が叫んだ。</p>
<p>「邪魔なんかじゃない！」<br />
「いったいどうしたんだ？」と訊ねると、彼女はうれしそうに言った。</p>
<p>「今も言ってくださいましたけど、あのとき、半年前、先生がおっしゃったんです。わたしが＂おじゃましました＂って言ったとき」<br />
「ああ、そうだった。一柳とデカい声でハモっちゃったんだ」</p>
<p>「わたし、びっくりしたけど、あんなにうれしかったことはないの」<br />
「えっ、なにそれ？」</p>
<p>「あんなに<strong>本気でかまってもらった</strong>ことがなかったというか。カチカチ山のお話とかして、本当に楽しかった。うまくいえないけど、とにかく顔がカーって熱くなって、胸がドキドキして…。あのあと裏でわんわん泣いちゃいました。そしたらバイトの吉岡君がね、どうしたの？　あの客にいじめられたの？って言うの。違うわよ、<strong>ハートを射抜かれた</strong>のよ、って言ったらキョトンとしてた」</p>
<p>「泣き虫だね。強いくせに。空手二段」とからかうように僕は言った。<br />
「違います。先生と出会ってから泣き虫になったんです」と茂森愛由美は口を尖らせてから頬を膨らませた。</p>
<p>「えっ、僕のせい？」<br />
「そうです。だって、二番目にうれしかったのは手書きのお名刺をいただいたときだし、三番目はびっくりするくらい心のこもったお手紙をいただいたときだし、四番目は先生のお夕食を作って、おいしいって食べてくださったときだし、五番目はこのお仕事をいただいたときだし、六番目はさっき収録が終わって頭をなでてもらったときだし、七番目はいま…」</p>
<p>「もうわかったよ」めずらしく饒舌な茂森愛由美の口を僕は塞いだ。<br />
「要するに、わたしが泣いたのは、ぜんぶ、先生がらみだってことです。だから、先生が、わたしを、泣き虫にしたんです」</p>
<p>「じゃあ何度も言ってるけど、その＂先生＂っていうのやめてくれるかな。生徒を泣かせてばかりじゃ、先生とはいえない」</p>
<p>僕は<strong>苦手とすること</strong>が結構多い人間で、<strong>先生と呼ばれること</strong>もそのひとつだ。ほかにも<strong>カラオケボックス</strong>とか、<strong>喫茶ルノアール</strong>とか、サラリーマンがたむろする<strong>新橋あたりの居酒屋</strong>とか、終電から始発までの<strong>新宿歌舞伎町</strong>とか。（あれ、場所ばっかりだ）</p>
<p>「いやです。この際ですからはっきり言わせていただきます」<br />
茂森愛由美は立ち止まり、まっすぐな目で僕を見て言った。この目に僕は弱い。</p>
<p>「わたしの言う先生とは、学校の<strong>教師</strong>とか、お<strong>医者</strong>さまとか、<strong>弁護士</strong>さんとか、<strong>議員</strong>さんとかの先生じゃないんです。わたしが尊敬し、心からお慕いしている方への敬称です。ですから」ここで一区切り入れて、茂森愛由美は恥らいがちに続けた。</p>
<p>「ですからわたしは、先生の生徒ではありません。生徒ではありませんから、卒業もありません」</p>
<p>「茂森愛由美、君は今日、いささかおしゃべりが過ぎるようだ。<strong>楽しい演技の時間</strong>をまだ引きずっていて興奮状態にあるのはわかるけど、そのくらいにしておこう」</p>
<p>「興奮状態にあるのは認めます。でも浮かれて言っているんじゃありません。<strong>本当の気持ち</strong>を申し上げました」</p>
<p>「わかったよ。でも卒業はしてもらう。この先ずっとレッスンを続けるわけにいかないからね。ご両親に約束した期限は２年。だから僕のレッスンは残すところ半年だ」</p>
<p>「わたしが言ったのは、レッスンの卒業じゃありません」<br />
茂森愛由美は俯くと、聞こえるか聞こえないかの小さな声で言った。<br />
聞こえなかったほうを僕は<strong>選択</strong>した。</p>
<p>コロンビア大学ビジネス・スクール教授のシーナ・アイエンガー博士の調査によると、<strong>人は一日、朝起きてから夜眠りにつくまでの間に、平均で70回の選択を行う</strong>という。僕自身はもっと多いような気がする。やれやれ。</p>
<p>いつのまにか<strong>ランドマークタワー</strong>にきていた。地上70階の文字どおり横浜のランドマーク（目印）だ。眼下には<strong>横浜コスモワールドの大観覧車</strong>が、その向こうに<strong>横浜港</strong>が一望できるビューポイントに僕たちはいた。</p>
<p>「先生、わたし、あの観覧車に乗りたい。先生と」<br />
「ああ、次に何かうれしいことがあったら乗ろう」<br />
「じゃあ、すぐですよ。先生といるとうれしいことばかりですから」<br />
「おっといけない」僕はまた聞こえないふりを選択した。<br />
「もう戻らないと。一柳が先に着いてしまう」</p>
<p>ランドマークタワーの３階、オシャレなショップの並ぶ<strong>ランドマークプラザ</strong>を出ると、そこから桜木町駅に直結する「<strong>動く歩道</strong>」がある。けっこうな距離があって、乗ったまま左右に横浜の景観を楽しむことができる。</p>
<p>茂森愛由美が突然、腕をからませてきた。動く歩道が少し苦手なのだという。僕はこういう展開が苦手なのだ、と言おうしてやめた。今日は、<strong>今日だけは彼女のしたいようにさせてあげよう</strong>と思った。</p>
<p>さっきから気づいていたことだが、彼女とふたりでいると<strong>擦れ違う人の視線</strong>が気になる。10人中8人が目をとめるのだ。茂森愛由美に対する好意的、ないし称賛の視線もあるが、好奇な視線、不躾な視線、嫉妬の視線も散見される。</p>
<p>人々はまずハッとした顔で茂森愛由美を見る。次に僕を見て「？」という顔をする。たぶん「どういう関係？」って訊きたいのだろう。「親子じゃないよね？」という疑問符かもしれない。</p>
<p>ふだん彼女は極力目立たないように、とても地味な格好をしている。<strong>Tシャツにジーンズ</strong>とか、<strong>ポロシャツにジャージ</strong>といった組み合わせだ。外ではほとんどスカートをはかない。靴はもちろんスニーカー。</p>
<p><strong>髪はまっすぐなロング</strong>だが、いつも後ろでひっつめている。ときどき<strong>キャップ</strong>をかぶり、<strong>黒縁のメガネ</strong>をかける。メイクはほとんどしない。装身具もつけない。レッスンの日だけ髪をおろし、少しだけ薄化粧をする。</p>
<p>それが今日はしっかりメイクをし、髪は毛先を遊ばせた緩やかな巻き髪にしている。服装は上品な<strong>オトナかわいい系のミニのワンピース</strong>。さらに、いくつかの小さなダイヤをあしらったネックレスが、さりげなく胸元を飾っている。</p>
<p>いつもは、どちらかといえば<strong>美少年</strong>という感じで、異性を意識させることはあまりないのだが、こんな格好をするとあらためて「<strong>なんてきれいな女の子だろう</strong>」とドギマギしてしまう。</p>
<p><strong>ふつうの21歳の女の子</strong>なら、いつも<strong>可愛い服を着てお出かけ</strong>したい年頃だろう。<strong>オシャレをして彼氏とデート</strong>して、<strong>友だちとランチ</strong>をして、<strong>大学のサークルメンバーで飲み会</strong>をしたり、<strong>旅行の計画</strong>を立てたりしているはずだ。</p>
<p>そのとき僕は、そんなこととは無縁の生活を送っている茂森愛由美が無性にけなげに思えて、抱きしめたくなった。抱きしめる代わりに、組んでいる腕に力を込めた。</p>
<p>動く歩道を降りると３階からいっきに下る、これまた長いエスカレーターに乗る。地上に降りても茂森愛由美は組んだ腕を離そうとしなかった。</p>
<p><strong>JR桜木町駅</strong>にさしかかると、改札を出たところに見覚えのある男の姿があった。見間違えようがない。一柳だった。</p>
<p>ナイスなタイミング。茂森愛由美がやっと腕を離したので駆け寄ろうとして、すぐに思い直した。一柳が改札のむこう側に手を振ったからだ。どうやら、だれかと待ち合わせをしているらしい。</p>
<p>様子を覗っていると、一柳が手を振った相手は、あたりまえだけど女性だった。遠目からでも目立つ、<strong>ある種のオーラを放つ女性</strong>だ。</p>
<p>一柳の<strong>よく通る声</strong>が聞こえた。「遠いところまでありがとう」。<br />
女性が笑みを返した。満面の笑みではない。少し困惑している笑み。<br />
20代後半に見える。でも実年齢は30代中盤といったところか。</p>
<p><strong>次元の違う美人</strong>というか、<strong>化粧品のCMに出てくるモデルのような女性</strong>だ。メイクのせいもあるだろうけど、目ヂカラがあるというか<strong>挑戦的な眼差し</strong>をしている。「<strong>男には負けないわよ</strong>」といったような。</p>
<p>あの女性だ！　と僕の直感が告げた。一柳を改心させた女性。数々の浮名を流してきた<strong>百戦錬磨のモテ男</strong>が、はじめて自分から惚れた女性。</p>
<p>僕たちは５メートルほど後方から見ていたのだけど、そのとき突然、一柳が振り向いたので目が合ってしまった。</p>
<p>一柳は少し驚いた表情を見せたが、横にいる茂森愛由美の存在に気づくと、さらに驚いた顔をした。</p>
<p>「おやおや」と一柳は言った。<br />
「おやおや」と負けずに僕も返した。</p>
<p>（次章につづく）</p>
<p>&nbsp;</p>
<div class="point">
<h3><span>今日のボイスメモ、あるいは、声にまつわるささやかな教訓</span></h3>
<ol>
<li>疲れたとき、緊張しそうなとき、心がざわつくとき、むしゃくしゃするとき、<span style="color: #ff6600;"><strong>丹田瞑想</strong></span>をお勧めする。スーッと気持ちが静まり、心が落ち着くのを実感するだろう。</li>
<li>「<strong><span style="color: #ff6600;">やるべきことはやった</span></strong>」と本当に言えるのか。<span style="color: #ff6600;"><strong>いつも自問すること</strong></span>が大切だ。</li>
<li>「<span style="color: #ff6600;"><strong>苦手</strong></span>」という言葉はあまり使わないほうがいいが、使うなら自信を持って言おう。反対に「<span style="color: #ff6600;"><strong>得意</strong></span>」という言葉は控えめに言おう。</li>
<li>世の中には「<span style="color: #ff6600;"><strong>先生</strong></span>」が多すぎる。<strong><span style="color: #ff6600;">先に生まれたから先生というわけじゃない</span></strong>。できないことを教えてくれて、導いてくれて、眼を開かせてくれる人。年齢に関係なく、そういう人を先生と呼びたい。</li>
<li><span style="color: #000000;">「<span style="color: #ff6600;"><strong>人は一日に２万回もの選択をおこなっている</strong></span>」という説もある。70回説と２万回説の違いは、基準をどこに置くかという定義の問題だ。数字は数字でしかない。傾注すべきは<span style="color: #ff6600;"><strong>その選択をおこなった結果</strong></span>だ。</span></li>
<li><span style="color: #ff6600;"><strong>仕事が先かデートが先か</strong></span>。一柳と語り人は、いったいどこに向かおうとしているのか。それは僕にもわからない。やれやれだ。</li>
</ol>
</div>
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		</item>
		<item>
		<title>第3話5章　一流の条件</title>
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		<pubDate>Tue, 16 Sep 2014 05:17:58 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[kataribito]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[第3話　ボイスアクター編②　一流の証明]]></category>
		<category><![CDATA[ビル・ゲイツの英語]]></category>
		<category><![CDATA[リップシンク]]></category>
		<category><![CDATA[一流の条件]]></category>
		<category><![CDATA[世紀の対談]]></category>
		<category><![CDATA[個人レッスン]]></category>
		<category><![CDATA[初見読み]]></category>
		<category><![CDATA[吹き替え]]></category>
		<category><![CDATA[声優デビュー]]></category>
		<category><![CDATA[成功者の適正]]></category>
		<category><![CDATA[神７]]></category>

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		<description><![CDATA[茂森愛由美から手紙が届いたのだ。メールではなく、郵便で届けられた封書の手紙。彼女らしい端正な字体で綴られた、美しい日本語の手紙。 それから僕と茂森愛由美は、半年後の今も、毎週のように顔を合わせている。それを一柳は知らない [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>茂森愛由美から手紙が届いたのだ。メールではなく、郵便で届けられた封書の手紙。彼女らしい端正な字体で綴られた、美しい日本語の手紙。<br />
それから僕と茂森愛由美は、半年後の今も、毎週のように顔を合わせている。それを一柳は知らない。<span id="more-267"></span></p>
<p>（4章「<a href="http://kataribito.net/03/03-4/">一流の初恋</a>」のつづき）</p>
<p>1999年シアトルのワシントン大学で行われた、<b>ビル・ゲイツとウォーレン・バフェットの夢の対談</b>。いわずと知れたマイクロソフトの創始者と投資の神様だ。当時、この世界No.1とNo.2の億万長者の顔合わせは「<b>世紀の対談</b>」といわれた。</p>
<p>翻訳作業は順調に進んでいくかに見えたが、あるところで苦戦を強いられにっちもさっちもいかなくなった（「にっちもさっちも」って、漢字で「二進も三進も」って書くんだって。知ってた？）</p>
<p><b>ビル・ゲイツの英語</b>は正確でわかりやすい。語り口も端正で言語明瞭。ユーモアも上品で洗練されていて、なんの問題もない。</p>
<p>参考までにここで一例として、ふたりの生しゃべりを紹介しよう。<br />
ゲイツはこんな具合だ。</p>
<p>「ええ。大学を辞めて会社を興すことに不安はありませんでした。創業のころはリスクのことなんか考えもしませんでしたよ。ただひとつ怖かったのは、何だと思います？　それはね、<b>雇った友人が給料をほしがったこと</b>です（学生たちの大爆笑）」（語り人訳）</p>
<p>一方、バフェットはというと、軽妙洒脱なユーモア精神の持ち主で語りの名手としても名高いが、<b>自分のジョークに自分で笑う</b>という禁じ手も多い。こんな感じ。</p>
<p>「人々がよくいうセリフはこうだ。『好きでもないけど、あと10年はこの仕事をつづけて、そのあとにやりたかったことをやるんだ』って。笑っちゃうね！　これは<b>年寄りになったときのためにセックスを控えている</b>ようなもので、なんともばかげた話だと思わないか（自分で爆笑）」（語り人訳）</p>
<p>バフェットの話には、この手の喩えが頻繁に出てきて苦笑を禁じえないのだけど、それは別にして翻訳上の問題があった。彼の声はダミ声で、話し方はしばしば言語不明瞭。ときにスラングも飛び出す。もともとの音源の悪さも手伝って、聴き取りにくいことこの上ない。</p>
<p>そう、問題はウォーレン・バフェットだった。それでなくても僕は<strong>リスニング</strong>が苦手で、いくつかのフレーズはもうさっぱりお手上げで、<strong>ネイティブスピーカー</strong>に教えを乞わなければならかった（それでもわからない単語や言い回しは残った）。</p>
<p>そんなわけで、結局そこは前後の文脈から無難で適切と思われる日本語をあてることになった。一柳だったらきっとそこは<b>下ネタ風のアレンジ</b>を加えるんだろうな、と思いながら。</p>
<p>収録日の前々日、僕は一柳に<b>台本と映像</b>をメールで送った。<br />
当日の<b>初見読み</b>を宣言した一柳だったが、やつはきっと事前に台本に目を通したいはずだ。目を通したいどころか、映像と合わせてしっかり読み込みたいに決まっている。これは<b>ナレーション</b>じゃない。<b>吹き替え</b>なのだ。</p>
<p>吹き替えで映像の人物の口の動きに声を合わせることを<b>リップシンク</b>という。<b>完璧なリップシンク</b>になるように、翻訳した日本語はいつも以上に精査し、台本を仕上げた。</p>
<p>収録日当日。朝の10時にスタジオ入りした。この吹き替え収録を行なうときにいつも利用している<b>横浜のスタジオ</b>だ。</p>
<p>ドアを開けると待ってましたとばかりに、<b>スタジオのオーナー兼レコーディング・エンジニア</b>の寺さんこと寺田さんが、いきなり僕のみぞおちあたりをパンチで連打し、<b>興奮を押し殺した声</b>で言った。</p>
<p>「語り人くん、あの子、だれさ？　あの、しょんべんチビっちゃいそうな美人ちゃんだよ。どっかのアイドル？」</p>
<p>寺さんは、この横浜の地にスタジオを構えて30年のベテランだ。僕とは20年来の付き合いになる。</p>
<p>自分が産まれ育って親から譲り受けた７階建てのビルの地下で、「ここがおれの遊び場」と言いながら、毎日楽しそうに働いている。</p>
<p>あちこちのレコーディングスタジオが次々と廃業に追い込まれるなか、彼の少年のような親しみやすい人柄と、都内の半額以下という料金の安さもあって、都内からの利用者も呼び込む人気のスタジオなのだ。</p>
<p>マンガ大好きの寺さんの趣味は<b>フィギュア制作</b>だ。<br />
いや、趣味なんてもんじゃない。<b>副業か本業か</b>。そんなこともどうでもいいくらい、とにかく<strong>プロ</strong>なのだ。評判が評判を呼び全国から注文を受けるほどで、とりわけ彼の<b>美少女フィギュア</b>はマニア垂涎の的となっている。</p>
<p>スタジオの一画にフィギュアコーナーがあり、寺さん作のさまざまなフィギュアが特別仕様のケースに陳列されている。そしてそのセンターの座を占めるのが、彼の真骨頂というべき「美少女フィギュア」だ。その数30体で、これは非売品だそうだ。</p>
<p>「これ、おれのベスト30ね。1体50万で売ってくれって言われても売らなかったさ」と寺さんは、可愛いわが子を守り抜く父親のような顔で自慢する。</p>
<p>フィギュアの足元にはそれぞれ名札がついている。「水島愛理」とか「近藤優子」とか「足立香苗」とか、30体全員に名前があるのだ。</p>
<p>その人気はマニアたちがネットで<strong>ファン投票</strong>を行うほどの盛り上がりで、上位７人は「<b>神７</b>」と呼ばれている。センターは２年連続で水島愛理が取っており、アイリーンの愛称で呼ばれ絶大な人気を誇っている。</p>
<p>「これ、みんな本名だよ。おれが今まで実際に会って、しょんべんチビりそうになった女の子たち」寺さんはフィギュアに興味を示すお客さんがくると、うれしそうに目を細める。</p>
<p>そんな、しょんべんチビっちゃうほどの美少女が突然、生身の姿で目の前に現れたものだから「これは一大事！」と、寺さんは朝から興奮しているのだ。</p>
<p>「えっ、もう来てますか？　10時半でいいって言ったのに」と僕は時計を見ながら言った。「彼女は今日、女性のパートを担当してもらう声優さん。まだ卵ですけどね」</p>
<p>「ねえ語り人くん、頼むよ。紹介してよ。おれ、久しぶりにビビッときちゃったよ。その、制作意欲をかきたてられたっていうかさ。あの子のフィギュアをさ、作りたいんだよね」</p>
<p>寺さんは来年還暦を迎えるというのにとても若々しく、なおかつシャイな人で、こんな商売をやっていながら女性とろくに話もできない純情派だ。</p>
<p>「いや、挨拶はしたよ。名前、名乗っただけだけどさ。おれ緊張しちゃって、チビりそうだったんでトイレ行ってさ。そのあと熱心に台本読んでるから話しかけるのも悪いし、邪魔しちゃいけないと思ってさ。ここで語り人くんがくるのを今か今かと待ってたわけよ。えっと、茂森さんっていったかな」</p>
<p>茂森愛由美──<br />
僕だって今でこそ慣れたけど、半年前に彼女と連絡先の交換をしたとき、緊張して何も言えなかった。ましてや女性に奥手で、フィギュアとしかまともに話しができない寺さんだ。無理もない。</p>
<p>「寺さん、まあ落ち着いて。とにかく行きましょう。ちゃんと紹介しますから」と言って、僕は奥のロビーに入っていった。</p>
<p>４卓ある丸テーブルのひとつに姿勢よく腰をかけ、ペンを手に真剣な表情で台本を読んでいる茂森愛由美がいた。僕の姿を認めると顔中に笑みが広がり、きびきびした動作で立ち上がった。</p>
<p>「おはようございます！　なんだか落ちつかなくて、早くきてしまいました。ご迷惑ではなかったでしょうか」</p>
<p>「おはよう」と僕は笑って返した。「僕は迷惑じゃない。だけど、スタジオの人はどうかな。迷惑だったかもしれないよ」</p>
<p>すると寺さんは顔を真っ赤にして割って入った。「迷惑だなんて、とんでもない！　営業は９時からだもん。もう１時間早くたってよかったさ。語り人くん、バカなこと言わないでよ」</p>
<p>ここで二人をそれぞれ紹介してから、僕はあらためて茂森愛由美に向かって言った。「現場には早くて15分前だ。それより早いと邪魔になる場合がある。早く着いてしまったときは近場でお茶をするか、軽い発声をしながら周辺を歩くといい」</p>
<p>「うちは問題ないさ！」寺さんがまた割って入った。「お茶はここで飲めばいいし、発声もここでやればいいよ。部屋は、じゃなくてブースは４つもあるんだ。いつきてくれたっていいさ」緊張しながらも、寺さんはなかなか大胆な発言をした。</p>
<p>「先生、常識が足りなくて申し訳ありませんでした。以後、肝に銘じます」茂森愛由美は僕に頭を下げてから、寺さんを見て言った。「ありがとうございます。お心遣いに感謝します」</p>
<p>茂森愛由美にそう言われ、寺さんはまた真っ赤になって「なーんも、なーんも！」と言いながら、顔の前で激しく片手を振った。</p>
<p>この辺でそろそろ説明する必要があるだろう。</p>
<p>半年前、僕は茂森愛由美から手紙をもらった。<br />
それは僕に、<b>個人レッスンを依頼する</b>内容の手紙だった。</p>
<p>養成所では１クラス20名もいて、とても一人一人フォローできる体制ではない。<b>自分はもっともっと学びたいし、もっともっと実践的な指導を欲している。</b><b></b></p>
<p>また<b>養成所の講師</b>に対しても、あることがあってから少なからず不信感を抱いている。<b>レッスンより男女交際に熱心な人</b>も見受けられる。<b>とにかく自分は集中したいのだ。</b>そんなことが書かれていた。</p>
<p>ほかでもない、こういう展開になることを僕は期待もし、同時に恐れてもいたのだ。その後のやり取りの詳細は省くが、とにかく僕は茂森愛由美の申し出を承諾した。</p>
<p>どうして断ることなどできただろう。断るとすれば、理由は何だ？</p>
<p><b>愚鈍な中年男</b>になるのが怖い。それもある。でもそれ以上の理由がある。<br />
僕は彼女に、実は<b>方向転換してほしい</b>と思っていた。<b>声優ではなく、</b><b>別の道に進んでほしい</b>と。</p>
<p>ならば申し出を断るのではなく受けることで、つまり<b>彼女と関わることで、その見極めをしよう</b>。そう考えたのだ。</p>
<p><b>週に一回、</b><b>90</b><b>分の個人レッスン</b>。場所は四谷三丁目。彼女がアルバイトをしている焼鳥屋。店長の山田さんがぜひ使ってくれと、店にある個室スペースを提供してくれた。もちろん開店前の時間帯だ。</p>
<p>レッスンが終わると茂森愛由美はそのまま勤務につく。そして僕はといえば、まことにありがたいことに、店長の好意で賄いをご馳走になる。</p>
<p>賄いは料理の得意なスタッフが作ってくれることになっていたが、茂森愛由美はそれでは申し訳ないと、レッスンの日は自ら腕を奮ってくれている。そして、その日の復習をしながら一緒にいただく。</p>
<p>仕事のない日はそのまま少し飲んで帰る。また近場で仕事が終わったときは顔を出し、ときには人を連れて暖簾をくぐるようにもなった。</p>
<p>つまり週に2.3回、僕は茂森愛由美と顔を合わせていることになる。山田店長とは今ではすっかり同士のような仲になり、店のスタッフたちとも気の置けない関係になった。</p>
<p>茂森愛由美は着実に力をつけていた。<b>できなかったことができるようになる喜び、楽しさ</b>。これを幼いころから勉強と空手の稽古で知っている彼女は、<b>ひとつひとつの課題を確実にものにするコツ</b>を心得ていた。</p>
<p><b>感情や気分のばらつきが少なく、勤勉であり高い集中力を持っている。何より素直で可愛げがあり礼儀正しかった。</b><b></b></p>
<p>こうした資質こそが、僕に言わせれば<b>一流の条件</b>であり、<b>成功者の適正</b>なのだ。それがこの半年間で得た、茂森愛由美に対する僕の評価だった。</p>
<p><b>そしていよいよ、彼女にとって実践のときが訪れた。<br />
</b>ちょうどタイミングよく、女性の声が必用な案件が回ってきた。しかも、彼女にぴったりの役どころが。（タイミングのよさも彼女のえがたい才能のひとつだ）。</p>
<p>ひとつはアメリカのある<b>テレビ局のアナウンサー</b>の役。話題の人をゲストに迎え、女性アナウンサーがインタビューする番組。ゲストは作家でありカリスマ・マーケターとして日本でも有名な人物。その声は僕が担当する。</p>
<p>そしてもうひとつの役が、<b>米国コロンビア大学のエリート女子学生</b>だ。例のビル・ゲイツとウォーレン・バフェットの対談で、ふたりに質問する女子学生の役を、声を変えて二人分やってもらうことにした。四人いる男子学生の役は、一柳と僕で分担するつもりでいた。</p>
<p>僕が正式にオファーを出すと、茂森愛由美は初めての声の仕事に飛び上って喜んだ。その勢いで僕に抱きつくと「わたし、先生にお会いできて本当によかった」と涙声で言った。</p>
<p>「喜ぶのはまだ早いぞ」体を引き離してから、僕はわざと冷たく言い放った。<br />
「レッスンはこれからもっと厳しくなる。<b>正確な母音</b>と<b>キレのある子音の発音</b>。<b>拗音の精度</b>も上げていかなきゃ。語尾が弱くなる弱点も克服してもらう。<b>アナウンサーの語尾を強く響かせる発声法</b>をマスターするんだ」</p>
<p>「はい、先生についていきます」茂森愛由美は鼻をすすりながら言った。</p>
<p>「その声だ！」僕は雑念を払い、彼女の声だけに集中した。<br />
「いま鼻声になったことで<b>艶と響き</b>が加わった」そう言って、<b>アナウンサーがやっている鼻で響かせる鼻共鳴と鼻うがいの方法</b>を教えた。</p>
<p>それからノートパソコンを開いて映像を見せた。正味20分ほどのインタビューだ。ひと通り見終わると茂森愛由美は、<b>翻訳台本</b>はいつもらえるのかと訊いた。</p>
<p>「僕は<b>ゲイツとバフェットの翻訳</b>に傾注したい。だからインタビューのほうは、下訳を誰かに頼もうと思っている」というと、彼女は僕の目を真っ直ぐに見据えて言った。</p>
<p>「あの先生、わたしがやってはだめですか？」</p>
<p>英検１級、TOEICは900点超。茂森愛由美が英語に堪能なことを聞いていた僕は、その選択肢も考えないわけではなかった。でもいくら英語ができても翻訳はヘタクソという人を僕はたくさん知っている。<b>翻訳は英語力以上に日本語力が求められる</b>からだ。</p>
<p>それになんといっても今は、<b>声優のトレーニングに専心させるべきときだ</b>という思いもあった。たとえこの先、方向転換させるにしても。</p>
<p>「だれかに頼むなら、わたしにやらせてください。先生は、<b>自分が声をあてるなら翻訳から責任を持ちたい</b>と、このお仕事を始められたと聞きました。わたしも、そうしたいです」</p>
<p>「大学の勉強とボイスレッスンとアルバイト、時間はあるのか？」<br />
「わたし、先生が目標なんです」<br />
「僕は根無し草だ。目標にしちゃいけない。君にはもっと…」</p>
<p>君には<b>もっと高いところを目指してほしい</b>。そう言おうとする僕を、茂森愛由美は遮った。「ピシャリ」と音がするような見事な遮り方。本当に間のいい子だ。</p>
<p>「時間はだいじょうぶです。では、そういうことで。あと、<b>ゲイツとバフェットの映像</b>もお願いします。学生のパートも、わたしが訳します」</p>
<p>そう言って頑固な性質を垣間見せた彼女だが、結論を言うと、完成した翻訳は想像以上にできていた。「ざっとした下訳でいい。あとは僕が調整する」と念を押していたのに、すでに<b>吹き替え翻訳</b>の体をなしていた。</p>
<p>ときどき顔を覗かせる<b>翻訳調の言い回し</b>、訳としては正しくても、<b>誤訳を恐れずあえて大胆に意訳すべき語句</b>、そして<b>語尾の収め方</b>など、いくつか修正を要するポイントはあるものの、それでもじゅうぶん合格点をあげていい完成度だった。</p>
<p>英語に関しては僕なんかよりはるかに高い能力を持っていることはわかっていた。なにしろ僕は、英検１級の二次試験を３回受験して３回落ちた劣等性だ。TOEICには挑戦すらしていない。900点なんてとんでもない。たぶん700点もいかないだろう。</p>
<p>翻訳が完成したら、あとはひたすら<b>読み込み</b>だ。レッスンで、<b>映像を流しながら実際に声をあてていく練習</b>を何度も繰り返した。勘がいいうえに努力家の彼女は、みるみる役をものにしていった。</p>
<p>そのようにして、僕たちは収録の日を迎えた。茂森愛由美にとっては<b>記念すべき声優デビューの日</b>を。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>（次章につづく）</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<div class="point">
<h3><span>今日のボイスメモ、あるいは、声にまつわるささやかな教訓</span></h3>
<ol>
<li>パートナーを選ぶとき重視すべきは<span style="color: #ff6600;"><b>お金に対する価値観</b></span>だと思う。つまりお金にきれいかどうか。それは事業も結婚も同じだ。</li>
<li>やりたいことを諦めきれず<span style="color: #ff6600;"><b>再チャレンジ</b></span>する。一度目はダメだった。二度目もドロップアウトする人は、<span style="color: #ff6600;"><b>一度目になぜダメだったのか</b></span>を正しく理解しないまま進むからだ。</li>
<li>「こっちが<span style="color: #ff6600;"><b>本業</b></span>であっちが<span style="color: #ff6600;"><b>副業</b></span>」などと言っているうちは、どっちもたかが知れている。</li>
<li>ろくに本も読まないくせに<span style="color: #ff6600;"><b>声優・ナレーターになりたがる人</b></span>が多いのはどうしたものか。</li>
<li><span style="color: #ff6600;"><b>できなかったことができるようになる。</b></span>その嬉しさ・楽しさをそこで終わらせないように。まぐれではなく<span style="color: #ff6600;"><b>法則化させ習慣化させ、そして身体化させ技化させていく</b>。</span></li>
<li><span style="color: #ff6600;"><b>感情や気分のばらつきがなく、勤勉であり高い集中力を持っている。何より素直で可愛げがあり礼儀正しい。</b></span>そんな人は少ない。だから一流なのだ。</li>
</ol>
</div>
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		</item>
		<item>
		<title>第3話4章　一流の初恋</title>
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		<pubDate>Thu, 28 Aug 2014 11:34:31 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[kataribito]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[第3話　ボイスアクター編②　一流の証明]]></category>
		<category><![CDATA[プロの生声]]></category>
		<category><![CDATA[初恋]]></category>
		<category><![CDATA[愚鈍な中年男]]></category>
		<category><![CDATA[自己満足]]></category>
		<category><![CDATA[青臭い感傷]]></category>

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		<description><![CDATA[それから少しして、僕たちと同世代とおぼしき男が席にやってきた。 きっと店長だろう。「他のお客さまのご迷惑になりますので」とかなんとか言われて店を追い出されるに違いない。僕も一柳も覚悟した。 （3章「一流の美少女」のつづき [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>それから少しして、僕たちと同世代とおぼしき男が席にやってきた。<br />
きっと店長だろう。「他のお客さまのご迷惑になりますので」とかなんとか言われて店を追い出されるに違いない。僕も一柳も覚悟した。<span id="more-244"></span></p>
<p>（3章「<a href="http://kataribito.net/03/03-3/">一流の美少女</a>」のつづき）</p>
<p>男はオーナー店長の山田と名乗り、名刺を差し出して言った。<br />
「うちの茂森がお客さまの貴重なお時間を頂戴したようで、大変ご迷惑をおかけしました。失礼は承知ですが、どうかお詫びをさせてください。ほんの気持ちですが」</p>
<p>そう言って山田店長は「あゆみちゃん、お持ちして」と厨房のカウンターで待機していた茂森さんに声をかけた。</p>
<p>茂森あゆみ…。どんな漢字をあてるのだろう。いくつか字面を思い浮かべていると、茂森さんがあのシャンパンスマイルで、ビールジョッキふたつと焼き鳥の盛り合わせが入った大皿を運んできた。</p>
<p>レッドカードを突き付けられ退場を覚悟していた僕と一柳は「いえいえ、そんな。とんでもないことです」と恐縮して言った。「こちらこそ、おたくの店員さんを巻き込んでおしゃべりに花を咲かせてしまい、つまりその、業務を停滞させてしまって申し訳ありません」と頭を下げた。</p>
<p>「ですから悪いのはこちらで、このようなことをしていただいては…」<br />
そんなことを二人でかわるがわる申し述べ遠慮したのだけど、店長も茂森さんもニコニコ顔で料理皿を並べたり片づけたりしている。</p>
<p>それから店長は「あゆみちゃん、３番さんのご注文をお聞きして」そう指示し、茂森さんを外させてから僕たちに言った。</p>
<p>「おふたりの<b>プロの生声</b>を目の当たりにして、また親しくお話をさせていただいて茂森はもう大感激しています。あの子の夢は、私どもスタッフみんなが応援しているんですよ」</p>
<p>「店長さんはじめバイト先のみんなが応援してくれているなんて恵まれていますね。もちろんそれは、彼女の魅力がそうさせているのでしょう。よくわかります」と僕は正直な感想を述べた。</p>
<p>すると店長は声を潜めて言った。「あの、語り人さん。こんなことをお訊ねするのは愚の骨頂だということは承知しています。それを承知であえてお伺いしたい。あの子は夢を叶えることができるでしょうか」</p>
<p>「山田さん、そんなことは誰にもわかりませんよ」。僕はふだん思っていることを率直に口にした。</p>
<p>「<b>才能や運不運、タイミング</b>もあるでしょう。でも、これだけは言えます。<b>あきらめなければ、あきらめさえしなければ、かならず叶います</b>。そこに才能や運不運が入り込む余地はありません。もっともこれは一般論ですが」そう言ってから付け加えた。</p>
<p>「台本を読ませてみないことには何とも言えませんが、さっきお話をしてみて、茂森さんの<b>言葉の扱い方のセンス</b>に非凡なものを感じました。<b>言葉の反射神経</b>がいいんですね。いろんな意味で「間」の良い子だと思います。<b>声そのものの魅力</b>も持っています。あとは、<b>あきらめないというもうひとつの才能</b>を持っているかどうか」</p>
<p>「あきらめないという、もうひとつの才能ですか…」店長はこの言葉をかみしめるように繰り返してから、得心したように言った。「語り人さんにお伺いしてよかった。誠実で深みのある素晴らしいお答えです。愚問が愚問でなくなった。ありがとうございました」</p>
<p>「では僕からも、愚の骨頂のお願いをさせてもらいます」<br />
僕は気になっていることを口にした。</p>
<p>「茂森さんに悪い虫がつかないよう気をつけてあげてください。彼女の笑顔に勘違いするバカ男は少なくないでしょう。異性だけではありません。同性からの嫉妬によるいやがらせもあると思います。それでも、あの笑顔が損なわれることのないよう守ってあげてほしい。あの強くてまっすぐな眼差しが、理不尽なハラスメントや不躾な視線によって曇ることのないよう、守ってあげてほしいのです」</p>
<p>「ちょっと気障な言い方をしてしまいました」と照れ笑いをしていると、店長は両手で僕の手をぎゅっと握り「なんて素晴らしい！」と感激の面持ちで言った。「茂森のこと、一目で見抜かれたのですね。実は、語り人さんのご推察どおりなんです」声のトーンを落として店長はつづけた。</p>
<p>茂森さん目当てに来店する無害のお客はともかく、外で待ち伏せしたり、後をつけたり、写メを撮ったり、卑猥な言葉を浴びせたりするストーカーは少なくないそうだ。養成所内にも彼女をつけ狙う不埒な男子は多いのだという。</p>
<p>「つらい思いや気味の悪い思いをたくさんしている子ですが、でも彼女はね、とても利口な子なんです。ああ見えて気は強いし芯も強い。実は腕っぷしだって強い。自分の身を守るすべは心得ている子です。そのために両親は、幼いころから彼女に空手を習わせました。今でも道場に通っているんですよ。黒帯、二段の腕前です」</p>
<p>「並みの男に手は出せない。安心しました。それに、山田さんのような良き理解者、親代わりのような存在がいることが何より心強い」</p>
<p>僕がそう言うと店長は、自分の役割に満足している人のようにほほ笑むと、また少し声のトーンを落として言った。</p>
<p>実は茂森さんの両親は、娘の「声優になりたい」という夢に反対していたという。そこで茂森さんは去年、20歳の誕生日を迎えた日に、両親に対して交換条件を持ち出した。</p>
<p>それは、大学の勉強もしっかりやって必ず卒業すること。声優学校の費用はアルバイトをして自分で捻出すること。二年間やってめぼしい成果が出なければ、そのときはすっぱりあきらめること。この三つを約束して、彼女は親を説得した。そしてすぐにアルバイトを決めた。</p>
<p>「それがこの店というわけです」と店長は言った。「実は彼女の父親の会社が目と鼻の先なんです。そんなご縁でよく利用していただいていまして、彼女もお父さんと一緒に何度かきたことがあります。だから、ひとりで店に訪ねてきてバイトさせてほしいと言われたときは、それはびっくりしましたよ。すぐに茂森さんに電話をしたら茂森さんもびっくりして、会社からすっ飛んできました。まあ最終的に、ここは大学からも近いしと、けっきょく父親が折れるかたちで…」</p>
<p>「お父さんは、監視ではないですが、娘の働きぶりをよく覗きにくるんですか」と僕は訊いてみた。<br />
「それが彼女が店に出ない日はくるんですが、出勤の日はこないんですよ。ちゃんとシフトを把握してるわけです。まあ、仕事上がりに娘がバイトしている店で一杯やるのは、気が引けるんでしょうね」</p>
<p>「気が引けるというより、緊張して酔っぱらえないでしょう。愚痴もこぼせない、バカ話もできない、女房の不満も言えない。それになんといっても、下ネタが言えない」僕がそう言うと、店長は「たしかに」と大笑いした。</p>
<p>そこへ店長を呼ぶスタッフの声がした。山田店長は声の主を一瞥してから、あらためて僕たちに礼を述べた。店員ばかりか店長の自分までお二人の時間を奪ってしまった。度重なる非礼をどうかお許しいただきたい。心のこもった貴重なアドバイスも感謝に耐えない。今夜は時間の許すかぎり飲んで食べて帰ってほしい。</p>
<p>そんなことを言って店長は席を離れた。茂森さんがまっすぐな眼差しでうれしそうにこちらを見ていた。軽く手を上げて僕はその視線に応えた。彼女も胸のあたりで小さく手を振り白い歯を見せた。</p>
<p>僕は一息つきたくて、一柳に声をかけてから席を立った。おバカな寸劇に興じているとき電話の着信があったのも気になっていた。</p>
<p>店の外で電話をしていると、隣席にいた二人連れの女性が店から出てきた。何を言っているのか聞き取れなかったが、一人は怖い顔をして何やら喚き散らしている。もう一人は同調しながら相手をなだめている様子だった。気づかれないように、咄嗟に僕は体を翻し背中を向けた。</p>
<p>店内に戻ると、入り口横のレジカウンターに笑顔の茂森さんがいた。たった今、恐ろしい女性たちを目撃したばかりの僕は、ことのほか茂森さんが天使に見えて、目が合ってドキッとした。僕が外に出たのを彼女は知っていて、戻ってくるのをここで待っていた。そんな表情が読み取れた。</p>
<p>笑顔の交換を済ませると「あの、お差し支えがなければ」と茂森さんは言った。「語り人さんのご連絡先を頂戴できないでしょうか」。</p>
<p>「あっ、名刺はカバンの中に…」そう言って席に戻ろうとする僕を、茂森さんは首を振って引きとめた。そして準備していたらしく「ここに書いてください」と、ペンと白紙の名刺カードを卓上に置いた。</p>
<p>背後に人がいないことを確認し、僕は手早く名前（本名）と電話番号とメールアドレス、それから少し考えて仕事場の住所を書いて手渡した。</p>
<p>すると茂森さんは（これもついさっき準備したのだろう）同じ名刺カードを、「すみません。あの、わたしも手書きです」と言って恥ずかしそうに両手で差し出した。名前は端正な字体で「茂森愛由美」と書かれていた。</p>
<p>（何か話さなければ…。名前だ。愛らしい名前だと言ってあげよう。いや、だから何なんだ。そうだ、さっき店長から聞いたことを話題にしよう。ダメだ、これはデリケートな問題だ）</p>
<p>けっきょく僕は茂森さんに何も言えなかった。言葉はいらないというロマンティックな判断からじゃない。なぜか言葉が出なかったのだ。（まさか、おれはこの子のまえで緊張しているのか？）</p>
<p>僕は自分が「カチカチ山の<b>愚鈍な中年男</b>」になったような気がしてうろたえた。そうだ。年甲斐もなく、この状況に胸が躍らなかったといえば嘘になる。もっと言おうか。</p>
<p><b>好きな女の子に嫌われることだけが怖かった、あの恋という熱病にかかっていた</b><b>10</b><b>代に戻りたいと思わなかったといえば嘘になる。</b><b></b></p>
<p><b>「おれは何だってできる」と右手に剣を左手に花束を持って理想を説く、あの鼻持ちならない</b><b>20</b><b>代に戻りたいと思わなかったといえば嘘になる。</b><b></b></p>
<p><b>安っぽい愛を絶叫する流行り歌を蔑みながらそれでも激しく愛を求めた、あの喪失感だらけの</b><b>30</b><b>代に戻りたいと思わなかったといえば嘘になる。</b><b></b></p>
<p><b>そして今。「もう若くないさ」と言い訳をして、そのくせ天使の微笑を待ち焦がれる、そんな矛盾だらけの自分が嫌いだといえば嘘になる。</b><b></b></p>
<p>ああ、こんな愚にもつかない<b>青臭い感傷</b>は犬にでも食われてしまえばいい。<br />
彼女が僕の連絡先をほしがったのには理由がある。それは…。</p>
<p>それより今は一柳だ。急いで席に戻ると、一柳は虚ろな顔をしてスマホを睨んでいた（ほとんどの人がスマホを見ているときは虚ろな表情をしているが）。</p>
<p>「一柳、隣の女性たちと何があった」勢い込んでそう訊くと、<br />
「ていうか、どうしたんすか」と一柳はわかりやすくとぼけてみせた。</p>
<p>「いいから話せ！」少し声を荒げると、一柳はいかにも作り笑いとわかる笑い声をあげて言った。「だってさっき、長老さまに誓ったじゃないすか」</p>
<p>「一匹のメスダヌキを、いや、一人の女性を生涯、愛しつづけますと」<br />
「そうっす」<br />
「寄ってくる不特定多数の女性を悦ばせるのは卒業したというわけか」<br />
「そうっす」<br />
「なるほど」</p>
<p>一柳は詳しく話したがらなかったが想像はついた。やつは本当に彼女たちを袖にしたようだ。僕が席を外したタイミングで、彼女たちは一柳に声をかけた。それを一柳は、とにかく冷たくあしらった。ひと言で彼女たちを撃沈させる一撃必殺の言葉で。</p>
<p>僕は想像してみた。<br />
「いやあ、オレの奥さん、怖いんだよ。浮気したら殺すなんて言うんだ。相手の女をね」</p>
<p>いや、違うな。店の外で見たあの様子からすると、彼女たちのプライドをズタズタにするナイフのようなひと言かもしれない。僕はこれ以上想像したくなかった。</p>
<p>かわいそうに。二人ともそこそこ<b>洗練されたイイ女</b>だった。いつもは言い寄ってくるギラギラした男たちを冷たくあしらう側だろう。それが今夜は、よもや自分たちがギラギラした女になっていようとは思ってもみなかったに違いない。</p>
<p>しかしその洗練さや美しさは、彼女たちが涙ぐましいまでの執念をもって、最新の流行やトレンドで装備した、いわば物理的成果に他ならなかった。つまり、少なからぬ<b>お金と労力を投入してやっと手に入れた類の洗練さであり美しさ</b>であり、それゆえメッキのように剥がれやすかった。</p>
<p>目的は「<b>イケメンのお金持ちとの誰もが羨む</b><b>セレブ婚</b>」かもしれないし、「<b>異性からも同性からもナメられないための武装</b>」かもしれないし、あるいは単なる「<b>自己満足</b>」かもしれない。いずれにせよ、彼女たちも戦っているのだ。彼女たちの戦い方で。もちろん、幸せになるために。</p>
<p>でも今日は相手が悪かった。相手は一柳だ。しかも、不特定多数の女を悦ばせることをやめたばかりの、改心した一柳だ。それとも一柳にしてみれば、ただ相手を選んだだけなのかもしれない。店の外で喚き散らしていた彼女たちの本性を、一柳は見抜いたのかもしれない。<b>あれは修羅場を引き起こすタイプの女たちだ</b>と。</p>
<p>「＂<b>据え膳食わぬは男の恥＂</b>を盲信していた今までの自分が恥かしいっすよ」そう言って一柳は力なく笑った。</p>
<p>このとき僕は確信を持った。勘違いなんかじゃない。<br />
「<b>おまえ、誰かに惚れたな。ひとりの、特定の女に</b>」</p>
<p>そう言ってから気づいた。だとすれば僕の知るかぎり、<br />
これは一柳の正真正銘、掛け値なしの「<b>初めての恋</b>」。<br />
でも、だったらなぜそんなにも愁いに打ち沈んでいる？<br />
いや、恋とはもともとそんなもの。しかも一柳の場合…</p>
<p>「愚鈍な中年男の＂<b>惚れたが悪いか</b>＂ってやつですよ」<br />
そう言って一柳はこれが実質上の<b>初恋</b>であることを認めた。</p>
<p>「すごいじゃないか！　そうか、とうとうおまえも年貢を納めるか。これで長老さまも文句はないだろう。げんこつ山に戻れるぞ。とにかく、これはめでたい！」と僕は興奮して言った。</p>
<p>「河岸を変えて飲みなおそう。うん、シャンパンがいい。まずはシャンパンで乾杯だ。この<b>稀代のモテ男</b>の心を射止めたのは、いったいどこのどんな女だ？　じっくり聞こうじゃないか」</p>
<p>「語り人さん、その話はまたにしてもらっていいすか」<br />
僕の興奮をよそに一柳は浮かない顔をして言った。<br />
「まだ話せる段階じゃないんすよ」</p>
<p>「まさか…」これはよくあるひとつの可能性を示唆している。<br />
「まさかおまえ、<b>道ならぬ恋</b>じゃないだろうな」<br />
僕の心配を一柳は一笑に付した。</p>
<p>「それはないっす。それは杞憂っす。<b>人妻の浮気相手にだけはなるな</b>。これも語り人さんの教えでしょ」いや、教えではないが持論ではある。</p>
<p>ともかく一柳は、今日は勘弁してくれの一点張りで、どうやらこれ以上口を割るつもりはないようだった。そうして僕たちは、別の店に繰り出すでもなく、シャンパンでお祝いをするでもなく、まあ僕としてはいまひとつ釈然としない気分で別れたわけだ。</p>
<p>ただこのことで、一柳を責めることはできない。僕は僕で「茂森愛由美」と密かに連絡先の交換をしたことを、なぜか一柳に言えなかった。</p>
<p>昔は秘密なんて何ひとつなかった。どんなことも包み隠さず言い合えた。<br />
良いことも悪いことも。嬉しいことも悲しいことも。誇らしいことも悔しいことも。自慢したいことも恥ずかしいことも。大事なことも些細なことも全部。なんだって僕たちは共有してきた。ケンカだっていっぱいした。そのたびに絆は強くなった（と信じていた。今も…）。</p>
<p>でも今は、言えないこと話せないことがある。言いたくないこと話したくないこともある。関わったり関わられたりがいやなことだってある。そんなふうに一柳も僕も、そっと胸に収めてしまうことが年々増えてきた気がする。それは僕たちが年を取ったからなのか。きっとそうなのだろう。</p>
<p>ひとまずここで、一柳と会った半年前の記憶の映像ファイルを閉じることにする。長々と振り返ってみたが、<b>女絶ち発言</b>も<b>金持ち宣言</b>も、けっきょく真相はわからずじまいだった。</p>
<p>しかしもちろん、一柳の女絶ち発言も金持ち宣言も、<br />
ヒントは半年前のこのエピソードの中に潜んでいる。</p>
<p>そして僕の方はと言えば、この焼鳥屋での出来事の数日後、僕がなかば期待もし、なかば恐れてもいたことが現実のものとなった。</p>
<p>茂森愛由美から手紙が届いたのだ。メールではなく、郵便で届けられた封書の手紙。彼女らしい端正な字体で綴られた、美しい日本語の手紙。</p>
<p>それから僕と茂森愛由美は、半年後の今も、毎週のように顔を合わせている。</p>
<p>それを一柳は知らない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>（次章につづく）</p>
<p>&nbsp;</p>
<div class="point">
<h3><span>今日のボイスメモ、あるいは、声にまつわるささやかな教訓</span></h3>
<ol>
<li>多くの人にもっとも欠けている才能、それは<span style="color: #ff6600;"><b>決してあきらめないという才能</b></span>だ。</li>
<li>ただし<span style="color: #ff6600;"><b>目標設定に期限を設けること</b></span>は必要だ。期限内に達成できなかったときは、<span style="color: #ff6600;"><b>未練を捨てすぐに方向転換する潔さ</b></span>を持つこと。それを「あきらめ」とは呼ばない。</li>
<li>どんな人の中にも、ときとして悪意が宿ることがある。本人も気づかないうちに。人の悪意に取り込まれないよう自衛手段を取ることも大事だが、<span style="color: #ff6600;"><b>自分の中に潜む悪意</b></span>にも注意を払おう。<span style="color: #ff6600;"><b>自分で自分を守る</b></span>とはそういうことだ。</li>
<li>周囲の反対を押し切ってでも、あなたにはやりたいこと、かなえたい夢がある。そんなときまず考えるべきは、<span style="color: #ff6600;"><b>なぜ周囲は反対するのか</b></span>という客観的な理由だ。</li>
<li>人生は選択の連続だ。<span style="color: #ff6600;"><b>現在の自分は過去にした選択によって組成されている</b></span>といっていい。何を選び、何を選ばなかったか。ときどき過去を振り返り検証してみよう。よりよい未来の選択のために過去を振り返るのは有効だ。</li>
<li>自分を磨くことについて。すぐに化けの皮が剥がれるようではお里が知れるというもの。<span style="color: #ff6600;"><b>磨くべきは礼儀と感情のコントロールだ</b></span>。</li>
</ol>
</div>
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		<title>第3話3章　一流の美少女</title>
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		<pubDate>Mon, 18 Aug 2014 10:04:44 +0000</pubDate>
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				<category><![CDATA[第3話　ボイスアクター編②　一流の証明]]></category>
		<category><![CDATA[お伽草子]]></category>
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		<description><![CDATA[そんな彼が女断ち？　これはたしかに一大事だけど、 それも気にはなるけど、ほかにも何かあったような。 金持ち？ 　そうだ、これだ。一柳はたしかに言った。 「自分は来年、金持ちになっている」と。 （2章「一流のモテ男」のつづ [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>そんな彼が女断ち？　これはたしかに一大事だけど、<br />
それも気にはなるけど、ほかにも何かあったような。<br />
金持ち？ 　そうだ、これだ。一柳はたしかに言った。<br />
「自分は来年、金持ちになっている」と。<span id="more-235"></span></p>
<p>（2章「<a href="http://kataribito.net/03/03-2/">一流のモテ男</a>」のつづき）</p>
<p>僕は半年前、一柳と会ったときの映像ファイルを脳の海馬から引っ張り出し、脳内スクリーンに再生してみた。その日はたしか、<b>ラジオドラマの収録</b>だった。</p>
<p>仕事が終わって、ふたりでスタジオ近くの焼鳥屋で飲んだ。場所は四谷三丁目。生レバーを食べさせる店。そうだ、あのときから一柳は変だった。</p>
<p>隣のテーブル席に、アラサーとおぼしき二人連れの女性客が入ってきた。そのとき一柳は少し顔をしかめ軽く舌打ちをした。そして吐き捨てるように言った。</p>
<p>「あーあ、最近は焼鳥屋にも女性客がくるんすね。めんどくせーな。女がいそうもない店を選んだんすけどね」女性に対してそんな投げやりな態度を見せる一柳を、僕ははじめて見た。</p>
<p>（らしくないな、一柳。おまえはどんなときでも<b>優雅なモテ男</b>でいなくちゃいけない。だから女性に向かって「めんどくせーな」なんて吐き捨てちゃダメだ）と僕は心の内で一柳を諌めた。</p>
<p>ふたりの女性は、こちらをチラチラ見ていた（正確にいえば一柳を見ていた）。そして、明らかに合流したがっていた（正確にいえば一柳と合流したがっていた）。合体したがっているかどうかまではわからない。もちろんそれはもっとあとの問題だ。</p>
<p>「おれに遠慮はいらないよ。＂Shall we dance？＂と言ってほほ笑めばいい。でもどうやら、今日はそんな気分じゃないみたいだな」と僕は苦笑交じりに言った。<br />
「わかりますか。今日は、語り人さんと水入らずで飲んで話したいなあって、そう思ってるわけっす」と言って一柳は言い訳するように照れ笑いした。</p>
<p>「どうした？　また<b>女性問題</b>で尻に火がついちまったか」と僕は振ってみた。<br />
<b>「尻に火がつく」とは事態が差し迫って追い詰められた状態になること。</b></p>
<p>よく漫画や絵本なんかで、ズボンのお尻に火がつき逃げ回っている絵がある。悪さをしたキツネくんだかタヌキくんだかが、最後に懲らしめられるというお決まりのお話（キツネくんだかタヌキくんだかはなぜか半ズボンを履いている）。「もう二度と、悪さはしません！」と泣いて謝っておしまい。しかし、これほど一柳に似合わない絵もないだろう。</p>
<p>「オレが何かヘマをやらかして、女性から○○を迫られてる、そういう話だと思ってるんなら間違いっすよ」<br />
「おまえほどキレイに出会ってキレイに別れる男はいない。そんなことはわかってる」</p>
<p>これは本当だ。<b>浮気とか別れ話につきものの修羅場</b>を、おそらく彼は一度も経験していないと思う。いつだったか不思議に思って訊いたことがある。なぜ泣いたり喚いたり、怒ったり責めたり、恨んだり憎んだりの修羅場にならないのか。どうやって回避しているのかと。</p>
<p>「こう見えて選んでるんすよ。そうならない相手を」と一柳は言った。<br />
「<b>勝てない喧嘩はしない</b>というのと同じロジックだな」と僕は返した。<br />
「そうっす。<b>負けないためには強い相手と戦わないこと</b>。か弱く見えても、女性はもともと男より強いっすから。ケンカしちゃいけないんっす」<br />
「なるほど」<br />
質問に対する答えとしては、わかったようなわからないような、なんだかはぐらかされた感はあったが、これはこれでひとつの哲学ではある。</p>
<p>「でも語り人さん、鋭いっす。たしかに今のオレは、尻に火がついてるって表現がぴったりの状況なんす」と言って一柳は、まるでこれで火が消せるとでもいうように、ジョッキに半分近く残っているビールを一息で飲み干した。</p>
<p>そこへ、胸に「茂森」というネームプレートをつけた店員が見計らったようにやってきた。「お飲み物のおかわりはいかがですか」の声に一瞬ドキッとした。<b>ほどよく湿り気を帯びた耳に心地良い質感のある声</b>。</p>
<p>そして笑顔だ。<b>見ていると吸い込まれてしまいそうなシャンパンの泡のような笑顔</b>。アルバイトの女子学生だろうか。とにかく、一柳がジョッキを空にしたのを見ていたに違いない。</p>
<p>いつもの一柳なら、ここであの<b>無敵の笑顔</b>を見せて「ああ、ありがとう。おかわりっていい言葉だよね。なんだかとても幸せな気分になる。そんなキラキラした笑顔で言われるとなおさらだ」とかなんとか言って女性をうっとりさせるのだが、今日は押し黙ったまま笑顔も封印している。</p>
<p><b>夢に向かってがんばっている若い人にエールを送る</b>のは僕の仕事でもある。一柳がそんな調子なので僕が代役をつとめた。</p>
<p>「その奇跡みたいな<b>笑顔とタイミングの良さ</b>は、茂森さんがこれから夢を叶える上で大きな助けになると思う。たとえそれがどんな夢でも。ありがとう。生ビールのおかわりをふたつ」</p>
<p>思いがけず名前で呼ばれて、茂森さんは恥ずかしそうに頬を赤らめた。<br />
「はい。あの、わたしがんばります！　おかわり、すぐにお持ちします」<br />
そう言って、本当にすぐにおかわりを持ってきた茂森さんは、質問してもいいかと訊ねた。「もちろん、どうぞ」と僕は返した。</p>
<p>茂森さんの質問は、僕たちが<b>声のプロ</b>ではないか、というものだった。<br />
「あの、<b>声の響き方</b>というか<b>通り方</b>がすごくて、あと<b>滑舌</b>とかもすごくて、きっとそうだって」</p>
<p>「ごめん。うるさかったね。もう少し抑えるようにします」<br />
「やっぱりそうなんですね！　いいえ、ぜんぜんうるさくなんかないです。もっと聞いていたいです。あの、実はわたし、勉強中なんです」</p>
<p>茂森さんは<b>大手声優プロダクション</b>の名前をあげ、そこの<b>養成所</b>に週１回通っているのだと言った。また本業は大学生で、都内の国立女子大学の３年生だと聞いて僕はため息をついた。やれやれ、一柳にしても茂森さんにしても、国立大学までいってなぜこの道に入る？</p>
<p>まあ一柳に関して言えば、実は彼をこの道に誘い込んだのは他ならぬ僕だ。しかし大学時代、僕たちが出会ったとき彼はすでに舞台に立つ役者でありダンサーだった。大学内に限った評価ではあるが、大学の演劇界と社交ダンス界において、一柳はちょっとした有名人だった。</p>
<p>そんな一柳がその後すっぱり役者をやめ、ダンスもやめ、紆余曲折を経てナレーターになるに至った顛末、これはまた別の章でお話しよう。</p>
<p>国立女子大学に在籍する学生で、なおかつ大手声優プロダクション付属の養成所で声の演技を勉強する茂森さん。僕は応援したいようなしたくないような複雑な思いにとらわれた。</p>
<p>「語り人さん、<b>養成所講師</b>としての立場から茂森さんに何かアドバイスを」<br />
ずっと黙り込んでいた一柳がここで口を開いた。（ばかやろー、やっとしゃべったと思ったら余計なことを！）</p>
<p>僕は一柳を睨みつけた。それでも彼はおかまいなしに、僕の素性というか経歴を得意げにしゃべりはじめた。茂森さんは目を輝かせて聞いている。</p>
<p>「<b>カチカチ山のタヌキくん！</b>」<br />
声の圧を上げて、僕は一柳のおしゃべりを封じた。「こういう場所で人の個人情報をむやみに話すのは感心しないな。だいたいおまえは自分の<b>尻に火がついている</b>ことを忘れないほうがいい」</p>
<p>「はい、そうでしたー！」と言って一柳は盛大に笑った。すっかりいつもの調子に戻った一柳は、茂森さんに向かって悪戯っぽい目をして言った。</p>
<p>「語り人さんはね、良い子だったオレをこの世界に引っ張り込んだ悪い人なんだ。おかげでオレの尻にはずっと火がついてる。この世界に入ると尻に火がつくんだよ。覚悟しておいたほうがいい」</p>
<p>「なんてやつだ！」僕は一柳を一喝した。「この世界に夢を求めてがんばっている若い人につまらんことを言うな。それに、おまえの尻に火がついてるのは誰のせいでもない。自分のせいだろ。おまえに悪人呼ばわりされる覚えはない」</p>
<p>「一柳さんはカチカチ山のタヌキさんなんですか？　かわいそお…」<br />
僕たちの丁々発止のやり取りを面白そうに聞いていた茂森さんは、一柳に同情の目を向けた。</p>
<p>「うん。オレ、かわいそおなんだ。<b>げんこつ山</b>では幸せだったんだけどね」<br />
「げんこつ山？」茂森さんは首を傾げた。<br />
すると一柳は、身振り手振りを交えて歌い出した。</p>
<p><b>♪げんこつ山のタヌキさん<br />
おっぱいのんでねんねして<br />
だっこしておんぶして<br />
またあした♪</b></p>
<p>「ね、げんこつ山って<b>楽園</b>でしょ？」と一柳は茂森さんにウインクした。</p>
<p>「やめろ。おまえが歌うとおとなの歌に聞こえる。さらに茂森さんに楽園という言葉を印象づけ、意味ありげにウインクをした時点でセクハラ罪に該当する。迷惑防止条例違反にも抵触するだろう。茂森さん、こいつを訴えなさい。僕が証人台に立つ」</p>
<p>僕がそう言うと、茂森さんはお腹を抱えて笑った。かたちの良い唇から白い歯がこぼれた。</p>
<p>「いやだなあ、語り人さん。オレは童謡を歌っただけっすよ。そこにあらぬ意味を付加するのは語り人さんの想像力というか妄想力というか、つまり品性の問題っす」<br />
「ばかやろう！　おまえに品性をうんぬんされたくなんかない！」<br />
茂森さんは目に涙をためて笑いこけている。</p>
<p>「いいか一柳、よく聞け。たしかにおまえは以前、げんこつ山という名の楽園で楽しく幸せに暮らしていたかもしれない。でもそれはもう昔の話だ。女心を弄び、公序良俗を乱して省みないおまえに業を煮やしたげんこつ山のタヌキの長老が、おまえをカチカチ山に追放したんだ。もう観念するんだな」</p>
<p>「後生です、長老さま！」ここで一柳の<b>演技スイッチ</b>が入った。<br />
「オレはもう心を入れ替えました。勘弁してください。これからは一人の女、いえ一匹のメスダヌキを生涯愛しつづけると誓います。ですから、どうかオレをげんこつ山に戻してください！　このままではオレは、カチカチ山のウサギに殺されてしまいます！」</p>
<p>「一柳よ、おまえは罪を重ねすぎた。もう遅い。罰を受けるのじゃ！」</p>
<p>「ひどいです。ひどすぎます、長老さま。オレがいったい、どんな罪を犯したというのです。オレはただ、オレに群がってくる数多のメスを悦ばせてやっただけ。いわば動物界のオスとしての本分を果たし、我らが種の利己的遺伝子の導きに添い従ったまでのこと。それのどこが罪だというのですか！」</p>
<p>「数多のメスを悦ばせてやったと？　利己的遺伝子の導きだと？　たわけたことを！　利己的遺伝子などという小賢しい概念は、おまえのようなはみ出し者の詭弁にすぎぬ。利己的なのはおまえ自身じゃ。動物界にあってオスの使命は快楽の享受ではない。まず生殖じゃ。種の存続じゃ。種の遺伝子の導きは、すべからく生殖を旨としておるのじゃ。おまえはそれを果たしたか？　果たすべく生きてきたか？」</p>
<p>「これから命を賭して果たします。一匹のメスを深く愛し、もって我らが種の繁栄に寄与し、子々孫々の絶えざる系譜を未来永劫繋げてまいります。なんとなれば、げんこつ山の良識ある民として秩序を重んじ、長老さまの尊い教えをあまねく広めてまいる所存にあります。ですから、どうか長老さま、いま一度お考え直しを！」</p>
<p>「はい、OK！」僕は演技スイッチをオフにして言った。<br />
「ていうか一柳、途中から芝居の方向性が変わっちゃったじゃないか」<br />
「すんませーん。まあでも、最後はなんとなく整ったじゃないっすか」</p>
<p>「もう、なんなんですか！　スゴいです。スゴすぎます！」<br />
僕たちのおバカな即興寸劇に圧倒されたらしく、茂森さんは端正な顔をクシャクシャにして昂奮を伝えた。「これが即興だなんて、信じられません！」</p>
<p>「茂森さんが生まれる前からやってるオレたちのお遊び」一柳が言った。<br />
「だけど、そのときの本音がついポロっと出てしまう怖いお遊びなんだ」<br />
そう言って僕は話の矛先を一柳に向けた。ちょうどいいタイミングだと思ったからだ。</p>
<p>「さあ一柳、今のはなんだ。一匹のメスを深く愛するってどういうことだ。おまえ、やっぱり何かあったな。詳しく聞かせてもらおうじゃないか」</p>
<p>「何をおっしゃるウサギさん。いやだなあ、心理分析は勘弁してくださいよ」と一柳はおどけてみせた。<br />
「なるほどそうか、わかったぞ。おまえはいま、ウサギさんに怯えている」</p>
<p>僕はかまわず分析を進めた。だって一柳は今日、この話を僕にしたかったに違いないのだ。そこへ絶妙のタイミングで茂森さんが食い込んできた。</p>
<p>「ウサギさんは、おじいさんとおばあさんを殺したタヌキさんに仕返しをするんですよね。たしか、タヌキさんの背中に火をつけて、泥の舟に乗せて沈めて殺しちゃう」</p>
<p>「そう、平然と殺しちゃう」茂森さんのどんぴしゃの導入に感心しながら僕は引き継いだ。「ウサギは実に周到な復讐計画を立てるんだ。背中を火傷したタヌキに、薬と偽ってカラシを塗ってあげたりしてね。じりじりとタヌキをいたぶり追い込んでいって、最後には残酷な殺し方をして涼しい顔をしている」</p>
<p>ここで一拍置いて、僕は茂森さんに<b>太宰治のカチカチ山</b>は知っているかと訊ねた。<br />
「いいえ。お恥ずかしい話、太宰治でちゃんと読んだのは『<b>走れメロス</b>』と『<b>人間失格</b>』くらいです」と言って茂森さんは申し訳なさそうな顔をした。</p>
<p>「うん。太宰の代名詞ともいうべき二作品。たいていの人がそこでとどまっちゃう。太宰はもういいやってね。でもその二作でよしとするには、太宰は実にもったいない作家なんだ。他にも優れた作品がいっぱいある」</p>
<p>「語り人先生、今は講義の時間ではありませんよ」一柳が茶々を入れた。<br />
「わかってるよ」一柳を睨んでから僕はつづけた。</p>
<p>「昔話に材をとった『<b>お伽草子</b>』という傑作がある。太宰一流のユーモア感覚で昔話を現代風にアレンジした、いわばパロディ作品なんだけど、カチカチ山はその中に収められている一編で、そこで太宰は、ウサギを<b>16</b><b>歳の美少女</b>に置き換えている。潔癖で純真な、それゆえ残酷な美少女にね」と言って僕は茂森さんの反応を待った。</p>
<p>「そうすると、タヌキさんは？…」茂森さんは期待どおりの反応をした。<br />
「タヌキはその<b>美少女に恋をした愚鈍な中年男</b>」と言って僕は苦笑した。</p>
<p>「えっ、そうなんですか。それで、最後にはやっぱり、少女は男の人を殺しちゃうんですか？」茂森さんは目を輝かせた。</p>
<p>「もちろん、結末は変わらないよ。少女は生理的嫌悪感をもって男を虐待しつづけ、男は少女の歓心を買いたいばかりに、嫌われても嬉々として少女に服従をつづける。そして、最後のシーンがゾッとするんだ」<br />
僕は少し間を取ってからつづけた。</p>
<p>「少女は＂<b>惚れたが悪いか</b>＂と言い残して水底に沈んでいく男を見送り、そして汗を拭い美しい風景を見て微笑を浮かべる。その微笑は狂気というより無邪気さに彩られている。つまり…」このへんでそろそろ締めよう、と僕は思った。</p>
<p>「つまり太宰のカチカチ山は、<b>少女の純粋さゆえの悪意</b>と、<b>恋する男の惨めさ</b>を描いた作品ということができる」たしかに僕は先生口調になっていた。</p>
<p>「あの、要するにこういうことですか」茂森さんはいかにも優等生らしい質問を投げてきた。「太宰治のカチカチ山では、ウサギつまり<b>少女は加害者</b>で、タヌキつまり<b>男が被害者</b>であると」</p>
<p>もしそうなら、私は少女代表として断固抗議します、といわんばかりに茂森さんは語気を強めた。</p>
<p>（悪くない）と僕は思った。（<b>しゃべりの緩急、強弱のつけどころ、出だしのタイミング、間の取り方</b>などに非凡さを感じる。見た目の華やかさについ目を奪われがちだが、この子はたしかに声優として見所がある）。</p>
<p>いつのまにか本業の感覚を研ぎ澄ませている自分に苦笑しながら、僕は茂森さんの質問に答えた。</p>
<p>「うーん、太宰は必ずしも<b>加害者と被害者</b>という関係性で捉えていないんだ。もしも明確にそうしていたら、つまり二元論で捉えていたらということだけど、この作品はここまで普遍性を持ちえなかったと思う。ただ太宰は、原作に潜むウサギの＂そこまでやるか＂という<b>容赦ない残虐性</b>に着目した。まあ太宰も男だから、タヌキに対して多少同情的な見方をしているのは否めないかもしれないけど」</p>
<p>ずっと考え事をしている様子で黙って聞いていた一柳が何か声を上げた。<br />
（おそらくこのへんで、やつはまとめに入るだろう）と僕は予想した。</p>
<p>「物語の最後に、太宰は警句めいた言葉をつぶやいてますよね。<br />
えっと、覚えてるかな…」と言って一柳は記憶から言葉を探った。<br />
（あの言葉だな）と僕は思った。（さすが一柳だ。締めにふさわしい）</p>
<p>「<b>＂女性にはすべて、この無慈悲な兎が一匹住んでいるし、男性には、あの善良な狸がいつも溺れかかってあがいている＂</b>。結局のところ太宰は、これが言いたかったんじゃないっすかね」</p>
<p>茂森さんが何か言いたそうにしたが一柳はそれを遮った。<br />
「さあさあ、この話はこれでおしまい！」そして茂森さんを見て言った。</p>
<p>「そろそろ茂森さんを解放してあげなきゃ。店長さんに叱られたらかわいそうだ。茂森くん、いつまでそこで油を売ってるんだ。お客さんは他にもいるんだよ！」そう言って一柳は、頭に指で角を作り鬼の顔をしてみせた。</p>
<p>すると茂森さんはハッっと我に返って言った。「あっ、申し訳ありません！　お客さまのお席で、わたしったらなんて無作法なことを。あまりにも楽しくって、わたし…。本当にご無礼いたしました。では、またご用がございましたらなんなりとお申し付けください。お邪魔いたしました」</p>
<p>「邪魔なんかじゃない！」そのときふたりの中年男は偶然、同時に同じ言葉を口にした。腹式で発声されたふたつの音は倍音になり、予想を超えた重奏ハーモニーを奏でた。それが店中に響き渡ったため、全員の視線が一斉にこちらに注がれた。</p>
<p>「すみません…」と誰に謝るでもなく僕たちは立ち上がって何度も頭を下げた。気を取り直して僕は、両手で口を押えて笑っている茂森さんに囁くように言った。例のウィスパーボイスで。</p>
<p>「邪魔なんかじゃない。<b>君の日本語は美しい。ずっと聞いていたい。</b>こちらこそ楽しくて心地よくて、つい引き込んでしまった。ごめんね。君が叱られなければいいんだけど」</p>
<p>（これじゃまるで口説き文句だ）もちろんそんなつもりは毛頭ないのだけど、彼女の声をずっと聞いていたいと、僕は本当にそう思ったのだ。</p>
<p>それから少しして、僕たちと同世代とおぼしき男が席にやってきた。きっと店長だろう。「他のお客さまのご迷惑になりますので」とかなんとか言われて店を追い出されるに違いない。僕も一柳も覚悟した。</p>
<p>（次章につづく）</p>
<p>&nbsp;</p>
<div class="point">
<h3><span>今日のボイスメモ、あるいは、声にまつわるささやかな教訓</span></h3>
<ol>
<li>同性同士でゆっくり飲みたいときは<span style="color: #ff6600;"><b>焼鳥屋</b></span>に行こう。思いがけず<span style="color: #ff6600;"><b>良い出会い</b></span>が待っている（かもしれない）。少なくとも<span style="color: #ff6600;"><b>オシャレな店</b></span>に行くより、あるいは<span style="color: #ff6600;"><b>物欲しげで思わせぶりな合コン</b></span>に参加するよりよほど有意義だ。</li>
<li>尻に火がつかないと（つまり事態が差し迫って追い詰められた状態にならないと）やる気が起きなかったり、力が発揮できなかったりする。<br />
ならばそれを逆利用しよう。<span style="color: #ff6600;"><b>あえて尻に火をつける</b></span>のだ。でも、沈められて溺れないように気をつけて。</li>
<li>よく「<span style="color: #ff6600;"><b>間が良い・間が悪い</b></span>」（間＝タイミング）という。人生でも声の世界でも、<span style="color: #ff6600;"><b>間が良い人が運をつかむ</b></span>のはいうまでもない。</li>
<li>そして<span style="color: #ff6600;"><b>笑顔</b></span>だ。笑顔が引きつるなど、笑顔が苦手という人には<span style="color: #ff6600;"><b>表情筋のトレーニング</b></span>をお勧めする。笑顔は<span style="color: #ff6600;"><b>成功と幸福に良く効く薬</b></span>です。</li>
<li>飲み屋ではあちこちで<span style="color: #ff6600;"><b>個人情報</b></span>が飛び交っている。飲んでしゃべるとつい声が大きくなり、ガードがあまくなり警戒心も弱くなる。内緒の話をしたい人、しゃべりまくりたい人、いつのまにか<span style="color: #ff6600;"><b>歌い出したり寸劇をやってしまう癖</b></span>のある人は、個室完備の店にいこう。</li>
</ol>
</div>
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		</item>
		<item>
		<title>第3話2章　一流のモテ男</title>
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		<pubDate>Thu, 07 Aug 2014 13:10:25 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[kataribito]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[第3話　ボイスアクター編②　一流の証明]]></category>
		<category><![CDATA[ええかっこしいのやせ我慢]]></category>
		<category><![CDATA[この話はなかったことにしよう]]></category>
		<category><![CDATA[バリトンボイス]]></category>
		<category><![CDATA[三段論法]]></category>
		<category><![CDATA[武士]]></category>
		<category><![CDATA[武士は食わねど高楊枝]]></category>
		<category><![CDATA[顔出し]]></category>

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		<description><![CDATA[「わかったよ。収録後にキャッシュで払おう。プラス飲み代でどうだ」 こんな待遇が許されたのは映画評論家の淀川長治さんぐらいだぞ、 そう返そうとした瞬間だった。彼はその驚くべき提案を口にしたのだ。 「いや、そうじゃないっす。 [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>「わかったよ。収録後にキャッシュで払おう。プラス飲み代でどうだ」<br />
こんな待遇が許されたのは映画評論家の淀川長治さんぐらいだぞ、<br />
そう返そうとした瞬間だった。彼はその驚くべき提案を口にしたのだ。<br />
「いや、そうじゃないっす。ていうか、ギャラはいらないっす」<br />
「なんだって？」<span id="more-222"></span></p>
<p>（１章「<a href="http://kataribito.net/03/03-1/">一流への序章</a>」のつづき）</p>
<p>いや違う。僕は「なんだって？」なんて言わなかった。<br />
そんな疑問形の反応はしていない。たしか「なるほど」<br />
そうだ。深く息を吸って「なるほど」と言ったのだ。<br />
そのあと、たぶん「そうきたか」とも言ったと思う。<br />
ギャラはいらないという、一柳の真意がわかったからだ。</p>
<p>説明しよう。一柳の真意、および思考プロセスをまとめるとこうなる。</p>
<ol>
<li><b>語り人から提示された仕事のギャラは、彼が自らに定めたギャラの下限を下回っていた。</b></li>
<li><b>よってこの仕事を受けることはできない。受ければ自分の志（信念）を曲げることになる。</b><b><br />
</b></li>
<li><b>でもこの案件は魅力的だ。やりたい。ならば方法はひとつ。仕事として受けないことである。</b></li>
</ol>
<p>似たような経験が、かつて僕にもあった。<br />
やはり友人の同業者からの申し出で、だけどそれはとてもギャラとはいえない額だったので、僕は「金はいらない」と言った。「ビールをご馳走してくれればそれでいい」と声の出演を快諾した。</p>
<p>ところが収録後、「少ないですが」と封筒を渡された。中にはとてもギャラとはいえない額の現金が、おしとやかに一枚入っていた。「いらないって言ったよね」と僕は固辞したが、「いえいえ、仕事は仕事ですから」と押し付けられた。</p>
<p>「友情出演のつもりだった。仕事だったら引き受けなかったよ」と僕は少し憮然とした。すると相手は「では、お車代ということで」と名目を変えてきた。押し問答のすえ根負けして受け取るはめになったのだけど、ひどく後味の悪い思いをした。そう、けっきょく僕は後味の良いビールにもありつけず、タクシー代にもならない「お車代」をもらって電車で帰ったのだ。</p>
<p>まあ、今回のケースとは似て非なる話だが、「志」という見地から言うと、一柳も僕も似た者同士なのかもしれない。いずれにせよそれは「<b>武士は食わねど高楊枝</b>」的な、<b>ええかっこしいのやせ我慢</b>に他ならないのだけど。</p>
<p>「語り人さん、話が早いっす。それでひとつ、手を打ってくださいな」</p>
<p>一柳に爽やかにそう言われると「そうだね。ま、いいか」と、つい手を打ちたくなる。シャンシャンって。しかし、ええかっこしいのやせ我慢と言われようが、やっぱりそうはいかない。</p>
<p>「そうはいかないな」と僕は反論した。「見事な<b>三段論法</b>だ。筋は通ってる。でもそれはおまえの論理であって、おれのじゃない。いいか、これは仕事なんだ。タダ働きをさせるほど、落ちぶれちゃいないよ。お互い、自分の主義は貫こうぜ」</p>
<p>そう言って僕は、「<b>この話はなかったことにしよう</b>」と付け加えた。<br />
わずかな沈黙のあと、一柳のひときわ大きな笑い声が携帯を震わせた。</p>
<p>状況が不利になったとき、または悪気のなさを示したいとき、一柳はいつもとりあえず盛大に笑う。「<b>笑いがすべてを水に流す</b>」とでもいうように。</p>
<p>いわゆる「笑ってごまかす」のとは違う。一柳の場合「<b>笑いで流れを変える</b>」、もっと言うと「<b>笑いで福を呼ぶ</b>」という感じ。これも彼の愛すべきクセ、というか処世術だ。そして笑ったあと、相手を微笑ませずにはおかない、なんともいえない友好的なセリフを吐くことも。</p>
<p>「ていうか、会いたいっすよ。語り人さんと。<br />
オレ、遊びにいっていいっすか。収録現場に」</p>
<p>（ほらきた。変わってないな、一柳）僕は笑いたいのを懸命に堪えた。</p>
<p>「語り人さんのビルゲイツ、聴きたいっす。バフェットと丁々発止やるんっすよね。オレ、ほっといてもバフェットになっちゃいそう。<b>インテリジェンスのゲイツ</b>と、<b>下ネタしゃべくり放題のバフェット</b>。オレたちと同じ、最強のコンビじゃないっすかぁ！」</p>
<p>一柳は調子にのりすぎている。ここは諌めなければ、と釘を刺した。</p>
<p>「バーカ、同じなもんか。第一に、おれたちは金持ちでも成功者でもない。第二に、この対談中ゲイツは一貫してバフェットに敬意を表している。ふたりの資産額の差はともかく、かなりの年齢差があるからね。そして第三に…」</p>
<p>「ストップっす！」第三の理由を制止し、一柳は反撃に出た。<br />
「第一に、語り人さんは好きなことだけやって食べていけるという点において成功者っす。それとオレは来年、金持ちになってるはずっす。第二に、語り人さんは出会ったときからずっとオレに敬意を表してくれてるっす。第三に、正当に振舞われるタダ酒ほど美味いものはないっす。これでどうっすか！」</p>
<p>たしかに丁々発止だ。成功者の定義に異論はあるが、わかったよ。一柳、おれの負けだ。手を打とう。</p>
<p>「ただし」と僕は言った。「女の子のいる店には行かないぞ。女の子以外なら、寿司でも焼肉でも何でも好きなものを食ってくれ」</p>
<p>女の子のいる店に行かないと言ったのには理由がある。<br />
一柳はまずモテる。とてつもなく女にモテる男なのだ。</p>
<p>なんといっても彼は、頭はいいしマスクもいい。もちろん声もいい。そのうえサービス精神旺盛で女を飽きさせない。くわえて大学時代、ソーシャルダンスで学生チャンピオンに輝いた実績もある。</p>
<p>ダンスで身についた優雅な立ち姿、キレのある身のこなし。そして極め付けは、女性を虜にするその笑顔だろう。どこまでも爽やかで罪のない笑顔。<br />
ある女性は言った。「あの笑顔はルール違反よね。女の子なら、だれだって恋に落ちるわよ」</p>
<p>実際、一柳が「Shall we dance？」と声をかけてなびかなかった女性を、僕は知らない。</p>
<p>とにかく、罪のない笑顔を持つ実に罪作りな男なのだ。そんな男とだれが好んで女の子のいる店に行くだろうか。だれが進んで引き立て役に甘んじるだろうか。</p>
<p>それがひとりだけいる。その物好きな男は、そのマゾヒスティックな男は、誰あろう僕だ。大学時代から、僕たちはそんな関係だった。</p>
<p>つまり一柳と僕はもう四半世紀の付き合いになるわけだけど（あれ、年齢がバレちゃうね！）、その話はセピア色の回想シーンでおいおい語っていくとして、現在に戻そう。僕たちはいま、電話でちょっと込み入った話をしている。</p>
<p>「それからもうひとつ」僕は電話越しにもう一本釘を刺した。「セリフは台本どおりにやってくれ。一字一句違わずにだ。セリフを勝手に創作することは許されない。これはビジネスなんだ」</p>
<p>すると一柳は、またしても驚くべきことを口にした。<br />
「ご心配にはおよばないっすよ。いまオレ、女断ちしてますから。それと台本は当日、現場で拝見するっす。事前に下読みしちゃうと、マジ仕事になっちゃいますからね」</p>
<p>「おい待てよ…」僕は一柳の言葉の何かが引っかかったが、彼はお構いなしにつづけた。<br />
「それに、台本は初見のほうが燃える。初めてやる女と同じだって、これ語り人さんの教えでしょ」</p>
<p>僕は断じて教えた覚えはない（…いや言ったかもしれない。きっと言ったのだろう。はい、言いました。だけどこれは「教え」じゃない）。とにかくまいったよ。もう一度、手を打とう。シャンシャン。</p>
<p>それにしても、大事な仕事を依頼したつもりが、一柳はこれをいささかも仕事と捉えていない…。本当に大丈夫なのか。</p>
<p>一抹の不安を残したまま一柳との電話を終えた僕は、彼が言ったことをあらためて反芻してみた。</p>
<p>さっきも言ったように、何かが引っかかった。何かを聞き流した気がした。やつの<b>バリトンボイス</b>に聞き惚れていたのか。そうじゃない。<b>声の音域や質感</b>に気を取られていたせいだ。この声で本当にバフェットができるのかと。</p>
<p>それはともかく、おまえが女断ちだって？<br />
これは一柳をよく知る者にとってにわかには信じがたい発言だ。</p>
<p>「ナレーターなんかやめて<b>顔出しの役者かタレント</b>でもやれば？」<br />
周りからそう言われつづけた彼は、いつもこううそぶいていた。<br />
「顔出しなんかして面が割れちゃったら、ナンパができなくなるじゃないっすか」</p>
<p>実際に一柳は、これまで何度となく引き合いのあった顔出し案件（清涼飲料のCMとか民放のドラマ出演とか）を頑なに拒否してきた。ナンパができなくなるという理由で。</p>
<p>「どんだけナンパが好きなんだ！」あなたはそうツッコミを入れるだろう。でも本当は少し事情が違う。正確に言うと、やつはナンパはしない。する必要がないというべきか。先にアクションを起こすのは、そして恋に落ちるのは、いつだって女のほうなのだ。</p>
<p>そんな一柳が女断ち？　これはたしかに一大事だけど、<br />
それも気にはなるけど、ほかにも何かあったような…</p>
<p>金持ち？　そうだ、これだ。一柳はたしかに言った。<br />
「自分は来年、金持ちになっている」と。<br />
おい、一柳。どういうことだ？</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>（次回につづく）</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<div class="point">
<h3><span>今日のボイスメモ、あるいは、声にまつわるささやかな教訓</span></h3>
<ol>
<li>「笑いがすべてを水に流す」「笑いで流れを変える」「笑いで福を呼ぶ」など、<span style="color: #ff6600;"><b>笑いは問題解決の万能薬だ</b></span>。号泣したって何も解決しない。</li>
<li>「<span style="color: #ff6600;"><b>武士は食わねど高楊枝</b></span>」なんて今どき流行らないのかもしれない。しかし「<span style="color: #ff6600;"><b>食える・食えない</b></span>」の問題に、時代も流行りもない。</li>
<li>「<span style="color: #ff6600;"><b>ええかっこしいのやせ我慢</b></span>」を美学にまで昇華させた先に「<span style="color: #ff6600;"><b>武士道</b></span>」がある。</li>
<li>言う方にとっても、言われる方にとってもキツい言葉、今回のナンバーワンは「<span style="color: #ff6600;"><b>この話はなかったことにしよう</b></span>」。</li>
<li>酒・タバコ・甘いものなどの嗜好品、あるいは恋愛・男女交際など、<span style="color: #ff6600;"><b>好きなことを絶つ（我慢する）と願いが叶う</b></span>という信仰がある。これは「<span style="color: #ff6600;"><b>欲しがりません勝つまでは</b></span>」「<span style="color: #ff6600;"><b>ひとつ捨てればひとつ得られる</b></span>」という発想に端を発している。まるで「<span style="color: #ff6600;"><b>克己心</b></span>」の試験を受けているみたいだ。</li>
</ol>
</div>
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		<title>第3話1章　一流への序章</title>
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		<pubDate>Thu, 31 Jul 2014 04:01:14 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[kataribito]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[第3話　ボイスアクター編②　一流の証明]]></category>
		<category><![CDATA[ちなみに]]></category>
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		<category><![CDATA[鼻でつぶやく]]></category>
		<category><![CDATA[鼻共鳴]]></category>
		<category><![CDATA[鼻歌]]></category>

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		<description><![CDATA[「申し訳ないっすけど、語り人さんのその仕事、受けられないっす」 僕が海外映像の吹き替えを請け負っている音声制作の仕事があって、キャスティングのため連絡を取った相手は、その申し出を言下に断った。 彼の名前は一柳成人（いちや [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>「申し訳ないっすけど、語り人さんのその仕事、受けられないっす」</p>
<p>僕が<b>海外映像の吹き替え</b>を請け負っている<b>音声制作</b>の仕事があって、<b>キャスティング</b>のため連絡を取った相手は、その申し出を言下に断った。<span id="more-208"></span></p>
<p>彼の名前は一柳成人（いちやなぎなるひと）。僕は親しみを込めて「いちりゅう」と呼んでいる。<b>ナレーター</b>としてかつて同じ事務所に所属した後輩だ。いや、実はもっと昔からの因縁浅からぬ付き合いなのだけど、その話はあとにしよう。</p>
<p>「受けられないって、それはギャラの問題かな？」<br />
「うっす。今の自分は…」<br />
「もっと高いナレーターってことだ」<br />
「少なくとも、それを目指してるっす。ホント申し訳ないっす」</p>
<p>謝ることはない。<b>志の高い男</b>は気持ちがいい。僕は大好きだよ。<br />
ただ一柳は、僕が海外映像の吹き替え案件だと言うと、すぐに<strong>ギャラの額面</strong>を聞いてきた。メディア情報とかキャスティングの詳細説明に入る前に。</p>
<p>噂は耳に入ってきていた。一柳が最近、ずっと付き合いのあった<b>制作会社</b>や<b>キャスティング会社</b>からのオファーを断わっているという噂だ。「もう日の当たらない安い仕事は受けない」という理由で。</p>
<p>この噂はいうまでもなく、ナレーター仲間たちによって、一柳を非難する口調で流布されていた。「あいつ、おれたちを二流扱いしやがった。いったい何様のつもりだ！」と。</p>
<p>なるほど。こうしておまえは仲間や関係者を敵に回しているのか。<br />
「一柳、おまえにとって<b>志の高さはギャラの高さとイコール</b>なのか」という言葉を飲み込んで、僕はできるだけそっけなく返した。</p>
<p><b>そっけなさを表現する声</b>を作るには、<b>鼻共鳴</b>が有効だ。<br />
鼻に意識をもっていけばすぐできる。鼻から息を抜く<b>鼻歌</b>のイメージ。<br />
このさい<b>腹式</b>は使用しない。つまりお腹で支える必要はない。<b>鼻でつぶやく</b>感じ。要所に<b>ウィスパー</b>（ささやき声）を混ぜればなお素敵だ。中音域の<b>クールなイケメンボイス</b>の出来上がり。</p>
<p>「了解。友人のよしみで真っ先に声をかけたんだけど、どうやら噂は本当だったらしい。まあいい。大物の吹き替えだ。ちなみにバフェットなんだけどね。やりたいやつはいくらでもいる」</p>
<p>「ちょ、ちょっと待ってください！」<br />
案の定、このひと言に一柳は食いついた。</p>
<p>「語り人さん、バフェットってなんすか。<br />
もしかして<b>ウォーレン・バフェット</b>のことっすか？」<br />
「そうだよ。ちなみに<b>ビル・ゲイツ</b>はおれがやるんだけどね」<br />
週末の予定でも話すみたいに僕は答えた。</p>
<p>ところで、僕のキライな言葉に「<b>ちなみに</b>」がある。最近やたらめったら使う人がいて、ほとほとうんざりしている。僕もいま２回使っちゃったけど、これは正しく使えば、<strong>意図することを印象深く伝える</strong>ことができる、実に便利な言葉であることを示したかったからだ。</p>
<p>ちなみに（因みに）とは、前に述べた事柄に、あとから簡単な補足を付け加えるときに用いる接続詞。「それに関連して」「ついでに言うと」という意味。「ちなみに」のあとに「言う」などの動詞を伴って「ちなみに言えば」「ちなみに申しますと」と副詞的にも用いる。（「goo辞書」参照）</p>
<p><b>「ちなみに明日、何時だっけ？」<br />
</b>これは完全に誤用。何も因んでいない。<br />
「要するに」が要していない。<br />
「逆に言えば」が逆になっていない。<br />
「いわゆる」がいわゆっていない。<br />
それと同様のケースだ。</p>
<p><b>「ちなみに親戚はみんな医者系だったりします」<br />
</b><b>「ちなみに友達はテレビ局に勤めてたりします」<br />
</b>これは誤用とは言えないが、けっこう耳にする不快感を催させる使い方だ。「だから何？」「それがどうした？」「おまえ自身はどうなんだ？」と口に出さないまでも突っ込まずにはいられない。加えて「～たりします」と「～系」が不快感を増大させる。</p>
<p>そこで特別企画です。あなたのあんな「ちなみに」、こんな「ちなみに」を大募集します。素敵で印象深い「ちなみに」、思わず唸ってしまう「ちなみに」を送ってくれた方には、語り人のサイン入り色紙をプレゼントします。ふるってご応募ください！（誰がほしがるか！）</p>
<p>閑話休題。話を戻そう。<br />
ウォーレン・バフェットにつづいて登場したビル・ゲイツというビッグネームに、一流好きの一柳は気色ばんだ。</p>
<p>「ビル・ゲイツって、まさか…。1999年、シアトルのワシントン大学で行われた<b>ゲイツとバフェットの夢の対談</b>。たしか字幕版のDVDが出ていて、かなりの高値で売られてるはずっす。その吹き替えをやるって、そういう話っすか！」</p>
<p>なぜ知っている？　有名国立大学を出て芝居の道に進んだ親不孝な一柳は（このエピソードは物語の進行とともに明らかになる）、とにかくいろんなことをよく知っている。依頼を受けるまでそんなこと知らなかった僕は、その無知をおくびにも出さず、引きつづきそっけない調子で、しかし<b>一言一句聞き逃さずにいられない発声と話法</b>で応答した。</p>
<p>どうやるかって？　具体的に言うと<b>抑揚を排し早口で一気に、だけど一音たりともなおざりにしない滑舌</b>で、「今さら君に説明してもしょうがないけど、そんなに知りたければ後学のために教えてあげるよ」といったニュアンスを言外に含ませるのだ。僕は次のように返答した。</p>
<p>「ああ、そうだよ。エリート学生たちとの質疑応答を交えながら、ふたりが仕事と人生、<strong>成功の極意</strong>などを自由自在に語り合った、<strong>お宝映像の日本語吹き替え版</strong>だ。いま翻訳の真っ最中で、<strong>バフェットの声</strong>を誰にやってもらおうか思案してたんだ。でも、気にしないでくれ。候補はいくらでもいる。<strong>仕事はギャラで選ぶ</strong>という君の志には敬意を表するよ。時間を取らせたな。また落ち着いたら飲もう。じゃあ、また」</p>
<p>ひと息でそう言って電話を切ろうとする間合いに、一柳の切迫した声が割り込んできた。持ち前の<b>響きのあるバリトン</b>が<strong>ファルセット</strong>に転調し、おまけに<strong>ヨーデル</strong>のようにひっくり返っている。それほど興奮し慌てているのだ。</p>
<p>「だから待ってくださいよ！　いやだなぁ、語り人さんも人が悪いっす。それならそうと早く言ってくださいよぉ。ていうか、オレが先輩の申し出を断るわけないじゃないっすかぁ。ていうか、バフェットの声はオレしかいないじゃないっすかぁ！」</p>
<p>僕は知っている。一柳が「ていうか」を連発するときは、何かを必死にごまかそうとしているときだ。</p>
<p>「調子のいいやつだ。ギャラを聞いて早々とNG出したじゃないか。以前のおまえならよろこんで受けた額だろ。でもおまえは変わった。敵を作ってでも、ナレーターとしてさらなる高みを目指している。おめでとう、と言うべきだろう」</p>
<p>「語り人さん、誤解っす。ていうか、その件は今度ゆっくり説明しますから。とにかく、オレがやりますっ。ていうか、やらせてください！」</p>
<p>こうして、<strong>ギャラと志の高低の問題</strong>に自ら決着をつけた一柳は、だけどそのあと驚くべきことを口にした。</p>
<p>「ただし、条件があります。ギャラは…」<br />
「だから、あれ以上は出せないって言ってるだろう」<br />
ギャラギャラとうるさいやつだ（お金の音はジャラジャラだけど）。<br />
まあいい。僕は譲歩した。</p>
<p>「わかったよ。<strong>収録後にキャッシュで</strong>払おう。<strong>プラス飲み代</strong>でどうだ」<br />
こんな待遇が許されたのは<b>映画評論家の淀川長治</b>さんぐらいだぞ、そう返そうとした瞬間だった。彼はその驚くべき提案を口にしたのだ。</p>
<p>「いや、そうじゃないっす。ていうか、ギャラはいらないっす」<br />
「なんだって？」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>（次章につづく）</p>
<p>&nbsp;</p>
<div class="point">
<h3><span>今日のボイスメモ、あるいは、声にまつわるささやかな教訓</span></h3>
<ol>
<li>何事によらず申し出を断わることは受ける以上に覚悟がいる。<span style="color: #ff6600;"><b>NOと言えない自分</b></span>を美化してはいけない。</li>
<li><span style="color: #ff6600;">YES</span>と言ってあとで不平を口にするなら、はじめから<span style="color: #ff6600;"><b>NOと言える勇気と英断</b></span>を持とう。「断れない性格なんだよね」といい人ぶって、苦笑交じりに言わないこと。</li>
<li>「<span style="color: #ff6600;"><b>志</b></span>」とは、ある方向を目指す気持ち。心に思い定めた目的や目標のことだ。<span style="color: #ff6600;"><b>信念</b></span>ともいう。<span style="color: #ff6600;"><b>お金は大事</b></span>だが、それは<span style="color: #ff6600;"><b>前提ではなく結果</b></span>であってほしい。</li>
<li><span style="color: #ff6600;"><b>無自覚に言っている口癖</b></span>は真意を読まれやすいのでやめたほうが賢明だ。まして誤用は知性を疑われかねない。</li>
<li>声のプロの道を閉ざす大きな原因のひとつは、<span style="color: #ff6600;"><b>発音や発声のひとりよがりの癖</b></span>だ。<span style="color: #ff6600;"><b>癖と個性は違う</b></span>ということを肝に銘じよう。</li>
</ol>
</div>
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