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	<title>声で人生が変わる！「愛と再生」のボイス・ストーリー　ユアボイス・マイボイス &#187; 太宰治</title>
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	<description>あなたは自分の「声」が好きですか？ あなたは「声」で損をしていませんか？</description>
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		<title>待つ身vs待たせる身（友情編）</title>
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		<pubDate>Fri, 29 May 2015 10:00:37 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[kataribito]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[ブックエッセイ]]></category>
		<category><![CDATA[中原中也]]></category>
		<category><![CDATA[井伏鱒二]]></category>
		<category><![CDATA[太宰治]]></category>
		<category><![CDATA[宮沢賢治]]></category>
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		<category><![CDATA[走れメロス]]></category>

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		<description><![CDATA[ご無沙汰です。 第3話「一流の証明」を書き終えてから腑抜け状態の語り人です。 こんな僕のブログでも、今か今かと待ってくれている方がいらっしゃるようで、たくさんの方から「最近、更新していらっしゃらないようですが…」というメ [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>ご無沙汰です。<br />
<a href="/category/03/"><b>第</b><b>3</b><b>話「一流の証明」</b></a>を書き終えてから<b>腑抜け状態</b>の語り人です。</p>
<p>こんな僕のブログでも、今か今かと<b>待ってくれている</b>方がいらっしゃるようで、たくさんの方から「最近、更新していらっしゃらないようですが…」というメッセージをいただいている。</p>
<p>多くは激励や安否を問うお便りだが、なかには以下のような難詰調というか、語り人の無沙汰に対するクレームも散見された。<span id="more-384"></span></p>
<blockquote><p>さぞかしお忙しいのでしょうね。けれど黙って姿を消しておしまいになるなんて、あんまりではありませんか。いつもわたしに語りかけてくださるとおっしゃったのは嘘だったのですか。先生のバカ！　お忙しすぎて文字どおり、心を亡くされたのでしょうか？　いやだ、それともまさか、ご病気か何か…（後略）</p></blockquote>
<p>ごめんなさい。ご心配をおかけしました。<br />
あなたに語りかけることを忘れたわけではありません。</p>
<p><b>語り人は元気です。</b>病に臥していたわけでも、心を亡くしたわけでもありません（たぶん）。 凡才を苦にして（少し気にしているけど）身投げしたり、失踪したりもしておりません。バカなのは変わっていませんが。</p>
<p><b>忙しかった？</b> 　うん、たしかに「忙しかった」ということになるのだろうけど、 僕はこの言葉が好きではない。「バタバタしてまして」と同様に、便利だけど使いたくない。品格がないから。（おまえは鳥か！と言いたくなる）</p>
<p>では、なんと言おうか。ちょっと気取った表現を許していただけるなら<b>「自分に課せられた仕事にただただ専心していた」。</b> そうとしか言いようがない。たとえばミツオシエという鳥が、名前のとおり「蜜のありかを教える」ためだけに生存しているように。（あれ、僕も鳥か！）</p>
<p>「ただただ」とか「ひたすら」という言い方が、何か<b>問答無用</b>という感じがして、僕は好きなのです。</p>
<p>そんなありがたいお便りの中に一通、不可解なメッセージが紛れ込んでいた。何やらイヤな予感がした。原文のまま紹介します。（カッコ内は語り人のコメントです）</p>
<blockquote><p>（前略）ワタシは待つことには慣れておりますが、いかんせん語り人さまの次回作だけはこれ以上待てません（いかんせん？）。 ご多忙の由は重々、重箱の隅を突くが如く熟知しております （シャレたつもりだろうが用法が違う）。語り人さまのお言葉がワタシをどれだけ奴隷にしておりますことか（またきたか）。嗚呼、それをお知りになったら、 お尻に火がつくことでしょう！（もうやめてくれ！）</p>
<p>語り人さまをお慕いする<b>愚鈍な中年少女</b>より（もはや妖怪だ）</p></blockquote>
<p>こんなおかしな文体でメッセージを送りつけてくる人を、僕はひとりだけ知っている。<br />
「いかにせよ」が口癖のあの人に違いない。そう言うとすぐにバレるので「いかんせん」と書き直した。そうでしょう？　虎田シーサーさん（ジロッ）。</p>
<p>（シーサーさんは<a href="/category/02/"><b>第</b><b>2</b><b>話「声優ほど素敵な商売はない」</b></a>で登場いただいた、オネエキャラを売り物にしている映像プロデューサーだ）</p>
<p>とにかく、わかりました。<b>ボイス・ストーリー</b>のほうはもう少しお待ちいただくとして、エッセイ風のものでよければ書きます（語ります）。書かせて（語らせて）もらいます！</p>
<p>では、<b>お待たせした</b>ことにちなんで、<br />
今日は<b>「待つ身</b><b>vs</b><b>待たせる身」</b>というテーマでお届けしましょう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><b>「待つ身がつらいかね、待たせる身がつらいかね？」</b><b></b></p>
<p>こううそぶいたのは<b>太宰治</b>だった（また太宰！）。</p>
<p>友人の小説家・<b>檀一雄</b>と熱海の宿で豪遊し支払いが出来なくなった太宰は、檀を人質に置き、金策のためひとり東京へ帰る。ところが待てど暮らせど太宰は戻ってこない。しびれを切らした檀は、宿の主人の許しを得て東京へ。するとあろうことか、太宰はのんきに将棋を指しているではないか。</p>
<p>「ひどいじゃないか！」怒りをぶちまけようとする檀に太宰が放った言葉がこれだ。（このエピソードは<b>檀一雄著『小説</b><b> </b><b>太宰治（岩波現代文庫）』</b>に詳しい）</p>
<p>「<b>待たせている</b>おれのほうがつらいんだ。それが証拠に、いまこの人に金を借りようと将棋のお相手をしている」</p>
<p>太宰は口が達者だ。これは<b>遅刻の常習者</b>だった太宰一流の詭弁（言い訳）だろう。</p>
<p>この将棋のお相手は太宰の文学の師、<b>井伏鱒二</b>だった。温厚な井伏さんも、自身の代表作である<b>『山椒魚』</b>のように憮然としたはすだ。（しかし師匠の前でこんなこと言うかね）。檀は怒るに怒れなくなった。</p>
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<p>&nbsp;</p>
<p>それからまもなく、太宰は一篇の小説を発表した。<b>『走れメロス』</b>だ。</p>
<p>檀は「この傑作はまさに自分とのこの出来事に端を発している」と確信する。<br />
あまつさえ「文学に携わる身の幸福を思う」とうっとりする始末だ。</p>
<p>簡単に言うと「それって、おれの手柄だよね」と檀は言っているのだ。</p>
<p>なるほど。たしかに<b>『走れメロス』</b>は、二人の男の友情を軸に、<b>待つ身と待たせる身の拮抗</b>を優美に力強く描いた名作。でも檀一雄の話が本当なら、<b>現実と虚構のあまりのギャップ</b>に笑うしかないよね。</p>
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<p>「おまえは走ってない。将棋を指してただけだろ！」僕なら激しくそうツッコミを入れるだろう。<b>作家の人格と作品は別の話</b>ということか。</p>
<p>もっとも檀は、太宰の追従者といわれていた作家だ。当時、太宰の腰巾着と揶揄されてもいた。だから檀と太宰の<b>「待つ身と待たせる身」</b>の構図は、単純に二人の力関係によるものだといえる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>力関係といえば、この<b>『小説</b><b> </b><b>太宰治』</b>には<b>中原中也</b>との交流も描かれている。<br />
中也に畏敬の念を抱いていた太宰は、この尊大な詩人には頭が上がらない。さしもの口達者の太宰も、舌鋒鋭い中也の罵詈雑言に萎縮するばかり。</p>
<p>「なんだ、おめえはバカか！ 青鯖が空に浮かんだような顔をしやがって」<br />
（どんな顔だ？　でも<b>サバが空に浮かぶ</b>なんて、さすが中也。詩人の言葉だね）</p>
<p>からまれてもイジられても太宰は「愛情、不信、含羞、拒絶、なんともいえないような、くしゃくしゃな悲しい薄笑いを浮かべて」黙っている。（これは檀の言葉。言い得て妙だ。写真の太宰は概ねそんな表情をしている）</p>
<p>あるとき、待ち合わせの酒席に太宰の姿がなかった（太宰さん、すっぽかしたな）。からむ相手がいないと不機嫌になった中也は、檀を引き連れ太宰の家に乗り込む。（イヤなやつだよ！）</p>
<p>ちなみに道中、中也が自身の詩作のお手本ともしている<b>宮沢賢治の詩</b>を、高らかに朗誦していたことを檀は記している（中也は詩の朗読が上手だったそうだ）。</p>
<p>家に着くと太宰の妻は「主人はもう休んでいる」という。<br />
「起こせばいいじゃねぇか」（迷惑なひとだね）<br />
中也はずかずかと寝室に踏み込み、大声で喚き散らし、寝ている（寝たふりをしている）太宰を襲撃しようとする。</p>
<p>「寝ているんだから、やめましょう」<br />
檀は中也の腕をむんずと掴んだ。（おっ、檀さん、武勇伝か？）<br />
「きさま、誰にものを言っている！」（あくまで上から目線）</p>
<p>中也は腕を振り払おうとするが、檀は中也の腕を掴んだまま、雪の降りしきる外に引きずり出した。（まるで映画のワンシーンだね）<br />
「このやろう！」<br />
中也は檀に拳を振るうが、痩身小躯にして非力の中也の、それは他愛もない腕力だった。剛力の檀は中也を雪道に放り投げた。（檀さん、一本！）</p>
<p>「わかったよ。おめえは強え」（おまえが弱い）<br />
起き上がると雪を払いながら、中也は恨めしそうに言ったあと、何やらぶつぶつ低吟したという。それは賢治の詩ではなかった。（こんなときにも詩を吟じる中也は、やはりただ者じゃない）</p>
<p>「<b>汚れっちまった悲しみに、今日も小雪の降りかかる…</b>」</p>
<p>後世に残るこの詩が、まさにこの瞬間、誕生したように檀は回想している。（つまり<b>名作誕生秘話</b>のていですね）。だけど<b>『小説</b><b> </b><b>太宰治』</b>はタイトルどおり、あくまでも小説（フィクションね）。真偽のほどは定かでない。</p>
<p>で、このエピソード、いつの話かというと、<br />
1934年（昭和9年）。<b>今から</b><b>81</b><b>年前</b>のこと。</p>
<p><b>中原中也</b><b>27</b><b>歳、太宰治</b><b>25</b><b>歳、檀一雄</b><b>22</b><b>歳。</b>（青春まっただ中！）<b></b></p>
<p>しかし、中也はそれから3年後の<b>30</b><b>歳</b>、結核性脳膜炎で帰らぬ人となる。<br />
太宰は14年後の<b>38</b><b>歳</b>、東京三鷹の玉川上水で妻ではない女性と入水自殺。<br />
檀は41年後の<b>63</b><b>歳</b>、肺癌のため逝去。（中也と太宰に較べ長生きしている）</p>
<p>そして<b>『小説</b><b> </b><b>太宰治』</b>は、エピソードから15年後の1949年、檀が<b>37</b><b>歳</b>のときに書かれている。つまり多かれ少なかれ「<b>自分の青春時代を美化して語る年齢</b>」に達していると言っていい。</p>
<p><b>どこまでが真実で、どこまでが作り話なのか。</b>しかしそんなことはどうでもいい。僕が面白く思ったのは、<b>太宰治と中原中也という二人の天才</b>と同時代に生きて交流した、<b>檀一雄という作家</b>のキャラというか立ち位置だ。</p>
<p><b>太宰にうまく使われ振り回された日々</b>を、そして<b>中也を投げ飛ばした雪の降る夜</b>を、檀は実に愛おしそうに回顧している。自分という存在が触媒となって、あの珠玉の名作が生まれたのだと。</p>
<p>つまり<b>『走れメロス』</b>も<b>『汚れっちまった悲しみ』</b>も、自分がいなければこの世に産声を上げることはなかったと、脇役ながら檀は、自分が後世に果たした役割の大きさに目を細めるのである。（檀さんは文学のお産婆さんだね）</p>
<p>「そりゃあ、<b>待たされたおまえ</b>じゃなくて、<b>待たせたおれ</b>の手柄だろう」</p>
<p>太宰がそう言ったかどうかわからないけど（きっと言ったと思う）、例の「青鯖が空に浮かんだような」くしゃくしゃな笑顔が目に浮かぶようだ。</p>
<p>待つ身はつらい。待たせる身もつらいだろう。<br />
だけれど、つらいことばかりじゃないはずだ。<br />
<b>檀一雄の『小説</b><b> </b><b>太宰治』</b>はそれを教えてくれる。</p>
<p><b>待つことで、待たせること</b>で生まれてくるものがある。<br />
醸成されるもの、熟成されるものもある。</p>
<p>たとえばそれは、<b>夢</b>かもしれないし、<b>希望</b>かもしれない。<br />
<b>許し</b>かもしれないし、<b>祈り</b>かもしれないし、<b>愛</b>かもしれない。</p>
<p>それが<b>諦め</b>や<b>後悔</b>、<b>憎しみ</b>や<b>恨みつら</b>みでないことを願うばかりである。</p>
<p>次回は、一般的な<b>男女における「待つ身</b><b>VS</b><b>待たせる身」</b>を考察してみたいと思います。（こっちのほうが興味あるよね！）</p>
<p>それではまた、いずれ春永に。</p>
<p>&nbsp;</p>
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		<title>第3話最終章　一流の証明（前編）</title>
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		<pubDate>Tue, 11 Nov 2014 03:18:46 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[kataribito]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[第3話　ボイスアクター編②　一流の証明]]></category>
		<category><![CDATA[アイドル声優]]></category>
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		<description><![CDATA[宝石を散りばめたような美しさといわれる横浜の夜景が 視界いっぱいに広がった。 言わなければ。今だ。今、言うんだ！ 僕は大きく息を吸った。 （7章「一流の女性たち」のつづき） 地下鉄みなとみらい21線で新宿三丁目まで行き、 [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>宝石を散りばめたような美しさといわれる横浜の夜景が<br />
視界いっぱいに広がった。</p>
<p>言わなければ。今だ。今、言うんだ！<br />
僕は大きく息を吸った。<span id="more-297"></span></p>
<p>（7章「<a href="http://kataribito.net/03/03-7/">一流の女性たち</a>」のつづき）</p>
<p>地下鉄みなとみらい21線で新宿三丁目まで行き、そこから丸ノ内線に乗り継いで四谷三丁目に着いた。駅のアナログ時計の針は19時半を指していた。宴会を始めるには遅すぎず早すぎずの時間だ。</p>
<p>これからが大事な話になる。<br />
茂森愛由美にとって。それから一柳にとって、三条玲子にとって。<br />
もちろん僕にとっても。</p>
<p>半年前はまだ予兆に過ぎなかった四人の縁が動き出し、今その四人が<b>はじまりの場所</b>で一堂に会し、<b>今後の人生が大きく変わるだろう決断</b>を一人ひとりが下すのだ。僕は<b>出会いの不思議</b>を思わずにいられなかった。</p>
<p>店に到着すると、店長はじめスタッフのみんなから熱烈な「お帰りなさいコール」を浴びた。</p>
<p>いやな予感がした。賑やかしいクラッカー音で迎えられ、<b>「祝！声優デビュー！」</b>と書かれた垂れ幕が下がっているのではないか、という予感だ。店内を見回したが特別変わったことはなく、ほっと胸をなでおろした。</p>
<p>すぐに個室に案内され部屋に足を踏み入れると、いやな予感はやっぱり外れていなかったことを思い知った。床の間に大きなくす玉が仕掛けられていたのだ。僕は見なかったことにした。</p>
<p>「いやぁ、こんなご馳走を用意してもらって申し訳ないっす。愛由美ちゃんのお祝いに、オレたちまでご相伴にあずかって」</p>
<p>一柳はくす玉ではなく、テーブルに並んでいる大きな寿司桶やご馳走の数々が真っ先に目に入ったらしく、興奮して言った。</p>
<p>「何をおっしゃる。愛由美ちゃんが今日という日を迎えられたのは、一柳さんのおかげでもあります。その一柳さんの大切な方まで連れてきてくださって、今日はなんてうれしい日でしょう！」</p>
<p>山田店長はそう言って玲子さんに熱烈な握手を求めると、感激の面持ちで続けた。「一柳さんの初恋のお相手がどんな女性か、ずっとその話題で持ち切りでしたからね。もう想像どおりというか想像以上の麗しい方で、感激もひとしおです」</p>
<p>「ちょっと待ってくださいよ！」一柳が気色ばんで言った。「その話題で持ち切りって、どういうことすか？　いったいここは、プライバシーってものがないんすか！」</p>
<p>「プライバシーって、よくそんなことが言えたわね」<br />
玲子さんがすかさず切り返した。</p>
<p>「だったらなぜ私が、愛由美ちゃんのことを知ってたの？　店長さんだって、今日はじめてお会いしたとは思えないほどよ。それはなぜ？　ぜんぶあなたから聞かされていたからでしょ。あなたにプライバシーをうんぬんする資格はないの」</p>
<p>玲子さんのもっともな突っ込みに一柳はタジタジになって、例のごとく盛大な笑いでごまかしてから「ほら、この切り返し、語り人さんにそっくりでしょ」と僕を見てうれしそうに言った。</p>
<p>今日は店が立て込んでいるらしく、店長は「私はまたあとで少し参加させてもらいますが、みなさん遠慮しないでどんどんやってくださいね」と言って笑いながら出て行った。</p>
<p>「ちょっと一柳さん、今のは聞き捨てならないわね」<br />
玲子さんが突然、目くじらを立てて言った。</p>
<p>「もちろん、語り人さんと突っ込みどころが同じなのは光栄よ。でも、もしかしてあなた、語り人さんと切り返しがそっくりという理由で、私のこと好きになったわけ？」</p>
<p>玲子さんの追撃に一柳は、今度は真面目な表情で答えた。<br />
「それは確かにあるかもしれない。昔からオレを<b>本気で叱ってくれる人</b>は語り人さんだけだったから」</p>
<p>「まあ、それはいいわ。ごまかさないで率直に答えたことは評価してあげる。さっきも言ったように、これから一柳さんと語り人さんふたりの<b>事情聴取</b>に入るけど、その調子で頼むわよ。でもそのまえに」</p>
<p>そう言って玲子さんは、ずっと思いつめた様子の茂森愛由美に目をやった。<br />
「こっちの事情聴取が先かもね」</p>
<p>「語り人さん、愛由美ちゃんに何を言ったんすか？」一柳が真面目な顔で訊いた。</p>
<p>「おまえはもう気づいてるんだろう？　愛由美ちゃんの卒業後のことだ」と僕は答えた。</p>
<p>「卒業したら、ずっとおれのそばにいろって話？」玲子さんは声をオクターブ上げてはしゃいでみせたが「そんな雰囲気じゃないみたいね」と声のトーンを戻して言った。</p>
<p>「<b>事務所をやめろ。声優にはなるな</b>、でしょ？」一柳がぼそっと言った。<br />
「えっ、どういうこと？　ちょっと問題を整理させて」玲子さんが眉間に人差し指を当てて言った。</p>
<p>「その会社というか事務所？　事務所側にとって愛由美ちゃんは<b>金の卵</b>なわけよね。<b>アイドル声優</b>として大々的に売り出したい。でも愛由美ちゃんはアイドルじゃなくて、実力のある<b>本格声優</b>として認められたい。そのために今、語り人さんがバックアップしている。私の理解は間違っているかしら？」</p>
<p>「間違ってないよ。でも語り人さんはそもそも最初から、<b>愛由美ちゃんを声優にしたくなかった</b>んだよ」そう言って一柳は僕の目を覗き込んだ。<br />
「で、語り人さん、愛由美ちゃんをどうしたいんすか？」</p>
<p>「お嫁さんにしたい、じゃないのよね」と玲子さんが首を傾げた。</p>
<p>玲子さんの言葉に苦笑して僕は言った。「<b>声優をやめて就職するよう進言した</b>」</p>
<p>「先生」茂森愛由美がはじめて口を開いた。「先生ははじめから、わたしを、声優にするつもりはなかったのですね。それならどうして、レッスンをつけてくださったのですか？　教えてください」</p>
<p>「そうよ！」黙っていられないとばかりに玲子さんが割って入った。「レッスンをつけて、声優の仕事をさせて、そのデビューの日に、こんなデビュー祝いまでして、それで声優をやめろだなんて、そんな話聞いたことがないわ。ちょっと残酷なんじゃないかしら」</p>
<p>玲子さんの意見はもっともだった。</p>
<p>「今日、愛由美ちゃんがどんなにうれしかったか、どんなに幸せだったかわかります？　どんなに語り人さんを信頼し寄り添っていたか知ってます？　私は一緒にいて痛いくらい感じたわ。それなのに何？　同じ業界にいて愛由美ちゃんがアイドルになって、その事務所だかに奪い取られるのがいやなの？　オタクたちにもみくちゃにされるのが我慢ならないの？　それならそれで男らしく、おれのそばにいろって言えばいいじゃない！」</p>
<p>玲子さんの抗議は続いた。</p>
<p>「就職しろですって？　愛由美ちゃんが観覧車で聞きたかったのはそんな言葉じゃなかったはずよ。高いところまで上げておいて、直後に落として放り出して逃げ出そうなんて、無責任にもほどがあるんじゃない？　正直言って私、語り人さんを見損なったわ」</p>
<p>「いいかげんにしないか！」一柳が玲子さんに声を上げた。<br />
「語り人さんの真意も知ろうとしないで、勝手に先走るんじゃない！」</p>
<p>一柳の剣幕に玲子さんは驚いて息をのんだ。彼女はこれまで一度も、一柳に怒鳴られことなどなかっただろう。気づまりな沈黙のあと、一柳が照れ笑いのような表情を浮かべて言った。</p>
<p>「語り人さん、すみません。オレの連れ合いが失礼なことを言って」<br />
「いや、玲子さんの言うとおりだ。無責任と言われても仕方がない」</p>
<p>「そうじゃないっしょ」一柳はふっと笑ってから言った。<br />
「語り人さんの弱点その１、女ごころをわかってそうでぜんぜんわかってないこと。弱点その２、責任感が強すぎて相手をビビらせること。結果、その人の人生を変えてしまう」</p>
<p>一柳は続けて言った。「で、最後は責任をとって自分の人生まで変えちゃう。語り人さんはそんな人だ。オレのときもそうだった」</p>
<p>「まあ、その話はあとにしてと…」一柳は咳払いをして言った。<br />
「<b>アナウンサー</b>ですか？　<b>愛由美ちゃんをテレビ局に就職させようって魂胆</b>でしょ、語り人さん」</p>
<p>やっぱり一柳はお見通しだった。僕は肯いてから「愛由美ちゃん、すまない」と言った。茂森愛由美は俯いたまま何度も首を振った。</p>
<p>「でも、最初から考えてたわけじゃない。君の<b>能力と性格</b>を知れば知るほど、君を<b>声優という枠に嵌めること</b>に疑問を感じるようになった。ちょうどそんなとき、アナウンサー役の仕事がきた。これだと思った。それからは<b>アナウンサーの発声とイントネーション</b>を徹底的に叩き込んだ」</p>
<p>「なるほど。語り人さんにとっては好都合でしたね。自然の流れで<b>アナウンサーのトレーニング</b>に切り替えることができたわけっすから」一柳が僕の心情を代弁した。</p>
<p>「質問していいかしら」と玲子さんが言った。「そのまえに、語り人さん、先ほどはすみませんでした。語り人さんの真意を知りもしないで、失礼なことを言いました。申し訳ありませんでした」と神妙な顔をして頭を下げた。</p>
<p>「いえいえ、その率直さで引き続きよろしく」と僕は笑って返した。「それに、玲子さんの言ったことは半分当たってることを白状しますよ。ただそれを、僕の口から言わせないでもらえるとありがたい」</p>
<p>「言わなくてもわかりますよ。ね、愛由美ちゃん」そう言って玲子さんはうれしそうに茂森愛由美の顔を覗き込んだ。茂森愛由美は恥かしそうに俯いた。</p>
<p>「で、語り人先生、質問なんですけど、<b>声優のトレーニングとアナウンサーのトレーニング</b>って、どう違うんですか？」</p>
<p>ついさっき、ドスを聞かせた声で僕を責め立てていた人が、急に新入生のようなかわいらしい質問をしてきたことがなんとも可笑しかった。この人はたしかに一柳に合っているな、と僕は思った。</p>
<p>「基本的には<b>発声・発音</b>などのトレーニング方法は同じだよ。役者でもアナウンサーでも<b>＂外郎売＂</b>はやるからね」と僕は言った。</p>
<p>「あ、知ってる。＂拙者、親方と申すは＂ってやつでしょう」</p>
<p>「よく知ってるね、玲子さん」一柳が言うと「これでも高校で<b>演劇部</b>だったのよ。入りたくなかったけど、無理やり誘われてね」と玲子さんは、嫌な思い出でもあるのか顔をしかめて言った。</p>
<p>「言葉を正確に伝える。つまり、<b>日本語の</b><b>50</b><b>音を正しい明瞭な音で発声する点では、役者もアナウンサーも同じ</b>だよね。じゃあ、両者の決定的な違いは何か。愛由美ちゃん」僕は茂森愛由美に振った。</p>
<p>「はい。<b>役を演技で表現するのが役者で、情報を正確に伝達するのがアナウンサー</b>です。先生に何度も言われました。演技はエクスプレション（表現）でアナウンスはトランスミッション（伝達）だと」</p>
<p>「そうだね。だからトレーニング方法の違いを言えば、声優のトレーニングメニューから<b>＂演技＂</b>の項目を抜いて、たとえばそこに実況を伝えるための<b>＂フリートーク＂</b>を入れる」</p>
<p>「また、役者は役になりきるために<b>自分の感情を解放</b>しなければいけないけど、アナウンサーは逆だ。つねに<b>感情を抑制</b>し、あるいは感情を排して事実関係を客観的に伝えなければいけない。だから原稿の読み方はずいぶん違う」</p>
<p>「そうよね。犯罪のニュースやなんかで、アナウンサーが犯人を憎悪する口調で事件を伝えたり、被害者のために涙を流しながら原稿を読むなんて、見たことないものね」玲子さんの譬えはわかりやすい。</p>
<p>「まあ、アナウンサーの仕事にもいろいろあるから、感情を排するって一概には言えないけど。たとえばきょう吹き替えでやった<b>インタビュー</b>なんか、まさに<b>アナウンサーの腕の見せ所</b>だね。実に気持ちよく相手にしゃべらせていた。愛由美ちゃんは<b>翻訳</b>もやったからよくわかっただろう。<b>インタビュアーの質問の上手さ</b>が」</p>
<p>「はい。ゲストのプロフィールをとても綿密に調べ上げていたと思います。そのうえで通り一遍の質問ではなく一歩も二歩も踏み込んだ質問をして、それでいて<b>相手の魅力と満足度</b>を最大限に引き出しています」</p>
<p>「そのとおり。よくぞ聞いてくれましたって感じで、相手は膝を乗り出してうれしそうに答えている。これは<b>アナウンサーのインタビュー力</b>、つまり<b>聞く力</b>が優れているからだ。<b>一流の証し</b>だね」</p>
<p>ここで僕は、相手を納得させる<b>「決め台詞」</b>を言うために、丹田に気を込めた。</p>
<p>「愛由美ちゃんの能力はこのポジションでこそ活きると、僕は確信している。<b>声の演技にとどまる必要はない</b>と思う」</p>
<p>「先生」と茂森愛由美は涙声で言った「ごめんなさい。わたし、先生のお考えを何も理解できていなくて…。こんなわたしが、アナウンサーになれるでしょうか」</p>
<p>「だいじょうぶ、なれる。君は相手を喜ばせる<b>聞く力</b>を持っている。質問に対する<b>答える力</b>もある。それに」と僕は続けた。「僕の願いをかなえてくるって約束したじゃないか」</p>
<p>「すごいわ！　まさに<b>適材適所</b>じゃない。アナウンサーなら、アイドルだなんだって悩むこともないし、その美貌も<b>原稿読みのセンス</b>も、当たり前のこととして活かせるってわけね」</p>
<p>玲子さんは手を叩いて喜ぶと、何か疑問を感じたらしく首を傾げて言った。</p>
<p>「ところで一柳さんは、<b>語り人さんが愛由美ちゃんをアナウンサーにしようとしてる</b>って、なぜわかったの？」</p>
<p>「語り人さんはね、<b>タイミングを読む</b>人なんだよ」一柳はニヤリとして言った。</p>
<p>「半年前、ここで初めて愛由美ちゃんと会ったとき、オレたちは愛由美ちゃんのキラキラした笑顔と、立ち居振る舞いの<b>タイミングの良さ</b>に魅了された。それだけじゃなく彼女の<b>言葉使いのセンス</b>、<b>会話の間合いの良さ</b>に舌を巻いたんだ。<b>絶妙な間合いで繰り出される的確な質問や合いの手</b>で、オレも語り人さんも気持ちよくなって、気づいたら寸劇までやっちゃってた」</p>
<p>「<b>これは才能だ</b>と思った。でもこの才能は、とくべつ<b>声優に必須の能力</b>じゃない。語り人さんがそう考えてることが、オレにはわかったんだ」</p>
<p>「まあ、あなたちって本当に何でも分かり合うのね。まあいいわ。それで、愛由美ちゃんのその才能が<b>アナウンサー向き</b>だって思ったのね」</p>
<p>「オレはそこまで見抜けないよ。さっき、語り人さんと愛由美ちゃんの吹き替えを見てぴんときた。愛由美ちゃんは<b>声優としてアナウンサーを演じていたんじゃない。すでにアナウンサーだった</b>」</p>
<p>「どういうこと？」玲子さんの顏に？マークが浮かんだ。</p>
<p>「さっきも言ったろ。<b>語り人さんはこのアナウンサー役を利用して、愛由美ちゃんをアナウンサーに仕上げたんだよ</b>」</p>
<p>「えっ、なに？　じゃあ、<b>愛由美ちゃんは自分でも知らないうちにアナウンサーになってた</b>ってこと？　なんだか語り人さんって魔法使いみたいね。あっ、ちょっと待って」と言って玲子さんは目を輝かせた。</p>
<p>「そうすると今日は、愛由美ちゃんの<b>声優デビュー</b>であると同時に、<b>アナウンサーデビュー</b>の日でもあるのね」</p>
<p>「玲子さん、うまいこと言うね。それ、いただき！」一柳はそう言ってから立ち上がり、床の間に吊るされたくす玉に手をかけた。</p>
<p>「じゃあ、せっかくですから、やりますか」そう言って玲子さんに、店長を呼んでくるように、それからビールのおかわりをじゃんじゃん持ってくるように頼んだ。</p>
<p>「じゃんじゃんって、この宴席は店長のおごりなんだぞ。おまえは少しは遠慮しろ」と僕がたしなめると、一柳はぺろっと舌を出した。</p>
<p>茂森愛由美が立ち上がろうとすると、玲子さんは「あなたは主役なんだから、先生にくっついて座ってなさい」と笑顔で言った。</p>
<p>店長と茂森愛由美のバイト仲間が次々にやってきて、乾杯の準備を整えた。乾杯酒にはシャンパンが用意された。山田店長が乾杯の音頭をとった。</p>
<p>「<b>愛由美ちゃんの声優デビューとシャンパンスマイルに、シャンパンで乾杯！　おめでとう！</b>」</p>
<p>僕が命名したシャンパンスマイルは、茂森愛由美の代名詞としてすっかり定着していた。</p>
<p>茂森愛由美がくす玉の紐を引くと同時に、盛大なクラッカー音が鳴り響いた。ふたつに割れたくす玉から<b>「茂森愛由美</b><b> </b><b>祝！声優デビュー」</b>と大書された垂れ幕が下がった。つまり、すべてが僕の予想どおりだった。</p>
<p>この店のみんなが、茂森愛由美の<b>声優としての第一歩</b>を心からよろこんでいるのだ。僕は申し訳ないような複雑な気分だった。</p>
<p>茂森愛由美に<b>テレビ局のアナウンサー試験</b>を受験させることを山田店長に告げなければいけなかったが、それはまた別の機会にしようと思った。今夜、店は大忙しだ。店長はスタッフを引き連れて、早々とフロアに引き上げていった。</p>
<p>そこで待ってましたとばかりに一柳が訊いてきた。<br />
「で、語り人さん、どこの局を考えてるんすか。TBSあたりすか？」</p>
<p>「うん。民放ならね。でもおれは、<b>本命は</b><b>NHK</b>だと考えている」</p>
<p>「たしかに。NHKは愛由美ちゃんの大学の先輩もけっこういますよね」</p>
<p>「<b>ナレーションの達人</b>も多い。何より<b>語学力が大きな武器</b>になるはずだ。NHKは世界で活躍できる環境が整っている。アイドルに祭り上げられる心配もないし、インテリジェンスを嘲笑うバカもいない」</p>
<p>「ねえ、ちょっと待って」と玲子さんが割って入った。「その選択は文句なしにすばらしいと思う。でも本人の気持ちを差し置いて、あなたたちだけで決めちゃっていいわけ？　まず愛由美ちゃんの考えを聞くべきじゃないかしら。彼女にとっては寝耳に水の話なんだから」</p>
<p>「わたしは」と茂森愛由美は言った。「先生がそこまで、わたしのことを考えてくださっていたことが何よりうれしくて、幸せに思います。ですから、先生のお考えに従います」</p>
<p>「本音を聞かせて。本当はどうしたいの？」</p>
<p>「大学卒業後は就職しないで、先生の翻訳のお手伝いをさせていただきながら、先生のように、ナレーションを中心に声のお仕事をずっと続けていきたいです。レッスンも今までどおり続けたい」</p>
<p>「でしょうね。語り人さんのそばにいて、ずっと語り人さんと同じことをしていたい。それが本音よね」</p>
<p>玲子さんは茂森愛由美に同情の目を向けると、深い溜息をついてから思い切るように言った。</p>
<p>「でも私は、語り人さんの考えに賛成する。語り人さんは愛由美ちゃんが、愛由美ちゃんに相応しい場所に行くことを心から願っているのよ。それが最優先されるべきだって。本当は語り人さんだって…。わかるでしょ？」</p>
<p>俯いている茂森愛由美の目から大粒の涙がこぼれ、テーブルを濡らした。</p>
<p>「僕は愛由美ちゃんに…」不覚にも声が詰まり、ひとつ咳払いしてから僕は続けた。「<b>一流を知ってもらいたい</b>と思っている。だから、まずは<b>大きな組織</b>に身を置いてほしい。いわゆる<b>大企業</b>に」</p>
<p>「大企業の利点は言うまでもなくその<b>ブランド力</b>だ。社名を聞けば誰もが知っている。<b>知名度、貢献度、影響力、社会的責任</b>、それらを担う選良としての意識。つまり、優越も不安もひっくるめて肌で感じてほしい」</p>
<p>「<b>選ばれてあることの恍惚と不安ふたつ我にあり</b>」一柳が言った。</p>
<p>「<b>太宰治の言葉</b>ですね」茂森愛由美が引き取った。</p>
<p>半年前、太宰治は『走れメロス』と『人間失格』しか読んでいないことを恥じた彼女は、今では殆どの太宰作品を読破している。</p>
<p>「正確に言うと、<b>19</b><b>世紀フランスの詩人ヴェルレーヌの詩</b>の一節を、太宰が自分になぞらえて引用した言葉」と一柳が繋いだ。</p>
<p>「そう。<b>太宰の処女作品集『晩年』に収められている『葉』という短編</b>に出てくるヴェルレーヌの言葉だね。自分は文学者として<b>神に選ばれた人間</b>だ。そんな太宰の自負と気負いが横溢する作品になっている。でもヴェルレーヌはね…」</p>
<p>「語り人さん、講義はまたにしてくれますか」<br />
長くなりそうな僕の解説に一柳がストップをかけた。</p>
<p>「おまえがヴェルレーヌを持ち出すからだろ」<br />
だったらおれをのせないでくれ、と僕は一柳を睨んだ。</p>
<p>「いや、きっかをつくったのは愛由美ちゃんすよ。こうやって愛由美ちゃんは、オレたちをのせるんだ。アナウンサーでも報道記者でもどっちもイケるんじゃないすか」そう言って一柳は満足そうに頷いた。</p>
<p>「話を戻そう」と言って僕は続けた。</p>
<p>「<b>従業員３百人以上の大企業は、日本の企業全体の0.3％ といわれている。</b>その数字の理由を、内部から見極めてもらいたい。<b>大企業が大企業である所以</b>を、<b>一流が一流である証し</b>を、愛由美ちゃんに渦中で体験してほしいんだ」</p>
<p>「一流が一流である証し…」茂森愛由美は繰り返した。<br />
「そうだ。商品であれ、システムであれ、人であれ」<br />
「何年くらい、身を置けばそれがわかりますか」</p>
<p>「５年はいてほしい。<b>翻訳家</b>になるのも<b>ナレーター</b>になるのも、それからでも決して遅くない。いや、むしろそのほうが、よほどすごい翻訳ができるし、よほどすごい語り力が身につくはずだ。」</p>
<p>「わかりました」茂森愛由美は鼻をすすり、こくりと頷いて言った。「それが語り人さんの願いだとおっしゃるなら、私はそうします。アナウンサーになります。合格できれば、ということですけど」</p>
<p>「<b>大学の成績、容姿、適正、語学力、家庭環境</b>、どれをとっても落ちる理由は見当たらない。だいじょうぶ」</p>
<p>赤くなった鼻をハンカチで抑えながら、茂森愛由美はぎこちなく笑った。</p>
<p>「うんうん、愛由美ちゃんなら心配ないわよ。万が一落ちたら、うちの会社にいらっしゃい。私の権限をもって、私の部署に配属させるわ。任せなさい」と玲子さんは胸を叩いて言った。</p>
<p>玲子さんは<b>大手都市銀行の本社に総合職として勤務</b>する、バリバリのキャリアウーマンだ。さっきスタジオで、スイーツタイムのとき名刺をもらって、僕はびっくり仰天した。</p>
<p>しかも、あるセクションの<b>マネジャー職</b>にあるというから、一般企業では課長に相当するポジションだ。入社13年で年齢は35歳。大手銀行の総合職は出世に男女差はないことは知っていたが、それにしてもスピード出世だろう。</p>
<p>桜木町駅で最初に見たときの玲子さんの<b>第一印象</b>は、次のとおりだった。</p>
<p>年齢は20代後半に見えるが実年齢は30代半ば。人に命令することに慣れている。男には負けないわよという勝気な性質。これらはすべて当たっていた。でも銀行に勤務する会社員というのは意外だった。</p>
<p>「いちおう大企業の部類に入るから、いいですよね、語り人さん」</p>
<p>「それは本人に返答してもらおう」玲子さんの問いかけに、僕は茂森愛由美を促した。</p>
<p>茂森愛由美は玲子さんに感謝の言葉を丁重に述べてから「<b>保険はかけるな。これと決めたらよそ見はするな。ひとつことに集中しろ。</b>先生はそう仰ると思います」と言った。</p>
<p>「先生がだいじょうぶと仰るなら、わたしは安心して<b>アナウンサー試験の準備</b>に取り組むだけです」</p>
<p>「はいはい、わかったわ。まあ、息の合った師弟だこと」玲子さんは物分かりのいい親戚のおばさんみたいな言い方をした。</p>
<p>「じゃあ愛由美ちゃん、あなたはこれまで抱きつづけてきた夢を捨てて、語り人さんのお願いをきいてあげるんだから、遠慮しないであなたからもお願いしちゃいなさい」</p>
<p>「わたし、声優をやめても、大学を卒業しても、先生から卒業しませんから。今までどおりレッスンをつけてください。わたしを、テレビ局のアナウンサーにしてください。そして将来…」ここで言い淀んでから、茂森愛由美は言葉を継いだ。</p>
<p>「会社員を５年経験したら、わたしを、ナレーターにしてください。翻訳家にしてください。そして、いつも先生の近くにいさせてください。それが、わたしの願いです」</p>
<p>「<b>NHK</b><b>のアナウンサー</b>になるまでは全面的にサポートする。それは約束する」と僕は言った。「でも会社に入ったら、君には新たな世界が待っている。今からその先の未来を限定することはない」</p>
<p>「わたしは、自分の希望する未来を、今から限定したいんです。５年先、10年先の<b>未来予想図</b>を描いておきたいんです」</p>
<p>「ある詩人は言っている」と僕は言った。</p>
<p><b>未だ来ないものを人は創っていく<br />
</b><b>未だ来ないものを待ちながら<br />
限りある日々の彼方を見つめて<br />
人は生きていく</b></p>
<p>「<b>谷川俊太郎</b>ですね」と茂森愛由美は言った。</p>
<p><b>誰もきみに未来を贈ることはできない<br />
</b><b>なぜなら　きみ自身が未来だから</b></p>
<p>「ちょっと語り人さん。<b>詩の言葉の引用で事態を曖昧にしてはぐらかそうとする</b>の、私は好きじゃないな。自分の言葉で、具体的な返事をしたらどうかしら」と玲子さんは異議を唱えた。</p>
<p>「玲子さん、だいじょうぶです」と茂森愛由美は言った。「先生は、はぐらかしてなんかいません。今のわたしにぴったりの言葉をくださいました」</p>
<p><b>「きみ自身が未来なのに、何を今、未来のあれこれを限定する必要があるだろう。未来に繋がる今日を大切に生きること、それがきみ自身を創り、未来を創ることに他ならないのだから」</b><b></b></p>
<p>茂森愛由美は自分の言葉で、この詩を意訳した。<br />
「先生は、そうおっしゃりたいんだと思います」</p>
<p>「なんかあなたも、語り人さんと一柳さんみたいになっちゃったわね」<br />
玲子さんは僕と一柳を見て大きな溜息をついた。</p>
<p>ここで一柳が「うーん」と唸り声を発した。<br />
出た。一柳お得意の「まとめの言葉」が始まるタイミングだ。</p>
<p>「未来のことはある程度、曖昧にしておいていいんじゃないかな。どうせ、修正を余儀なくされるんだ。上方修正にせよ下方修正にせよ。会社の中長期計画みたいにね。<b>自分の人生は社長も株主も自分</b>だから、だれに気兼ねすることもない」</p>
<p>「わかったわよ。私だけ理系で分が悪いわ」と玲子さんは観念して言った。「まあ、私は愛由美ちゃんがよければいいのよ」</p>
<p>そう、玲子さんは<b>理系女子</b>なのだ。<b>偏差値最高クラスの私立大学の数学科</b>を出ている。これも驚いたことのひとつだった。</p>
<p>そのとき一柳がまた唸り声をあげた。まだまとめ足りないのかと思っていると意外なことを言った。</p>
<p>「分が悪いのはオレですよ。大企業どころか、オレだけ<b>就職未経験者</b>だもん。語り人さん、ズルいっすよ。なんで大学時代、オレに言ってくれなかったんすか！」一柳が恨みがましそうに言った。</p>
<p>「何をだよ？」と僕は訊いた。</p>
<p>「さっき愛由美ちゃんに言ったことっすよ。<b>大企業に潜入して</b><b>0.3</b><b>％という数字のトリックを見破ってこい</b>って」</p>
<p>「おれはそんなことは言っていない」呆れて僕は返した。<br />
「大企業で５年辛抱して働いて、それから劇団に行けば、オレの人生はもっとましなものになってたのになぁ」</p>
<p>「言ったよ。言ったけど、あのときのおまえは聞く耳を持たなかっただろ。<b>卒業したらすぐに劇団に入るんだ</b>って、それしか頭になかったじゃないか」と僕は反論した。</p>
<p>「もっと説き伏せてほしかったすよ。あーあ、あのときのオレはバカだったなぁ。<b>遊び人の役者バカ</b>」一柳はそう言って嘆息した。</p>
<p>しかし、そのあとすぐに切り替えてニヤリと笑った。「でも<b>語り人さんは、役者のオレに惚れた</b>んすよね」</p>
<p>「おまえ、誤解を招くようなことを…」僕は玲子さんの顔色を窺った。</p>
<p>「やっぱりあなたたち、<b>そういう関係</b>だったのね！」玲子さんの目が吊り上がった。</p>
<p>「オレね、<b>語り人さんにナンパされた</b>んだよ。<b>男にナンパされたのは初めて</b>だった」</p>
<p>「わかったわ。そろそろ、あなたたちの事情聴取に移ろうじゃないの」<br />
そう言って玲子さんは茂森愛由美を見た。「愛由美ちゃん、いいかしら」</p>
<p>「はい、わたしも、先生と一柳さんの大学時代のお話に興味があります」と茂森愛由美は目を輝かせて言った。「玲子さん、わたしは陪審員という立場でよろしいでしょうか」</p>
<p>「愛由美ちゃん、いいわね。その調子で頼むわ」そう言うと玲子さんは、容赦ない冷徹な検事のような皮肉な笑みを口の端に浮かべた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>（次回最終章「一流の証明（後編）」につづく）</p>
<p>&nbsp;</p>
<div class="point">
<h3><span>今日のボイスメモ、あるいは、声にまつわるささやかな教訓</span></h3>
<ol>
<li>出会いが人を動かし道を開くきっかけとなる。求めれば必ず出会える。<span style="color: #ff6600;"><b>笑顔でいなさい。素直でいなさい。懸命でありなさい。誠実でありなさい。</b></span></li>
<li>もう一度言う。笑顔でいなさい。素直でいなさい。懸命でありなさい。誠実でありなさい。それが<span style="color: #ff6600;"><b>愛される条件</b></span>だ。芸能の世界だけではない。どこにいようと、<span style="color: #ff6600;"><b>生きるという営み自体が「人気商売」</b></span>なのだ。<span style="color: #ff6600;"><b>愛される人になりなさい。そしてそれ以上に、愛する人になりなさい。</b></span></li>
<li>スクールや養成所に行っていることでやっている気になっている人が多い。<span style="color: #ff6600;"><b>生活のためのアルバイトや仕事を言い訳にして、日々の勉強やトレーニングの時間をつくれない人</b></span>が、どうして<span style="color: #ff6600;"><b>その道のプロ</b></span>になれるだろうか。</li>
<li><span style="color: #ff6600;"><b>「聞くために話す」</b></span>人と<span style="color: #ff6600;"><b>「話すために聞く」</b></span>人がいる。立て板に水のごとく一方的にしゃべって相手を説得してしまう人を<span style="color: #ff6600;"><b>「話上手」</b></span>とは言わない。それは単に<span style="color: #ff6600;"><b>「口がうまい」</b></span>だけだ。</li>
<li>物語の性質上、ここでは登場人物のひとりに大きな組織、大企業に入ることを推奨しているが、これはあくまで一例に過ぎない。零細・中小企業には、大企業にはない良さがある。それは主に、<span style="color: #ff6600;"><b>部分ではなく全体に携わる仕事ができる</b></span>ことだ。そして言うまでもなく、ここにも一流が存在する。<span style="color: #ff6600;"><b>一流＝大組織ではない</b></span>。</li>
<li>出あって別れて、泣いて笑って、愛して憎んで…。始業と卒業、期待と諦観、希望と絶望、夢と現実、勤勉と怠惰、謙虚と傲慢、尊敬と軽蔑、集中と散漫、注目と無視、理解と誤解、前進と後退、勇気と臆病、善意と悪意、決断と我慢、勝利と敗退…。<span style="color: #ff6600;"><b>逆転現象</b></span>はいつだって起こるんだ。でも、<span style="color: #ff6600;"><b>人生はいくらでも修正がきく</b></span>のだよ。だって、<span style="color: #ff6600;"><b>自分が主人公</b></span>だもん。</li>
</ol>
</div>
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		<title>第3話3章　一流の美少女</title>
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		<pubDate>Mon, 18 Aug 2014 10:04:44 +0000</pubDate>
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				<category><![CDATA[第3話　ボイスアクター編②　一流の証明]]></category>
		<category><![CDATA[お伽草子]]></category>
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		<description><![CDATA[そんな彼が女断ち？　これはたしかに一大事だけど、 それも気にはなるけど、ほかにも何かあったような。 金持ち？ 　そうだ、これだ。一柳はたしかに言った。 「自分は来年、金持ちになっている」と。 （2章「一流のモテ男」のつづ [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>そんな彼が女断ち？　これはたしかに一大事だけど、<br />
それも気にはなるけど、ほかにも何かあったような。<br />
金持ち？ 　そうだ、これだ。一柳はたしかに言った。<br />
「自分は来年、金持ちになっている」と。<span id="more-235"></span></p>
<p>（2章「<a href="http://kataribito.net/03/03-2/">一流のモテ男</a>」のつづき）</p>
<p>僕は半年前、一柳と会ったときの映像ファイルを脳の海馬から引っ張り出し、脳内スクリーンに再生してみた。その日はたしか、<b>ラジオドラマの収録</b>だった。</p>
<p>仕事が終わって、ふたりでスタジオ近くの焼鳥屋で飲んだ。場所は四谷三丁目。生レバーを食べさせる店。そうだ、あのときから一柳は変だった。</p>
<p>隣のテーブル席に、アラサーとおぼしき二人連れの女性客が入ってきた。そのとき一柳は少し顔をしかめ軽く舌打ちをした。そして吐き捨てるように言った。</p>
<p>「あーあ、最近は焼鳥屋にも女性客がくるんすね。めんどくせーな。女がいそうもない店を選んだんすけどね」女性に対してそんな投げやりな態度を見せる一柳を、僕ははじめて見た。</p>
<p>（らしくないな、一柳。おまえはどんなときでも<b>優雅なモテ男</b>でいなくちゃいけない。だから女性に向かって「めんどくせーな」なんて吐き捨てちゃダメだ）と僕は心の内で一柳を諌めた。</p>
<p>ふたりの女性は、こちらをチラチラ見ていた（正確にいえば一柳を見ていた）。そして、明らかに合流したがっていた（正確にいえば一柳と合流したがっていた）。合体したがっているかどうかまではわからない。もちろんそれはもっとあとの問題だ。</p>
<p>「おれに遠慮はいらないよ。＂Shall we dance？＂と言ってほほ笑めばいい。でもどうやら、今日はそんな気分じゃないみたいだな」と僕は苦笑交じりに言った。<br />
「わかりますか。今日は、語り人さんと水入らずで飲んで話したいなあって、そう思ってるわけっす」と言って一柳は言い訳するように照れ笑いした。</p>
<p>「どうした？　また<b>女性問題</b>で尻に火がついちまったか」と僕は振ってみた。<br />
<b>「尻に火がつく」とは事態が差し迫って追い詰められた状態になること。</b></p>
<p>よく漫画や絵本なんかで、ズボンのお尻に火がつき逃げ回っている絵がある。悪さをしたキツネくんだかタヌキくんだかが、最後に懲らしめられるというお決まりのお話（キツネくんだかタヌキくんだかはなぜか半ズボンを履いている）。「もう二度と、悪さはしません！」と泣いて謝っておしまい。しかし、これほど一柳に似合わない絵もないだろう。</p>
<p>「オレが何かヘマをやらかして、女性から○○を迫られてる、そういう話だと思ってるんなら間違いっすよ」<br />
「おまえほどキレイに出会ってキレイに別れる男はいない。そんなことはわかってる」</p>
<p>これは本当だ。<b>浮気とか別れ話につきものの修羅場</b>を、おそらく彼は一度も経験していないと思う。いつだったか不思議に思って訊いたことがある。なぜ泣いたり喚いたり、怒ったり責めたり、恨んだり憎んだりの修羅場にならないのか。どうやって回避しているのかと。</p>
<p>「こう見えて選んでるんすよ。そうならない相手を」と一柳は言った。<br />
「<b>勝てない喧嘩はしない</b>というのと同じロジックだな」と僕は返した。<br />
「そうっす。<b>負けないためには強い相手と戦わないこと</b>。か弱く見えても、女性はもともと男より強いっすから。ケンカしちゃいけないんっす」<br />
「なるほど」<br />
質問に対する答えとしては、わかったようなわからないような、なんだかはぐらかされた感はあったが、これはこれでひとつの哲学ではある。</p>
<p>「でも語り人さん、鋭いっす。たしかに今のオレは、尻に火がついてるって表現がぴったりの状況なんす」と言って一柳は、まるでこれで火が消せるとでもいうように、ジョッキに半分近く残っているビールを一息で飲み干した。</p>
<p>そこへ、胸に「茂森」というネームプレートをつけた店員が見計らったようにやってきた。「お飲み物のおかわりはいかがですか」の声に一瞬ドキッとした。<b>ほどよく湿り気を帯びた耳に心地良い質感のある声</b>。</p>
<p>そして笑顔だ。<b>見ていると吸い込まれてしまいそうなシャンパンの泡のような笑顔</b>。アルバイトの女子学生だろうか。とにかく、一柳がジョッキを空にしたのを見ていたに違いない。</p>
<p>いつもの一柳なら、ここであの<b>無敵の笑顔</b>を見せて「ああ、ありがとう。おかわりっていい言葉だよね。なんだかとても幸せな気分になる。そんなキラキラした笑顔で言われるとなおさらだ」とかなんとか言って女性をうっとりさせるのだが、今日は押し黙ったまま笑顔も封印している。</p>
<p><b>夢に向かってがんばっている若い人にエールを送る</b>のは僕の仕事でもある。一柳がそんな調子なので僕が代役をつとめた。</p>
<p>「その奇跡みたいな<b>笑顔とタイミングの良さ</b>は、茂森さんがこれから夢を叶える上で大きな助けになると思う。たとえそれがどんな夢でも。ありがとう。生ビールのおかわりをふたつ」</p>
<p>思いがけず名前で呼ばれて、茂森さんは恥ずかしそうに頬を赤らめた。<br />
「はい。あの、わたしがんばります！　おかわり、すぐにお持ちします」<br />
そう言って、本当にすぐにおかわりを持ってきた茂森さんは、質問してもいいかと訊ねた。「もちろん、どうぞ」と僕は返した。</p>
<p>茂森さんの質問は、僕たちが<b>声のプロ</b>ではないか、というものだった。<br />
「あの、<b>声の響き方</b>というか<b>通り方</b>がすごくて、あと<b>滑舌</b>とかもすごくて、きっとそうだって」</p>
<p>「ごめん。うるさかったね。もう少し抑えるようにします」<br />
「やっぱりそうなんですね！　いいえ、ぜんぜんうるさくなんかないです。もっと聞いていたいです。あの、実はわたし、勉強中なんです」</p>
<p>茂森さんは<b>大手声優プロダクション</b>の名前をあげ、そこの<b>養成所</b>に週１回通っているのだと言った。また本業は大学生で、都内の国立女子大学の３年生だと聞いて僕はため息をついた。やれやれ、一柳にしても茂森さんにしても、国立大学までいってなぜこの道に入る？</p>
<p>まあ一柳に関して言えば、実は彼をこの道に誘い込んだのは他ならぬ僕だ。しかし大学時代、僕たちが出会ったとき彼はすでに舞台に立つ役者でありダンサーだった。大学内に限った評価ではあるが、大学の演劇界と社交ダンス界において、一柳はちょっとした有名人だった。</p>
<p>そんな一柳がその後すっぱり役者をやめ、ダンスもやめ、紆余曲折を経てナレーターになるに至った顛末、これはまた別の章でお話しよう。</p>
<p>国立女子大学に在籍する学生で、なおかつ大手声優プロダクション付属の養成所で声の演技を勉強する茂森さん。僕は応援したいようなしたくないような複雑な思いにとらわれた。</p>
<p>「語り人さん、<b>養成所講師</b>としての立場から茂森さんに何かアドバイスを」<br />
ずっと黙り込んでいた一柳がここで口を開いた。（ばかやろー、やっとしゃべったと思ったら余計なことを！）</p>
<p>僕は一柳を睨みつけた。それでも彼はおかまいなしに、僕の素性というか経歴を得意げにしゃべりはじめた。茂森さんは目を輝かせて聞いている。</p>
<p>「<b>カチカチ山のタヌキくん！</b>」<br />
声の圧を上げて、僕は一柳のおしゃべりを封じた。「こういう場所で人の個人情報をむやみに話すのは感心しないな。だいたいおまえは自分の<b>尻に火がついている</b>ことを忘れないほうがいい」</p>
<p>「はい、そうでしたー！」と言って一柳は盛大に笑った。すっかりいつもの調子に戻った一柳は、茂森さんに向かって悪戯っぽい目をして言った。</p>
<p>「語り人さんはね、良い子だったオレをこの世界に引っ張り込んだ悪い人なんだ。おかげでオレの尻にはずっと火がついてる。この世界に入ると尻に火がつくんだよ。覚悟しておいたほうがいい」</p>
<p>「なんてやつだ！」僕は一柳を一喝した。「この世界に夢を求めてがんばっている若い人につまらんことを言うな。それに、おまえの尻に火がついてるのは誰のせいでもない。自分のせいだろ。おまえに悪人呼ばわりされる覚えはない」</p>
<p>「一柳さんはカチカチ山のタヌキさんなんですか？　かわいそお…」<br />
僕たちの丁々発止のやり取りを面白そうに聞いていた茂森さんは、一柳に同情の目を向けた。</p>
<p>「うん。オレ、かわいそおなんだ。<b>げんこつ山</b>では幸せだったんだけどね」<br />
「げんこつ山？」茂森さんは首を傾げた。<br />
すると一柳は、身振り手振りを交えて歌い出した。</p>
<p><b>♪げんこつ山のタヌキさん<br />
おっぱいのんでねんねして<br />
だっこしておんぶして<br />
またあした♪</b></p>
<p>「ね、げんこつ山って<b>楽園</b>でしょ？」と一柳は茂森さんにウインクした。</p>
<p>「やめろ。おまえが歌うとおとなの歌に聞こえる。さらに茂森さんに楽園という言葉を印象づけ、意味ありげにウインクをした時点でセクハラ罪に該当する。迷惑防止条例違反にも抵触するだろう。茂森さん、こいつを訴えなさい。僕が証人台に立つ」</p>
<p>僕がそう言うと、茂森さんはお腹を抱えて笑った。かたちの良い唇から白い歯がこぼれた。</p>
<p>「いやだなあ、語り人さん。オレは童謡を歌っただけっすよ。そこにあらぬ意味を付加するのは語り人さんの想像力というか妄想力というか、つまり品性の問題っす」<br />
「ばかやろう！　おまえに品性をうんぬんされたくなんかない！」<br />
茂森さんは目に涙をためて笑いこけている。</p>
<p>「いいか一柳、よく聞け。たしかにおまえは以前、げんこつ山という名の楽園で楽しく幸せに暮らしていたかもしれない。でもそれはもう昔の話だ。女心を弄び、公序良俗を乱して省みないおまえに業を煮やしたげんこつ山のタヌキの長老が、おまえをカチカチ山に追放したんだ。もう観念するんだな」</p>
<p>「後生です、長老さま！」ここで一柳の<b>演技スイッチ</b>が入った。<br />
「オレはもう心を入れ替えました。勘弁してください。これからは一人の女、いえ一匹のメスダヌキを生涯愛しつづけると誓います。ですから、どうかオレをげんこつ山に戻してください！　このままではオレは、カチカチ山のウサギに殺されてしまいます！」</p>
<p>「一柳よ、おまえは罪を重ねすぎた。もう遅い。罰を受けるのじゃ！」</p>
<p>「ひどいです。ひどすぎます、長老さま。オレがいったい、どんな罪を犯したというのです。オレはただ、オレに群がってくる数多のメスを悦ばせてやっただけ。いわば動物界のオスとしての本分を果たし、我らが種の利己的遺伝子の導きに添い従ったまでのこと。それのどこが罪だというのですか！」</p>
<p>「数多のメスを悦ばせてやったと？　利己的遺伝子の導きだと？　たわけたことを！　利己的遺伝子などという小賢しい概念は、おまえのようなはみ出し者の詭弁にすぎぬ。利己的なのはおまえ自身じゃ。動物界にあってオスの使命は快楽の享受ではない。まず生殖じゃ。種の存続じゃ。種の遺伝子の導きは、すべからく生殖を旨としておるのじゃ。おまえはそれを果たしたか？　果たすべく生きてきたか？」</p>
<p>「これから命を賭して果たします。一匹のメスを深く愛し、もって我らが種の繁栄に寄与し、子々孫々の絶えざる系譜を未来永劫繋げてまいります。なんとなれば、げんこつ山の良識ある民として秩序を重んじ、長老さまの尊い教えをあまねく広めてまいる所存にあります。ですから、どうか長老さま、いま一度お考え直しを！」</p>
<p>「はい、OK！」僕は演技スイッチをオフにして言った。<br />
「ていうか一柳、途中から芝居の方向性が変わっちゃったじゃないか」<br />
「すんませーん。まあでも、最後はなんとなく整ったじゃないっすか」</p>
<p>「もう、なんなんですか！　スゴいです。スゴすぎます！」<br />
僕たちのおバカな即興寸劇に圧倒されたらしく、茂森さんは端正な顔をクシャクシャにして昂奮を伝えた。「これが即興だなんて、信じられません！」</p>
<p>「茂森さんが生まれる前からやってるオレたちのお遊び」一柳が言った。<br />
「だけど、そのときの本音がついポロっと出てしまう怖いお遊びなんだ」<br />
そう言って僕は話の矛先を一柳に向けた。ちょうどいいタイミングだと思ったからだ。</p>
<p>「さあ一柳、今のはなんだ。一匹のメスを深く愛するってどういうことだ。おまえ、やっぱり何かあったな。詳しく聞かせてもらおうじゃないか」</p>
<p>「何をおっしゃるウサギさん。いやだなあ、心理分析は勘弁してくださいよ」と一柳はおどけてみせた。<br />
「なるほどそうか、わかったぞ。おまえはいま、ウサギさんに怯えている」</p>
<p>僕はかまわず分析を進めた。だって一柳は今日、この話を僕にしたかったに違いないのだ。そこへ絶妙のタイミングで茂森さんが食い込んできた。</p>
<p>「ウサギさんは、おじいさんとおばあさんを殺したタヌキさんに仕返しをするんですよね。たしか、タヌキさんの背中に火をつけて、泥の舟に乗せて沈めて殺しちゃう」</p>
<p>「そう、平然と殺しちゃう」茂森さんのどんぴしゃの導入に感心しながら僕は引き継いだ。「ウサギは実に周到な復讐計画を立てるんだ。背中を火傷したタヌキに、薬と偽ってカラシを塗ってあげたりしてね。じりじりとタヌキをいたぶり追い込んでいって、最後には残酷な殺し方をして涼しい顔をしている」</p>
<p>ここで一拍置いて、僕は茂森さんに<b>太宰治のカチカチ山</b>は知っているかと訊ねた。<br />
「いいえ。お恥ずかしい話、太宰治でちゃんと読んだのは『<b>走れメロス</b>』と『<b>人間失格</b>』くらいです」と言って茂森さんは申し訳なさそうな顔をした。</p>
<p>「うん。太宰の代名詞ともいうべき二作品。たいていの人がそこでとどまっちゃう。太宰はもういいやってね。でもその二作でよしとするには、太宰は実にもったいない作家なんだ。他にも優れた作品がいっぱいある」</p>
<p>「語り人先生、今は講義の時間ではありませんよ」一柳が茶々を入れた。<br />
「わかってるよ」一柳を睨んでから僕はつづけた。</p>
<p>「昔話に材をとった『<b>お伽草子</b>』という傑作がある。太宰一流のユーモア感覚で昔話を現代風にアレンジした、いわばパロディ作品なんだけど、カチカチ山はその中に収められている一編で、そこで太宰は、ウサギを<b>16</b><b>歳の美少女</b>に置き換えている。潔癖で純真な、それゆえ残酷な美少女にね」と言って僕は茂森さんの反応を待った。</p>
<p>「そうすると、タヌキさんは？…」茂森さんは期待どおりの反応をした。<br />
「タヌキはその<b>美少女に恋をした愚鈍な中年男</b>」と言って僕は苦笑した。</p>
<p>「えっ、そうなんですか。それで、最後にはやっぱり、少女は男の人を殺しちゃうんですか？」茂森さんは目を輝かせた。</p>
<p>「もちろん、結末は変わらないよ。少女は生理的嫌悪感をもって男を虐待しつづけ、男は少女の歓心を買いたいばかりに、嫌われても嬉々として少女に服従をつづける。そして、最後のシーンがゾッとするんだ」<br />
僕は少し間を取ってからつづけた。</p>
<p>「少女は＂<b>惚れたが悪いか</b>＂と言い残して水底に沈んでいく男を見送り、そして汗を拭い美しい風景を見て微笑を浮かべる。その微笑は狂気というより無邪気さに彩られている。つまり…」このへんでそろそろ締めよう、と僕は思った。</p>
<p>「つまり太宰のカチカチ山は、<b>少女の純粋さゆえの悪意</b>と、<b>恋する男の惨めさ</b>を描いた作品ということができる」たしかに僕は先生口調になっていた。</p>
<p>「あの、要するにこういうことですか」茂森さんはいかにも優等生らしい質問を投げてきた。「太宰治のカチカチ山では、ウサギつまり<b>少女は加害者</b>で、タヌキつまり<b>男が被害者</b>であると」</p>
<p>もしそうなら、私は少女代表として断固抗議します、といわんばかりに茂森さんは語気を強めた。</p>
<p>（悪くない）と僕は思った。（<b>しゃべりの緩急、強弱のつけどころ、出だしのタイミング、間の取り方</b>などに非凡さを感じる。見た目の華やかさについ目を奪われがちだが、この子はたしかに声優として見所がある）。</p>
<p>いつのまにか本業の感覚を研ぎ澄ませている自分に苦笑しながら、僕は茂森さんの質問に答えた。</p>
<p>「うーん、太宰は必ずしも<b>加害者と被害者</b>という関係性で捉えていないんだ。もしも明確にそうしていたら、つまり二元論で捉えていたらということだけど、この作品はここまで普遍性を持ちえなかったと思う。ただ太宰は、原作に潜むウサギの＂そこまでやるか＂という<b>容赦ない残虐性</b>に着目した。まあ太宰も男だから、タヌキに対して多少同情的な見方をしているのは否めないかもしれないけど」</p>
<p>ずっと考え事をしている様子で黙って聞いていた一柳が何か声を上げた。<br />
（おそらくこのへんで、やつはまとめに入るだろう）と僕は予想した。</p>
<p>「物語の最後に、太宰は警句めいた言葉をつぶやいてますよね。<br />
えっと、覚えてるかな…」と言って一柳は記憶から言葉を探った。<br />
（あの言葉だな）と僕は思った。（さすが一柳だ。締めにふさわしい）</p>
<p>「<b>＂女性にはすべて、この無慈悲な兎が一匹住んでいるし、男性には、あの善良な狸がいつも溺れかかってあがいている＂</b>。結局のところ太宰は、これが言いたかったんじゃないっすかね」</p>
<p>茂森さんが何か言いたそうにしたが一柳はそれを遮った。<br />
「さあさあ、この話はこれでおしまい！」そして茂森さんを見て言った。</p>
<p>「そろそろ茂森さんを解放してあげなきゃ。店長さんに叱られたらかわいそうだ。茂森くん、いつまでそこで油を売ってるんだ。お客さんは他にもいるんだよ！」そう言って一柳は、頭に指で角を作り鬼の顔をしてみせた。</p>
<p>すると茂森さんはハッっと我に返って言った。「あっ、申し訳ありません！　お客さまのお席で、わたしったらなんて無作法なことを。あまりにも楽しくって、わたし…。本当にご無礼いたしました。では、またご用がございましたらなんなりとお申し付けください。お邪魔いたしました」</p>
<p>「邪魔なんかじゃない！」そのときふたりの中年男は偶然、同時に同じ言葉を口にした。腹式で発声されたふたつの音は倍音になり、予想を超えた重奏ハーモニーを奏でた。それが店中に響き渡ったため、全員の視線が一斉にこちらに注がれた。</p>
<p>「すみません…」と誰に謝るでもなく僕たちは立ち上がって何度も頭を下げた。気を取り直して僕は、両手で口を押えて笑っている茂森さんに囁くように言った。例のウィスパーボイスで。</p>
<p>「邪魔なんかじゃない。<b>君の日本語は美しい。ずっと聞いていたい。</b>こちらこそ楽しくて心地よくて、つい引き込んでしまった。ごめんね。君が叱られなければいいんだけど」</p>
<p>（これじゃまるで口説き文句だ）もちろんそんなつもりは毛頭ないのだけど、彼女の声をずっと聞いていたいと、僕は本当にそう思ったのだ。</p>
<p>それから少しして、僕たちと同世代とおぼしき男が席にやってきた。きっと店長だろう。「他のお客さまのご迷惑になりますので」とかなんとか言われて店を追い出されるに違いない。僕も一柳も覚悟した。</p>
<p>（次章につづく）</p>
<p>&nbsp;</p>
<div class="point">
<h3><span>今日のボイスメモ、あるいは、声にまつわるささやかな教訓</span></h3>
<ol>
<li>同性同士でゆっくり飲みたいときは<span style="color: #ff6600;"><b>焼鳥屋</b></span>に行こう。思いがけず<span style="color: #ff6600;"><b>良い出会い</b></span>が待っている（かもしれない）。少なくとも<span style="color: #ff6600;"><b>オシャレな店</b></span>に行くより、あるいは<span style="color: #ff6600;"><b>物欲しげで思わせぶりな合コン</b></span>に参加するよりよほど有意義だ。</li>
<li>尻に火がつかないと（つまり事態が差し迫って追い詰められた状態にならないと）やる気が起きなかったり、力が発揮できなかったりする。<br />
ならばそれを逆利用しよう。<span style="color: #ff6600;"><b>あえて尻に火をつける</b></span>のだ。でも、沈められて溺れないように気をつけて。</li>
<li>よく「<span style="color: #ff6600;"><b>間が良い・間が悪い</b></span>」（間＝タイミング）という。人生でも声の世界でも、<span style="color: #ff6600;"><b>間が良い人が運をつかむ</b></span>のはいうまでもない。</li>
<li>そして<span style="color: #ff6600;"><b>笑顔</b></span>だ。笑顔が引きつるなど、笑顔が苦手という人には<span style="color: #ff6600;"><b>表情筋のトレーニング</b></span>をお勧めする。笑顔は<span style="color: #ff6600;"><b>成功と幸福に良く効く薬</b></span>です。</li>
<li>飲み屋ではあちこちで<span style="color: #ff6600;"><b>個人情報</b></span>が飛び交っている。飲んでしゃべるとつい声が大きくなり、ガードがあまくなり警戒心も弱くなる。内緒の話をしたい人、しゃべりまくりたい人、いつのまにか<span style="color: #ff6600;"><b>歌い出したり寸劇をやってしまう癖</b></span>のある人は、個室完備の店にいこう。</li>
</ol>
</div>
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