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	<title>声で人生が変わる！「愛と再生」のボイス・ストーリー　ユアボイス・マイボイス &#187; ブックエッセイ</title>
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	<description>あなたは自分の「声」が好きですか？ あなたは「声」で損をしていませんか？</description>
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		<title>待つ身vs待たせる身（恋愛編）</title>
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		<pubDate>Sun, 14 Jun 2015 02:18:26 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[kataribito]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[ブックエッセイ]]></category>
		<category><![CDATA[大正浪漫]]></category>
		<category><![CDATA[百人一首]]></category>
		<category><![CDATA[空間認識能力]]></category>

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		<description><![CDATA[待つ身はつらい。待たせる身もつらいだろう。 だけれど、つらいことばかりじゃないはずだ。 待つことで、待たせることで生まれてくるものがある。 醸成されるもの、熟成されるものもある。 たとえばそれは、夢かもしれないし、希望か [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>待つ身はつらい。待たせる身もつらいだろう。<br />
だけれど、つらいことばかりじゃないはずだ。</p>
<p><b>待つこと</b>で<b>、待たせること</b>で生まれてくるものがある。<br />
醸成されるもの、熟成されるものもある。</p>
<p>たとえばそれは、<b>夢</b>かもしれないし、<b>希望</b>かもしれない。<br />
<b>許し</b>かもしれないし、<b>祈り</b>かもしれないし、<b>愛</b>かもしれない。</p>
<p>それが<b>諦め</b>や<b>後悔</b>、<b>憎しみ</b>や<b>恨みつら</b>みでないことを願う。<br />
<span id="more-429"></span> （「<a href="http://kataribito.net/book/b0001/">待つ身vs待たせる身（友情編）</a>」のつづき）</p>
<p><b><br />
それではまた、いずれ春永に</b></p>
<p>前回のエッセイを、僕はこの言葉で締めた。</p>
<p>春永は「はるなが」と平板に読む。<br />
「<b>いずれ春永に</b>、って素敵な言葉ですね」とある人から言われた。</p>
<p>本来は、<b>春を待つ冬の挨拶</b>の言葉だが、春永にはもうひとつ別な使い方がある。</p>
<p>「いずれひまなときに」「またゆっくりと」。つまり、<b>季節を問わない</b>用法だ。</p>
<p><b>いつかまた、ゆっくり会って、語らいましょう</b>（このくらいの意味）</p>
<p>「いずれ春永に」を<b>手紙の結び</b>として好んで用いたのが、<b>三島由紀夫</b>だった。<br />
<b>『行動学入門』</b>の「手紙のおわり」という章で、三島はこの言葉の持つ魅力について書いている。</p>
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<p>「日が永くなる春を待つ心と、ごく自然な再会への期待とがひとつになって、来るべき春のようなものへの、明るい淡々としたほのかな希望に染められている」</p>
<p>なるほど、<b>春を待ち焦がれる心情</b>に、<b>再会を待ち望む心情</b>を重ね合わせた言葉、というわけだ。</p>
<p>でも、どうだろう。「季節は問わない」とはいえ、使用時期はやはり冬が適切なのではあるまいか。<b>寒さが残る春の初めくらいまで</b>が賞味期限だと思う。</p>
<p>だって、たとえば夏に「いずれ春永に」なんて言われると「こいつ、春までおれに会いたくないってか？」となり、信頼関係にヒビが入りかねない。</p>
<p>さらに言うなら、これは男女間には（とくに恋愛関係にある、もしくは恋愛関係を想定している男女間には）不向きな言葉だろう。</p>
<p>「何を悠長なことを。すぐにでも会いたくないの？！」となり、挙句、<b>百人一首</b>で歌われているように、こんなことになりかねない。</p>
<p><b>逢ふことの</b><b> </b><b>絶えてしなくは</b><b> </b><b>なかなかに</b><b> </b><b>人をも身をも</b><b> </b><b>恨みざらまし</b><b></b></p>
<p>「こんなに私を待たせるなんて。なんで逢ってくれないの？　そもそもこんな関係になっていなかったら、あなたのことも自分のことも恨まないですんだのに」</p>
<p>ああ、やっぱり恨んじゃうんだね！<br />
これはまさに、待つことによって醸成された<b>恨みつらみ</b>だ。</p>
<p>だから僕は「ユアボイス・マイボイス」の中でも再三再四、忠告しているのだ。<br />
<b>女性を待たせるな。痛い目にあうぞ！</b>と。</p>
<p>そういえば百人一首には、男女の<b>待つ身と待たせる身の詠嘆</b>の歌が多い。</p>
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<p>もちろんこれは、電話もメールも、LINEもFacebookもない時代。<b>待ったり待たせたりで身を焦がす状況が多かった</b>ことは想像に難くない。<b>歌の主要テーマ</b>にもなりやすかっただろう。</p>
<p><b>待てど暮らせど来ぬ人を　宵待ち草のやるせなさ　今宵は月も出ぬそうな</b><b></b></p>
<p>これは<b>大正浪漫</b>を代表する画家・詩人である<b>竹久夢二</b>の、1912年の作となる詩歌だ。<br />
雑誌『少女』に発表されるや爆発的な人気を博し、<b>「宵待ち草」</b>のタイトルで映画化され、主題歌も大ヒット。百年たった今も歌い継がれている。</p>
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<div class="point">
<h3><span>語り人メモ</span></h3>
<p>この絵のモデルは笠井彦乃といって、東京日本橋の裕福な紙問屋の娘で、当時女子美術学校の学生だった。夢二のファンで、「絵を習いたい」と夢二を訪ねたことで交際が始まる。妻と離婚し京都に移り住んでいた夢二と同棲するが、取材旅行で留守がちな夢二を待ちわび、24歳の若さで結核に侵され死亡。恋多き夢二がもっとも愛した女性といわれている。僕はこの絵に恋をして、大学生のとき数量限定の複製画を買った。その後、引っ越しに紛れて紛失したのが悔やまれる。</p>
</div>
<p>&nbsp;</p>
<p>もっとも現在でも、やれメールの返信が遅い、やれLINEのリアクションが遅いと、やきもきしたり、じりじりしたりして、結果、<b>恨んだり恨まれたりという感情の齟齬が起こりやすい</b>状況があるわけで、そう考えると<b>待たされること・待たせることによって引き起こされるストレス</b>は、今も昔も変わらないのかもしれない。</p>
<p>ひとくちに「待たせる・待たされる」といっても、さまざまな状況がある。<br />
<b>挨拶や連絡</b>レベルのものから<b>結婚のプロポーズ</b>まで、大小・軽重いろいろね。</p>
<p>ときに<b>お詫びや謝罪</b>の言葉だったり、 <b>お礼や感謝</b>の表明だったり、 <b>借金の返済</b>だったりする。</p>
<p>いずれにしても<b>待たせている人は、待たされている人の時間と心を奪っている</b>ことは間違いない。その自覚だけは、いつも持っていなければと思う。</p>
<p>日常の待ち合わせレベルでも同じである。</p>
<p>たとえば<b>仕事上</b>の待ち合わせ。<br />
<b>仕事とプライベートが半々</b>の待ち合わせ。<br />
<b>完全プライベート</b>の待ち合わせ。<br />
<b>これってまじデートよね</b>的待ち合わせ。<br />
などいろいろある。</p>
<p>それぞれに待たされてもいい、あるいは待たせてもいい<b>時間の許容範囲</b>があるだろう。 <b>ドタキャンは論外</b>として。</p>
<p>僕自身は待たされることに関しては、わりと融通の利くほうだと思う。待っている間に、趣味の<b>マンウォッチング</b>が楽しめるからね。いろいろな人の表情を観察してはあれこれ想像し、彼らの人生に思いを馳せるのだ。</p>
<p>ところが昨今では、何処にいても皆一様にひたすらスマホを睨んでいて、表情から情報が読みとれないのだ。 <b>スマホに気を取られている人の表情は、概ね画一的で没個性</b>だからだろう。</p>
<p>一方で僕は、ひとたび待たせるほうに回ると、ひどく神経質になってしまう。</p>
<p>「ああ、申し訳ない」「いまごろイライラしてるだろうな」と、居ても立っても居られなくなってしまう。そうなるともう、マンウォッチングどころじゃない。駅に着いたら待ち合わせ場所へと猛ダッシュで走ることになる。</p>
<p>しかし世の中にはいろいろな人がいて、<b>待たせることになんの痛痒も感じない人</b>がいる。（たとえ本人は感じていても、そうは見えないんだよ！）</p>
<p>涼しい顔をして15分遅れでやってきて「出る間際に電話を１本、片付けてきたもので」などと、言い訳にもならないことを平気で口にする輩だ。</p>
<p>言い訳はいらない。もしするのなら、<b>気の利いた言い訳</b>がほしい。</p>
<p>「<strong>オフィスを出たら、空に虹がかかっていましてね。しばし立ち尽くし見入ってしまいました</strong>」たとえばそんなことを言われると、</p>
<p>「<strong>それはよかった。ところでなぜ日本では虹を七色と見るのか、ご存知ですか</strong>」なんて話になり、遅刻のことなんかもうどうでもよくなる。</p>
<p>あるいは女性が「<strong>ごめんなさい！電車の中を走ったのだけど、それでも間に合わなかったわ</strong>」なんて可愛いことをのたまった日には、もう座布団あげちゃうもんね。</p>
<p>女性のことをいうなら、僕は女性の遅刻にはひときわ寛大である。女性は男のようにパッパといかない。とくに「<strong>これってデートよね的待ち合わせ</strong>」の場合はなおさらだ。</p>
<p>先日テレビを見ていたら、<b>女性の遅刻癖</b>について熱い議論が交わされていた。<br />
ある脳科学者はこれを<b>脳の問題</b>だと言う。つまり<b>男性脳と女性脳の違い</b>だと。</p>
<p>でも、僕にはぴんとこなかった。「なんでも<b>脳で片づけようとする</b>なよ」</p>
<p>僕はあることの原因を、たったひとつの言葉で片づけようとする風潮をあまり好きではない。「ああ、それは<b>ストレスが原因</b>ですね」とかね。</p>
<p>脳科学によると、脳には<b>左脳と右脳をつなぐ橋</b>がある。これを脳梁と呼ぶが、これが女性のほうが太いのだそうだ。そのため、一般に<b>女性のほうが情報処理能力が高い</b>と言われている。</p>
<p>これは僕も知っている。<b>いま見ている情報を過去の情報と照らし合わせて判断</b>できる。だから女性は、<b>男の浮気を見抜く</b>のだ。つまり「勘」なんかじゃないってこと。</p>
<p>一方で女性は、男性に較べ<b>空間認識能力</b>が低い。これは<b>狩猟時代の名残り</b>だといわれる。男は狩猟、女は子育てってやつね。だから生まれつき、教えなくても男の子は銃が好きで、女の子は人形が好き。</p>
<p>うーん、どうだろう…。この本脳領域は、進化の過程でかなり後退しているんじゃないかと僕は思う。少しは残っているだろうけど、<b>後天的な教育や慣習の影響</b>が大きいんじゃないか。「男の子はこうあるべき、女の子はこうあるべき」みたいな。</p>
<p>ところで、それが先天的なものであれ後天的なものであれ、次の言葉は<b>男と女の本質</b>をズバリ端的に言い表しているのではないだろうか。</p>
<p><b>話を聞かない男、地図が読めない女。</b></p>
<p>このキャッチコピーのような言葉、ご存知の方も多いと思うけど、実は本のタイトル。2002年刊行だから10年以上前の本。だけど、いま読んでも面白い。この本の登場によって<b>「男脳・女脳」</b>という概念が、世界中に広く流布されたと言っていい。</p>
<p>いわく、なぜ<b>女は方向音痴</b>なのか。<br />
なぜ<b>男は一度に一つのことしかできない</b>のか。<br />
なぜ<b>女はよくしゃべる</b>のか。<br />
なぜ<b>男は一人っきりになりたがる</b>のか。</p>
<p>そんな誰もが納得する男と女の違いを、<b>脳科学を援用した行動学・心理学</b>の観点から解き明かす意欲作だ。</p>
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=amebablog05d-22&o=9&p=8&l=as1&asins=4072352179&fc1=000000&IS2=1&lt1=_blank&m=amazon&lc1=0000FF&bc1=000000&bg1=FFFFFF&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe>
<p>なぜ<b>女はデートの待ち合わせに遅刻する</b>のか。</p>
<p>探してみたが、この本にそんな記述は見当たらない。僕は<b>遅刻は女性に限ったことではない</b>と考えている。<b>男にだって遅刻魔は同程度いる</b>よね。これはみなさん異論のないところだと思う。</p>
<p><b>空間認識能力が女性は男性より低い傾向がある</b></p>
<p>これについては、僕にも少なからず思い当たるふしはある。「<b>地図が読めない女</b>」に悩まされた経験を持つ男は少なくないはず。だけど、それを遅刻と結びつけるのはいささか早計だ。無理があると言わざるをえない。</p>
<p>「女性が遅刻する理由」はとてもはっきりしている。<br />
<b>気合いを入れてメイクして、最後までコーディネートに悩んでしまうからだ。</b></p>
<p>二人の力関係とか駆け引きとか、つまりわざと遅刻する場合を除けば、結局これにつきるのではないだろうか。</p>
<p>「それを計算に入れて時間配分をすればいい。遅刻の言い訳にはならない」</p>
<p>男性諸君、そんな野暮なことを言ってはいけない。きみにベストの自分を見てもらおうと、女性もあれこれ苦労して頑張っているのだよ。</p>
<p>ついでに言えば「<b>たとえ相手が別れた男でも、すっぴんでボサボサ頭の自分を見せたくない</b>」</p>
<p><b>女性とはそういう生きものだ</b>ということも知っておいたほうがいい。</p>
<p><b>ロシアの文豪トルストイ</b>も言っている。</p>
<blockquote><p>「…男の前で虚偽や残酷さ、さては放縦まで暴きたてられるのと、無趣味・悪趣味な格好で男の前に現れるのと、どちらを選ぶか女に訊いてごらん。 間違いなく前者ですよ」（<b>『クロイツェル・ソナタ』</b>より抜粋）</p></blockquote>
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<div class="point">
<h3><span>語り人メモ</span></h3>
<p>「クロイツェル・ソナタ」は戦慄の書です。僕は大学生のときに読んで、ぶったまげて腰を抜かしそうになった。そこには永遠のテーマといわれる男と女の謎が、語り小説の手法でリアルに解き明かされていたからだ。ちなみにベートーヴェンのヴァイオリンソナタに同名の曲があるが、トルストイはこの曲にインスパイアされて本書を執筆したといわれる。男と女の戦いを表現したヴァイオリンとピアノの押しつ押されつのバトルは壮絶だ。</p></div>
<p>&nbsp;</p>
<p>男性のみなさん。わかりましたか？　遅刻してやってきた女性には「きてくれてありがとう！」と言って、彼女のメイク・ヘアスタイル・ファッション、何でもいい。ひとつ褒めてあげよう。</p>
<p>女性のみなさん。いいですか。遅れたときは花のような笑顔を見せて、彼にカワイイ言い訳のひとつでも言ってあげましょう。</p>
<p>そして、最後にもう一度、言います。<b>男は女性を待たせてはいけない</b>。</p>
<p>さて、あなたは誰を待って、誰を待たせていますか？</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>待つ身vs待たせる身（友情編）</title>
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		<pubDate>Fri, 29 May 2015 10:00:37 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[kataribito]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[ブックエッセイ]]></category>
		<category><![CDATA[中原中也]]></category>
		<category><![CDATA[井伏鱒二]]></category>
		<category><![CDATA[太宰治]]></category>
		<category><![CDATA[宮沢賢治]]></category>
		<category><![CDATA[山椒魚]]></category>
		<category><![CDATA[檀一雄]]></category>
		<category><![CDATA[汚れっちまった悲しみ]]></category>
		<category><![CDATA[走れメロス]]></category>

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		<description><![CDATA[ご無沙汰です。 第3話「一流の証明」を書き終えてから腑抜け状態の語り人です。 こんな僕のブログでも、今か今かと待ってくれている方がいらっしゃるようで、たくさんの方から「最近、更新していらっしゃらないようですが…」というメ [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>ご無沙汰です。<br />
<a href="/category/03/"><b>第</b><b>3</b><b>話「一流の証明」</b></a>を書き終えてから<b>腑抜け状態</b>の語り人です。</p>
<p>こんな僕のブログでも、今か今かと<b>待ってくれている</b>方がいらっしゃるようで、たくさんの方から「最近、更新していらっしゃらないようですが…」というメッセージをいただいている。</p>
<p>多くは激励や安否を問うお便りだが、なかには以下のような難詰調というか、語り人の無沙汰に対するクレームも散見された。<span id="more-384"></span></p>
<blockquote><p>さぞかしお忙しいのでしょうね。けれど黙って姿を消しておしまいになるなんて、あんまりではありませんか。いつもわたしに語りかけてくださるとおっしゃったのは嘘だったのですか。先生のバカ！　お忙しすぎて文字どおり、心を亡くされたのでしょうか？　いやだ、それともまさか、ご病気か何か…（後略）</p></blockquote>
<p>ごめんなさい。ご心配をおかけしました。<br />
あなたに語りかけることを忘れたわけではありません。</p>
<p><b>語り人は元気です。</b>病に臥していたわけでも、心を亡くしたわけでもありません（たぶん）。 凡才を苦にして（少し気にしているけど）身投げしたり、失踪したりもしておりません。バカなのは変わっていませんが。</p>
<p><b>忙しかった？</b> 　うん、たしかに「忙しかった」ということになるのだろうけど、 僕はこの言葉が好きではない。「バタバタしてまして」と同様に、便利だけど使いたくない。品格がないから。（おまえは鳥か！と言いたくなる）</p>
<p>では、なんと言おうか。ちょっと気取った表現を許していただけるなら<b>「自分に課せられた仕事にただただ専心していた」。</b> そうとしか言いようがない。たとえばミツオシエという鳥が、名前のとおり「蜜のありかを教える」ためだけに生存しているように。（あれ、僕も鳥か！）</p>
<p>「ただただ」とか「ひたすら」という言い方が、何か<b>問答無用</b>という感じがして、僕は好きなのです。</p>
<p>そんなありがたいお便りの中に一通、不可解なメッセージが紛れ込んでいた。何やらイヤな予感がした。原文のまま紹介します。（カッコ内は語り人のコメントです）</p>
<blockquote><p>（前略）ワタシは待つことには慣れておりますが、いかんせん語り人さまの次回作だけはこれ以上待てません（いかんせん？）。 ご多忙の由は重々、重箱の隅を突くが如く熟知しております （シャレたつもりだろうが用法が違う）。語り人さまのお言葉がワタシをどれだけ奴隷にしておりますことか（またきたか）。嗚呼、それをお知りになったら、 お尻に火がつくことでしょう！（もうやめてくれ！）</p>
<p>語り人さまをお慕いする<b>愚鈍な中年少女</b>より（もはや妖怪だ）</p></blockquote>
<p>こんなおかしな文体でメッセージを送りつけてくる人を、僕はひとりだけ知っている。<br />
「いかにせよ」が口癖のあの人に違いない。そう言うとすぐにバレるので「いかんせん」と書き直した。そうでしょう？　虎田シーサーさん（ジロッ）。</p>
<p>（シーサーさんは<a href="/category/02/"><b>第</b><b>2</b><b>話「声優ほど素敵な商売はない」</b></a>で登場いただいた、オネエキャラを売り物にしている映像プロデューサーだ）</p>
<p>とにかく、わかりました。<b>ボイス・ストーリー</b>のほうはもう少しお待ちいただくとして、エッセイ風のものでよければ書きます（語ります）。書かせて（語らせて）もらいます！</p>
<p>では、<b>お待たせした</b>ことにちなんで、<br />
今日は<b>「待つ身</b><b>vs</b><b>待たせる身」</b>というテーマでお届けしましょう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><b>「待つ身がつらいかね、待たせる身がつらいかね？」</b><b></b></p>
<p>こううそぶいたのは<b>太宰治</b>だった（また太宰！）。</p>
<p>友人の小説家・<b>檀一雄</b>と熱海の宿で豪遊し支払いが出来なくなった太宰は、檀を人質に置き、金策のためひとり東京へ帰る。ところが待てど暮らせど太宰は戻ってこない。しびれを切らした檀は、宿の主人の許しを得て東京へ。するとあろうことか、太宰はのんきに将棋を指しているではないか。</p>
<p>「ひどいじゃないか！」怒りをぶちまけようとする檀に太宰が放った言葉がこれだ。（このエピソードは<b>檀一雄著『小説</b><b> </b><b>太宰治（岩波現代文庫）』</b>に詳しい）</p>
<p>「<b>待たせている</b>おれのほうがつらいんだ。それが証拠に、いまこの人に金を借りようと将棋のお相手をしている」</p>
<p>太宰は口が達者だ。これは<b>遅刻の常習者</b>だった太宰一流の詭弁（言い訳）だろう。</p>
<p>この将棋のお相手は太宰の文学の師、<b>井伏鱒二</b>だった。温厚な井伏さんも、自身の代表作である<b>『山椒魚』</b>のように憮然としたはすだ。（しかし師匠の前でこんなこと言うかね）。檀は怒るに怒れなくなった。</p>
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<p>&nbsp;</p>
<p>それからまもなく、太宰は一篇の小説を発表した。<b>『走れメロス』</b>だ。</p>
<p>檀は「この傑作はまさに自分とのこの出来事に端を発している」と確信する。<br />
あまつさえ「文学に携わる身の幸福を思う」とうっとりする始末だ。</p>
<p>簡単に言うと「それって、おれの手柄だよね」と檀は言っているのだ。</p>
<p>なるほど。たしかに<b>『走れメロス』</b>は、二人の男の友情を軸に、<b>待つ身と待たせる身の拮抗</b>を優美に力強く描いた名作。でも檀一雄の話が本当なら、<b>現実と虚構のあまりのギャップ</b>に笑うしかないよね。</p>
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<p>「おまえは走ってない。将棋を指してただけだろ！」僕なら激しくそうツッコミを入れるだろう。<b>作家の人格と作品は別の話</b>ということか。</p>
<p>もっとも檀は、太宰の追従者といわれていた作家だ。当時、太宰の腰巾着と揶揄されてもいた。だから檀と太宰の<b>「待つ身と待たせる身」</b>の構図は、単純に二人の力関係によるものだといえる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>力関係といえば、この<b>『小説</b><b> </b><b>太宰治』</b>には<b>中原中也</b>との交流も描かれている。<br />
中也に畏敬の念を抱いていた太宰は、この尊大な詩人には頭が上がらない。さしもの口達者の太宰も、舌鋒鋭い中也の罵詈雑言に萎縮するばかり。</p>
<p>「なんだ、おめえはバカか！ 青鯖が空に浮かんだような顔をしやがって」<br />
（どんな顔だ？　でも<b>サバが空に浮かぶ</b>なんて、さすが中也。詩人の言葉だね）</p>
<p>からまれてもイジられても太宰は「愛情、不信、含羞、拒絶、なんともいえないような、くしゃくしゃな悲しい薄笑いを浮かべて」黙っている。（これは檀の言葉。言い得て妙だ。写真の太宰は概ねそんな表情をしている）</p>
<p>あるとき、待ち合わせの酒席に太宰の姿がなかった（太宰さん、すっぽかしたな）。からむ相手がいないと不機嫌になった中也は、檀を引き連れ太宰の家に乗り込む。（イヤなやつだよ！）</p>
<p>ちなみに道中、中也が自身の詩作のお手本ともしている<b>宮沢賢治の詩</b>を、高らかに朗誦していたことを檀は記している（中也は詩の朗読が上手だったそうだ）。</p>
<p>家に着くと太宰の妻は「主人はもう休んでいる」という。<br />
「起こせばいいじゃねぇか」（迷惑なひとだね）<br />
中也はずかずかと寝室に踏み込み、大声で喚き散らし、寝ている（寝たふりをしている）太宰を襲撃しようとする。</p>
<p>「寝ているんだから、やめましょう」<br />
檀は中也の腕をむんずと掴んだ。（おっ、檀さん、武勇伝か？）<br />
「きさま、誰にものを言っている！」（あくまで上から目線）</p>
<p>中也は腕を振り払おうとするが、檀は中也の腕を掴んだまま、雪の降りしきる外に引きずり出した。（まるで映画のワンシーンだね）<br />
「このやろう！」<br />
中也は檀に拳を振るうが、痩身小躯にして非力の中也の、それは他愛もない腕力だった。剛力の檀は中也を雪道に放り投げた。（檀さん、一本！）</p>
<p>「わかったよ。おめえは強え」（おまえが弱い）<br />
起き上がると雪を払いながら、中也は恨めしそうに言ったあと、何やらぶつぶつ低吟したという。それは賢治の詩ではなかった。（こんなときにも詩を吟じる中也は、やはりただ者じゃない）</p>
<p>「<b>汚れっちまった悲しみに、今日も小雪の降りかかる…</b>」</p>
<p>後世に残るこの詩が、まさにこの瞬間、誕生したように檀は回想している。（つまり<b>名作誕生秘話</b>のていですね）。だけど<b>『小説</b><b> </b><b>太宰治』</b>はタイトルどおり、あくまでも小説（フィクションね）。真偽のほどは定かでない。</p>
<p>で、このエピソード、いつの話かというと、<br />
1934年（昭和9年）。<b>今から</b><b>81</b><b>年前</b>のこと。</p>
<p><b>中原中也</b><b>27</b><b>歳、太宰治</b><b>25</b><b>歳、檀一雄</b><b>22</b><b>歳。</b>（青春まっただ中！）<b></b></p>
<p>しかし、中也はそれから3年後の<b>30</b><b>歳</b>、結核性脳膜炎で帰らぬ人となる。<br />
太宰は14年後の<b>38</b><b>歳</b>、東京三鷹の玉川上水で妻ではない女性と入水自殺。<br />
檀は41年後の<b>63</b><b>歳</b>、肺癌のため逝去。（中也と太宰に較べ長生きしている）</p>
<p>そして<b>『小説</b><b> </b><b>太宰治』</b>は、エピソードから15年後の1949年、檀が<b>37</b><b>歳</b>のときに書かれている。つまり多かれ少なかれ「<b>自分の青春時代を美化して語る年齢</b>」に達していると言っていい。</p>
<p><b>どこまでが真実で、どこまでが作り話なのか。</b>しかしそんなことはどうでもいい。僕が面白く思ったのは、<b>太宰治と中原中也という二人の天才</b>と同時代に生きて交流した、<b>檀一雄という作家</b>のキャラというか立ち位置だ。</p>
<p><b>太宰にうまく使われ振り回された日々</b>を、そして<b>中也を投げ飛ばした雪の降る夜</b>を、檀は実に愛おしそうに回顧している。自分という存在が触媒となって、あの珠玉の名作が生まれたのだと。</p>
<p>つまり<b>『走れメロス』</b>も<b>『汚れっちまった悲しみ』</b>も、自分がいなければこの世に産声を上げることはなかったと、脇役ながら檀は、自分が後世に果たした役割の大きさに目を細めるのである。（檀さんは文学のお産婆さんだね）</p>
<p>「そりゃあ、<b>待たされたおまえ</b>じゃなくて、<b>待たせたおれ</b>の手柄だろう」</p>
<p>太宰がそう言ったかどうかわからないけど（きっと言ったと思う）、例の「青鯖が空に浮かんだような」くしゃくしゃな笑顔が目に浮かぶようだ。</p>
<p>待つ身はつらい。待たせる身もつらいだろう。<br />
だけれど、つらいことばかりじゃないはずだ。<br />
<b>檀一雄の『小説</b><b> </b><b>太宰治』</b>はそれを教えてくれる。</p>
<p><b>待つことで、待たせること</b>で生まれてくるものがある。<br />
醸成されるもの、熟成されるものもある。</p>
<p>たとえばそれは、<b>夢</b>かもしれないし、<b>希望</b>かもしれない。<br />
<b>許し</b>かもしれないし、<b>祈り</b>かもしれないし、<b>愛</b>かもしれない。</p>
<p>それが<b>諦め</b>や<b>後悔</b>、<b>憎しみ</b>や<b>恨みつら</b>みでないことを願うばかりである。</p>
<p>次回は、一般的な<b>男女における「待つ身</b><b>VS</b><b>待たせる身」</b>を考察してみたいと思います。（こっちのほうが興味あるよね！）</p>
<p>それではまた、いずれ春永に。</p>
<p>&nbsp;</p>
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