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	<title>声で人生が変わる！「愛と再生」のボイス・ストーリー　ユアボイス・マイボイス &#187; 発声練習</title>
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	<description>あなたは自分の「声」が好きですか？ あなたは「声」で損をしていませんか？</description>
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		<title>第3話最終章　一流の証明（完結編）</title>
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		<pubDate>Sat, 31 Jan 2015 03:31:09 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[kataribito]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[第3話　ボイスアクター編②　一流の証明]]></category>
		<category><![CDATA[セリフ読み]]></category>
		<category><![CDATA[フラメンコ]]></category>
		<category><![CDATA[ベター・ハーフ]]></category>
		<category><![CDATA[告別]]></category>
		<category><![CDATA[命運]]></category>
		<category><![CDATA[夜景]]></category>
		<category><![CDATA[威風堂々]]></category>
		<category><![CDATA[寸劇]]></category>
		<category><![CDATA[発声練習]]></category>

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		<description><![CDATA[「ところで、一柳さんと玲子さんの馴れ初めをまだ伺っていませんよね」 茂森愛由美が興味津々といった様子で口火を切った。 「あっ、一柳がなんで金持ちになるって喚き出したのかも聞いてないぞ」 半年前に持ち上がった、一柳の「金持 [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>「ところで、<b>一柳さんと玲子さんの馴れ初め</b>をまだ伺っていませんよね」<br />
茂森愛由美が興味津々といった様子で口火を切った。</p>
<p>「あっ、<b>一柳がなんで金持ちになるって喚き出したのか</b>も聞いてないぞ」<br />
半年前に持ち上がった、一柳の「<b>金持ち宣言</b>」を僕は思い出した。</p>
<p>「待って」玲子さんが遮った。「<b>一柳さんが役者の夢破れて実家に帰ってから、</b><b>10</b><b>年の歳月を経て再び上京し、ナレーターになった経緯</b>をまだ聞いていないわよ」</p>
<p><span id="more-318"></span></p>
<p>（最終章「<a href="http://kataribito.net/03/03-9/">一流の証明（後編）</a>」のつづき）</p>
<p>グラスに半分ほどあったビールを勢いよく喉に流し込んでから、一柳は話し始めた。</p>
<p>「放心状態で演劇学校を後にしたオレの足は、自然と<b>もうひとつの懐かしい場所</b>に向かっていた」</p>
<p>そこはすぐ近くの公園。在学当時、<b>一柳が発声練習やセリフ読み、ダンスの振り付けのおさらいをしていた西池袋公園</b>。台本読みの練習相手に、僕はよく付き合わされものだった。</p>
<p>「園内に入ると<b>トランペットの音</b>が聴こえた。<b>エルガーの『威風堂々』の主旋律</b>。まさか、と思った。だって、二年前と同じだったから。音の鳴るほうへ行ってみると、間違いない、あのラッパ吹きだ」</p>
<p>「そいつは今も、<b>二年前と同じ場所で同じ曲を、同じ直立不動の姿勢で演奏していた</b>。オレは<b>デジャヴ</b>かと思った。でもそうじゃない。ひとつだけ、二年前とは明らかに違っていた。音だ。その音はなんていうか、<b>芸術が芸術であるための表現領域</b>に苦もなく入っていた。つまり彼の演奏は<b>格段にうまくなっていた</b>んだ」</p>
<p>「彼のトランペットを聴きながら、オレは涙が止まらなかった。自分の二年間が、ひどく薄汚れたものに思えた。<b>オレはいったい何をしてきたのか</b>」</p>
<p>「<b>『威風堂々』の第一楽章</b>が終わると、演奏を称える拍手の音がした。見ると、10メートルほど離れた滑り台の上に誰かがいた。そう、語り人さんだった。ラッパ吹きは拍手に応えて恭しくお辞儀をした」</p>
<p>「スーツ姿なのに構わずお尻で滑り降りると、語り人さんはラッパ吹きのもとに駆け寄り賛辞を贈った」</p>
<p>『久しぶりに聴かせてもらったけど、素晴らしい演奏だった。<b>この曲の持つ荘厳な勇ましさ</b>を見事に表現していたね。胸が熱くなったよ。本当にありがとう！』</p>
<p>「そう言うと語り人さんは、からだをオレのほうに向けて両手を差し出した。『<b>この曲はあなたに捧げました</b>』というように」</p>
<p>「オレは慌ててベンチから立ち上がり拍手をした。ラッパ吹きは、今度はオレに向けて恭しくお辞儀をした。そしてステージで演奏を終えたソリストがそうするように、その場から立ち去った」</p>
<p>「先生が、そのラッパ吹きさんを連れてこられたのですね。そしてそれは、<b>一柳さんを励ますために先生が仕組まれた演出</b>だったのですね！」</p>
<p>茂森愛由美が正解を出した。</p>
<p>「そのとおり。語り人さんは会社を早退して、オレのためにそんな手の込んだパフォーマンスを演出してくれたんだ。ラッパ吹きまで動員してね」</p>
<p>「あ、ラッパ吹きなんて言っちゃいけないな。当時みんなからラッパさんって呼ばれてたんだけど、彼は今や、日本の<b>大手フィルハーモニー管弦楽団の第一トランペット奏者</b>だ。むかし公園で毎日のように顔を合わせていたけど、ほとんどしゃべったことはなかった。お互い<b>自分の練習に必死だった</b>からね。語り人さんはラッパさんと親しかったんだ」</p>
<p>「そのあとあなたは、語り人さんの胸で<b>さめざめと泣き崩れた</b>んでしょ」<br />
「なんでわかるの？　玲子さん、まさか見てたの？」</p>
<p>「<b>そのとき私は小学６年生</b>だから、まあ公園にいても不思議はないけど、残念ながら池袋にはいなかったわ。ていうか、もうあなたの行動パターンは把握ずみよ」</p>
<p>一柳は小さく笑ってから続けた。</p>
<p>「30分は泣いてたと思う。<b>なんでこんなに泣けるんだろう。なんでこんなにあとからあとから涙が出てくるんだろう</b>って、自分でもびっくりした。そのあいだ語り人さんは、何も言わず黙ったままオレの肩を抱いてくれてた」</p>
<p>「そうして30分、泣き疲れて顔を上げると、<b>語り人さんは口を真一文字に結んで虚空を睨みつけていた</b>。目が真っ赤だった。そうなんだ。<b>語り人さんは声をあげずに泣いていたんだ</b>と、そのときわかった」</p>
<p>「マジで言っちゃうけど、その日、演劇学校の校長から最後通告を言い渡されて、ああオレはもう役者には戻れないんだってわかったとき、<b>じゃあ生きててもしょうがない、死んじゃおう</b>って思ったんだよね」</p>
<p>「そこへ『<b>威風堂々</b>』を勇ましく吹き鳴らすラッパさんがいて、語り人さんが颯爽と登場してきて、語り人さんの胸で思う存分泣いて、そしたら<b>死神はどこかへ行っちゃってた</b>」</p>
<p>「オレが泣き止んだのがわかると、語り人さんはすっくと立ち上がり、はじめてオレに声をかけた。『<b>一柳、今日は死ぬほど飲むぞ！</b>』」</p>
<p>「それからママの店に行って、オレたちは暴れに暴れた。いや、喧嘩じゃないよ。<b>客たちから代わるがわるお題を頂戴して即興の寸劇をやりまくった</b>んだ。10本くらいやったんじゃないかな。大ウケでしたね、語り人さん」</p>
<p>「ああ、おまえは<b>神がかってた</b>よ。おれは必死にくらいついていった」</p>
<p>「オレの<b>最後の舞台</b>だと思ってやりましたから。喧嘩と言えば、ねえ語り人さん、覚えてます？　<b>＂もしもこの二人が喧嘩したら＂</b>ってやつ。いろんなお題が出てきましたね」</p>
<p>「ああ。ゲーテとベートーヴェン、モーツアルトとサリエリ、それから太宰治と三島由紀夫、中原中也と小林秀夫、ゴッホとゴーギャン、クリムトとエゴンシーレ」</p>
<p>「<b>キリストと釈迦</b>もありましたよ。これは名作だと絶賛された。<b>ローマ法王とダライラマ</b>も。でもいちばんウケたのは、<b>浅利慶太と蜷川幸雄</b>でしたね」</p>
<p>「あれは気合が入ったな。最後は<b>取っ組み合いの喧嘩</b>になった」<br />
「<b>本物が乗り移ったみたいだ</b>と言われましたっけ」</p>
<p>「わたし、聞きたいです」<br />
「えっ、浅利慶太と蜷川幸雄？」<br />
「いえ、それは大変なことになりそうなのでやめておきます。<b>名作と絶賛されたキリストと釈迦</b>なんかいかがでしょうか」</p>
<p>「いい加減にしなさい、あなたたち。今は<b>寸劇の時間</b>ではありません！」<br />
玲子さんはなぜか寸劇はお気に召さないようだ。</p>
<p>「<b>アーメン</b>」と僕は十字を切った。<br />
「<b>南無阿弥陀仏</b>」と一柳はマントラを唱えた。</p>
<p>「なんて不謹慎なの！<b>ばちが当たるわよ</b>」玲子さんは意外に生真面目だ。</p>
<p>「<b>汝、我らの罪を許し給え</b>」僕はふたたび十字を切って言った。<br />
「<b>天上天下唯我独尊</b>」一柳は右手を天に、左手を地に指して言った。</p>
<p>玲子さんは深い溜息を吐き、茂森愛由美は口を押えて笑いを堪えた。</p>
<p>店を出るとき、ママはやはり勘定を受け取らなかった。<br />
『<b>もうおれたちは社会人だよ</b>』と僕が言うと、『飲み代は今日の出演料でいいわよ。それより<b>一柳くんのこと、しっかりケアしてあげなさい</b>』とママは言った。</p>
<p>それから池袋駅に行って山手線に乗った。<b>僕たちはもう学生ではなかったし、池袋の住人でもなかった。</b>当時、一柳は劇団の所在地である横浜のあざみ野に、僕は都内の三鷹に住んでいた。</p>
<p>「<b>新宿で電車を降りる間際に語り人さんが言ったこと</b>は今でも忘れない」</p>
<p>「先生はなんておっしゃったのですか？」</p>
<p>「『一柳、<b>三鷹に引っ越してこい</b>。それから、<b>おまえは声優になれ</b>。明日からその準備にかかるんだ。いいな』そう言い残して、渋谷まで乗るオレを置いて電車を降りてった。うれしかった。一瞬にして目の前が晴れた気がした」</p>
<p>「ここで<b>＂声優＂</b>が出てくるわけだ。それでまた語り人さんを追っかけて、今度は三鷹に引っ越すのね」</p>
<p>「いや、結局オレは<b>三鷹に引っ越すことはなかったし、声優にもならなかった</b>」</p>
<p>「つまり、<b>このタイミングで実家に帰ったの？</b>　何か事情があったのね」</p>
<p>「そう。このタイミングで実家の母から連絡が入った。<b>親父の体に癌が見つかった</b>と。胃癌だった」</p>
<p>一柳の父親は、<b>静岡の駅前に中規模のビジネスホテルを所有する経営者</b>だった。長男の一柳は当然＂跡継ぎ＂と考えられていたが、それに逆らって一柳は役者の道に進んだのだ。</p>
<p>一柳には<b>歳の離れた弟</b>がいて、当時まだ中学三年生だった。父親はまだ50歳そこそこだったし、一柳は弟に将来、ホテル経営を継いでもらうつもりでいた。</p>
<p>「<b>なんてタイミングだろう</b>って…。<b>でも潮時だ</b>と思った。<b>オレの命運もここまでだ</b>って」</p>
<p>「そういうことだったのね…」玲子さん感慨深げに言った。<br />
「声優として再起をかけようとした矢先に…。さぞ無念だったことでしょう」茂森愛由美は一柳の心情を慮った。</p>
<p>「静岡に帰る前日、語り人さんはオレのために<b>新宿の高層ホテル</b>に部屋を取ってくれたんだ。<b>39</b><b>階の見事な夜景が拝めるゴージャスな部屋</b>。静岡のうちのホテルの、きっと10倍の値段はする部屋だろう。そして<b>展望レストランの窓際の席でディナー</b>をご馳走してくれた」</p>
<p>「せっかくの夜景が、目が霞んで見えなかったさ。オレはずっとボロボロ泣きながら食べてたし、何を食べたのかも覚えてない。泣くか食うかどっちかにしろって、語り人さんに叱られたよ」</p>
<p>「部屋に戻って、語り人さんが用意してくれた<b>シャンパン</b>をあけた。<b>舞台俳優にもダンサーにもなれなくて、そして声優にさえなれない自分が悔しくて情けなくて</b>、やっぱり泣きながら飲んだ。いやそれ以上に、<b>語り人さんと別れるのがつらかった</b>」</p>
<p>「語り人さんはきっと、そんなオレを見てるのがたまらなかったんだろう。<b>ずっと窓際に立って夜景を眺めていた</b>」</p>
<p>「先生も、泣いていらっしゃったんだと思います」と茂森愛由美も泣きながら言った。</p>
<p>「ああ、そうだね。だから語り人さんはオレに背を向けたままこう言った」</p>
<p>『静岡なんて目と鼻の先だ。<b>いつでも会える。おれが会いに行く。</b>おいホテル屋、部屋はいくらでもあるんだろう？』</p>
<p>『<b>最上階の一番いい部屋</b>をご用意しますよ。といっても<b>７階</b>ですけどね』</p>
<p>「そう答えると、語り人さんは底抜けに明るい声で笑った。そして『<b>いいか一柳、忘れるな</b>』そう言って、オレに<b>言葉を贈ってくれた</b>んだ」</p>
<p>そのときの僕がそうしたように一柳は窓際へ移動し、みんなに背を向けて朗誦した。</p>
<p><b><b>　</b>もしもおまえが<br />
<b>　</b>よくきいてくれ<br />
<b>　</b>ひとりのやさしい娘をおもうようになるそのとき<br />
<b>　</b>おまえに無数の影と光の像があらわれる<br />
<b>　</b>おまえはそれを音にするのだ<br />
</b></p>
<p><b><b>　</b>みんなが町で暮らしたり<br />
<b>　</b>一日遊んでいるときに</b><b> </b><br />
<b>　おまえはひとりであの石原の草を刈る</b><b> </b><br />
<b>　そのさびしさでおまえは音をつくるのだ</b><b> </b><br />
<b>　多くの侮辱や困窮の<br />
</b><b><b>　</b>それらを噛んで歌うのだ</b></p>
<p>「<b>宮沢賢治の『告別』</b>ですね 。わたしの大好きな詩です！」</p>
<p>茂森愛由美が感極まってそう言うと、一柳は振り返りにっこり笑って彼女に続きを促した。しかし、この感受性の豊かすぎる女の子はとても朗誦できる状態ではなかった。首を振って「先生のが聞きたいです」と涙声で僕に懇願した。</p>
<p>20年前の情景がありありと蘇った。あの日と同じように、だけど今日は茂森愛由美に向けて、僕は言葉を紡いだ。</p>
<p><b><b>　</b>もしも楽器がなかったら<br />
<b>　</b>いいかおまえはおれの弟子なのだ</b><b> </b><br />
<b><b>　</b>ちからのかぎり<br />
<b>　</b>そらいっぱいの<br />
<b>　</b>光でできたパイプオルガンを弾くがいい</b><b> </b></p>
<p>茂森愛由美は、この詩が自分に向けられたことを感じ取り<b>わんわん泣いた</b>。<br />
一柳は、当時の心情そのままに酒をあおり<b>ぼろぼろ泣いた</b>。<br />
玲子さんは、そんな一柳に寄り添い<b>さめざめ泣いた</b>。</p>
<p>一柳が実家に帰って三か月後、父親は息を引き取った。52歳の若さゆえ癌の転移も早かったのだろう、自分の死期を知っていたかのように、<b>父親は一柳に経営者としてすべきことを残らず叩き込んだ。</b></p>
<p>「告別式に語り人さんは来てくれた。<b>そのとき語り人さんは、中学三年生の弟にあるお願いをした</b>らしい。オレがそれを知ったのはずっとあとのこと。弟が大学を卒業するちょっと前、弟の口から聞かされた。なんだと思う？」</p>
<p>「<b>大学を出たら君が会社を継ぎなさい。そしてお兄さんを僕に返してくれ</b>。先生はそうおっしゃったのではないでしょうか」</p>
<p>「さすが愛由美ちゃん、語り人さんのことよくわかってるね」</p>
<p>「お兄さんを返してくれとまでは言わなかったみたいだけど、はっきりとこう言ったそうだ。<b>お兄さんにもう一度、役者をやらせてあげてくれ</b>って」</p>
<p>「愛由美ちゃん、大正解よ。それって、お兄さんを僕に返してくれっていうのと同義だもの。それで<b>10</b><b>年後に、弟さんにバトンタッチした</b>のね」</p>
<p>「まあ、結果的にはそうなったけど、<b>すんなりと事が運んだわけじゃない</b>んだ」</p>
<p>「弟さんが<b>やっぱり継ぐのはイヤだ</b>と言い出したの？」と玲子さん。</p>
<p>「いや、弟は<b>『語り人さんと約束したんだ。早く行け』</b>って言ってくれていたんだけど、問題はオレ自身だった」</p>
<p>「何？　今度は何の問題？」</p>
<p><b>社長に就任して７年後</b>に一柳は、近隣の採算の上がらない<b>10</b><b>階建てのシティホテル</b>を買い取り、そこをわずか１年で軌道に乗せる経営手腕を見せた。つまり一柳は、<b>ふたつのホテルを所有する実業家</b>になったのだ。</p>
<p>「<b>ホテル経営の仕事</b>が面白くなったのね」玲子さんの目が光った。<br />
「まあ、簡単に言うとそういうことだね。<b>役者に戻る自信</b>もなかったし」</p>
<p>「その頃はどんな<b>目標</b>があったの？」玲子さんはさりげなく訊いた。<br />
「<b>39</b><b>階建てのホテル</b>を建てて、最上階に語り人さんを招待する」</p>
<p>「東京での最後の夜、<b>新宿の高層ホテルの</b><b>39</b><b>階に、語り人さんはオレを招待してくれた</b>。夜景を見ながら語り人さんはこうも言った。『<b>一柳、この高さを忘れるな</b>』」</p>
<p>「おれはそういう意味で言ったんじゃないよ」と僕は言った。<br />
「もちろん、わかってます。オレが<b>途中から目標をすり替えた</b>んです」</p>
<p>「それでも結局あなたは、<b>静岡に</b><b>39</b><b>階建てのホテルを建てるという目標を捨てて、東京に舞い戻ってきた</b>。なぜなの？　何か理由がありそうね」玲子さんは核心を突いてきた。</p>
<p>「<b>わたし、わかっちゃいました</b>」茂森愛由美は謎を解く<b>名探偵コナン</b>みたいに言った。「きっと先生ですね。先生が何か行動を起こされた。つまり、<b>先生が会社を辞めて声優になられたんです。身を持って一柳さんに道を示されたんです</b>」</p>
<p>「語り人さん」一柳は僕を見て強い口調で言った。「愛由美ちゃんを絶対に手離しちゃダメっすよ。<b>愛由美ちゃんは語り人さんの思考と完全に同化してます</b>。つまりそれほど…」</p>
<p>「<b>愛してるってこと</b>」玲子さんはこの重い言葉を、軽々と僕に投げつけた。<br />
茂森愛由美はうれしそうに頬を赤らめた。</p>
<p>「語り人さんは、<b>会社を辞めたのは自分自身の問題</b>だって言ってるけど、わかってる。<b>オレをもう一度、役者に戻すために範を垂れてくれた</b>んだ。それでもオレは、決心がつかなかった」</p>
<p>「あるとき、東京に戻る一年くらい前だったかな、語り人さんから<b>朗読劇の招待状</b>が届いた。一筆箋に<b>＂絶対に来い＂</b>と添えられていた」</p>
<p>「語り人さんは当時、<b>テレビ</b><b>CM</b><b>や番組ナレーション</b>を中心に、主にナレーターとして実績を積んでいた。そんな語り人さんが朗読劇を…」</p>
<p>「しかも演題は<b>『中原中也─汚れっちまった悲しみに─』</b>作・演出は語り人さん。出演者は語り人さんはじめ、語り人さんが所属する声優プロダクションの声優たち五名で構成されていた」</p>
<p>「行かないわけにいかなかった。なぜってこの演目は、<b>かつて語り人さんとオレが二人芝居でやっていた得意ネタだった</b>から。それを五人構成で？　しかも会場は池袋。演劇学校と西池袋公園の中間にあるカフェ・バー」</p>
<p>「先生の、<b>一柳さん思いのパフォーマンスの続編</b>ですね。もう何章目でしょうか」<br />
「あはは。愛由美ちゃん、うまいこと言うね」</p>
<p>「その朗読劇を観て再び<b>役者魂に火がついた</b>のね」と玲子さん。<br />
「それだけ<b>魂を揺さぶられる舞台</b>だったのですね」と茂森愛由美。</p>
<p>「そうだね<b>。朗読の不思議な世界</b>に引き込まれた。台本を手にしたまま微動だにせず、まさに<b>声だけで多彩な表現をする＂朗読劇＂というパフォーマンス・スタイル</b>にまず驚いた」</p>
<p>「セリフ読みも<b>ドラマティックに喜怒哀楽を表出するんじゃなくて、極限まで抑えている</b>。かといってもちろん<b>棒読みとは違う繊細な読み</b>で、それでいて<b>細部にまで感情表現が行き届いている</b>」</p>
<p>「<b>声優たちの声がまた素晴らしかった。これがナレーターなんだと感心した</b>。語り人さんの中原中也は、とくに<b>詩の朗読</b>が圧巻でね。<b>発音の精度</b>が昔とは比較にならないほど洗練されていた。それはプロだから当然だよね」</p>
<p>「語り人さんは<b>声の演技のプロ</b>になったんだと思い知らされて、オレは悔しかった。何より悔しかったのは、<b>オレがやっていた小林秀夫の役をオレじゃない誰かがやっていたこと</b>」</p>
<p>「公演が終わってオレは語り人さんに詰め寄ったよ。なんでオレじゃないんすか！って。そしたら語り人さんは笑ってこう返してきた。『だから一年前に呼んだじゃないか。<b>次回はおまえがやれ</b>』」</p>
<p>「語り人さんの作戦に<b>まんまと引っかかった</b>のね」<br />
「そう。<b>まんまと餌に食いついた</b>」</p>
<p>「それからは大忙しだったよ。弟は<b>やっと語り人さんとの約束を果たせる</b>とよろこんでくれた。彼はもう25歳になっていた。奇しくもオレが引き継いだときと同じ年齢。二年前から、いつ引き継いでもいいように準備をしてくれていたんだ」</p>
<p>「発声と滑舌を一からやり直すべく、<b>声に特化したトレーニングメニュー</b>を語り人さんに組んでもらった。あらゆる<b>ナレーションテクニック</b>を研究し、<b>アフレコとボイスオーバーの声出しとタイミング</b>の練習もした」</p>
<p>「語りさん指導のもと<b>ボイスサンプル</b>を作り、そして語り人さんの推薦で、語り人さんが所属している事務所に入った。ぜんぶ語り人さんのお膳立てのおかげだ。オレは最短距離で、<b>声優としてスタートラインに立つことができた</b>」</p>
<p>「聞くまでもないけど、東京での住まいは、語り人さんと同じマンションに？」<br />
「そう。<b>吉祥寺、井の頭公園</b>近くのマンション。語り人さんのいるところ必ず良い公園がある。なにしろ散歩が好きな人だから」</p>
<p>「井の頭公園で毎日、語り人さんと一緒に<b>発声と本読み</b>をやった」</p>
<p>「<b>正直に言います。わたし、いま一柳さんに、激しく嫉妬しています</b>」<br />
茂森愛由美は彼女にはめずらしく感情的な物言いをした。</p>
<p>「<b>一柳さんには声優になれ、わたしには声優になるな</b>、って。わかっています。わたしはいま、感情的になってあらぬことを口走っています。それでも言わせていただきます」</p>
<p>「そうよ！　愛由美ちゃん、もっと言ったんさい、言ったんさい」<br />
玲子さんが茂森愛由美をたきつけた。</p>
<p>「先生と同じマンションで、いつも一緒にいて、井の頭公園を散歩して、レッスンをして。何かあるといつも先生が颯爽と現れて助けてくれて。<b>それでは、わたしが入るスキがないではありませんか</b>」</p>
<p>「いや、愛由美ちゃん、それは10年前の話で…」一柳はタジタジになった。</p>
<p>「私も言わせてもらうわ」玲子さんも参戦してきた。「<b>そこまで一柳さんから愛されている語り人さんに、私は半年前からずっと嫉妬してるわよ</b>」</p>
<p>「池袋で<b>出会って恋に落ちて</b>、<b>同棲同然の生活をして</b>、その後10年間は東京と静岡で<b>遠距離恋愛をして</b>、そして今度は<b>ふたりで同じ仕事をして</b>、吉祥寺で<b>また同棲</b>？　どう考えたって異常だわよ。それに」</p>
<p>「静岡にホテルをふたつも持つ社長が、その地位も年収も捨てて、<b>いい年をしてなんで今さら貧乏役者をやる必要があるのよ！</b>　<b>いつまで青臭い青春を引き摺ってるのよ！</b>　これはきっと、<b>語り人さんの陰謀</b>に違いないわ」</p>
<p>「い、陰謀って、そんな、玲子さん…」一柳は悲しそうに俯いた。<br />
「半年前にあなたから告白されたとき、私はたしかそんなことを言ったわよね」</p>
<p><b>玲子さんの問わず語り</b>が始まった。</p>
<p>「一年前、あなたが<b>フラメンコ教室</b>にきてから、私はそわそわして落ち着かなくなった。あなたは教室のドアを開けた瞬間から<b>スター</b>だった。<b>女子たちはみんなあなたの虜</b>になり、だから男の先生の何人かはやめていった。そりゃあそうよね。<b>先生よりダンスがうまくて、そのうえイイ男</b>が生徒で入ってきたんだもの」</p>
<p>「お二人はフラメンコ教室で出会われたのですか」<br />
茂森愛由美が意外そうに言った。「先生は、ご存知だったのですか？」</p>
<p>「いや、<b>フラメンコダンス</b>を始めたのは聞いていたけど、そこに玲子さんがいたというのは、今はじめて知った」僕は唇に人差し指を当て、茂森愛由美に言った。<br />
「まあ、とにかく黙って聞こう」</p>
<p>「あなたは純子先生から、あっ、純子先生は教室の主催者ね。男のインストラクターがやめていった責任を取れと、<b>生徒から先生に格上げ</b>された。たった三か月で。私は二年も教室に通ってるのに、<b>三か月しかフラメンコをやっていないあなたから指導を受けることになった</b>」</p>
<p>「じょうだんじゃないって思ったわ。純子先生にも抗議した。<b>フラメンコはそんな上っ面のダンスじゃない</b>ってね。私あなたに尋ねたわよね。<b>なぜフラメンコを？</b>って。そしたらあなたはこう答えた。<b>リハビリにちょうどいいと思った</b>」</p>
<p>「リハビリ？　<b>ソーシャルダンスの大学チャンピオン</b>だかなんか知らないけど、<b>フラメンコはそんな甘いダンスじゃない</b>。私はそう言って…」</p>
<p>「そう言ってオレを睨み付けると、さっさと帰って行った。次の週、君はレッスンに現れなかった。また次の週も」</p>
<p>「あなたが会社のエントランスにいるのを見たときはびっくりした。<b>あのいけ好かない男、私の職場まで何しにきた！</b>って。純子先生が教えたんだろうって察しはついたけど」</p>
<p>「オレのせいでインストラクターが三人もやめて、そのうえ玲子さんまでやめてしまったら、オレはどう責任を取っていいかわからなかった」</p>
<p>「なに言ってんの。その代りあなたがインストラクターになって、生徒が10人も増えたじゃないの。<b>あなたは教室に利益をもたらした</b>。純子先生も大喜びよ」</p>
<p>「そう言うとあなたは、この二週間でまた5人増えたって自慢した。ふん、どうでもいいわよ、そんな情報。そんなことより何しにきたの？　<b>私を教室に呼び戻しにきたの？って訊くと、謝りにきたってあなたは言った</b>」</p>
<p>「そして、<b>ディナーをご馳走させてほしい</b>んだけど、あいにく自分はこの丸の内界隈は不案内だ。どこか案内してもらえないだろうかと言った」</p>
<p>「そしたら君は、<b>ここにあなたと行きたいお店はない</b>と言った。オレががっかりしていると、新宿まで付き合える？って言って、返事も待たずさっさと大手町の駅に向かってひとりで歩き出した。オレは慌てて後をついていった」</p>
<p>「そこは<b>新宿にあるフラメンコ・パブ</b>だった。スペイン料理を食べさせる店で、ショータイムもあるという。店の人はみんな君に一目置いていた。<b>君は女王様みたいだった</b>よ」</p>
<p>「その話はいいわ。そこであなたの話を聞いて、とにかく<b>フラメンコダンスを軽く見てるわけじゃない</b>ことは理解した。それでもあなたが、<b>どこか<span style="color: #000000;"><b>軽薄で</b></span>表面的で節操のない男</b>だという印象は拭えなかったわ。そして私は、<b>そんなあなたに惹かれはじめている自分が許せなかった</b>。だから教室にはもういかないつもりだった」</p>
<p>「でもその週、君は教室にきてくれた。うれしかったよ。でもずっと不機嫌なままだった。どうして？」</p>
<p>「今まで胸に収めてたけど、じゃあ言うわ。私、気づいちゃったのよ。<b>あなたが純子先生と関係があったってこと</b>。純子先生だけじゃない。真奈美さんともそうでしょう。違う？」</p>
<p>「あっ…」一柳は否定することも肯定することもできなかった。</p>
<p>「<b>そういうの、わかるのよ。女には。</b>いつからか、純子先生のあなたを見る目が変わったもの。真奈美さんも同じ目だった。あなたという<b>オスを見る発情したメスの目</b>」</p>
<p>「<b>それなのにあなたは厚かましくも、私に交際を申し込んできた。</b>なんて無神経な男だろう。私をバカにするにもほどがある！　…でも同時に、申し出をよろこんでいる自分がいることも、私は気づいてた。<b>私はあなたが憎たらしかった</b>」</p>
<p>「翌週の教室であなたは、<b>私に交際を申し込んだことをみんなの前で公表した。</b>『みなさん、うまくいくように応援してくださいね』とあなたは笑って言った。どういうつもり？　この人はバカなのか。でもそのとき、<b>純子先生と真奈美さんの表情が嫉妬に歪むのを、私は見逃さなかった</b>」</p>
<p>「そして私はハッっとした。この交際宣言を、この男は純子先生と真奈美さんに向けて発したのではないか。自分は三条玲子と交際する。<b>だから君たちとはもう寝ない。</b>どうぞよろしくと」</p>
<p>「ほかにもあなたを狙っているレッスン生がいることも私は知っていたわ。つまりこの宣言は、同時に彼女たちへの牽制にもなる…。そう思うと、私は快感に胸が震えた。<b>この男はバカだけどバカじゃない</b>」</p>
<p>「それからの私は少しずつ、あなたに対して心を開くようになっていった。<b>ジェントルマンで、頭が良くて、高潔な感性と純真な心を持つ男性</b>だということもわかった。ただ、<b>私が初恋の女性だというあなたの主張</b>には、いささか首をひねらざるをえなかったけど」</p>
<p>そう言って玲子さんはフフフと笑った。</p>
<p>「一度、私はあなたに尋ねた。<b>あなたには信頼するに足る、心を許せる友達はいるか</b>って。そしたらあなたは、<b>ひとりだけいると自信たっぷりに答えた</b>。そして語り人さんのことを話してくれた。心の底からうれしそうに、泣いたり笑ったりしながら、いろんな話をしてくれたわ」</p>
<p>「私はうれしかった。<b>そんな素晴らしい友がいるこの男なら、本気で信頼していいのかもしれない</b>って。でも私は、自分の目で確かめないことには納得がいかないタイプなの。それで語り人さんに会わせてちょうだいって頼んだわけ」</p>
<p>「それで、どうだった？」と一柳は尋ねた。</p>
<p>「あなたとよく似ているわ。概ね同じといっていいんじゃないかしら。まさに類は友を呼ぶ。<b>器用なのに不器用で、賢いのにおバカで、大人なのにお子ちゃま</b>で。とにかく、とても<b>チャーミングな男性</b>です」</p>
<p>「違いはひとつ。あらゆる面において、語り人さんが持っている器のほうが大きくて深い。だからたぶん、さっき語り人さんは<b>一柳さんの孤独</b>と言いましたけど、<b>語り人さんが抱えている孤独</b>のほうが大きくて深い気がする」</p>
<p>「それだけ<b>強い人</b>なのよ、語り人さんは。でもその強さは<b>諸刃の剣</b>でね、<b>誰かを守ろうとして自分を切ってしまう</b>ことも多い。だから語り人さんは、実は<b>傷だらけ</b>だったりする」</p>
<p>「<b>そのことを一番よくわかっているのが一柳さんなの</b>。女にはなかなか理解できないところだと思う。だから二人は離れられないわけ。あ、ごめんなさい。また生意気なことを言ってしまいました」</p>
<p>「玲子さん、すごい！　やっぱり<b>オレが見込んだ女性</b>だよ。ね、語り人さん」<br />
一柳は興奮して、心底うれしそうに言った。</p>
<p>「そんなこと、とっくにわかってるよ」と一柳に返してから僕は玲子さんに言った。「なるほど。お話はよくわかりました。そんな僕たちだけど、今後ともどうぞよろしく」</p>
<p>良かれ悪しかれ、<b>僕は自分を分析されることが苦手だ</b>。この話題に終止符を打とうと、<b>愛想のない常套句の挨拶</b>でごまかした。それを察した玲子さんは、右手を上げるとおどけて言った。</p>
<p>「はい。よろしく頼まれました。そこで、注意事項がひとつありまーす」<br />
「はい、なんなりと」一柳は右手を左胸に当てて恭しく応じた。</p>
<p>「<b>今後あなたたち二人だけで行動するのは控えてください</b>」<br />
「は？　なんすか、それ？」一柳の声がひっくり返った。</p>
<p>「言葉どおりです。<b>語り人さんと会うときは、私も一緒です</b>」<br />
「賛成です。先生、<b>一柳さんと会うときは、わたしもお供させていただきます</b>」<br />
茂森愛由美も即座に反応した。</p>
<p>「いや、それは。そうもいかないときだってあるよ。たとえば収録とか。ほかにもいろいろと、ね、語り人さん」<br />
「ああ、そうだね。たとえば収録とか、収録とか、収録とか…」僕の声は尻すぼみ小さくなっていった。</p>
<p>「収録だけでしょ。収録が終わって飲むときは、私たちも合流します。ね、愛由美ちゃん」<br />
「はい。どうしてもわたしと玲子さんが合流できないときは、<b>飲みは禁止</b>です」</p>
<p>「なんで、そうなるの?!」一柳が絶叫した。<br />
「それは、あなたたちが<b>前科持ち</b>だからよ。その声で寸劇やって、また罪を作りたいの？　だから、いいわね。女子のいるところでの<b>寸劇禁止</b>。一柳さんは<b>笑顔禁止</b>、<b>ダンス禁止</b>」</p>
<p>「先生は、<b>詩の朗読も禁止</b>です。あと、<b>『邪魔なんかじゃない』ってセリフ禁止</b>です。それから、<b>名刺を渡すことも禁止</b>します。あ、もうひとつ。<b>女の子の個人レッスン禁止</b>です」</p>
<p>「ちょっと待ってよ。オレたちに仕事するなって言うの？」<br />
「なんか、＂ふたりだけで行動するな＂からズレてきてないか？」</p>
<p>「いい？　私たちの身にもなってちょうだい。<b>ふつうは彼氏の女遊びの心配だけしてればいいところを、男遊びの心配までしなくちゃいけないのよ</b>」</p>
<p>「なんだい、それ？」一柳の目が点になった。<br />
「<b>あなたたちが愛し合っているということよ</b>」</p>
<p>「……」<b>ここは黙ってやりすごすという作戦</b>で僕と一柳は一致団結した。</p>
<p>「それと一柳さん、<b>金勘定は私に任せること</b>」<br />
「えっ、どういうこと？」</p>
<p>「あなたは<b>役者バカ</b>でしょ。<b>私の年収以上を稼ごうとか、余計なことを考えなくていいの。</b>そんなことをやってると、<b>ただのバカ</b>になってしまう。語り人さんからも愛想をつかされちゃうわよ」</p>
<p>「玲子さん…」そう言って一柳は頭を掻きながら僕を見た。</p>
<p>なるほど、そういうことだったのか。<b>一柳の「金持ち宣言」</b>は、玲子さんと交際もしくは結婚するためには、<b>高給取りの玲子さんの収入を上回る稼ぎが必要だという、男のプライドの問題</b>だったのだ。</p>
<p>「あなたが今、<b>ナレーターとしてもっと上を目指して奮闘している</b>ことはわかってる。でもお金のためにがんばらないで。語り人さんのように自由でいて」</p>
<p>「<b>お金ってね、追い求めてはいけないものなの。お金が目的であってはいけないの。それはお金に隷属する道であり、自由への道じゃない。本当の意味での一流への道じゃないの</b>」</p>
<p>「銀行屋がこんなこと言うのは変だけどね」<br />
そう言って玲子さんは自嘲気味に笑った。</p>
<p>僕が一柳に言いたかったことを、<b>玲子さんはいささかの文学的修辞を援用することなく、まっすぐな言葉でぶつけた</b>。あらためて、すごい人だと思った。</p>
<p>玲子さんの説得は続いた。</p>
<p>「あなたにはもうひとつ、<b>上を目指すための大きな目標</b>があったじゃない」<br />
「それってもしかして、<b>39</b><b>階建てのビル</b>のこと？」</p>
<p>「そうよ。語り人さんに借りを返さなきゃ。私は貸し借りには厳しいの。その目標に全面的に加担させていただくわ。だから、<b>金勘定のことは私に任せなさい</b>って言ってるの」</p>
<p>「でも、<b>オレはもう社長じゃないし、静岡に戻るつもりはないし、ナレーターもやめない</b>よ」</p>
<p>「わかってるわよ。<b>静岡に戻る必要はないし、ナレーターも続けてちょうだい</b>。でないと、あなたのために血を流してくれた語り人さんに申し訳が立たないでしょ」</p>
<p>「でも、どうやって…」一柳には見当もつかなかった。<br />
「あなたには<b>代表権のある会長職</b>に就いてもらう。それから、<b>過去</b><b>20</b><b>年間の会社の決算書</b>が必要だわ」</p>
<p>「なんだい、それ？」一柳は怪訝な顏をした。<br />
「それは今度ゆっくり説明する。だいじょうぶよ。私は<b>並みの銀行屋じゃない</b>のよ」</p>
<p>「それから、<b>フラメンコ教室のインストラクター</b>はもうやめてね。もちろん私もやめるわ。<b>リハビリはもうすんだ</b>でしょ。これからは<b>ふたりでソーシャルダンスをはじめる</b>の。目指すは<b>シニア部門のチャンピオン</b>よ」</p>
<p>「えーっ？」一柳は飛び上がらんばかりに驚いた。<br />
「だって、今度こそ<b>本当のパートナーを見つけた</b>んでしょ？　<b>ひとりで踊るフラメンコはもう卒業</b>。よろしく頼むわよ。一柳先生」</p>
<p>「玲子さん、いきなりそんなにいろいろ言われても、オレ、頭がついていかないよ」<b>次々と繰り出される玲子さんの新計画</b>に、一柳は困惑しているようだった。</p>
<p>「一柳、とにかく<b>玲子さんの言うとおりにしろ</b>」と僕は言った。「<b>玲子さんは、おまえに取り戻してもらいたいんだよ。心ならずも失った、おまえが一流である証明を</b>」</p>
<p>「ええ、そうよ。まだ失効していないわ。私が取り返してあげる。<b>それがこれからの私の目標</b>」</p>
<p>「素敵です、玲子さん！　わたしが思うに、お二人はもうすぐにでも…」<br />
「そうだ、一柳。このタイミングだ。<b>愛由美ちゃんのタイミング出しを信じろ</b>」</p>
<p>「わかってます」と頷いて、一柳は深呼吸をしてから玲子さんを直視した。<br />
「ちょっと待って」玲子さんが制した。「<b>詩とか小説の引用はやめてね。ちゃんと私に向けて、ふつうの言葉でストレートに言って</b>」</p>
<p>「わかってる」もう一度、大きく深呼吸をしてから一柳は口を開いた。</p>
<p>「<b>この年まで独りでいたのは、君を探し歩いていたからだ。待たせたね。<span style="color: #000000;">道に迷って遠回りしちゃったけど</span>、やっと探し当てた。だから、もう離さない。結婚してください</b>」</p>
<p>「<b>ほんとに、何してたのよ。寄り道ばっかして…</b>」玲子さんの目から大粒の涙がこぼれた。</p>
<p>「<b>でも、信じて待ってた。だから、私も独りでいた。あんまり遅かったから、つい意地悪しちゃったの。でもうれしかった、迎えにきてくれて。ありがとう。結婚の申し出、よろこんでお受けします</b>」</p>
<p>「すてき！　おめでとうございます！」<br />
茂森愛由美は激しく手を叩いて二人を祝福した。</p>
<p>それから玲子さんはあらためて僕を見て言った。「語り人さんには心からお礼を言います。<b>ずっとこの人の面倒を見てくださって、本当にありがとうございました</b>」</p>
<p>「いや、そんな。玲子さんにお礼を言われることじゃ…」<br />
「<b>あとは私が引き取りますので、どうかもうご心配なく</b>」<br />
「はっ？　それはどういう…」<br />
「玲子さん、もうやめなさい！」</p>
<p>一柳は玲子さんをたしなめたが、玲子さんはおかまいなしに、今度は茂森愛由美を促した。「さ、愛由美ちゃんも言いなさい」</p>
<p>「はい」と返事をして、茂森愛由美は一柳に向かって言った。<br />
「もう一柳さんには玲子さんがいるのですから、これからは先生を煩わせないでくださいね。先生は満身創痍なんです。<b>今後はわたしが、先生の傷のお手当を担当しますから、ご心配には及びません</b>」</p>
<p>「あ、愛由美ちゃんまで、何を…」一柳は信じられないという顔をした。<br />
僕はなんとなくわかっていたので、黙って様子を見守っていた。</p>
<p>少しの間があって、二人の女子は声を揃えてけらけら笑った。<br />
「<b>冗談よ</b>」玲子さんはしてやったり、という顔をして言った。<br />
「わたしは、<b>前半が冗談</b>で、<b>後半が本気</b>です」と茂森愛由美。</p>
<p>「二人は分身だものね。誰もあなたたちを引き離せない」<br />
「オレと玲子さんだって、誰にも引き離すことはできないさ」</p>
<p>「天国でもともとひとつだった魂は」と僕は言った。<br />
「この世に生まれてくるときに男性と女性に分けられて別々に生まれてくる。<b>だから、現世で天国時代のもう片方の自分に出会うと、身も心もぴたりと相性が合うと言われる</b>。<b>その相方をベター・ハーフと呼ぶ</b>んだよ」</p>
<p>「そうよね。<b>ベター・ハーフは男と女</b>だものね。語り人さんと一柳さんがベター・ハーフじゃないことがわかって安心したわ」</p>
<p>「それがそうとも限らないんだ」一柳が言わずもがなの知識を披露した。<br />
「<b>ベター・ハーフの語源は古代ギリシャに遡る</b>んだけど、<b>プラトンの『饗宴』</b>によると、<b>＂男と女＂</b>のほかにも<b>＂男と男＂</b>、そして<b>＂女と女＂</b>という三種類が存在したそうだよ」</p>
<p>「それなら、やっぱり<b>あなたたちがベター・ハーフ</b>なわけ？」<br />
玲子さんはまたしても眉を吊り上げた。</p>
<p>僕は一柳を睨みつけると、玲子さんをなだめるため説明を捕捉した。<br />
「いや、それは違う。<b>アンドロギュノスと呼ばれる＂男と女＂以外は同性愛者として生を受けるそうだ</b>。言うまでもないけど、おれと一柳は同性愛者じゃない。安心してくれ」</p>
<p>「あなたたちは<b>無類の女好き</b>だものね。うん、うん。そうよね！」そう言って玲子さんは機嫌を直したが、この時点で僕は、<b>玲子さんのキャラ</b>がつかめなくなっていた。</p>
<p>「そう。オレと玲子さんは<b>正真正銘のベター・ハーフ</b>だぁ！」<br />
そう叫ぶと一柳は、玲子さんに手を差し出し「<b>Shall we dance?</b>」と言った。</p>
<p>「すごーい！これが噂に聞いた一柳さんの必殺技＂Shall we dance?＂ですね。しびれちゃいます！」茂森愛由美が無邪気によろこんだ。</p>
<p>「うん。僕も久しぶりに聞いたけど、あいつのこんな<b>優しさと慈しみに溢れた本心からの＂</b><b>Shall we dance?</b><b>＂</b>は、はじめてだよ」</p>
<p>二人は手を取り体を寄せ合い、<b>ワルツのステップ</b>を踏み出した。<br />
「そう、玲子さん、じょうず。そう、アン・ドゥ・トロワ、アン・ドゥ・トロワ、アン・ドゥ・トロワ…」</p>
<p><b>優雅で美しい二人のダンス</b>を眺めていると、茂森愛由美が僕の手を握ってきた。反射的に僕はその手を握り返した。握り返してからしまったと思い、僕はわけのわからない言い訳をした。</p>
<p>「<b>ごめん。僕は踊れないんだ</b>」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>＜完＞</p>
<p>&nbsp;</p>
<div class="point">
<h3><span>今日のボイスメモ、あるいは、声にまつわるささやかな教訓</span></h3>
<ol>
<li>気分転換に公園へ行こう。<span style="color: #ff6600;"><b>公園は人間観察にもってこいの場所だ</b></span>。そこには一柳みたいな人、ラッパさんみたいな人がいる。もしかすると語り人がいるかもしれない。ひとりで行くのがつまらなければ、友達や恋人、夫婦や家族など、<span style="color: #ff6600;"><b>隣に気の合う誰かがいてくれればなお素敵だ</b></span>。</li>
<li>大小問わず何か目標をひとつクリアしたら、<span style="color: #ff6600;"><b>誰かのためになる「善き行い」をしよう</b></span>。ひとつひとつ目標を達成していくためには、そういう<span style="color: #ff6600;"><b>善の循環</b></span>が必要だ。</li>
<li>誰でも「ああ、もう死んじゃいたい」と思うときがある。そんなときはこれが最後だと思って、好きなことに死ぬほど力を注いでみよう。<b><span style="color: #ff6600;">「もうダメだ」の先に視界が開くポイントがある</span>。</b></li>
<li><span style="color: #000000;">家族の事情、経済的な事情、人間関係の事情、いろんな事情で夢を断念せざるを得ないときがある。あきらめきれず歯を食いしばって這い上がろうとする人。<span style="color: #ff6600;"><b>見せてくれ、君の粘りを。聴かせてくれ、君の声を</b></span>。</span></li>
<li>今日の名台詞は玲子さんが言ったこれ！「<span style="color: #ff6600;"><b>お金ってね、追い求めてはいけないものなの。お金が目的であってはいけないの。それはお金に隷属する道であり、自由への道じゃない。本当の意味での一流への道じゃないの</b></span>」</li>
<li><b><span style="color: #ff6600;">男性諸君に告ぐ</span>。</b>女性を待たせてはいけないよ。待たせる男を女性は決して許さないから。<span style="color: #ff6600;"><b>もしもいま待たせているなら、腹を決めなさい！</b></span></li>
<li><span style="color: #000000;">「<span style="color: #ff6600;"><b>Shall we dance?</b></span>」って素敵な言葉だよね。今は小学校の授業にダンスレッスンがある時代。「ごめん。僕は踊れないんだ」なんて言ってる場合じゃない。</span></li>
<li>孤独を愛そう。孤独はあらゆる創造の源だ。賢治の詩にあるように、<span style="color: #ff6600;">「<b>その寂しさで音を創るのだ。多くの侮辱や困窮のそれらを噛んで歌うのだ」。</b></span>みんなでわいわい騒いでいるとき、神さまはきてくれない。ひとりで孤独を噛んでいるとき、<span style="color: #ff6600;"><b>神さまはそっときてくれるのだ</b></span>。</li>
<li><b><span style="color: #ff6600;">まだベター・ハーフが現れていないという人。この人がベター・ハーフかどうかわからないという人</span>。</b>見分け方のヒントは、<span style="color: #ff6600;"><b>一柳と玲子さんのラブストーリー</b></span>をもう一度、読んでみて。実は僕も、まだよくわからないんだ。ごめんね。</li>
</ol>
</div>
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		<title>第3話6章　一流の選択</title>
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		<pubDate>Sun, 21 Sep 2014 14:19:12 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[kataribito]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[第3話　ボイスアクター編②　一流の証明]]></category>
		<category><![CDATA[インタビュアー]]></category>
		<category><![CDATA[インタビュイー]]></category>
		<category><![CDATA[ランドマークタワー]]></category>
		<category><![CDATA[丹田呼吸法]]></category>
		<category><![CDATA[横浜港]]></category>
		<category><![CDATA[発声練習]]></category>
		<category><![CDATA[瞑想法]]></category>

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		<description><![CDATA[翻訳が完成したら、あとはひたすら読み込みだ。レッスンで、映像を流しながら実際に声をあてていく練習を何度も繰り返した。勘がいいうえに努力家の彼女は、みるみる役をものにしていった。そのようにして、僕たちは収録の日を迎えた。茂 [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>翻訳が完成したら、あとはひたすら<strong>読み込み</strong>だ。レッスンで、<strong>映像を流しながら実際に声をあてていく練習</strong>を何度も繰り返した。勘がいいうえに努力家の彼女は、みるみる役をものにしていった。そのようにして、僕たちは収録の日を迎えた。茂森愛由美にとっては<strong>記念すべき声優デビューの日</strong>を。<span id="more-273"></span></p>
<p>（5章「<a href="http://kataribito.net/03/03-5/">一流の条件</a>」のつづき）</p>
<p>「じゃあ寺さん、準備をお願いします。僕たちは<strong>声を作ってます</strong>から」</p>
<p>声を作るとは<strong>発声練習</strong>のこと。自宅で軽めの声出しはすませているが、ここで<strong>声量を上げた本格的な発声</strong>をおこなう。寺さんのスタジオでは気兼ねなくできるからとても助かっている。</p>
<p>「はいよ！　Cスタでやるといいさ」寺さんが言った。<br />
僕は茂森愛由美を目で促した。</p>
<p><strong>15分程度の発声</strong>を終えてCスタジオを出ると、ロビーのテーブルにコーヒーがふたつ用意されていた。淹れたてみたいだ。今日はとりわけサービス満点の寺さんだ。</p>
<p>「寺さん、ありがとう」「ありがとうございます。ご馳走になります」<br />
僕たちはそれぞれ、MA室で最終チェックをしている寺さんに声をかけた。<br />
「あと5分、くつろいで待っててよ」と声が返ってきた。</p>
<p>本番を前にして茂森愛由美は明らかに緊張していた。無理もない。<br />
「くつろぐどころじゃないよね。じゃあ、あれをやろう」</p>
<p>軽く目を閉じて、丹田を意識してゆっくり口から（15数えながら）吐いて、鼻で（3数えながら）吸う。<strong>丹田呼吸法</strong>だ。意識を丹田に持っていき呼吸を数えることで、<strong>雑念が取り払われ気持ちが落ち着いてくる</strong>、れっきとした<strong>瞑想法</strong>だ。</p>
<p>「お待たせ、<strong>スタンバイOK！</strong>」<br />
寺さんの声を合図に僕たちは目を開け、互いの顔を見合わせた。</p>
<p>瞑想のあとの茂森愛由美の表情には、<strong>緊張とは無縁の静謐で純粋な美しさ</strong>が宿っていた。<strong>なんの憂いもない、企みもない、媚びもない</strong>。ひと言でいうなら、それは<strong>人を感動させる美しさ</strong>だった。</p>
<p>もしも今、たとえばルノアールがここにいたら、彼女をモデルに夢中で筆を走らせたに違いない。絵のタイトルは「<strong>微睡みから目覚めた少女</strong>」。</p>
<p>そして我らが寺さんも、本当はレコーディングなんかうっちゃって、今すぐフィギュア制作に取りかかりたいに違いない。タイトルは「<strong>No.31茂森愛由美</strong>」。</p>
<p>「<strong>さあ、楽しいお芝居の時間だ</strong>」</p>
<p>そう言って僕は立ち上がり茂森愛由美にエールを送った。</p>
<p>「<strong>君はやるべきことはやった。あとは楽しめばいい</strong>」</p>
<p>広めのレコーディングブースの中央に置かれたテーブルの上に、二人分のマイクとモニター画面が向かい合っている。<strong>インタビュアー</strong>（インタビューする人）と<strong>インタビュイー</strong>（インタビューされる人）同様、向かい合う設定だ。</p>
<p>「<strong>レベルの調整</strong>をするんで、まず茂森さんから声をください」<br />
寺さんの声がヘッドフォンから飛び込んできた。</p>
<p>「頭から本番と同じ調子で、ストップがかかるまで読むように」<br />
僕は茂森愛由美にそう指示した。</p>
<p>「はい、OKでーす」と寺さんの声。僕も指でOKサインを作って言った。<br />
「いいよ。その調子だ」茂森愛由美はほっとしたように笑顔を返してきた。<br />
僕のレベルチェックも終わり、<strong>さあ、いよいよ本番だ</strong>。</p>
<p>モニター画面に映像が流れる。<br />
番組は<strong>アナウンンサーのMC</strong>から始まる。<br />
5秒のオープニングBGM。</p>
<p>茂森愛由美は目を閉じた。<br />
長いまつ毛が音を立てる。鳥が止まり木で羽を休めるように。<br />
そして再びまつ毛が音を立てる。鳥が羽を広げ飛び立ったのだ。<br />
茂森愛由美は目を開いた。</p>
<p><strong>（レコーディング中）</strong></p>
<p>「<strong>はい、オールOK！　いただきましたー！</strong>」<br />
寺さんの声が終わりを告げた。そして驚きの声をあげた。<br />
「すっごいね。一度も止めなかったよ！」</p>
<p>そうなのだ。僕たちは<strong>最初から最後まで一度も噛むことなく、一度も読み違えることなくノンストップで</strong>、このしゃべりっぱなしの30分番組の吹き替え収録を終えたのだ。</p>
<p>僕はヘッドフォンをはずし椅子から立ち上がり、右手の親指を立てて茂森愛由美の健闘を称えた。</p>
<p>茫然自失といった様子の彼女は慌ててヘッドフォンをはずし、椅子を倒す勢いで立ち上がると、いきなり僕に飛びついてきた。そして今度は声を上げて泣き出した。子どもみたいに。</p>
<p>茂森愛由美の背中をさすったり、頭をなでたりしながら僕は言った。<br />
「よくがんばった。上手だった。でも仕事はまだ終わってないぞ。声が変わっちゃうから泣くな。次の大学生の役に、<strong>色っぽい鼻声</strong>はいらないよ」</p>
<p>「はい。すみません」と言いながら彼女は、抱きつかれた体勢のまま僕が箱から鷲掴みして渡した数枚のティッシュで目と鼻を押さえた。</p>
<p>寺さんがその様子をニヤニヤしながら見ていた。寺さんがいるMAルームの前面はガラス張りになっていて、ブース内が丸見えなのだ。</p>
<p>「ほら、寺さんが見てるよ」と言うと、茂森愛由美はハッとして体を離し、ガラス越しに寺さんに向かって「見苦しいところをお見せして申し訳ありません」と言って、顔を真っ赤にしてお辞儀をした。</p>
<p>といっても、マイクを通さないとMAルームにいる寺さんには聞こえないのだが。</p>
<p>レコーディングブースを出ると、寺さんが僕たちを待ち構えていた。</p>
<p>「二人の息がぴったり合っててさ、すっごいリアルだったよ」と寺さんは言った。「茂森さん、初めてって言ってたけど、すっごいね！　それに、おれ思ったんだけどさ、茂森さん、<strong>台本をほとんど見てなかった</strong>よね。まさか、暗記してたって話？」</p>
<p>「そう、<strong>丸暗記</strong>。翻訳も彼女がしたんです」<br />
寺さんは茂森愛由美を見ずに僕を見てしゃべったので、僕が答えた。<br />
「ひえー、そんな声優さん、おれ、はじめて見たさ！」</p>
<p>寺さんもいろんな声優の収録に立ち会っている。短いセリフならともかく、<strong>これだけの長文を一度も噛まずに読み、しかも台本なしでのぞむ声優は見たことがない</strong>と驚いたのだ。</p>
<p><strong>翻訳までしてしまう声優</strong>もいないと思うのだけど、それはまあ僕がそうだからあえて言及しなかったのだろう。</p>
<p>暗記に関しては、実は僕も驚いた。何度もふたりで合わせ練習をしたわけだけど、何度目かで完全に頭に入っていた。暗記したのかと訊くと、<strong>読んでいるうちに自然に覚えた</strong>という。なるほど、優等生は記憶力にも優れている。</p>
<p>寺さんは早速、<strong>編集と整音の作業</strong>に入った。<br />
「ノンストップでいけたので作業は楽ちんさ」と寺さんは喜んだ。</p>
<p>僕たちもMAルームにお邪魔して、<strong>映像に同期させた吹き替え音声</strong>をひととおり確認した。</p>
<p>「わたし、こんな声なんですね。なんか変です」茂森愛由美が言った。<br />
「最初はびっくりするよね。そのうち慣れるよ」と僕は言った。<br />
「<strong>艶っぽくていい声</strong>だよね。おれ、好きだなあ」と寺さんは言った。</p>
<p>時間はお昼12時を回ったばかり。予定よりずいぶん早く終わった。</p>
<p>「あっ、そうそう、カツ丼の出前、頼んどいたよ。そろそろ届くころ。今日が<strong>愛弟子のデビュー</strong>だから景気づけにって、語り人くんが」<br />
後半は茂森愛由美をチラッと見て寺さんは言った。</p>
<p>そんなことを言っているうちに出前が到着した。カツ丼が２つしかないのを見て、茂森愛由美は首を傾げた。<br />
「寺さんは愛妻弁当なんだって」僕が代弁した。</p>
<p>「そうなんだ。血糖値とかコレステロール値とか、いろいろ問題があってさ。だから女房に管理されてるんだ。三食、精進料理だよ」と寺さんは苦笑しながら言った。「だからおれのことは気にしないで。二人はしっかり腹にためなきゃ。語り人くんの口癖…」</p>
<p>「<strong>声優は腹でしゃべる</strong>」茂森愛由美が引き取って笑った。</p>
<p>昼食を終えるとまだ１時前だった。次の録りまで１時間ちょっと。一柳が15分前に入るとしても、まだ１時間ある。食後は軽い散歩を日課とする僕は、茂森愛由美に言った。</p>
<p>「僕はこの辺を少しぶらぶらしてくるけど、君はここでゆっくりしていればいい」<br />
すると茂森愛由美は、自分も歩きたい。わたしが一緒だと邪魔かと訊いた。僕は邪魔じゃないと答えた。</p>
<p>外に出ると、太陽はまだ一番高いところにあった。「今日は暑さが戻るでしょう」と天気予報の女の子が<strong>棒読み口調</strong>で断言していたが、それほどでもない。季節はもう秋なのだ。</p>
<p><strong>横浜桜木町駅の地下道をみなとみらい方向に</strong>歩いていると、いきなり茂森愛由美が叫んだ。</p>
<p>「邪魔なんかじゃない！」<br />
「いったいどうしたんだ？」と訊ねると、彼女はうれしそうに言った。</p>
<p>「今も言ってくださいましたけど、あのとき、半年前、先生がおっしゃったんです。わたしが＂おじゃましました＂って言ったとき」<br />
「ああ、そうだった。一柳とデカい声でハモっちゃったんだ」</p>
<p>「わたし、びっくりしたけど、あんなにうれしかったことはないの」<br />
「えっ、なにそれ？」</p>
<p>「あんなに<strong>本気でかまってもらった</strong>ことがなかったというか。カチカチ山のお話とかして、本当に楽しかった。うまくいえないけど、とにかく顔がカーって熱くなって、胸がドキドキして…。あのあと裏でわんわん泣いちゃいました。そしたらバイトの吉岡君がね、どうしたの？　あの客にいじめられたの？って言うの。違うわよ、<strong>ハートを射抜かれた</strong>のよ、って言ったらキョトンとしてた」</p>
<p>「泣き虫だね。強いくせに。空手二段」とからかうように僕は言った。<br />
「違います。先生と出会ってから泣き虫になったんです」と茂森愛由美は口を尖らせてから頬を膨らませた。</p>
<p>「えっ、僕のせい？」<br />
「そうです。だって、二番目にうれしかったのは手書きのお名刺をいただいたときだし、三番目はびっくりするくらい心のこもったお手紙をいただいたときだし、四番目は先生のお夕食を作って、おいしいって食べてくださったときだし、五番目はこのお仕事をいただいたときだし、六番目はさっき収録が終わって頭をなでてもらったときだし、七番目はいま…」</p>
<p>「もうわかったよ」めずらしく饒舌な茂森愛由美の口を僕は塞いだ。<br />
「要するに、わたしが泣いたのは、ぜんぶ、先生がらみだってことです。だから、先生が、わたしを、泣き虫にしたんです」</p>
<p>「じゃあ何度も言ってるけど、その＂先生＂っていうのやめてくれるかな。生徒を泣かせてばかりじゃ、先生とはいえない」</p>
<p>僕は<strong>苦手とすること</strong>が結構多い人間で、<strong>先生と呼ばれること</strong>もそのひとつだ。ほかにも<strong>カラオケボックス</strong>とか、<strong>喫茶ルノアール</strong>とか、サラリーマンがたむろする<strong>新橋あたりの居酒屋</strong>とか、終電から始発までの<strong>新宿歌舞伎町</strong>とか。（あれ、場所ばっかりだ）</p>
<p>「いやです。この際ですからはっきり言わせていただきます」<br />
茂森愛由美は立ち止まり、まっすぐな目で僕を見て言った。この目に僕は弱い。</p>
<p>「わたしの言う先生とは、学校の<strong>教師</strong>とか、お<strong>医者</strong>さまとか、<strong>弁護士</strong>さんとか、<strong>議員</strong>さんとかの先生じゃないんです。わたしが尊敬し、心からお慕いしている方への敬称です。ですから」ここで一区切り入れて、茂森愛由美は恥らいがちに続けた。</p>
<p>「ですからわたしは、先生の生徒ではありません。生徒ではありませんから、卒業もありません」</p>
<p>「茂森愛由美、君は今日、いささかおしゃべりが過ぎるようだ。<strong>楽しい演技の時間</strong>をまだ引きずっていて興奮状態にあるのはわかるけど、そのくらいにしておこう」</p>
<p>「興奮状態にあるのは認めます。でも浮かれて言っているんじゃありません。<strong>本当の気持ち</strong>を申し上げました」</p>
<p>「わかったよ。でも卒業はしてもらう。この先ずっとレッスンを続けるわけにいかないからね。ご両親に約束した期限は２年。だから僕のレッスンは残すところ半年だ」</p>
<p>「わたしが言ったのは、レッスンの卒業じゃありません」<br />
茂森愛由美は俯くと、聞こえるか聞こえないかの小さな声で言った。<br />
聞こえなかったほうを僕は<strong>選択</strong>した。</p>
<p>コロンビア大学ビジネス・スクール教授のシーナ・アイエンガー博士の調査によると、<strong>人は一日、朝起きてから夜眠りにつくまでの間に、平均で70回の選択を行う</strong>という。僕自身はもっと多いような気がする。やれやれ。</p>
<p>いつのまにか<strong>ランドマークタワー</strong>にきていた。地上70階の文字どおり横浜のランドマーク（目印）だ。眼下には<strong>横浜コスモワールドの大観覧車</strong>が、その向こうに<strong>横浜港</strong>が一望できるビューポイントに僕たちはいた。</p>
<p>「先生、わたし、あの観覧車に乗りたい。先生と」<br />
「ああ、次に何かうれしいことがあったら乗ろう」<br />
「じゃあ、すぐですよ。先生といるとうれしいことばかりですから」<br />
「おっといけない」僕はまた聞こえないふりを選択した。<br />
「もう戻らないと。一柳が先に着いてしまう」</p>
<p>ランドマークタワーの３階、オシャレなショップの並ぶ<strong>ランドマークプラザ</strong>を出ると、そこから桜木町駅に直結する「<strong>動く歩道</strong>」がある。けっこうな距離があって、乗ったまま左右に横浜の景観を楽しむことができる。</p>
<p>茂森愛由美が突然、腕をからませてきた。動く歩道が少し苦手なのだという。僕はこういう展開が苦手なのだ、と言おうしてやめた。今日は、<strong>今日だけは彼女のしたいようにさせてあげよう</strong>と思った。</p>
<p>さっきから気づいていたことだが、彼女とふたりでいると<strong>擦れ違う人の視線</strong>が気になる。10人中8人が目をとめるのだ。茂森愛由美に対する好意的、ないし称賛の視線もあるが、好奇な視線、不躾な視線、嫉妬の視線も散見される。</p>
<p>人々はまずハッとした顔で茂森愛由美を見る。次に僕を見て「？」という顔をする。たぶん「どういう関係？」って訊きたいのだろう。「親子じゃないよね？」という疑問符かもしれない。</p>
<p>ふだん彼女は極力目立たないように、とても地味な格好をしている。<strong>Tシャツにジーンズ</strong>とか、<strong>ポロシャツにジャージ</strong>といった組み合わせだ。外ではほとんどスカートをはかない。靴はもちろんスニーカー。</p>
<p><strong>髪はまっすぐなロング</strong>だが、いつも後ろでひっつめている。ときどき<strong>キャップ</strong>をかぶり、<strong>黒縁のメガネ</strong>をかける。メイクはほとんどしない。装身具もつけない。レッスンの日だけ髪をおろし、少しだけ薄化粧をする。</p>
<p>それが今日はしっかりメイクをし、髪は毛先を遊ばせた緩やかな巻き髪にしている。服装は上品な<strong>オトナかわいい系のミニのワンピース</strong>。さらに、いくつかの小さなダイヤをあしらったネックレスが、さりげなく胸元を飾っている。</p>
<p>いつもは、どちらかといえば<strong>美少年</strong>という感じで、異性を意識させることはあまりないのだが、こんな格好をするとあらためて「<strong>なんてきれいな女の子だろう</strong>」とドギマギしてしまう。</p>
<p><strong>ふつうの21歳の女の子</strong>なら、いつも<strong>可愛い服を着てお出かけ</strong>したい年頃だろう。<strong>オシャレをして彼氏とデート</strong>して、<strong>友だちとランチ</strong>をして、<strong>大学のサークルメンバーで飲み会</strong>をしたり、<strong>旅行の計画</strong>を立てたりしているはずだ。</p>
<p>そのとき僕は、そんなこととは無縁の生活を送っている茂森愛由美が無性にけなげに思えて、抱きしめたくなった。抱きしめる代わりに、組んでいる腕に力を込めた。</p>
<p>動く歩道を降りると３階からいっきに下る、これまた長いエスカレーターに乗る。地上に降りても茂森愛由美は組んだ腕を離そうとしなかった。</p>
<p><strong>JR桜木町駅</strong>にさしかかると、改札を出たところに見覚えのある男の姿があった。見間違えようがない。一柳だった。</p>
<p>ナイスなタイミング。茂森愛由美がやっと腕を離したので駆け寄ろうとして、すぐに思い直した。一柳が改札のむこう側に手を振ったからだ。どうやら、だれかと待ち合わせをしているらしい。</p>
<p>様子を覗っていると、一柳が手を振った相手は、あたりまえだけど女性だった。遠目からでも目立つ、<strong>ある種のオーラを放つ女性</strong>だ。</p>
<p>一柳の<strong>よく通る声</strong>が聞こえた。「遠いところまでありがとう」。<br />
女性が笑みを返した。満面の笑みではない。少し困惑している笑み。<br />
20代後半に見える。でも実年齢は30代中盤といったところか。</p>
<p><strong>次元の違う美人</strong>というか、<strong>化粧品のCMに出てくるモデルのような女性</strong>だ。メイクのせいもあるだろうけど、目ヂカラがあるというか<strong>挑戦的な眼差し</strong>をしている。「<strong>男には負けないわよ</strong>」といったような。</p>
<p>あの女性だ！　と僕の直感が告げた。一柳を改心させた女性。数々の浮名を流してきた<strong>百戦錬磨のモテ男</strong>が、はじめて自分から惚れた女性。</p>
<p>僕たちは５メートルほど後方から見ていたのだけど、そのとき突然、一柳が振り向いたので目が合ってしまった。</p>
<p>一柳は少し驚いた表情を見せたが、横にいる茂森愛由美の存在に気づくと、さらに驚いた顔をした。</p>
<p>「おやおや」と一柳は言った。<br />
「おやおや」と負けずに僕も返した。</p>
<p>（次章につづく）</p>
<p>&nbsp;</p>
<div class="point">
<h3><span>今日のボイスメモ、あるいは、声にまつわるささやかな教訓</span></h3>
<ol>
<li>疲れたとき、緊張しそうなとき、心がざわつくとき、むしゃくしゃするとき、<span style="color: #ff6600;"><strong>丹田瞑想</strong></span>をお勧めする。スーッと気持ちが静まり、心が落ち着くのを実感するだろう。</li>
<li>「<strong><span style="color: #ff6600;">やるべきことはやった</span></strong>」と本当に言えるのか。<span style="color: #ff6600;"><strong>いつも自問すること</strong></span>が大切だ。</li>
<li>「<span style="color: #ff6600;"><strong>苦手</strong></span>」という言葉はあまり使わないほうがいいが、使うなら自信を持って言おう。反対に「<span style="color: #ff6600;"><strong>得意</strong></span>」という言葉は控えめに言おう。</li>
<li>世の中には「<span style="color: #ff6600;"><strong>先生</strong></span>」が多すぎる。<strong><span style="color: #ff6600;">先に生まれたから先生というわけじゃない</span></strong>。できないことを教えてくれて、導いてくれて、眼を開かせてくれる人。年齢に関係なく、そういう人を先生と呼びたい。</li>
<li><span style="color: #000000;">「<span style="color: #ff6600;"><strong>人は一日に２万回もの選択をおこなっている</strong></span>」という説もある。70回説と２万回説の違いは、基準をどこに置くかという定義の問題だ。数字は数字でしかない。傾注すべきは<span style="color: #ff6600;"><strong>その選択をおこなった結果</strong></span>だ。</span></li>
<li><span style="color: #ff6600;"><strong>仕事が先かデートが先か</strong></span>。一柳と語り人は、いったいどこに向かおうとしているのか。それは僕にもわからない。やれやれだ。</li>
</ol>
</div>
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